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リンカーネーション  作者: 鹿十
第五章 ラグナロク編
157/193

204番、あの時

―ラグナロク確定の時まで残り11,355:38―


 踏み込むとギシギシと軋む音がなる木の板で出来た廊下。

 その廊下の左側には大量の木の扉が連なっている。

 ガルムは、204番と書かれた木の扉の前で立ち止まり。 

 コンコンと、手の甲でノックして


「スノトラ、今日も部屋ン中、閉じこもったままか?」


 返答はない。

 だがガルムは続けて話す。


「今日はお前の好きな『創造学科』の授業がある日だぜ、顔くらい、出してみたらどうだ?」


 無視が続く。

 それでもガルムは告げ続けた。


「……そんなにも、あの花壇が大事なものだったのか?」


 スノトラに対する虐めはガルムが認識している範囲内でも約2ヶ月ほど前から続いていた。

 直接的に加害するような事はなかったものの、革靴などの私物隠しに始まり、無視や告げ口など。

 陰湿な方向での虐めが多かった、あくまで教師側は気づかないように、遠回しなやり方で。

 

 それでもスノトラは耐え続けていた。

 だが、それもついに限界が訪れた。

 その原因は1ヶ月ほど前に生じた「ハナミズキの花壇」の破壊。

 

 スノトラが校舎裏で隠して育てていたハナミズキ、その花壇が。

 苛めっ子らの手によってズタズタに破壊され、踏み潰され、荒らされていたのだ。

 それを見たスノトラの心の堤防はついに、崩れ落ち。

 結果として引きこもるに至ってしまった。

 それだけ、あの花壇はスノトラにとって心の支えになるものだったのだ。


 ガルムはスノトラが引きこもってから、1ヶ月間、毎日スノトラの部屋に訪れては声をかけていた。

 スノトラの部屋は女子寮にある、ここは男であるガルムは原則進入禁止である。

 だから、一般女子生徒が授業に出ているタイミングで忍び込み、スノトラと会話する機会を設けていた。

 

「約束通り、これからも『毎日、来てやるから、お前もそろそろ顔、見せろよ』」


 スノトラは答えない。


「……なんでかな、お前はさ、ほっておけねえンだよ、昔の俺に……似てるからな」

 

 その発言を聞いた途端、部屋の内部に引きこもっていたスノトラの足音が聞こえた。

 姿こそ見えないが、スノトラがベッドの上から起き上がり、裸足で扉の前に近づいてきているのがガルムには分かった。

 そしてスノトラは204番の扉に背を向け、ズルズルと落ち、床にペタリと座って


「ガルムも、そういう時があったの?」


 ここで1ヶ月ぶりに、初めて声を出した。


「ああ、昔は俺も……全部が嫌になって引きこもってた時があった」

「嘘、ガルムはそんな性格じゃないのよ。ガルムはいつも……頑丈で、くよくよせず、強く生きている」

「それはお前から見た俺だろ? 本当の俺はお前と変わらねえさ」


 ガルムはそう言って独り言を続けた。


「昔、俺は獣人の集落にいた時はさ、理由があって集落の皆から期待を一身に背負ってた。それが重圧になって、全部が嫌になって、引きこもってた時があった。昔の俺はもっと卑屈で玉無しで、泣き虫な奴だったンだ」

