不吉な兆候
草原を走る。昨夜雨が降ったためか土壌が解れていて、踏み込む力を入れると滑りそうになる。
緩急の付けた動きをして翻弄し、後ろから迫ってくる低級魔物と一定の距離を取った。
兎のような姿形をしている可愛らしい魔獣だ。
しかしこいつは生命の危機が迫ると簡易的な魔術を酷使して逃走を図ろうとする生体を持っている。
その魔術に直接的な殺傷能力は無いが、直撃すると三日間くらいは下痢が止まらなくなるそうだ。だから討伐するときは、こうやってある程度の距離を取らないといけない。
低級魔獣、それも広場の中央の草原に沢山湧いていて、無視され放置されているくらいの危険性しか持たない生物。低級の中の低級。ゲームだったらチュートリアルで出てくるような位階のモンスターだが、それでも警戒は絶やさない方がいい。
追い詰められた獣は何をするか分からないからだ。
十分に距離を取った後、ズボンのポケットにくしゃくしゃになって入っていた古紙を出し
〔『式』系統は魔素――メゾピア・フレア〕
詠唱が終了すると共に、僕が手にしていたメモ帳サイズの古紙は黒く焦げて塵と成り消え、同時に眩い光を発し、一発の炎弾が生成され、低級魔獣に向けて発射された。
拳の大きさほどの炎弾は、低級魔獣に直撃し、魔獣は悲鳴を上げながら燃え盛り、生命活動を停止した。肉体は粉塵と化し消えていく。
そんな僕の一連の様子を後方から観察していた女性は、パチパチと手を叩きながら僕に近づいてきた。そして笑みを浮かべながら
「お見事です。陽太君。今の魔術は完璧でした」と褒め称えた。
「……造作も無い事」
「カッコつけるのは後にしなさい。見た感じだと、二段ほど飛ばしてレベルを上げてもいいかもしれませんね。次は準強化符号――メゾフォルテを教えます」
「よっしゃあ、そろそろギルド隊員としてクエストを受けてもいいですよね⁉」
「メゾフォルテをマスター出来たら、初級クラスのクエストならば、許しましょう」
(陽太君は思ったよりも、筋が良い。三か月足らずで準緩和魔術を完全に使いこなしている)
ナンナは遠巻きで陽太を見つめながら、心の中でふと本音を漏らした。
「四方の天秤」という式具を用いて、陽太の術式への適性を調べたのも、もう一か月以上前の話になる。
通常、全術式に対する適正が皆無というのはあり得ない話である。
生後間もない赤子ですら、検査すれば四枚の皿のどれかは必ず少しは沈むはずなのだ。
しかし、陽太が叩き出したのは「全数値が軒並みゼロ」という箸にも棒にも掛からぬ事実。
その後、何回か天秤を用いて再解析を繰り返したのだが、結果は変わらなかった。
現在、血を何度も何度も針で搾取されまくったおかげで、陽太の人差し指には無数の刺し傷が残っている。五回も解析し直したが、どの数値も変わらず0を叩き出した。
だが、魔術を学び始めてから三か月ほど経過した今、彼の実力は一般的な庶民よりもかなり魔術の飲み込みが早いと言える度合にある。これくらいの素質があるのならば、天秤は少なくとも二、三辺りのメモリまで沈み、彼の適正の高さを指し示すはずであるのだ。
魔術に造詣が深いナンナからすると、陽太はじっくりと教育を施し、二,三年の月日を掛けて育成すれば、実戦で十分役に立つ水準にまで昇華できる潜在能力を有しているように見える。
(やっぱり、あの天秤、壊れていたのかな? 長らく手入れしてなかったからなあ)
ナンナは解析に用いた式具の故障を疑った。
「まあ、何はともあれ、この調子ならギルド隊員としてもやっていけそうだね」
ナンナは安心して独り言を発した。
一時期は陽太の術式適正が欠片もないという真相が発覚し、彼のギルド参加を取り止めにしようと画策していたのだが、今の彼を見ると、その心配はただの徒労に終わりそうだ。
ゆっくりと時間を掛ければ、彼は隊員として足を引っ張ることもなく上手くやっていけるだろう。そう思うと、彼女が抱える心配も綺麗さっぱり消えていく。
