死の螺旋
「13時から15分だけは、この“木の柵”で囲まれた場所でのみ、ユミル・アウルゲルミルの外出が許可されます」
白衣で姿を包んだ眼鏡の研究員が、同じく白衣を着崩している大月に向かって告げる。
大月の着ている白衣の裾を握りしめている男児――ユミルは大月と目を合わせると、コクリと頷いた。
「じゃあ、外出させてもらうぜ」
そう言って大月はユミルを連れ、外出するために外に向かおうとした。
白衣の裾を握りしめ、じっと大月を見つめながら後を追うユミル。
どうやら自分の面倒を時々見てくれる大月に対し、興味が湧いているらしい。
無機質な廊下を二人で歩いている時、大月は独り言のように呟いた。
「俺か? 俺はな、今勃発してる戦争の孤児や避難民なんかの重症者を助けるために世界を奔走してる医者を勝手にやらしてもらってる。もちろん、医学免許なんて持っていない――が、独学で学んだ。アモル機構の医療班からは、そのせいで『ヤブ医者』だの馬鹿にされているが――まあ、どうでもいいことだ。正式な治療でなくても、命が救えるならな」
ユミルはその話を聞いてコクリと頷く。
21世紀を三四半世紀も過ぎた頃に勃発した紛争は主要先進国含め世界を巻き込む大戦にまで拡大していた。
大月はその戦争被害者を無償で助けるために世界を回っているらしい。
二人で話をしていると。
ふと通路脇の自動ドアが開き、白髪・三白眼の外国人らしき男が姿を表した。
その男の存在を視認した瞬間、ユミルはブルブルと怯え、大月の背後に隠れる。
「誰かと思えば『ヤブ医者』か。『座』の男児を抱えてどこに行くつもりだ?」
「お前さんが俺に押し付けやがった、子どもの世話だ。今から外にいって遊ぶんだよ」
「大月、貴様はいつも暇そうだからな。貴様のような無能は羨ましいものだ、十分な余暇があるからな」
その男は大月に侮蔑の言葉を吐くと。
後ろでブルブルと震えているユミルに視線を移し。
鼻で笑ってから
「貴様が『北欧神話』の伝記が読みたいというから、わざわざ私が本を取り寄せてやったというのに、その態度とは……恩知らずなガキだ」
キツイ言葉を吐いて、カツカツと通路の先を歩いて消えていった。
三白眼の男が完全にいなくなったことを確認し、大月は
「竜崎のヤツ……今日は一段と機嫌が悪いな。研究成果が認められなかった腹いせか? ……それより、お前さん、随分と竜崎の野郎を怖がってるな? 何か嫌なことでもされたか?」
ユミルは頭を縦に振る。
大月は部外者とはいえ、ユミルが受けている実験の数々、その噂は人づてに耳に入っている。
その内容は酷いものだ、もはや虐めや拷問に近い。
その証拠に、ユミルの身体は時を追う事に貧弱に、そしてユミルの目の輝きは失われていっていた。
大月は、ユミルが不憫になり――。
「よっこらせ」
…と年寄らしく声を出してしゃがみ、ユミルと視線の高さをあわせて。
なるべく優しい声で呟く。
「あー……今日は、特別に。『木の柵』から抜け出しちまうか? 外の世界……といっても東京は……先の空襲で壊滅してる所もあるが……行きたい所とか、あるか?」
今日だけは。
『木の柵』で覆われたユミルの活動範囲から抜け出して。
自由を享受させてやりたいと、願ったのだ。
その提案を聞いた時だけは、ユミルの目は輝きを取り戻したかのように、見えた。
それだけで、大月の心は幾分か晴れた気がした。
*
「お前さんは『審判』を受けこれを通過した。だから約束通り、全てを話してやる」
大月はヴィーグリーズの階段の一段目に座った。
陽太は傷だらけの身体を気遣いながら、立って大月の話を聞く。
「何を話そうか……あーそうだ、『巫女』の話だったな」
「……」
陽太は黙って聞く。
大月はいつもの態度とは異なり、何故か哀愁を漂わせていた。
どこかしら、悲しそうな表情を浮かべているように見えた。
「『巫女』ってのは肩書だ。代々、『巫女』の肩書を持つ少女が受け継ぐべきもので。その役割は『巫術』を完成させるためにある」
大月は息継ぎをして話を続ける。
「元は巫女も巫術も九種族のうちの『特定排斥種』の間で連綿と受け継がれていたものだった。だが、それを樹界大戦終了時……だったかな? 人間の十三神使族が強奪。以後、王家の元で運用されていくことになった。そのためか時々、巫女の社を、『特定排斥種』の精鋭部隊が襲ってくることがある。巫女を奪還するためにな。俺の役目は……そいつらから巫女を守る騎士みたいなモンだ。まあ自称だが、な」
