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リンカーネーション  作者: 鹿十
第二章 ダンジョン編
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中級魔獣


 意識を覚ました時にまず感じたのは、猛烈な空腹と左手の痛み。

 左腕の手首は体表が赤く腫れあがっていた。おそらく骨折しているか、大きな打撲を負っている。砂と土に塗れた汚い体を何とか起こし、痛めた左手首を抑えた。

 

 周りを見渡すと、僕の物と思われる皮の鞄が。動かすことのできる右手で鞄の中身をまさぐり、一枚の古紙を取り出した。

 インク瓶のキャップを開け、羽ペンの先に付着させることもせず、直で刻印を描き、完成した式を打撲部に押し当てて、詠唱を行う。


〔『式』系統は魔素――ピア・フロスト〕

 

 式から冷えた気流が流れ、僕の打撲を冷却し、応急措置を施す。

 式として用いられた古紙は用途を終え、黒く染まり塵と化していった。

 患部が冷え、痛みが大分緩和されたので、冷静に自分が置かれている現状を俯瞰する。


 そこは洞窟だった。全てが岩石で囲まれ、洞内空間には全く光が差し込んでいないが、岩の中に含まれている鉱石の成分が青色の光を発していたため、完全な暗黒と化してはいない。

 耳を澄ますと、鋭い岩の突端から水が滴り落ちる音が聞こえる。

 

 動悸が乱れる。

 焦りが止まらない。

 ここはどこだ? 

 急に地面が揺れ動いたと思えば、いつの間にか地下に落とされていた。

 腹の減り具合から推測するに、ここに落下し、気絶して二日以上は経過しているだろう。

 幸い命に別状は無いが、左手首の痛みは内部から焼けるような熱を発している。

 おそらく骨折しているだろう。

 

 どれほどの高度を落下したのかは分からない。

 上を見上げてもそこには穴は無く、ただただ岩石で覆われている。どこかの洞窟に迷い込んだ気分だ。


「クソ……痛い……」


 左手は痛みでまともに動かない。

 使えるのは右手だけだ。両足は問題なく動く。

 良かった、骨折していたのが足だったら僕は動けずにいた。

 その点では幸運だったと言えよう。

 立ち上がり、持っていた皮のレザーバックを肩にかけ、左手首を右手で抑えながら、ゆらゆらと歩き出す。

 

 取りあえず、水や食料の確保をしなければならない。水分は最悪の場合、氷魔術であるフロストを発動し、術によって生み出された氷を温め水分へと変えて飲めば良い。

 

 が、問題なのは食料の方だ。現状、カバンに入れてある3枚の干し肉しか食べ物が無かった。


「低級の魔物がいればいいんだけど……」

 

 すると、洞窟の先で、草食動物のようなか弱い鳴き声が聞こえた。

 鼻息に似たこの鳴き声の主は、間違いない、広場に沢山湧いていた兎型の低級魔獣、ラビルドのものだ。

 アイツの肉はあまり美味しくないし、可食部が少ないから食用として重宝されてはいないが、この極限状態の際、そんな贅沢なことは言っていられない。

 食べられるものなら、昆虫でも蛙でも何でも腹に入れておくべきだ

 

 空腹状態のまま、誘われるように、僕はその鳴き声の元へと近づいていく。

 三日三晩何も口にしていないせいか、有り余る食欲が理性に打ち勝ち合理的な判断を不可能にしていた。

 

 が、その声の主と相対した時、冷静に考えるべきだったと後悔した。

 

 膨れ上がり、赤く染まった袋のような声帯を持つ怪鳥がそこにはいた。

 鋭利な嘴は、鉱石から放たれる青光色を反射し、刀身のように光輝いている。

 黄色の結膜の上に真っ黒の瞳孔が浮かび、歪に蠢いて、決して焦点をこちらに合わせない。

 翼を広げた体長はおよそ最大四メートル以上に及ぶだろう。

 口は常に半開きで、涎を垂れ流していた。

 

 魔術大全に挿絵が乗っていた。その鳥の名は、中級魔獣に該当するモーショボーだ。

 そのはち切れんばかりの声帯が再現できる声音は幾千にも及び、自身より下位に該当する低級魔獣の鳴き声を模倣し、寄ってきた生物を狩る。

 捕食するときはまず、その鋭い嘴を急所に突き刺し、半殺しにして動けなくなった対象生物から生きたまま臓物を引きずり出し、好物である腸を食い尽くした後、何処かに飛び立つ。

 こうして、腸のみが欠損した死体が出来上がる。故に別名、ハラワタドリと言われ忌み嫌われてきた。

 

 しかし、絶滅したはずだ。

 数百年前に魔術師によって駆除され、人間界ミッドガルドには羽毛の一枚も残っていないはずだ。

 

 僕の体は硬直して動かない。

 頭の中で閃光が弾けたみたいに、視界の隅がチカチカと光輝く。

 緊張状態に置かれた僕の身体は、脳という指揮系統を無視し独断で停止という判断を選択した。

 

 鞄に右手を添わせる。

 そしてゆっくりと、決してモーショボーを興奮させないように、繊細な動きで。

 決して急がず。そうして一枚の古紙と、インクの入った瓶を取り出した。

 瓶のキャップを開けようとした。


 が、右手の震えが止まらず、ついにやった。

 キャップを落とした。岩肌とインク瓶の蓋が衝突し、甲高い音を洞内に響かせた。

 瞬間、モーショボーは大きく翼を広げ、威嚇の姿勢を見せた後、萎んで小さくなった。

 膨れ上がった声帯までも空気の抜けた風船みたいに、縮んでいく。

 