「ていうか、今頃ですけど、ギルド隊員って具体的に何をするんですか?」
突然、陽太は、ナンナが心中に抱える心配も無視して質問をした。
「あーそう言えばあまり話していませんでしたね」
「僕のイメージだと魔物やモンスターを討伐して日銭を稼いで、酒を豪快に飲んでいる荒くれ者がする仕事って感じがしますけど」
「まあ、悲しいことに大体正解ですね。皆、とても血気盛んな人たちばかりで手を焼いています……」ナンナさんは含みのある言い方をした。
その言葉から、常日頃から受付嬢としてギルド隊員と接する彼女のストレスや不満を感じる。
「ギルドというのは、王家から派遣された軍隊とは違い、素人が行う職業です。軍隊や傭兵、自警団が対応できないような小規模の事件を解決するために設置された非公認の自治団体です。別大陸からやってきたり、自然発生した魔物や魔獣を討伐する代わりに、地方都市から援助金や寄付金を受け取って生計を立てる仕事ですね」
「非公認ってことは王家からは認められていないってことですか?」
「まあ法律上ではってことですね。実際は王都が半分管理しているようなものです。攻撃性のある魔術や式具の利用は基本、一般市民は原則として禁止されているのですが、ギルド隊員は黙認されて許されています。しかしギルド隊員も立派な一市民であるので、王都から通達が来れば、式具を没収されたり魔術の使用不許可を言い渡されたりします」
この世界にはどうやら、世襲制度が用いられているらしい。
人類が暮らすこの大陸はミッドガルドと呼ばれ、大きさはオーストラリアくらいだ。
その全域を支配しているのが王家であり、僕が現在住んでいる城門都市グラズヘイムもその傘下にある。
しかし、科学技術を持たないこちら側の世界では、警察や自衛隊に当る憲兵や傭兵、軍兵や騎士などの国家組織の組員では、その広大な大陸全土の治安維持を賄えない。
だからこそ、地方都市などには、素人を集めたギルドが配置されており、王家の軍隊などに代わり、彼らが魔術や魔物などの討伐を担っているようだ。
まあ、末端の素人の集まりで構成されたギルドに周ってくる討伐任務など、たかが知れてはいるレベルであるけれど、それでも、庶民にとって彼らの存在は必要不可欠である。
王家に力が偏っている中央集権型の社会形態ではあるが、肝心のその王家とやらが保有する軍事力は、僕が暮らしていた二十一世紀現代のそれと比べて大きく目劣りするだろう。オーストラリアほどの土地総量を有すこの大陸全域の治安を監視できるほどの底力は有していない。
軍兵や傭兵などの人材の殆どが、王都の警備に集中して配置されおり、地方都市などは後回しにされがちなのであろう。
しかも肝心の政府の雇用形態は全て世襲制であるため、能力や才覚よりも血筋が重要視されるということだ。
やはり異世界は文明や思想の面において現代社会から大きく遅れている。と思う。
「現在、ミッドガルドには全部で十八つのギルドが存在します。そして私たちが住む城門都市には三つ。私が管理する第九区と、街の外れにある第四区、北西の下町にある第十四区です」
「ギルド隊員は誰でもなれる職業なんですか」
「希望があれば、それを拒否してはいけないというルールがありますが、形だけです。実際に隊員として働けるかどうかの決定権はギルドの管理人に委ねられています」
「へえ。じゃあナンナさんが認めれば僕も入れるんですね?」
「第九区のギルドは入隊が厳しいですよ? 生半可な実力者の入隊希望は却下します」
「そのうち認めさせますよ、意地でも」
「口だけは達者。だが威勢が良いのは悪い事ではないですね」
お互い視線をぶつけ、火花を散らす。
ナンナさんに一刻も認められて、ギルド隊員として上手くやってやる!
そう決意を抱きながら。
だけど僕は知らなかった。
この後待ち受ける、数奇なあの運命を。
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