芽生えた決意/潜り込んだ思惑
「泣き止んだのか?」
「ああ、もう涙が枯れるほど出た」
陽太は袖で涙を拭って赤くなった顔で立ち上がる。
大月は陽太のメンタルがブレイクしている間、ただずっと傍観していた。
それは彼なりの優しさだろうと陽太は思った。
同情や気遣いなどされたら、逆に虚しくなるだけだ。
どんなに同情された所で、巫女が――緑が一番苦しいことには変わりないのだから。
「じゃあ、行って来い。リーヴを倒し……その後はお前が決めろ。この異世界のあり方を」
「大月は協力してくれないのか?」
「ん、ああ……実はな……」
ここで陽太は大月の姿が、アナログチャンネルの砂嵐のように、時々ブレて、原型を保てなくなっていることに気づいた。
「これを見たら分かるだろ? 俺は……因果律に干渉して無理やり寿命を今日まで伸ばしてる。俺が異世界に渡った時に、俺に残された寿命の絶対時間は『67年』だった。あまりに短い年数だ。だから因果律を圧縮、飛び越え、現界する時以外は虚数領域に閉じこもることで、なんとかその期間を今日まで伸ばしてたんだ」
「現界?」
「ああ、『67年』それが俺に与えられた異世界に現界できる時間総量。それだけじゃラグナロクの瞬間まで生き残れなかったから、俺は因果を操作し時間転移を行い、大事な局面だけは現界、それ以外の期間では虚数領域に閉じこもり、時間を経過させる荒業で寿命を延ばしてきた。だが……それももう限界みたいあだ。『67年』の現界総量時間は、ほぼ既に使い切っちまって、もう異世界に現界することはできねえ」
「そんな……」
「俺はこれから――おそらく消えるだろう。虚数領域に侵入できればそこで生末を観察することは出来る――が、それでも、もう俺が異世界に干渉することは出来ない。まあ、ここで消滅するってわけだ」
その事実を暗示するかのように、ジジジ、と大月の身体が不安定に乱れ始める。
「大月……お前が滅多に巫女の社に顔を出さなかったのは……」
「ああ虚数領域に閉じこもって現界時間を消費しないようにするためだ」
「顔を出さなかったんじゃなくて、顔を出せなかったんだな」
だから大月は、これだけの力を持ちながら、リーヴの野郎に反抗出来ないのか。
「……でも今回の審判で安心したぜ。俺がいなくても、お前さんがいれば大丈夫だと、な。それを確認するための審判だったわけだ」
「そういうことだったのか」
大月はよっこらせ、とジジイ臭い言葉を言って、陽太に「ほらよ」と言って種のようなものを渡す。
「それを飲め、俺との戦闘で負った傷が治る」
「ありがとう」
陽太は大月から渡された正体不明の種を飲み込んだ。
そうすると、身体の傷が瞬時に癒え、活力が湧き上がってくるのが分かった。
「あと――、あれが使えると思うぞ。これからの戦闘に」
種を噛み砕いた後、大月は視線を隅にずらす。
そこには昏睡状態で傷を負った赤髪の剣士が倒れていて。
その傍らには――一本の剣があった。
僕はその剣を言われたまま回収し、携帯していた袋の中にしまった。
「ああ、そうだ」
そして大月は何かを思い出したかのように指を鳴らして
「これを渡しておく」
首にかけていた紐を千切り、僕の手のひらに置いた。
紐には小さな鍵が取り付けられていた。
「なんだ? これは」
「巫女の社の地下に俺の研究室がある。リーヴを倒した後……そこに寄ってみろ。何かと便利なはずだ」
「分かった」
そう言って僕は大月から受け取った鍵も袋の中にしまい込んだ。
大月の姿が段々と掠れていき、声も途切れ途切れになる。
どうやら限界が近いようだ。
「……じゃあ――行って来い―――だ――立花陽太――お前――さんが――世――救うんだ、期待――し――るぜ?」
大月はいつも通りニヒルな表情を浮かべ、飄々とした態度のまま語る。
現界が保てないせいなのか、散り散りな言葉しか聞こえないが、大月の期待が陽太にも確かに伝わってきた。
「ありがとう大月、色々と。右も左も知らない僕に、今まで沢山のことを教えてくれて。絶対に勝って見せるよ、リーヴ=ジギタリスに。そして緑を取り戻して、僕は現実世界を救う」
「ああ、よろ――くな」
そう啖呵を切って、陽太はヴィーグリーズの間へと至る光の階段を駆け上がっていった。
陽太の後ろ姿を見て、大月は被っていた帽子のつばの部分を持ち、ぎゅっと深く被り直して
「世界を――巫女を――そして竜崎の野郎を――救ってやってくれ」
そう言い放つと。
大月の身体は光の粒子になり、拡散して消滅していった――。
*
現界を保てず、異世界から消滅した後。
気づけば。
大月は真っ白な空間内にいた。
ここは虚数領域内部であることを大月は悟り
「お、思惑通り。虚数領域に紛れ込めた。これで異世界に干渉出来ることはないものの、消滅せずに済んだな、幸運d――!!」
と、完全消滅には至らなかった幸運を噛み締めていると。
大月は誰かの気配を感じ取って、驚いて後ろを向く。
そこには――サラリーマンのスーツ姿に身を包んだ30代ほどの落ち着きのある男が座っており。
彼は大月の顔をじっと見つめて動かない。
大月は、深くため息を吐いて
「はあ、『須田正義』。いくら探しても見つからなかったとすりゃ、まさかお前さんも“ここ”に潜っていたとはな」
先にこの虚数領域に滞在していた、スーツ姿の男を須田正義と呼ぶ。
「なかなか、心地が良い空間だったのだがな、私の他に来客が、か。気が乱れる」
大月はそこで周りを見回すと。
とあるモノを見て、動揺し、驚愕を見せた。
「おい……なんで、境界門が……『B201の病院室』じゃないんだッ?!」
虚数領域内部に存在していた「境界門」は「『B201』という番号が書かれた病室の扉」ではなく。
「学校の北門」だった。
らしくなく取り乱す大月に対し、須田正義は冷徹に、かつ熱意の込められた言葉で断言する。
「黙ってみていろ、大月桂樹……これは『立花陽太』君の物語だ。決して大月、お前の物語ではない」
須田正義は真実を審判するような力強い目つきで、強く主張した。