ウプサラの急転
時はウプサラの祭儀前。
陽太たちに残された最後の準備期間にまで遡る。
「霊剣には明確な所有権がありません。その都度、状況によって所有権はその場で最も有利かつ強力な使い手……己の能力を最も引き出すに値する者へ移ります」
「なんて身勝手な神器なんだ」
「そうですよね。でもだからこそ僕らにとって都合がよい。他の神器は通常、所有権が神種本人にのみ限定されていることが多いですから、原則、神以外は使用不可能です。ですが、霊剣にはご存知の通り、『意思』と『自我』が宿っている」
「守護霊獣のようなものだろうか? 術者が使い込んだ式具や霊獣には、その使い手の自我や意思が宿ることがあると聞く……それと似たようなものか?」
「僕も正確なことは分かりません。が、言っていることは間違いないかと。唯一、『自我』を有す神器ですから。だからこそ霊剣と呼ばれているんです」
ネリネ家の武器庫の中で。
宝と宝石が積もり出来た山の上に刺さっている霊剣を見つめながら、会話するシグルドとアマルネ。
「『霊剣』の効力は?」
「情報はありません。何しろ正式な所有者であった『隻腕』のテュールですらも、最後まで使いこなすことができず、その真価を発揮できなかったと古文書に記載されています。そのためネリネ家であっても把握できていません」
「……では一から『霊剣』と向き合い、この使い方を我自身が学ばなくてはならないな」
「ですが一つだけ……『霊剣』に関するテュールの遺言があります」
「なんだ?」
「『来たるべき、果たすべき、譲らぬべき、避けられぬ時、始めて『霊剣』は完全に抜刀されうる。
『為すべき、費やすべき、向き合うべきことから逃げぬ者のみ、その『効力』を引き出すことができる』」
「……」
「ネリネ家に伝わる有名な遺言です。そして……シグルドさん注意してください」
「何をだ?」
「この神器には呪いがかけられています。使用者はその代償として『隻腕』テュールと同じく、いずれは片腕を欠損することになる……と」
「……」シグルドは黙る。
「それでも、この『霊剣』に頼りますか?」
「為すべきことは果たしてきたつもりだ、向き合うことからは逃げてこなかったと思っている」
【シグルド、あなたは、救えなかった命のことを考えたことはある?】
瞬間、シグルドの脳内を反芻するはーーアザミの言葉。
その言葉で結んだ決意が解けそうになるも、シグルドはぐっとこらえ。
ネリネ家の財閥庫内に鎮座しているーー亡き「隻腕の軍神」テュールの神器を握りしめた。
*
〔神器抜刀〕
腰に携えた2本目の剣を短文詠唱と共に抜刀するシグルド。
解放された霊剣に宿る神秘、その圧と怨念が対峙しているフリングニルの肌を撫でる。
(神器の解放!! ……あの剣……凄まじい神話時代の樹素を内包している……ただの剣ではないと思ってはいたが……なんと俺の『レーギャルン』と同じく神器であったとはッ!)
フリングニルは冷静に分析を続けた。
(人類種の十三神使族は世界樹からその権力と地位を正式に認められる代わりに、神種が機能不全に陥った際、その復活・救済措置機構としての役割を担っている。…となると「龍殺し」が持つあの剣は……十三神使族の宝庫内に収められていた神器!! ……樹海大戦後、神種からの特別な要請が無ければ、亡くなった神種の神器は十三神使族が保管・管理の役割を担う。と考えると……あの神器は……樹海大戦時にて戦死した神種の所有していたモノ!! ……あの形状……剣……まさか……『隻腕』の?!)
分析の末に、答えに辿り着くフリングニル。
「『霊剣』リジルかッ!!」
抜刀された霊剣は黒一色のシンプルなデザインで。
細身な刀身、ガードの部分には無色の真珠のような宝石が埋め込まれていた。
そして最大の特徴はーー剣身の部分が8割欠けていたこと。
根本の部分しか残っておらず、刃先はまっすぐ斜めに切断されたような形状をしている。
ブレイド部分が折れてしまっているーーそう表現するしかない神器。
「ッ……!!」
瞬間、シグルドは凄まじい速度で霊剣を握りしめたままフリングニルに接近。
霊剣を振り回し、フリングニルを攻撃しようとするが。
全て持っているレーギャルンで攻撃をいなされてしまっている。
その攻撃は、シグルドらしくなかった。
磨き上げた剣技ではなく、ただ霊剣そのものに振り回されているような、そんな印象。
当の本人であるシグルドも険しい顔をしながら攻撃を加えていた。
その様子を見たフリングニルは
「……なるほど。見えてきたぞ、『霊剣』。ブレイドが欠けているその形状といい、先程の力任せの攻撃といい……剣自体に『意思』が宿っていて……霊剣自体が所有者を引きずる形で勝手に動き出すのだな?」
【『隻腕』テュールの神器『霊剣』リジル】
【リジルには意思と自我が宿っており、使い手を認めるまでは、『霊剣』自体が自分の意思で動き振るわれる】
【つまり完全に『霊剣』の所有権を得るまでは、『霊剣』リジルの使い手は、その効力を発揮できず、また霊剣自体が意思を持って動き出すため、ただの剣としても十全に扱えない】
【また『霊剣』は対象となる『相手』の力量を分析し、引き出す力量を自らで調節する】
【調節具合は『霊剣』の刀身の長さで確認でき、相手の力量が不十分だと判断すれば、刃先や刀身が欠けた状態で抜刀される】
(『霊剣』の刀身、約7割が欠損している!! ……やはりこの神器はまだ我のことも……そしてこの状況で抜かれることも認めていない!!)