陽太は聞いた情報を頭で整理し、尋ねる。
「その『巫女』の肩書を、今はヴォルヴァが持ってるってことだろ?」
「そうだ」
「つまりヴォルヴァが老衰で亡くなったら、別の女性が『巫女』になる、ってことだよな。巫女が老衰で死ぬまで、大月が『巫女』を守るってことか」
「いや違う」
「?」
大月は少しばかり間をおいて
「『巫女』が老衰で死ぬことは、ほぼあり得ない」
意味深に言い切った。
僕がその理由を求めるまでもなく、大調は語り出す。
「『黒灰化現象』って知ってるだろ?」
「ああ、あの……式に使用したモノは灰となって消失することだろ?」
陽太はウプサラの祭儀での巨人フリングニルが使用していた神器「レーギャルン」を思い出す。
あれの効力も、黒灰化現象を強制的に引き出すものだったはずだ。
「式ってのは原初ユミルと世界樹へ捧げる契約書のようなものだ。基本形態は問われない。詠唱、式具、古紙、刻印……とか、そういうものを通して術を発動させるだろ? お前さんも」
「ああ」
「だが一部な、式が『人体』でしか発動しない術があるんだ」
陽太は、ドクン、と心臓の鼓動が強くなるのを感じた。
まさか。
「『巫術』はその代表例だ。巫術を発動する際、式となるモノは『巫女』となる“少女の身体”に限定される。だから『巫術』を使えば使う度に、巫女は身体が黒灰化していき、やがては完全に消滅する定めにある。だから、いつかは必ず巫女は死ぬ。巫術を使えば使うほど、死ぬまでの期間が早まる」
「……」
「だからこそ、『巫女』は移り変わる。連綿と、な」
理解した。
だから巫女は継承されていくのか。
少女を犠牲にして。
「っと……ここまでは前座だ。こっからの話が大事なことだ」
だが。
大月はここで更に大衝撃の情報を追加する。
そしてその事実は、想像を絶するものだった。
今の僕なら言えるけど、聞かなきゃよかったと、思った。
知りたくなかった情報だった。
それが本当のことなら、どれほど緑は――。
「結論から言うと“巫女ってのは全員同一人物”だ」
「え……?」
思わず絶句する。
大月は話を続け
「巫術を使えるのは巫女の“魂”のみ。それ以外では全く機能しない。だから巫女は役目を終えて黒灰化し死亡する前に、とある巫術を作動させる。その巫術の名こそ、『回旋曲』。輪廻転生を実現化する術だ。これを死に際に自分の魂に作動させることで、巫女は役目を終えて死に、此岸へ導かれることなく、再び異世界へと転生し、別の肉体を持って、『巫女』へと生まれ変わる。巫女の魂はこれを一生、永遠に続ける。『巫術』を完成させるため、永遠に」
「……」
「死んで転生、死んで転生、死んで転生……これを永遠に繰り返す。巫女は確認されているだけでも神代時代から存在する。つまり、ざっと何十万年間は、その“死の螺旋”を永遠に巡り続けているわけになるな。何千、何万回も、創世記から現代に至るまで――だ」
身体が震える。
声が出せなくなる。
消えてしまいたくなる。
でも大月は、ただ現実を語る。事実を羅列する。
耳を塞ぎたくなったが、堪えた。
僕よりも、何億倍も、巫女様のほうが辛いに違いないから。
聞かなくてはならない、ラグナロクとやらの結果に関わる人間である僕だからこそ。
耳を塞いではいけない。
「俺は……先代巫女のハーラル様に多大なる恩があった、だからこうして今代の巫女ヴォルヴァの護衛も続けている……全てはハーラル様のために、な」
大月は「ハーラル」という女性の名を口にした時。
今までに見たこともないくらい、寂しい顔をしていた。
きっと過去、大月の心を揺るがす、何かがあったのだろう。
「そんな巫女様の魂は、通称『21g』と呼ばれている。その魂が、先代巫女ハーラル様の死後……一時的に“異世界から消滅した” …………原因は十三神使族の一家 ゼフィランサス家の当主の仕業だった。どうやら次の巫女候補の魂が、これから生まれるはずの自分の娘に宿っていることが、耐えられなかったみたいだ、当然、娘を巫女に仕立て上げたくなかったんだ。だから何かしらの方法をとって、ゼフィランサス家当主は、異世界から巫女の魂『21g』を現実世界へ逃がしたとされている」
「……」
「もう分かるだろ? お前さんの意中の相手の正体が」
「ああ、うん分かってるよ」