 出来る限り空気抵抗を受けないような形態に変化し、最高速度を高めるための挙動だ。

 それはすなわち、そのおぞましい怪鳥が僕を標的として定め、突撃してくることを意味している。

 その鋭い嘴は、僕の脳天を直撃し、僕は脳汁を辺り一面にぶちまけながら再起不能となり、意識ある中、モーショボーに内臓を貪り食われることになる。


 〔『式』ッ 系統は――魔

 

 式を組み詠唱を終える隙など与えず、怪鳥は僕に向かって躊躇いも無く急襲した。

 回避できたのは本当に奇跡的だったと言えよう。

 転がるように右側に逃れた僕は、運良く怪鳥の突撃を逃れた。

 モーショボーはそのまま僕の後方へと向かい、洞窟の岩石に嘴を突き刺した。硬い岸壁に突き刺しても、その嘴は折れるどころか岩を砕く

 

 当たり前の話だが、お互いに衝突をし合った物体は、より柔い方が砕ける。

 つまり、その鳥の持つ嘴は岩石よりも遥かな硬度を誇るということだ。

 

 モーショボーは間髪入れず、再び翼を広げたかと思うと、その体格を減じて追撃を加えてきた。 

 二度目の突進。コンマ数秒の間隔。

 理性ではなく本能と勘で体が自然に動く。

 自分でもどう回避したのか分からない。

 しかし気づけば、死から免れようと無意識で体が反応していた。

 

 二度目の回避成功。

 先ほどとは異なり、確実に僕を仕留めるために脳天ではなく、腹の中心を狙ってきたモーショボーの攻撃を避けられたのは、奇跡を通り越して、気色が悪いくらいだ。

 ここまで自分が極限状態下にある時の機動力と危機回避能力に優れているとは思わなかった。


 人は極致に置かれると、普段使用していない脳の機能まで総動員で酷使して差し迫った危険を避けようとするらしい。

 今の僕はまさにその状態であった。

 

 しかし、幸運と本能の力もここまでだろう。魔獣の俊敏すぎる攻撃をこれ以上避けられる気がしなかった。

 現に、怪鳥は獲物の串刺しに失敗したことに落胆する様子も見せず、三度目の追撃の準備をしている。


(あの鳥は、攻撃する最に一度大きく体を広げる習性がある。狙うならば……)


「ここが正念場。次の三度目の突撃。さあ、右か左か。運で決まるな」


(好きな方向に回避しろ。どちらかには希望が、片方には死が転がっている)

 

 にぶいちの確率。コインを投げて裏と表のどちらかを選ぶ確率に等しい。

 死ぬ気しかしない。

 負ける気しかしない。

 頭に浮かぶは臓物の引きずり出された僕の死骸。

 勝てる気がしない。賭ける気がしない。コインを飛ばして、どちらが表で裏かなんて。

 

 そんな偶発的要素で死に至るなんて、馬鹿みたいだ。

 弱気になる。口元が緩まる。涙が流れる。冷や汗が垂れる。

 耳鳴りは酷く、怪鳥の動きはやけに遅く感じた。

 これが走馬灯か、僕はこんなところで死ぬのか。


(……舐めるなよ。僕は、異世界に転移した男だ)

 

 体は左を選んだ。左に傾ける。

 俺が右側に回避すると予測していたのであろうモーショボーの嘴は、肉片を突き刺すことなく、三度目の虚無を味わう。

 

 モーショボーは、急激な方向転換が不可能だ。あの不可避の速攻を可能としている腰の筋繊維は特殊な材質で構成されており、速度にそのパラメーターのほぼ全てを費やしている。

 

 おまけに、進化の過程で獲得したその巨大すぎる声帯袋が足枷となり、その袋を体毛の中に格納しなければ、空気抵抗を受け速度が急速に低下する。

 そしてその袋を萎ませるためには、一旦、大きな翼を広げる作業を経なければならない。

 

 岩に突き刺した嘴を抜き、そして翼を広げ、声帯袋をしまい、体を縮ませて特攻するまでに必要とする時間は、約七秒。

 

 それだけあれば――

 脳内で記憶した無数の刻印を想起し、適切な三種の刻印を思い出す。

 左に避けた際、地面に散らばったインクの液体に人差し指を浸し、その三種の刻印を最適な位置に、最短経路を経て記載。ここまで約四秒。

 怪鳥は、嘴を岩から抜き取り、翼を広げている。あと三秒。あとは詠唱のみだ。


〔式。系統は魔素――メゾフォルテ・フレア〕

 

 モーショボーとの距離、わずか数メートルの地点で、僕の詠唱が終了した。

 瞬間、古紙から勢いよく、バランスボールほどの球体状の炎が飛び出した。

 モーショボーは突撃の際、方向転換できるはずもなく、そのまま炎に自ら突っ込んでいった。   

 準強化された炎魔術フレアの威力は絶大で、嘴の先が僕の体表に届きうる前に、怪鳥の体を焼き尽くし、塵と化させた。

 

 息が切れる。乱れた息を吐く。呼吸を忘れていた。体の奥底から安堵と、そして言い表せぬ高揚感が湧き上がっていた。

 

 準強化魔術の土壇場での即興成功。中級魔術の単独討伐。そして今、生きているという事実。


「ははは……こっちはコインの確率よりも、遥かに低い異世界転移(賭け事)に挑んで、もう成功させてんだよッ」

 

 腰から地面に零れ落ちて、地面に尻をつけながら、決めセリフを言うようにそう言い放った。

 


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