準備
「……何のよう?」
「これはこれは、お初目にかかります。巫女様」
王宮の長ったらしい廊下。
赤色のカーペットと派手な刺繍、目がちかちかとする黄金色のランプで彩られたそこは。
巫女ヴォルヴァにとってあまり気分の良い場所ではなかった。
装飾、派手さ、目立つこと、権威の誇示。
それらばかりを満たすための飾りつけであり、そこに遊び心は感じられない。
まさに権力に踏ん反りかえる――十三神使族の住まいにピッタリな場所だと思う。
巫女ヴォルヴァに向かって片膝を付き、敬意を表すは。
長い白髪に、白い髭を生やした体格の良い40代なかばの男。
そう――ジギタリス家の現当主である。
巫女ヴォルヴァも間近で実物を見るのは始めてであった。
敬意こそ示しているものの、その男の瞳の奥底には毒気が眠っていることを巫女ヴォルヴァは見逃さない。
「……先代の巫女様にはご高配を賜りました」
「そう……私は覚えていないの」
「そうでございますか……先代の巫女ハーラル・ヒルデダント様は大変聡明な方でございました。巫術の領域にて多くの研究結果を遺し……境界門を解明……魂の観測法と現世維持の術を確立し……人類の進歩の礎となったお方……その後を継ぐ巫女ヴォルヴァ様は……たいへん荷が重いことでしょう……何しろ、17になられても尚、何も発見、解明できていないのですから、はてさて巫術はどうなることやら先が思いやられますな」
皮肉を交えて語るジギタリス家当主。
だが、ヴォルヴァは彼の毒混じりの言動に対して突っかかったりはせず至って冷静に、冷徹に
「何の要件があって顔を出したの」
「……おりいって頼みがありまして。先代巫女ハーラル様が開拓した『樹素の物質化』その技術を私にご享受もらいたい」
沈黙が流れる。
「何故?」
「我がジギタリス家の崇拝神、『枢軸主』様が顕現なさったことはご存知ですよね? 『枢軸主』様はこれから悪魔たる『系譜』を抹殺に向かわれます。その際、『枢軸主』の救済措置機構であるジギタリス家は『大樹の盟約』の関係で、『枢軸主』様が命の危機に瀕した際は、お助けならればなりません。そのために『樹素の物質化』その技術の体得が必須なのです」
「……巫術を外部に不用意に拡散するのは禁じられている」
「それは王家の定めた掟……私が述べているのは王家の定めた掟よりも更に上位に位置する『大樹の盟約』に関する事項……優先されるべき禁則はどちらであるか……お分かりになられていることでしょう」
「それでも断るといったら?」
「少々……荒い手段を使わざるを得ませんな」
ジギタリス家当主はそう言うと立ち上がり、巫女ヴォルヴァへと近づこうとした。
ヴォルヴァは恐怖を感じ、後退りする。
しかしジギタリス家当主は、歩を進め距離を縮めようとしたその瞬間だった。
ジギタリス家当主の足元に数本の木の柵が出現。
当主とヴォルヴァの間を遮るように地面から突然出現した。
そして物陰から出てきたのは
「おいおい、あまり巫女様に近づくなよ。リーヴ=ジギタリス」
青いキャップにオーバーオール。
系譜――大月桂樹だ。
彼の登場を見て、ジギタリス家当主の眼光が鋭くなる。
「大月桂樹……先代巫女のみならず……今代にも護衛をしていたのか……」
「久しぶりだな、リーヴ=ジギタリス。最近あんまり顔を見せなかったもんで、寿命でぽっくり死んでいたのかと思ったぜ」
「貴様には用はない」
「俺もお前さんの顔なんざ見たくもねーな。だが、巫女ヴォルヴァ様に悪いことするってんなら、話は別だ。早く消え失せろ、それか今ここで死ぬか? リーヴ=ジギタリス」
「汚らしいヤブ医者に過ぎぬお前が、今更何ができるというのだ?」
「お? 模造品が嫉妬か?そういうお前は 原初ユミルのひっつき虫のくせにな」
