「悪魔」対「偽神」②
零戦のプロペラが回る音が心地よい。
戦闘兵器特有の無骨な姿と油の匂いが好きだった。
日の丸を掲げ、いずれは世界を、その栄光で照らす。
米兵は敵だから、撃ち殺せと。
幼き頃から教わっていた。
竹槍でも下駄でもいい、武器は問わないから米兵に立ち向かえと。
今思うと、詭弁だろう。
自分ら日本人を戦争に意欲的に参加させるための口実に過ぎない。
米兵も人間であり、祖国に帰ればそこに守るべき家族と生まれ育った土地がある。
彼らも状況は違えど、自分らと同じ立ち位置にいる。
その当たり前の現実に気づいていたが。
自分の手が血で汚れるための免罪符として、同じ人間をこの手で殺める罪悪感から逃れるために。
言い聞かせた、米兵は人間ではない、鬼畜だと。
自分が死んだ時のことを覚えていない。
あるのは、輝かしい光と、プロペラの回る音、爆発音。
零式。
本名ではない。
自分の名前など忘れてしまっている。
あるのはただ、敵国への膨れ上がった空虚な憎悪と、胸を焦がすような痛み、苦しみ。
鬱憤とした殺意、どこに吐き出せもしない、罪。
「自分が帰った所でどうなるというのか……」
白い、純白の空間の中にいる夢を見る。
そこには、防空壕の洞穴の入口が、ポツンと存在するだけのまっさらな空間に。
そこで一人、思想にふける夢を見るのだ。
そこでは、自分と、もう一人の自分が、2人、存在していて。
その片方の自分は、ひどく矮小でねじ曲がったことを言う。
「何を言っているのか、大日本帝國は不滅である」
「妹も母さんも死んだよ。焼け死んだ。空から爆弾が落っこちてきて、みんな、全滅した」
「違う」
「違わない。お前だけ生き延びたんだ。お前だけが選ばれた、良かったじゃないか、異世界にこれて」
「自分だけ助かっても意味がない」
「じゃあ帰るか? 再び門を抜けて、あちらの地獄へ」
「皆を救いに戻るのだ」
「此岸と異世界の時間差を利用して? 太平洋戦争前に戻ると? ……馬鹿だな。お前は何も分かっちゃいない」
「分かっている。誰よりも」
「いいや分かっちゃいない。地に落ちたリンゴは戻らない、欠けたガラスは復元されない、死んだ人は戻らない、その絶対的な法則を『因果』と呼ぶ」
「……」
「それは誰よりも、お前が知っていることだろう? 零式」
焼けた焦土。
朽ちた木々。
目を塞ぎたくなるほどの黒煙と、鼻がねじ曲がる、遺体の腐臭。
我々が、命を投げ捨ててまで、得たものがこれか?
我々が、守りたかったものは、全て手のひらからこぼれ落ち、今や何も残っていない。
それでも、歩み続けるのだ。
それしか、自分に残された、このどうしようもなく不条理な現実から、逃れる術はないのだから。
*
「作戦内容はこうだ。まず『枢軸主』より授けられた知恵を元に、系譜の『外界樹素を乱す特異な肉体』にも通用する高度な呪術を編纂。それを転移術式と嘘をつき、系譜ーー零式に施す。今回編纂された呪術の効果は『身体機能の低下』と『魂と肉体の分離』、そして『外界樹素を吸収する度に発動する神経毒』この3つ。この呪術によって系譜ーー零式の運動機能は約3分の1以下にまで低下するだろう。『根源の異なる力』とえいど、『別世界の展開維持』のために発動には周囲の外界樹素の吸収を継続する必要がある。しかし先程説明した神経毒により、系譜は能力を行使するほど体に激痛が走るようになっている。お前たちはこの呪術の発動のための祈祷ーー舞を担当してもらう」
遡ること、渓谷グニパヘリルでの系譜と神の決戦の4日前のこと。
赤毛と額の傷が特徴的な「熾」剣士グリムヒルトが、王都直属の魔術師の中でも一握りの実力者を集め、作戦内容を話す。
すると作戦内容を聞いた魔術師の一人が気概のない様子で尋ねる。
「外界樹素を乱す体質の持ち主に、呪術を施すなんてそんな高等技術……成功するとは思えません」
「それについては問題ない。バーラ=アリストロメリアが中心に呪術を編纂する。君たちはあくまで補佐だ」
バーラ=アリストロメリアという名が出てきて、魔術師たちがざわめき浮足立つ。
「バーラの実力は君たちもよく知っていることだろう。彼女に任せておけばまず術式の失敗はあり得ない。安心していい。これで『枢軸主』は完全顕現ではないにせよ、系譜に勝てるだろうしな。では――系譜に『枢軸主』が勝利した後の我々の真の目的について、話すとしようか」
今までの話は単なる前座に過ぎない。
そう言わんばかりの、真剣な表情で剣士グリムヒルトは、系譜と神の決戦――その裏に隠されたジギタリス家当主の真意について語りだした。
*
(中々――どうして――これが『系譜』!! 思い通りには行かないものだなッ!!)