「……」

「それで集落から逃げた、いや追放されたンだな……そうやって、今ここにいる」

「じゃあ何故、ガルムは今は強く生きられるの? どうして強くなれたの?」


 どうして強くなれたのか。

 集落を追放されてから、悶々と一人で考え続け、その結論は既に出されていた。


「……逃げたからさ」

「え」

「俺は俺であることから逃げた。別に強くなったわけじゃねェ、現実から逃げてンだ、今もこれからも、ずっとな」

「……」

「逃げることが解決策にはならない。だが、逃げなきゃ自分が壊れちまうなら、わざわざその場所に居座る必要もない。なあ、スノトラ、そんなに嫌なら…………」


 ガルムは言うべきか迷った。

 自分がこれから発する適当な一言が原因で、スノトラの人生を大きく変えてしまう可能性があったから。

 それでも、眼の前のスノトラを直視することが辛くて。

 ガルムはついに言い放つ。


「……逃げちまうか? ここからどこかへ、一緒によ」


 案の定。

 その発言がきっかけで。

 二人はルブレン魔術学校から、夜逃げしてしまった。

 行く宛はなかった。

 だが、ここでは、自分が壊れてしまうと思ったからだ。

 そうして二人は。

 城郭都市グラズヘイムへとたどり着き、そこで――ギルド隊員として余生を過ごすことに決めた。

 何もかも放りだしてしまって――。



 重力術式の最大出力でもガルムの動きは完全に停止させられなかった。

 ガルムがリーヴの傀儡にされる前、最大出力の力場圏内でも何とか身体を動かせていたことを思い出すスノトラ。

 「レージング」を引きちぎり、万物に拘束されずに可動する獣人の肉体を。

 単純な力技でどうこうできるとは到底思えない。


 しかし。

 契約儀式の後に投擲したグングニルが、ガルムの胸を貫いた時。

 ガルムはそこで完全に死亡したところを見るに。

 一撃で心臓を潰せば死に至るのは確実。

 ならば――。


 バーラ=アリストロメリアを射殺した水の高圧噴射。

 あれしか、ガルムを倒す手段はない。

 あの火力ならば、ガルムを一撃で屠ることも十分可能だ。


 だが。

 ガルムの超人的な機動力に対し。

 的確に、迅速に、心臓を射抜くなど、そんな芸当が出来ようか?

 普通は無理だ。

 しかし。

 スノトラは知っている。


 ガルムがどう動き、どう行動するか。

 彼の癖を知りつくしている。


 スノトラはガルムと熾烈な戦闘中。

 今までの彼と紡いだ思い出を、一枚一枚ページをめくるように想起していた。


【チッ……お前も、嫌なら嫌って言えよ……黙ってたら、ずっと虐められたままだろうが】


 そうだね。あの頃の私は弱くてごめんね。


【毎日、来てやるから、お前もそろそろ顔、見せろよ】


 引きこもった後も、ガルムはずっと私の傍にいてくれたね。


【強いフリをするンだ。そうするといつの間にか、本来の自分が隠されて、演じてた自分になってる。お前はどんな人間になりたい?】


 そんなこと考えたこともなかったよ。


【……ハッ『貴女』だとッ?! いいじゃねェか、ならお前はこれから貴女として振る舞い続けてみろ、そうすりゃァいつのまにか、なりたい自分になれてる】


 だから演じ続けたよ、だってガルムは、大人な女性が好きだっていつか言ってたから。


 他愛もないやり取り、日常の中に溶けている会話。

 それらの言葉全てが折り重なって、今のスノトラを作り出している。


 スノトラは。

 重力術式を部分的に発動。

 今までのように力場を一定範囲内に発生させ押しつぶすような単純な運用方法ではなく。

 重力力場を部分的に歪ませて発動することで、ガルムの猛攻撃を避ける。

 重力を応用した空間操作。

 いわばベクトルの操作である。

 

 極めて緻密な樹素操作が要求される神業を。

 スノトラは無意識のうちに、訓練もなしで、この土壇場で成功させた。

 だが、そんなこと、スノトラにとっては、どうでもいいことだった。

 彼女の頭の中は消えゆくガルムの姿でいっぱいで。

 大粒の涙が、小さい顔を濡らす、濡らす。


 絶対に亡くしたくない人。

 自分を救い出し、自分と共に生きてくれた人、寄り添ってくれた人。

 だけど。

 誰かの手によって無惨に殺されてしまうのならば。


(私が、責任をもって、この手で――)


 極めて緻密な重力術の操作の末に――可能となった部分的なベクトル操作。

 ガルムの猛攻撃が、全てシグルドから反れて弾かれ。

 生じたミリ単位の隙。

 その隙を、スノトラは見逃さない。


 大粒の涙で顔を濡らし。

 頬と鼻の頭は赤く染まり。

 その姿は、幼き少女のよう。

 それでもスノトラは。

 ガルムの命に終止符を打つ役割から、決して逃げない。


 最後の言葉は――。

 あれにしようか。

 ずっと言えなかったこの言葉。

 きっと私が、貴女ではなく、大人の女性なんかじゃなく、ずっと子どもだったから言えなかった言葉。


 ああ、きっと。

 不器用な私は、あの時は理解してなかったけど。

 今なら分かる。

 あの時から、私は――。

 ガルムね、貴方にね。

 きっと――。


「私は、恋をしていました。“あの時”から、ずっと――」


 スノトラは言葉を紡ぎ、杖の先端をガルムの胸に向け。

 最大出力の水術式、その高圧指向噴射を、浴びせた。

 最期の瞬間、人生が途切れる今際の際で。

 勘違いに過ぎないのかもしれないけれど。

 傀儡と化したガルムの表情は、少しだけ晴れやかなように見えた。

 少なくとも、スノトラにはそう映った――。



 ガルムはハッと目を覚ました。

 何故って?

