不可侵領域総力戦⑮
獣人族が、シグルドが討伐した「黄金龍ファフニール」の討伐作戦に協力していたのは、前回描かれていたように、黄金龍の被害を受け、何十人もの獣人が過去に殺害されていたからでした。
契約儀式。
術式とは異なる儀。
“何か”を対価にして“何か”を得る。
等価交換の上になり立つ契約である。
十三神使族の結ぶ「大樹の盟約」やヘグニ=ウォード一行が成し遂げた「魔術革命」のように。
捧げる供物を代償に、発動する誓約。
命の危機を悟ったリーヴは。
「完遂」の神器その所有権を放棄。
その代償として、最後に投擲する「完遂」の効力は最大限まで引き上げられる。
その上で放たれた「獣人 ガルム=ノストラードの命を奪う」という主からの最後の命令を。
神器グングニルは誠心誠意込めて、リーヴからの意思と命令を――「完遂」しようと働いた。
結果として――。
――――
投擲命令を受け、飛翔したグングニル。
ガルムの左胸を穿つ。
大量の血潮が舞ち――ガルムは吐血して、ゆっくりと倒れる。
「――ガルム……?」
あまりに一瞬のことで。
スノトラは現状を理解出来なかった。
リーヴを押していたはずだ。
リーヴを倒す一歩前まで攻めていたはず。
しかし気づけば――ガルムの方が血反吐を吐いて倒れている。
その胸に空いた風穴はあまりに深く、大きく。
もはや治癒術式程度では、再生不可能なのが、遠目でも把握できた。
ただ一人。
リーヴだけがボロボロの身体で、何とか言葉を紡ぐ。
「……『完遂』の神器は……与えた命令が『具体的』であればあるほど効力を増し、命令の『指定範囲』が絞られるほど、力が増幅される……我が求めていたのは、獣人『ガルム』の情報だった。彼と戦うことで、彼の性格や思考、戦闘傾向を理解し……彼への理解を深める……我が『ガルム』という個人への理解と認識を深めれば深めるほど……それは我が『完遂』の神器にも影響が波及する……より相手への理解を深めることで、『ガルム』という個人を指定した際の命令が、より『具体的』により『狭い』ものへと変化していくからだ……我がグングニルは『使い手の意思を“完遂”』しようと働く神器。そのため、我が彼に対する理解を深め、その上で意思を持てば……その完遂能力も飛躍的に向上していく……その上で……『契約儀式』を結び、『完遂』の神器を捨て去る代償を差し出すことで、先ほどの攻撃の概念的な序列を底上げした……」
汗を書き、血を垂らし、ボロボロになりながらも、リーヴはゆっくりと説明をした。
それは敵とはいえ、それだけの力を使わせたガルムへの、称賛の証であった。
「素晴らしかったぞ、獣人ガルム=ノストラード。貴様の爪と牙は、確かに神にすら届き得た」
反射的に、ガルムを褒め称える言葉を吐き、リーヴはボロボロの身体を引きずって、スノトラに近づく。
スノトラはというと、ぱたん、とその場に座り。
倒れ死体となっているガルムの姿を見て、絶句していた。
「嘘……ガルムが……死んだなんて……ありえ……ない」
「次は貴様だ。アグネの血よ」
そうして何もできず絶望に打ちひしがれているスノトラにもとどめを刺そうとした瞬間。
爆発音と共に、「ヴィーグリーズの間」の扉が破壊され開き。
その向こう側から、遠隔の斬撃が飛来。
その斬撃攻撃を、リーヴは右手で弾く。
煙の向こう側からは、霊剣「リジル」を抜刀しているシグルドの姿が見えた。
「チッ……三体の複製した原生魔獣を倒してきたか……想像より早かったな」
シグルドの姿を見て、リーヴは警戒した表情を見せる。
〔略式〕
居合流:神速を短文詠唱で発動し、距離を一気に詰め。
シグルドはリーブに霊剣で攻撃を加えた。
だが、その攻撃は左手で防がれる。
シグルドの攻撃を受け、リーヴは一旦距離を取った。
その隙を見て、シグルドは状況を把握し
「スノトラッ……何をしているッ!!」
先方に視線を移すと、そこにはガルムと思わしき獣人の死体があった。
それを見て、シグルドは一瞬で、「何故スノトラの戦意が喪失しているか」を理解した。
グラズヘイムでの「大規模ダンジョン制覇」とブレイザブリクでの「共闘」。
シグルドとガルムの付き合いは、短い時間だったが。
それでもガルムの死は、シグルドの心の奥底に、スノトラまでとは行かずとも深い傷を与える。
そして、ガルムを殺したリーヴへの――純粋な殺意と怒りが煮えたぎるのを感じつつ。
人類最強の剣士 シグルドは、その怒りを抑え、あくまで冷静に盤面を俯瞰して見る。
(今のリーヴは……神器グングニルを所有していない?! しかも内部に宿る神力も微々たるものだ……ガルム……君が一人で……リーヴをここまで追い詰めたのだなッ! ……君の働きは絶対に無駄にしないッ! 今のリーヴは丸腰も同然!! ここで我が、ヤツを仕留めてやるッ! それが死んだガルムへの……せめてもの追悼になろうッ!)