〔九九式短小銃――装填:射出〕
零式が空中で詠唱を行うと。
轟音と衝撃波と共に。
オーディンの右腕から肩にかけて小さな穴が無数に刻まれる。
オーディンも傷を負いながら負けじと
〔系統は神素――
神へと伝導する一節を奏でる。
【神素】
【13対の神種のみが使用を許可されている樹素】
【神種は原初ユミルの魂から直接、神代時代の樹素を引き出し、術式を編纂する】
【13対の神種それぞれが個別に所有する神器は原則、神素を供給されることでしか機能しない】
【また神器には『忠誠心』が存在し、原則、神器の正当なる持ち主でないと効力を発揮しえない】
【ただしこれらは『異世界』の範囲内――すなわち原初ユミルと世界樹が監視できる範囲内に限られた話であり、その外側に存在する異物――転移者や転生者などの此岸の生命体は例外である】
――投擲〕
「完遂」を司る神器グングニルが、枢軸主の意向を読み取り、放たれる。
「目の前の系譜を討ち滅ぼせ」という目的を遂行するために。
その神器の圧倒的な力を感じ取った零式は。
空中を跳ねて飛びながら、飛来してくるグングニルを避ける。
が――。
空間が歪んだと思うと、避けて後方へと飛来していった槍が、零式の右腕を貫いていた。
オーディンが手にしていた時よりも一回りも二回りも小さなサイズとなって。
一般的な槍と同程度の大きさのグングニルが、右腕を貫き、そのまま肉の中で回転し熱を持ち。
零式の喉元めがけて射抜かんとばかりに加速する。
〔一式特殊重装甲〕
危険を感知した零式は、腕の激痛など気にもせず。
己の命を守るために詠唱を行うと。
腕を貫通して、喉元へと到達しようとしていたグングニルの槍先が。
零式の喉元に触れた途端、鈍い金属音を発して跳ね返された。
その隙に零式は自分の右腕からグングニルを引き抜き、距離を取る。
(避けたはずの槍がいつの間にか自分の右腕を貫いていた?! サイズも違う! 形状や大きさも自由に変えられるというわけか?! 絶対に狙いを外さない……槍……)
零式は自らの右腕を左手で抑えながら、冷静に考える。
(ッ……やはり――与える命令が『曖昧』だと――我がグングニルの効力はうまく発揮されない――)
オーディンも自らの元へ自然に回帰してきた神器グングニルを握り。
空中に浮遊しながら、手負いの零式を見つめる。
【オーディンの神器グングニルの効力『完遂』】
【持ち主が投擲する意思を完遂するために如何なる形状にも変化し、時空を歪めてでもその意思を完遂するように働く】
【だが、命令が曖昧であればあるほど効力は落ち、逆に命令が限定的で具体的であればあるほど、その意思を完全に遂行しようと機能する】
(自分も以前に使用したことがあるから分かる……あの神器には何か種があるようだな。あの槍が狙った獲物を外さない絶対の神器であるとしたら、あの者は、わざわざ自分の前に姿を表さず、遠方から投擲していればよいだけだ)
零式は幽霊都市ブレイザブリクでの戦闘にて、遠方からグングニルを投擲し「龍殺し」を貫く命令を実行している。
(何回も使用していれば我がグングニルの――弱点にも――系譜に看破されてしまう――弱点に気づかれる前に――術で殺す)
〔ᛏᚻᛖ ᚩᚾᛖ ᚹᚻᚩ ᚳᚫᚢᛋᛖᛋ ᛏᚱᚩᚢᛒᛚᛖ〕
零式の背中に刻まれたルーン文字が熱を持ち、赤黒く光る。
不気味な光。
そして鳴り響く不協和音、まるで腸を引き裂かれる羊が出す断末魔のような、気味の悪い高音だった。
「ッ……ゥう……」
思わず零式はその場に座り込む。
「ルーン文字での――呪術の発動――系譜の特異な肉体にも――成立するよう――編纂してある――しかし――樹界大戦時と比べたら――半端な威力だ――ルーン文字の――伝承者、使用者が――減少している――証拠だ――時代は移り変わる――ということか」
「自分に何をした?! 何だッこの奇怪なまじないはッ」
「呪術には負の因果律――を組み入れてある――その現象の正式名称は――モーンガータ現象――とでもいったか? まあ、どうでもよいことだ」
(全身が焼けるように痛みッ……臓器が悲鳴をあげているッ!! そして耳触りな高音ッ……どうするッ?! 零式ッ!)