「貴様ッ!!」
ジギタリス家当主が大月の言葉に激昂し一歩近寄ろうとすると。
地面から生えた木の柵が更に伸び、ジギタリス家当主を囲い、締め付けようとする。
「やっぱりここで死んでおくか? 巫女様に近づくってんならな」
大月が両手を合わせ、握りしめるような動作をすると。
それに呼応して木の柵もしなり、内部のジギタリス家当主を締め付けようと縮小した。
その瞬間――目にも止まらなぬ速さで接近した影が木の柵を切断し、ジギタリス家当主を救う。
彼は腰の両方に剣を携帯しており、短髪の赤毛が特徴的な青年。
凍てつく青色の瞳はシグルドと似ており、額には一線の切り傷が刻まれていた。
「リーヴ様に次、危害を加えるならば、そこの巫女とやらを殺す」
赤毛が逆立ち、額の傷が歪むほど目を細め、敵意を向けるこの男は。
ジギタリス家に代々使える剣士。
(「熾」剣士グリムヒルト……王都直属護衛軍隊の中の更に上位の精鋭部隊『パトリアルフ』の筆頭…………潜在能力は「龍殺し」、速度、剣戟は「シグムンド」に劣るが……剣士としての総合力は二人にも勝るとされている……めんどくせえのが出てきちまったな)
大月はポケットに手を入れたままじーっと赤毛の剣士――グリムヒルトを見て分析する。
(オオツキケイジュ……リーヴ様のおっしゃっていた「この世から外れた理」を用いる力を持つ……巫女を守ることに尽力しているらしいが底が見えない……「系譜」といったか? その力は神種にも匹敵するといったか……厄介だな)
対してグリムヒルトも大月を警戒しつつ、鞘に剣をしまった。
「良い、おさめろ、グリムヒルト。こちらがお願いをしている立場だ」
「はっ……」
ジギタリス家当主が口を出すと、グリムヒルトは頭を垂れ、当主の後ろに回った。
「大月、いいのよ。彼に敵意はないわ」
「……今のところは、な」
巫女ヴォルヴァも大月をなだめて落ち着かせる。
大月は文句をたれながらも、渋々警戒態勢を解いた。
「いいわ、『樹素の物質化』の技術をアナタに教えてあげます」
「それはそれは、流石巫女様、物わかりがよく、話が早い」
「その代わり、約束してちょうだい。私の友達に手を出さないってことを」
「ええ、約束しますとも。大体、何故私めが、巫女様のお友達などに危害を加えるのか、私にはさっぱりだ」
「約束して、絶対」
巫女ヴォルヴァは鋭い目を向ける。
「……分かりました。アナタの友達『に』は危害を加えぬことを約束しましょう」
「なら、明日、巫女の社に来なさい。そこの赤毛の剣士を護衛につけてもいいわ。危害を加えるつもりはないから」
「分かりました。では、明日、楽しみにしています」
そう言ってジギタリス家当主は立ち上がり、マントを翻して歩き始めた。
後方で片膝を付いていた剣士グリムヒルトも、大月と巫女に敵意の込めた視線を送った後、主の側へと駆け寄っていく。
彼らが去ったのを確認して大月は
「巫女様よ、いいのか? リーヴ=ジギタリスは危険な野郎だぜ。巫術を教えたら最後、何に使うか分からねえ。今ここで消しちまった方が後のためだ」
「いいの、それより……『座』は奪還できたのね?」
「ああ勿論、今は巫女様の持つ魂……それこそが『座』だ」
「じゃあこれから祈祷に入る。明日のリーヴ=ジギタリスの件が終わったら早速ね」
「早いな。少しは休んだ方が良いんじゃないか? ヘットへトだろ?」
「いいの、体の疲れなんかどうってことないから。それより早く……達成しないと……」
「ああ、そうだな」
「うん……もうすぐだから――
巫女ヴォルヴァの柔らかな笑顔が引き締まり、真剣な表情へと変貌する、そして
――私たちの現実世界……此岸を取り戻すよ。異世界から」