一瞬で、リーヴが追い込まれていることに気づき、戦闘態勢を取った。
チャンスは今しかない。
完遂の神器を失い、ガルムの攻撃で神力をも失いかけているリーヴを倒せるのは今しかない。
悲しみと怒りを喉奥に飲み込んで、霊剣を構えるシグルド。
だがそれは、見当違いの推察であったことを、その後すぐに悟ることになる。
「……完遂の神器を手放した今、丸腰の我になら勝てるとでも……? 笑わせるな、『龍殺し』」
「挑発には乗らないッ! 今ここで、貴様の命を絶つ」
「その傲慢さと若さが、貴様の弱点だ」
そう言って、リーヴはその場にしゃがみ込み、ガルムの死体の腹部を手で触れる。
そして――奏でるは。
〔『式』系統はーー神素 甦れ英霊よ。主の祝福を受け、再び戦地に舞い降りよ。名誉ある死を迎えた強者どもよ〕
瞬間。
ガルムの身体が凄まじく発光した後。
既に死亡しているガルムの体がピクリと痙攣し、あろうことか立ち上がった。
その様子を見て、シグルドは下唇を噛み
「……英霊召喚術かッ」
と悔しげに叫ぶ。
【『枢軸主』オーディンの持つ神術『戦死者の父』】
【自分の手で殺害した者を『英霊』として『ヴァルハラの館』なる冥府の一界に閉じ込め、その『英霊』を配下――『エインヘリャル』として現世に召喚し使役する術】
【『枢軸主』オーディンはこの神術を使い、樹界大戦時には、見込みのある猛者を『エインヘリヤル』として徴収し『霜の巨人族』に匹敵するほどの大部隊を組織し、従え戦ったとされている】
(樹界大戦時に『枢軸主』が引き連れた『エインヘリヤル』は、世界樹の最奥――ユミルの魂が位置する場所にて、大量殺害されていたため、『枢軸主』の神力を継承しても、彼らは呼び出せない……十中八九、大月桂樹の仕業だろう……だが、その程度で我の力を削れると思ったか? ヤブ医者め…………今我は、『神喰い』に並ぶほどの英兵を手に入れたのだッ! やはり世界は我に味方しているッ!)
英霊として登録され、召喚され偽りの生を受けたガルムの胸元の風穴は完全に修復され。
その目は黒く染まっている。
「ガル……ム?」
その様子を見て、戦意を喪失していたスノトラが立ち上がった。
が――。
「ッ……!!!!」
激しい金属音が擦れる音が鳴り響く。
スノトラめがけて、『エインヘリヤル』と化したガルムが襲いかかってきたのだ。
それを、霊剣リジルでなんとか受け止めるシグルド。
未だ動揺しているスノトラに向かって、シグルドは
「無駄なことを考えるなッ! スノトラッ! もう彼は『ガルム』ではないッ! 『エインヘリヤル』として敵となったッ!! 温情は捨てろッ! 彼をッ! 敵として葬るんだッ!!」
だが、スノトラの身体は小刻みに震えるばかりで。
戦闘態勢に入るような素振りは見せない。
(ッ……スノトラが酷く動揺している。それもそうだ……クソッ、やはりガルムは、我が倒さなくてはいけないのかッ!)
シグルドは覚悟を決め、「エインヘリヤル」と化したかつての友「ガルム」に霊剣の刃を向けた。
シグルドとガルムが戦う様子を、杖を握りしめながら見つめるスノトラ。
彼女の頭の中は、様々な感情が入り混じっていて。
もはや自身の裡で整理しきることは不可能で。
そんな時。
スノトラの頭の中に浮かぶのは――幽霊都市での決戦後、昏睡状態だった自分の枕元に。
ガルムが置いていってくれた、一輪の「ハナミズキ」の花だった。