ヴィーグリーズ最終決戦⑨
黒曜石よりも濃い黒煙に包まれる。
陽太は僅かに光る灯火に手を伸ばすも叶わず深淵へと飲まれていく。
感覚器官が全てを拒絶した。
耐え難い苦痛が押し寄せる、この世のあらゆる負の側面を凝縮したかのような妬みが襲う。
ひたすらもがき苦しんだ。何回も、何回も。
その時に、ふと思い出す。
このような辛い体験を何度も何度も繰り返している気がする、と。
唐突な転移、大規模ダンジョンへの侵入、紛争に巻き込まれ、挙句の果てには神と戦わされる。
そんな辛い経験を経ても尚、自分がここに立っている意味は何かと、陽太は自分に深く問いただす。
なぜ、僕はここにいるのだろうか。
痛い思いは沢山してきた。
死線は何度もくぐり抜けてきた。
得たものは特に見当たらない。
何のために――。
途絶えゆく意識の中、深層心理が抉り掘られ、顕になっていく。
巫女ヴォルヴァと千歳緑の姿が重なり鮮明に輝く。
陽太の中で一番強い光となって、深淵を照らす。
ああ、そうか。
陽太は気付いた、思い出した。
自分がここにいる意味を。
忘れてはいけない記憶を。
僕は。
「これ」を返しにきたんだね、君に。
それと、伝えたい言葉があったんだ、言いそびれた言葉があったんだ。
それを伝えるためだけに、僕は。
この異世界にやってきたんだ。
*
陽太が「黒曜を吐く鏡」の術を食らっている。
最初はシグルドも陽太を救いに動き出そうとしたものの、咄嗟に歩を止める。
人類最強の剣士「龍殺し」は、眼の前の友が瀕死になった位では冷静さを欠かない。
(救出は不可能だ。あの術は精神汚染関連のもの!! 陽太に直接的な被害はないはず! ならば……真っ先にリーヴ=ジギタリスを殺しに向かうべきだッ!)
シグルドは以前、王城で「黒曜を吐く鏡」の術を喰らったことで、その術の性質を見抜いている。
その上で「シグルド」としての個――即ち、友である陽太を救い出したいという思いを自分の中で押し殺し、「龍殺し」としての使命を真っ当することに尽力する。
その、ある種の危機的状況における冷徹さこそ、シグルドが「英雄」である証。
友人を救出せずリーヴに向かっていくシグルド。
杞憂や動揺は捨て、敵であるリーヴの戦力分析に徹する。
(『橙』による黒灰化現象を複数回体内に叩き込んだ。そのせいで今のリーヴは神素での身体強化もとい防護術式の編成が不可能になっているはずだ!! つまり完全なる丸腰! 合奏術式によるデバフを受けてる今の我であっても、現在のリーヴならば斬り殺せる!! 一刻も早くリーヴを殺しッ、『根源の異なる力』を解除させ、陽太を救わなくてはッ!)
対してリーヴも、自身に向かってくるシグルドを警戒しつつ分析を続ける。
(不味いな……立花陽太の『魂』属性の術を食らい過ぎたせいか……『根源の異なる力』の出力や精度が極端に低下している……『幻想曲』による肉体再生も滞り始めている……それに加え体内のオーディンの神素が完全に潰えた。これでは我の体術で龍『殺し』を相手することもできまいッ! 今の『罪』を帯びた龍『殺し』は危険だ……いかに『幻想曲』といえど、死を覆すことはできないため即殺されてしまえば我の敗北が確定する!! だがッ!)