僕は溢れ出る涙を袖で拭く。
鼻水が混じった情けない声で真実を語る、自分に言い聞かせるように
「緑は……千年緑は……巫女なんだろ? 異世界から逃げてきた、巫女だったんだろ?」
「……そうだ」
大月もななめ下を向いて、語り続けた。
「ゼフィランザス家の当主は、どういう方法か転生術を使い、自分の娘を俺達の現実世界……此岸へと逃がした。そうして、現実世界に渡った巫女の魂が器をもって転生した存在が、お前さんの……大切な想い人『千年緑』であると見て良いだろう、これがお前さんが巫女の魂『21g』に次いで、『正の因果律』が極めて高い理由だと俺は見ている」
「う……ゥう……クソ、ンだよ、それ……」
僕は溢れ出る涙を抑えきれなかった。
「おそらく、お前さんはその『千年緑』と仲を深めたことで、無意識の内で、巫女の魂と『双子魂』の関係性になってしまったんだ。お前さんと巫女の魂が深く共鳴して強く繋がってしまった。そのため巫女の抱える因果が、『魂の共鳴反応』を通じてお前さんに流れてきている」
「……そうか……クソ、なんで……」
僕が泣いている様子を見て、大月は
「……すまないな」と謝る。
「なんで…ゥ……なんで、大月が謝るンだよッ!! 誰も悪くなんてないだろッ!! 環境が……運命がそうさせただけだッ!! クソ」
僕はやるせない思いをぶつけるように、床を思い切り握りしめた拳で叩いた。
拳からは血が吹き出る。
だがそんなことどうでもいい。
何回も何回も、拳をふるった。
この行き場のない激情を、どこに当てればよいか、分からなかったからだ。
「実は知っていた、なんとなく察してはいた。お前さんが異世界に転移してきた理由を聞いた時に俺の中で全てが繋がったんだ、千歳緑は巫女だとな。分かっていたのに、今まで黙っていた。今日の審判の日のために」
「……ゥ……う……」
大月は謝る。
僕はどうしようもなくなって、子どもみたいに、床を叩いて暴れた。
蹲って、泣いた。
「……僕も分かってたさッ! 緑の……病状は……身体が……灰みたいに……消えていくって……それを見て……思ったんだッ術式と同じだって……もしかしたらって……何度も巫女と緑を重ねたッ! でも、それでも……こんなことってあるかよッ!! 再開の仕方が、こんなことって……」
「……巫女の魂は、異世界から転移して此岸に行っても『身体が黒灰化』する因果からは逃げられなかったんだ。千歳緑は此岸でも、巫女の運命から逃げられなかったんだ。そうして黒灰化して死亡した千歳緑の魂が異世界に転生し現在、巫女ヴォルヴァに宿っている。お前さんが巫女ヴォルヴァから千歳緑の面影を感じる理由は、魂が同じだからだ」
「なら……そんなことならッ……そうと分かってればッ……」
【その樹液は、彼岸花の形を模した造花を器に生成される。物語の世界にあるどこかの彼岸花がその樹液を孕む。彼岸花は、あの世とこの世を繋ぐ架け橋となる。故に死者の魂すらこの世に引き戻す力を持つ……だってさ。私、彼岸花が見たいな。真っ赤に咲き誇ったやつ】
【……そうか。彼岸花ね。分かった】
【うん。記念日に渡される花が、ピンク……とか、赤色のサザンカだったら少し困るからさ】
【何で……だ】
【だって……赤のサザンカの花言葉は『あなたが一番美しい』だよ? そんなものを面と向かって渡されたら、恥ずかしくて嫌になっちゃうよ】
何故最期に緑に掛けた言葉が、あんなものだったのだろう。
何故もっと大切にしなかったのか。
何故、どうにかしようと思わなかったのか。
何故、寄り添い合うだけで、緑が救われると信じていたのか――。
僕は何も、何も知らずに、知ろうとせずに、どうしてただ傍観していただけだったのか。
「緑ばかり背負ってッ!! ……僕は何もッ……何もしていないッ!!!!」
陽太はここでやっと気づいた。
自分の感情。濁流の涙の原因。
それは――情けなさ、だ。
自分の浅はかさ。
何も出来ない自分の弱さを、ただ嘆いている。
何も成すことの出来ない弱さを、現状を覆せない脆さに、憤っている。
「……クソッ……」
ただ泣いた。
泣いた。
涙が枯れるまで泣いて。
大月は、その間、僕を励ますことも、寄り添うこともせず。
ただ黙ってみていたのは、せめてもの、気遣いだろう。
永遠に泣いて。
巫女になった緑の苦しみを想像して。
泣いて泣いたら。
あとは、前を向くだけだった。
やるべきことは――。