【手品師】
私だけが知っている。
皆は知らない恥ずかしいこと。
私だけが知っている。
本当は「虚勢」だったってこと。
私だけが知っている。
全て偽りに過ぎないことを。
アグネ=ド・ノートルダム。
魔術革命の樹立者。
樹海大戦時裏で暗躍した英雄。
人類がまだ術式を扱えず、ゴミのように蔑まれていた時代に。
アリストロメリアの愚王を連れて。
不可侵領域に至り、世界樹イルミンスールと「契約儀式」を結んで。
人間でも術式を使えるようにした素晴らしい方。
世間ではそう言われてる。
でも私は知っている。
重力術式と共に、受け継がれてきたアグネの日記。
そこには彼の旅の全てが記載されている。
それはとても愉快で。
回り道で。
示しが付かなくて。
格好の悪い旅だったけれど。
私はその旅の全てが好きだった。
そして知ってる
アグネの本当の姿を。
稀代の魔術師と持て囃され。
含蓄が深く、思慮深く、聡明な方として描かれているけど。
実はそんなことなくて。
情けない、嘘つきで。
魔術なんか使えないくせに、手品を極めて嘘をついて。
それで他人を騙して生活費を稼いでた浮浪者。
それがアグネの正体。
すぐ調子に乗るし。
仲間には馬鹿にされていたし。
アリストロメリア家の愚王にはこき使われてて。
イジられキャラみたいなもので。
弱音をはくし、すぐ嘘を付くし。
女好きで、怠惰。働きもせず手品ばかりして子どもたちを騙して天狗になってる。
そんな俗っぽい、到底偉人とは思えない人柄。
それがアグネ=ド・ノートルダムの真の姿。
日記には、その彼の弱みと本音が散々書き連ねられていた。
仲間の愚痴ばっかりだった。
「アリストロメリア家の愚王は尊大でワガママ。少しはパンを俺にも分けろ」
「傭兵のアイツは苦労人、ずっと愚王にこき使われていて可哀想だ。王女に恋してるらしいけど、あまりに無謀だ止めておけ、身の程を知れ」
「受肉した邪神はアホだった。愚王といっつもつるんで悪巧みばっかしてやがる。魔界に行ったら、何故か付いて来やがった。今日も俺の靴の中に毛虫を入れやがったから、アイツの飲水の中におしっこを入れておいてやった」
それはそれは壮大なお話。
だけどちっぽけで、5人の仲間内でくだらない痴話喧嘩ばかりしていた日常の積み重ね。
私だけが知ってる、本当の、アグネの旅。
誰にもバラしたくないのよ。
恥ずかしいってのも単純な理由だけど。
一番の理由は、独り占めしたいから、こんな素敵な物語は。
ずっと私の胸の中だけに。
*
〔『式』系統は重力子ーーイオ〕
先ほどよりも更に重い重力の圧が、ブードゥ本体に加わった。
体は四方八方に砕け散る。
だが潰れるより早く、ブードゥはその驚異的な再生能力を持って分裂・増殖を繰り返す。
絶えず再生する腐肉と、絶えず加わる重力。
潰されれば再生し、再生すれば潰す。
その繰り返し。
重力術式。
その名の通り「重力」を発生させ操作する術式。
それを操ることで、相手の動きを操作。
重力による圧で潰し殺す。
その攻撃をーー「重力子」を解析できない異世界の生物が対応できるはずがない。
それは原生魔獣であるブードゥといえ例外ではない。
未知の力場、未知の系統変換、未知の術に対し。
動揺しながら、ただ翻弄されるだけ。
だが、圧倒的な「物量」が。
重力による圧死を反発し、対抗する。
拮抗している。
無限に再生する腐肉と、不可知の圧力。
新しく不慣れな重力術式に手間取るスノトラと。
無尽蔵たる肉体を持つブードゥ。
ほぼ互角と言っていいだろう。
だが、勝敗を分かつのは。
原生魔獣、神代の時代から生き続けてきた、ブードゥの圧倒的な「経験」。
まだ十数そこらしか生きていないスノトラが。
たとえ彼女が類稀なる術師の「才」を手にしていたとはいえ。
その圧倒的な「経験」に勝ることはできない。
「ッ……ああ……」
先に限界が来たのはスノトラの方だった。
重力の力場、セーターの縫い目より細かく小さな隙間を掻い潜り。
腐肉の弾丸がスノトラの左腕に着弾した。
〔対立術式!!〕
原生魔術の対立術を編纂し終わっていたスノトラは。
すぐさま自身の左腕に原生魔術「黄泉返り」の対立術を付与。
腐肉化の作用は収まる……が左腕はもう使い物にならないほど傷んでいた。
その痛みと、原生魔術への対立術の編纂による脳回路の披露。
そしてまだ完全に治癒しきっていない喉の刺し傷と、系譜に続く原生魔獣との連戦。
また、樹素を重力子に変換するための大きな負担。
これらの障害が重なり。
スノトラは押され。
ついに。
重力術式を維持できないまでに損傷を負った。
ブードゥの攻撃によってではない。
自滅だ。