リーヴは顕現している鍵盤を弾き術式を編纂する。
〔舞曲〕
シグルドが被弾覚悟でリーヴの第三世界内に一歩踏み入れた瞬間。
無数の鎌鼬が竜巻状になってシグルドを襲う。
その威力は、風属性の極みである原型術式「殃禍」よりも秀でて強く。
表面だけでなく内部の肉までえぐり取ってくる切れ味を誇っていた。
思わずシグルドは踏み入れた足を戻し出血部位に手をかざす。
「ッ……風の刃が……リーヴの展開結界内部に張り巡らされているッ! しかもこの威力!! 数秒間だけ浴びただけで致命傷かッ!」
シグルドの身体強化、肉体強度の術でも貫通するほどの超威力の範囲攻撃。
シグルドですらも連続して浴びせられれば死を覚悟するほどの威力だった。
〔朱『彩』〕
そこでシグルドは霊剣リジルで、負の因果を付与した遠隔斬撃を放つ。
だが、その斬撃も第三世界に侵入した瞬間、何十もの不可視の風の斬撃で威力を減衰され、中央のリーヴにまでは届かない。
「予想通り、近づけないとわかって霊剣リジルの術式効果を変更したな」
そのシグルドの行動を予測していたリーヴはニヤリと笑う。
気付いた時には既に遅かった。
中央のリーヴを円形状に囲っていた半径十数mの球体状の結界、その形状が変更されており。
アメーバ状となって不定形で伸び縮みしており、シグルドの足元まで伸びていた。
瞬間。
無数の風での斬撃がシグルドを襲う。
合奏術式で発動された風属性の術。
その威力は桁違いであり、シグルドの皮を剥ぎ、肉を絶ち、骨を砕いた。
シグルドは致命傷を負いながら、自身の判断ミスを内省する。
(クソッ! リーヴの発動する合奏術式の効力が分からない以上、『碧』を使用し未来予知をして攻撃に備えるべきだったッ! 『朱』に変更したのは……迂闊だったッ)
霊剣リジルの吸収した5つの術式は併用できない。
そのため遠隔斬撃を使用する場合は、未来視が出来ない。
その欠点をリーヴは既に見抜いている。
シグルドは一瞬で結界内から抜け出すも、たった数秒、無防備な体に鎌鼬を食らったせいで、体はズタボロだった。
左腕や右足に関しては内部の筋繊維が切り刻まれており、もはや戦闘に使用できない状態にあった。
(遠隔斬撃も通用せず、近づくこともできず、合奏術式によるデバフを食らっている今、リーヴの反応できない速度で動くこともできまい……そしてこの傷……下手をすればこのまま出血死で死んでもおかしくない)
自身の現状を分析し、思わず勝ち目がないと考えてしまうシグルド。
だが
(……と、リーヴの奴は思っているだろう。だが……!!)
それでもシグルドは抱いた希望を捨てず、勝ち筋を見つけるために眼の前に注力する。
そして、絶望的状況下を脱するための光を見つける。
(リーヴが先ほど結界を3つに分割した意味はなんだ? 単に結界の一部を我に付与し、我に合奏術式による負荷をかけ続けたかっただけか? 否! なぜ、この局面にきて、リーヴは合奏術式の発動を併用してきた?! 今までも同時発動が可能だったならば、そうすればよかったはず! それをしてこなかったということ、そして結界を3つに分割した瞬間、術式を3つ複数同時使用してきたという事実から……リーヴの『根源の異なる力』では独立した第三世界の結界1つにつき、1つしか術式が発動できないと見た!!)
【シグルドの推論は当たっている】
【リーヴの『根源の異なる力』は一つの結界・第三世界内には一つの術式しか編纂出来ない】
【そのためリーヴは結界を二つに分裂・独立させ、一つをシグルド、一つを自分に纏わせる方法で複数術式の併用を実現化した】
(つまり今のリーヴは合奏術式での再生&治癒が出来ないッ! なぜなら自身の結界にはもう既に『舞曲』という風の合奏術式を発動しているから……よって中央にいるリーヴは……治癒も出来ず神素で肉体強化もできない……完全なる無防備だ!! 今のリーヴに攻撃を与えれば……致命傷となるはずだッ!)