「ッ……クソッ」
ぐおん、とシグルドの体が霊剣に引っ張られ強引に動き出す。
霊剣が先行する形でフリングニルに近づき、勝手にフリングニルと戦い出した。
まるで飼っている犬にリードを引きずられ、無理やり動かされている飼い主のよう。
霊剣は自らの意思で動き、捌き、戦う。
所有者であるシグルドのことなど、かけらも認めていない。
「止まれッ……我の言う事を聞けッ!!」
シグルドは剣を握る右手に渾身の力を込め、荒ぶる霊剣を止めようとするも。
霊剣は無視してフリングニルと戦い続ける。
剣技とも呼べない粗末な剣さばきを、フリングニルは「レーギャルン」で片手間で対応し。
隙を見て少し距離を取るとーー。
〔――燼滅〕
大剣「レーギャルン」の刃先が光出しやがて火が灯る。
神器「レーギャルン」の効力「強制的な黒灰化現象」の術の行使、その前兆だ。
(来る!! だが……)
避けられない。
霊剣はシグルドの意思に反して、あろうことか神術を用いようとするフリングニルの間合いに飛び込もうとしている。
(『霊剣』を手放し、回避に徹するか?! だが……それでは……)
自分には神器など扱えないのではないか。
そんな不安がシグルドを襲う。
ここで霊剣を手放してしまえば、それはもう神器に認められることを諦めたも同然。
これから更なる段階に進むには、今のままでは駄目だ。
絶対に霊剣を使いこなす必要が出てくる。
その機会をーーここで手放してしまえば、諦めてしまえば。
(負けたも同然だッ! ならば……許そう! リジルッ貴様の動きたいように動けッ!!)
もはや霊剣を制御することを諦め。
ましてや霊剣を手放し回避することもせず。
シグルドは霊剣に宿る意思に全てを任せる。
それは賭け。
もはやどうとでもなれーーという一種の自暴自棄。
だが、何も賭けられない者には、何を得ることもできないだろう。
その判断が。
霊剣の真価、その断片を引き出した。
先ほどまで一心不乱にフリングニルに向かおうとしていた霊剣は軌道を変えた。
シグルドの腕を強引に動かし、刃先は斜め左下の地を指す。
そしてーーシグルドの右腕を大きく、右斜上の方角へ振り抜いた。
瞬間ーー。
斬撃が瞬間的に拡張し、空間を伝い、飛ぶ。
はたから見れば刀を振るった瞬間、斬撃と共に衝撃刃が発生し。
空間を伝い、フリングニルの左脇腹から右肩に掛けて、一閃の切り傷が刻まれる。
「……斬撃……範囲の拡張?! ……まずいッ神器の効力が実行できないッ!」
リジルの斬撃で大傷を負ったフリングニルは、神器「レーギャルン」の神術の発動が遅れる。
その隙をシグルドが見逃さず。
その場にしゃがみ込み、繰り出されるは
〔『略式』神速〕
剣術、最速の技「神速」。
瞬きする間も与えず、気づけば、シグルドはフリングニルの背後に降り。
フリングニルの胸にはクロス状の斬撃の後が刻まれ血を吹き出した。
フリングニルは胸を押さえながら、その巨体を地に伏し。
出血多量で気を失う。
戦いが終わったのを見て、シグルドが霊剣を見つめ鞘の中に戻した瞬間。
シグルドの勝利を確定する、試合終了の鐘が鳴り響いた。
*
歓声と鐘の音が鳴り響く中。
薄暗い通路上に、二人の影が。
片方は銀髪に三白眼の40代ほどの男ーーリーヴ=ジギタリス。
そしてもう一方は修道服に身を包んだ少女ーー巫女ヴォルヴァ。
リーヴは首に手を当て、首を左右に揺らし骨の音を鳴らすと
「さて……では……巫女ヴォルヴァ……悪いが……これから貴様には共に不可侵領域にまで来てもらう」
巫女ヴォルヴァは警戒して後退りした。
「何、貴様の肉体は必要ない。用があるのは貴様の持つ『魂』…… “座” にのみだ」
「!! ……リーヴ=ジギタリス……気づいていたのね」
一層警戒して、あたりを見回す巫女ヴォルヴァ。
彼女の焦りを見て、リーヴは鼻で笑い
「大月桂樹ならここには来ない。そのような結界を張ったからな、残念だったな」
「初めから、ウプサラの祭儀の目的は……私の魂の奪還にあったのね?!」
「そうだ。今更気づいた所で遅いが……な」
「私がただでやられると思っているの?」
「……せいぜい、足掻いてみると良い。全て無駄に過ぎぬが」
リーヴは右手を伸ばす。
すると大気中の樹素が集まり、パキパキと音を発しながら神器「グングニル」が顕現。
その槍を右手で掴み、視線を巫女ヴォルヴァに移す。
運命が分かれる時は、もはや眼前に迫っている。