敗北。
その可能性が零式の頭をよぎる。
狡猾な方法で、罠にはめられ、呪術を付与され。
彼の体は限界に近づいていた。
そこへ投擲されるは――。
神器グングニルの矛先が今度は零式の左太ももを貫いた。
抜こうと引っ張ろうとすると光の粒子となって消え。
持ち主であるオーディンの下へ帰依する。
(負けるのかッ?! 今ここで?!)
零式の動機が乱れる。
その時。
オーディンと零式の対決に割って乱入してきたのは。
崖上で傍観を決め込んでいた剣士グリムヒルト。
彼はマントを棚引かせ颯爽と現れると。
「よくやった『枢軸主』。後は我が片付けよう」
「何奴だ――貴様は」
「系譜 零式は、剣士グリムヒルトが退治した――とリーヴ様へ伝えたほうが、我の得になろう」
「愚かな――神の手柄を横取りしようとは――傲慢な――人間よ」
グリムヒルトはオーディンから目を話し、地面に膝をついている零式の元へ向かい。
腰に携えた剣を抜き、刀身を零式の首へと沿えた。
そして崖上にいる王都直属の魔術師たちに向かって聞こえるように大声で。
「貴様たちも見ていろ! 系譜 零式の首はこの『熾』剣士グリムヒルトが討ち取ったり、と!!」
ニヤリと笑いながら沿えた刀身に力を入れ、そのまま零式の首を切断しようとした。
が――。
動悸を乱し苦しそうにしている零式の顔が上がり、そして
「黙れ。国を守る兵として、騙し討ち、手柄の横取りなど、邪なことを考える貴様には心底呆れたぞッ赤毛の剣士」
剣士グリムヒルトの矮小で卑劣な生き様が。
大日本帝國の忠実な兵として使命を全うして死亡した零式の琴線に触れたらしく。
零式は首に沿えてあった刀身を鷲掴みして粉々に破壊。
その後、立ち上がり、動揺するグリムヒルトに向け。
右拳を顔面に放つ。
「がッあああああッ」
剣士グリムヒルトの顔面は思い切り凹み、零式の拳が振られた方向へと。
そのまま凄まじい速度で飛んでいき、渓谷の岩肌にぶつかって。
そのまま岩肌に大きなくぼみを作り、打ち付けられた体を痙攣させ、渓谷の底へと落ちていった。
その様子を渓谷の上から見ていた魔術師たちは恐怖で戦慄する。
「馬鹿な剣士よ――我が高潔なエインヘリャルの――爪の垢でも――煎じて飲ませたい――ものだ」
殴られ飛ばされたグリムヒルトを見て、侮蔑するようにオーディンはつぶやく。
そしてもう興味は無くなったのか、視線を立ち上がった零式に移した。
「噛ませ犬は消えたなッ! これで邪魔はいなくなったッ!! 覚悟しろッデカブツッ!!」
「威勢のよいことだ――だが、空元気だろう? ――呪術が体を蝕み、動くことさえ出来ぬはずだ」
「それが国を守る兵が立ち上がらぬ理由になるのか?」
「……ほう――中々見どころのある――者だな――きてみろ――系譜――その状態で何ができるのか――私に見せてみろ――」
零式の鼻から血が流れる。
それを零式は左手の親指で拭い。
そして左腕に巻いていた包帯を解き、それを鉢巻きのように額に巻いて屈伸してから。
「では、お前に見せてやろう、日の沈まぬ国の――天皇陛下の恩寵を一身に受ける日本兵の底力を」
そう言って、構える。
その黒き瞳はーー神種の喉元を見据えていた。