 胸に強烈な痛みを感じたからだ。

 

「いってェッ!」


 驚いて目を覚まし身体を起こす。

 周りは完全に純白で覆われた虚無空間。

 白い地平線が際限なく伸び続ける、何も無い空間に。

 ポツンと、一人だけ、毛むくじゃらな男がいた。


 背中だけでガルムはそれが誰か理解して。

 恥ずかしくなって頭を掻いて、目線は合わせず、胡座をかいたまま


「げッ、兄ちゃんかよ、最期に合うのがハティじゃなァ」


 と不満足げに語ると。

 仁王立ちをしたハティは大声で笑い


「なかなか、泣き虫なお前にしては、見どころのある最期だったな、スコル!!」

 

 と活気のある声で放ち、ガルムの方を向くハティ。


「兄ちゃんがいなくなってから、俺ァ大変だったンだぜ、ノストラードファミリーの奴らによォ、ず~~っとハティの振りして生きてたンだからよオ」

「正体を早いうちにバラせばよかったじゃねえかッ!」

「アホか。兄ちゃんは自分の大切さを分かってねェンだよ、スコルの俺だけ帰ってきて、兄ちゃんが帰ってこないんじゃ、ノストラードファミリーは丸つぶれだ」

「だからって、あの終わり方はないだろう? あの紫髪の女の子を泣かせやがって。もうちょいマシな形でお別れをしろよ」


 そう言って、ハティはガルムに右手を差し出す。

 ガルムは右手を握り返し、そのまま「よっと」と声を出して立ち上がった。


「身長は俺より伸びたか?」

「ア? 知らねェよ、アンタなんか黄金になっちまって、それっきりだからな。まあ多少は……伸びたンじゃねえかな」

「折角褒めてやったンだからよ、素直に受け取れよ、スコル」

「褒めてたつもりなのか……分かりづれえ」


 ハティはズボンのポケットに手を入れて行く宛もなく、歩き出した。

 ガルムも同じ姿勢で後を追う。


「……思うに、お前が『オーディン』を殺せなかったのは、右手で、『フェンリル』の術をふるったからだろ? なンで、左手で仕留めようとしなかった?」

「……戦闘中は精一杯で覚えてねえよ、なりふり構わず必死だったンだ」

「前にも話したことあるよな。俺は右手だけ極めたって」

「ああ、そンな話、されたことあるような無いような」

「対してお前は、結局『グレイプニル』の鎖を、左手、左足、右足の3本しか引きちぎることが出来なかった。だろ?」


【ァアッ?! 神さまっつってもこンなもンかッ?! 蛇野郎ッ!!】

【世界蛇を前にして】

【先制攻撃を食らわせたガルムは】

【かつて「神喰い」を縛るために用いられた伝説の足枷「グレイプニル」を右手、右足、左足に付着したまま、その引きちぎられた鉄鎖部分を靡かせながら】

【落下しながら、大声で世界蛇を煽る】


 …。

 ガルムは生前、結局、自分は右手の鎖だけは引きちぎれずに終わったことを悔やんでいた。

 不可侵領域に突入する前に、「レーシング」で自身の四肢を縛り。

 それを強引に引きちぎることで完成する儀式を。

 ガルムは右手だけは、達成することが出来なかったのだ。


「右手だけに特化してる俺と、右手では『レーシング』を引きちぎれなかったお前。思うに……俺らってよォ“どっちかが『ガルム』なンじゃなくて、二人揃って『ガルム』だった”ンじゃねェかなってさ……」

「……」


 長い沈黙の後、ガルムは笑い飛ばしてから


「今頃、どっちが『フェンリル』の後継者だったかなんてどうでもいいことだな。だって兄ちゃんも俺も死ンじまってンだから」

「ガハハッそれもそうだな」


 ハティは一本取られたと言わんばかりに豪快に笑い、ガルムの背中をバシバシと叩いた。

 そして


「最期だ。そろそろ俺らは消える……が、本当に『スノトラ』ってあの子に、お前の気持ち、伝えなくてよかったンか?」


 …と弟の恋路を気遣う素振りを見せるハティ。

 だがガルムは照れて視線をそらしながら


「それならもう済んでる “ハナミズキの花”渡してきたからな。そもそも、告白って……そンなガラでもねえ」

「そうか……なら、そろそろ行くか、スコル」

「……うん、兄ちゃん。一緒に行こうか、来世も、同じ双子なら……いいね」

「そうだな」


 ガルムとハティの姿がどんどん幼くなっていき。

 かつて、二人で仲良く対等に遊ぶことが出来ていた5歳児あたりの年齢に外見が戻り。


 そのまま二人は。

 虚数領域内部を通って――冥府へと、その生命は流されていく。



 現実世界では。

 スノトラは。

 胸に高圧噴射を受け、心臓に大怪我を負ったことで。

 『戦死者の父ヴァルファズル』の術が解け。

 ようやく本当の意味で死ぬことが出来たガルムの遺体を優しく抱いたスノトラが。


「……異世界では、花を渡す行為は、愛を伝える意味になるって……本当に知ってた? ガルム……」


 ぎゅっと、力強く、スノトラは、ガルムだったモノを抱きしめると。

 大粒の涙が、ガルムの額に垂れ落ちた。

 因果はきっと、ガルムたちの魂を導くだろう。

 またスノトラと、出会う時まで。

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