度重なる疲労と損傷に、ついに「がた」が来た。
スノトラはその場に膝をつく。
動機は乱れ、鼻からは大量の血が流れ出す。
目の焦点は合わず、体は小刻みに震えていた。
今にも倒れそうな体を、両腕で握りしめた杖で支える。
「ブ? ドゥ? ……フブ」
突然、その場に膝を付き鼻血を流し始めたスノトラをブードゥは頭に疑問符を浮かべたような顔つきで見つめる。
何十メートルもの腐肉に増殖し、クリーチャーのような見た目になっていたブードゥの形相がブグブグと縮小し、元の一体のーーブードゥの姿に戻った。
ブードゥはすぐにスノトラの息の根を止められる状況。
だがブードゥはスノトラが使った未知の術式ーー重力術式を警戒しているのか。
すぐには近づかず、じっとスノトラを遠巻きで観察している。
(……はあ……ここまで……ね)
スノトラの頭の中には巡った。
今までの思い出。
ガルムと過ごした魔術学校での日常。
ガルムと討伐した魔物、ギルドで過ごした日常。
だがしかしーそれらの走馬灯はすぐさま消え去り。
頭の中にはアグネの日記、その内容が反芻していた。
(アグネは……どんな気持ちだったんだろう? 私だけが知っている。アグネはきっと、世間で言われているような尊大な人物でも、日記に自嘲気味で記載されていたような、くだらない矮小な人物でもない……)
スノトラが読み取った日記。
そこでスノトラはアグネの本当のーー彼自身ですら気づいていない自分の本質を察知していた。
(彼は「優しい」の。手品を極めていたのも、手品を極めて魔術を扱えるとホラを吹いていたのも……自分の生活費を稼ぐことが一番の目的じゃない。彼はーー彼はーー希望を与えていたのよ。幼い子どもたちに……人間でも魔術が使えるんだぞって。そんな馬鹿げたことを、ホラ吹きと否定する大人はいた。けど彼だけは……理想を追っていた。夢を見ていた。そしてその夢を本気で信じていたのだわ)
術式も扱えない猿。
そんな人間が、いつか、神の奇跡たる術式を扱え。
魔族や獣族と対等に扱われるーーそんな夢物語を。
「それはきっと……とても美しい物語。とっても馬鹿げていて、とってもアホらしくて……だけどとても輝かしい旅……その旅を私は否定しない……私だけが……ド・ノートルダムの血を引く、私だけは否定してやらない!!!!!!」
瞬間ーー。
スノトラの視界は白く染まった。
空間が歪み、気づけば、真っ白な世界に誘われていた。
そこにあるのは、一枚の「204番 スノトラ」と描かれた木の扉。
「ここは……」
境界門。
異世界でも此岸でも彼岸でもない、虚数領域。
そこへ、話声が聞こえてきた。
周りを見ると。
一人の男の影が何かを懸命に訴えていた。
その影は曇りがかったように掠れ、声は途切れながら微かに聞こえてくる。
「これは……」
「だーーいいんだーー契約ーー俺はーーどうーーしーー人間がーー」
スノトラは黙って聞き入る。
掠れた音を必死に拾う。
努めていると、途切れる音が段々と鮮明になり、スノトラの耳に入る。
「俺は、いいんです。ずっと手品を披露し、小銭を稼ぐだけの毎日でした。それ以外の才能なんか、俺には無かった。剣も振るえない、血にも恵まれない、嘘つき、ホラ吹きと罵倒され、それでも子供たちに、手品を披露し続けた。そうして嘘をつき続けました『どうだこれが魔術だぞ』って」
スノトラは確信する。
これは400年前のアグネ=ド・ノートルダムの声だ。
「子供たちは目を輝かせました。だけど大人たちは俺を否定した。『人間が魔族に勝てるはずもない』って。『人間が神の奇跡を扱えるようになるわけない』って。でも俺は信じて歩み続けた。旅の道中で沢山のモノを見てきました。獣族に魔族、巨人にエルフ、精霊に龍、ドワーフ、神……様々な、可能性を見ました。多くのことを学びました。けど俺は、結局、魔術を使えるようにはならなかった……でもそれでいい。俺はホラ吹きのままでいい。だけど、僕のホラを信じて、目を輝かせていた『子供』が彼らの『未来』が俺と同じなのは許せない。彼らに、力を。彼らに神の庇護を、寵愛を、そしてーー希望を下さい」
スノトラの目頭には涙が溜まる。
間違いない、これは400年前のーー世界樹と契約儀式を結ぶ際のアグネだ。
そしてまた時間が飛ぶ。
数分後か、数時間後か。
アグネの体は先ほどとは異なりボロボロになっている。
何が起きたのかは分からない。
だが、息絶えそうなアグネは、地面に這いつくばりながら語る。
「…………最後に…………一つ、ワガママを言っていいですか? 神様」
「ーーーー」
「俺の子孫にゃ、魔術の才を与えて下さい……それこそ……邪神や原生魔獣に匹敵する……素晴らしい才覚を持った……彼らにゃ、俺と同じような悲惨な人生は歩んでもらいたくないんです」