シグルドたちを追い詰めているリーヴもリーヴで。
危機的状況にあることを見抜くシグルド。
ぎゅっと霊剣を強く握り、シグルドはその場にしゃがみ、剣術の居合流を発動する構えをとった。
その様子を見ていたリーヴは困惑する。
(なぜ……彼奴はここにきて『居合流』の術を使用しようとしている? 戯けが、先程で『舞曲』の恐ろしさを身を以て体感したであろう? 居合流の『神速』で我が結界内部に侵入すればその瞬間貴様は切り刻まれ塵となり消滅することは明らか……まさか相打ちを狙っている? 『舞曲』で体が切り刻まれ死に絶える前に、中央の我に到達し首を跳ねようと? ……ハッ)
リーヴはここで分析を重ね、陽太の足元に忍ばせていた結界を自身に戻した。
すると結界の空間総量が増加する。
【『根源の異なる力』の結界もとい第三世界を分割させるデメリットとして、発動する術式の精度や効力が低下することが挙げられる。また結界の形状は好きなように弄れても、結界の空間総量を増加させることはできず、リーヴの『根源の異なる力』の展開総量は半径50mの球体のため、この面積内での結界の形状変化の運用が求められる】
【リ―ヴはここで陽太の足元に分配した結界を自身に戻すことで、『根源の異なる力』の術式威力を足す。これによって『黒曜を吐く鏡』の術は解除されてしまった。リーヴが陽太に分配した結界を戻したのは、陽太を足止めするよりも、覚醒した眼の前のシグルドへの対応の方が重要と判断したためである】
(これならば龍『殺し』が突撃してきても、その刃が我に届くことはない。分割した結界を増やしたことで『舞曲』の術の出力や射程距離も上昇した……龍『殺し』貴様は特攻を行い、無様な死を迎えるだけよ……愚かな男が)
リーヴの観察眼は恐ろしい。
シグルドの狙いを一瞬で見極め、その対策を迅速に完璧に行う。
実際、シグルドが『神速』を放ったとしても。
これでは中央のリーヴには当たらず、その前にシグルドの体が塵となり消滅するだろう。
だが、それは――シグルドが狙い通りの行動を行った時のみ。
英雄の目は、リーヴですらも予測できない遥か永遠に向けられているのだ。
(我の勝ち筋は『因果を逸脱した一閃』のみ。あれならば……『舞曲』の術を受けることなく彼奴の喉元に刃を刺せる。だが……その発動は失敗している……まだ条件すら自分でも分かっていない)
幽霊都市での樂具同への発動成功。
審判の回廊でのグリムヒルトへの発動成功。
そしてヴィーグリーズの間での発動失敗。
発動条件は何か、何が足りなかったのかを思考するシグルド。
行き着く所まで思考と分析を続けた後、シグルドは完全に分析を止めた。
考えても無駄だと、判断したのだ。
(関係ない。剣術とは、剣の真意とは……丁寧かつ力強い所作と誠実偽りない鍛え抜かれた心と体。全ての思いを冷静なままぶつけ、敵の肉を割く感覚を掴みながら、眼の前のものを全力で斬る、それだけだ。一切の躊躇はしないッ!)
そしてシグルドは霊剣リジルに宿る術式効果の一切を解除した。
龍「殺し」が思考の末選んだのは――。
小細工なしの完全詠唱、ただの剣技のみでの純粋なる一撃だった。
〔『式』系統は闘素――器は『剣』 居合:神速〕
瞬間――。
シグルドは異世界から完全に消滅。
時間にして僅か一秒も満たない刹那の間、確かにリーヴは見た。
彼の因果を超えた一閃を――
シグルドの体は分子レベルで分解され虚数領域へ。
どこにも属することのない真の虚無空間で亜光速に加速し――。
再び異世界に帰還、肉体が再構築して放たれるは。
究極の剣技「因果を逸脱した一閃」。
気づけばシグルドはリーヴの後方におり。
霊権リジルの刀身には血が滴っていた。
リーヴの右肩から左ふくらはぎにかけ、強烈な一閃が刻まれ血しぶきが舞う。
「がッ馬鹿なッ!」
リーヴの叫びを聞きながら、シグルドは冷静な態度で、霊剣リジルに付着した血を払った。
合奏術式解説
「幻想曲」→森霊種が開発した合奏術式。治癒術式の頂点。如何なる難病、怪我をも一瞬で治癒する優れモノ。だが流石に死した命を蘇らせることは出来ない。
「即興曲」→無数の光弾を放つ術。最速の攻撃術式。大昔では光弾一つを放つために、一人の命を供物に捧げていたとか。ちなみにリーヴはこの光弾をノーリスクで無限に放てる。喰らったのが陽太とかシグルドだから怪我程度で済んでいたが、普通なら光弾を浴びたら消滅する。
「夢想曲」→相手に現実と間違えるほどの精度の高い幻影を見せる術。幻術の頂点。術中下の人物を幻影から起こすには、ある程度の痛みを与えるのが効果的とされている。意識を肉体から隔離して幻影世界に飛ばす原理。
「聖譚曲」→浄化術式の頂点。あらゆる汚れを打ち消すことが出来る。原生魔獣とかに浴びせれば一瞬で蒸発する。元は呪術への解呪のために発明された。浄化作用が強すぎて、魔の要素を持たない者にまで効く。
また合奏術式レベルの完成度となると、此岸の肉体を持つ異世界転移者である陽太にも十分通用する。