「ーーーー」
「いいですかい? 今際の際のワガママっす……これくらいは?」
「ーーいいよ。約束してあげる。君の9世代後に、紫髪の聡明な子が生まれる。彼女はド・ノートルダム家に生まれた中で唯一魔術の才覚を有した子だ。その子に、莫大な魔術の才を与えることを約束しよう。ここまでよく頑張ったね、アグネ=ド・ノートルダム。樹界大戦の終結に大きな貢献をしてくれたこと、真に感謝している。ゆっくりとお休み」
「はは…………ありがとう……ございやす……神様……いいえ『原初ユミル』様」
「ふふーーやっぱり人間は面白いね」
途切れる意識。
はっと目を開けると。
廃墟。幽霊都市ブレイザブリクに戻っていた。
眼の前には原生魔獣ブードゥが。
(今のは……走馬灯? 違う……あれが……巫女様が言っていた『境界門』なのね……)
スノトラは笑った。
振るえた細い小さな身体に力を込め、杖を支えにして立ち上がり、右腕で鼻血を吹いて。
いつものドヤ顔で笑い、杖の先端をブードゥに向け。
「貴女はね。いつも、弱音を吐いたりしないで、凛と立ち上がるものなのだわ」
大気中の樹素と全ての内包樹素を凝縮する。
そして放つ。
だが不思議とーー気分が良かった。
アグネの過去。
魔術革命樹立の瞬間。
そしてアグネの「契約」がもたらした私の才能。
(それを否定させたりしない! アグネの旅が無駄だったなんて言わなせないッ!)
【僕は、いいんです。ずっと手品を披露し、小銭を稼ぐだけの毎日でした。それ以外の才能なんか、僕には無かった。剣も振るえない、血にも恵まれない、嘘つき、ホラ吹きと罵倒され、それでも子供たちに、手品を披露し続けた。そうして嘘をつき続けました『どうだこれが魔術だぞ』って】
それでいいじゃない。
それでいいのよ。
私は、私に流れるホラ吹きのーー【手品師】の血を否定しない!
それを誇りに思う!!!!!!!!
ゆっくりと奏でるように詠唱をする。
スノトラは思い出す、魔術を始めた扱えた日のワクワクを。
奇跡を駆使し、奇跡をものにして、奇跡に愛される。
なんでもできるような、不可能なことなんてないようなあの万能感とトキメキが。
彼女を動かしうるーー稀代の魔術師としての原動力となっている。
〔『式』系統は重力子ーーエウロパ!!〕
ズンっと圧力がかかる。
ブードゥは術の発動を予期し体を増殖。
無論、その一撃でブードゥが完全に圧死することはない。
そんなことーースノトラは分かりきっていた。
〔『式』系統は重力子ーーイオ!!〕
更に術の威力を強める。
膨張したブードゥの体に強い圧力がかかり弾け散る。
だがそれより早く、ブードゥは増殖を続ける。
そんなことでーースノトラが怖気づくはずがない。
〔『式』系統は重力子ーーカリスト!!〕
それよりも遥かに強い術を発動。
もはや何百メートルにまで巨大化、肥大化した腐肉が歪み潰れる。
だが、更にーー腐肉は増殖を続けた。
とどまることを知らない、無限の物量。
スノトラの鼻から再び血が吹き出す。
だがーーそんなことで、スノトラが止まるはずがない。
〔『式』系統は重力子ーーガニメデ!!〕
莫大な、尋常ではない重力の不可が空間自体を歪ませ大地を震わし割いた。
無限の物量、腐肉の津波が全て弾け飛ぶ。
だがブードゥは「黄泉返り」を最大出力にし。
そして街中の何百体ものゾンビを全て解除。
その腐肉は何千mもの巨体と化したブードゥに集約し、ブードゥは大きな球体状の肉の塊と化した。
廃墟を破壊し、幽霊都市ブレイザブリクを包み込み。
外部で囲う、ヨルムンガンドのとぐろを巻いた体表を圧迫するにまで巨大化。
スノトラは吐血する。
限界だ。
重力術式に耐えきり、一度で全てを破壊するーーというブードゥの唯一の弱点を。
阻止するためにブードゥは己の腐肉を最大限まで増殖させた。
ブードゥ側も、自身のあまりある内包樹素と、ゾンビ化した剣士や人間の樹素をも吸収し、その全てを腐肉に変化して耐えている。
だがーーそんなことでーー
「貴女たる私が、『理想』を捨てると思っていらっしゃるのかしら?」
〔『式』系統は重力子。器は『身』ーーーー
スノトラの背後から気配がした。
その気配は、スノトラの右肩に手をおいて微笑む。
「ーーーーやれ、スノトラ」
「うん、ありがとうね。アグネ」スノトラは振り替えることなく爽やかな声で返し、そして。
ーーーージュピター〕
幽霊都市全体ーー約直径30kmの範囲内を、基盤から粉々に破壊する。
大きな大きな重力圧が。
無限の腐肉たるブードゥに一斉に掛かり。
ブードゥは耐えきれず、肉体の全てが微粒子レベルで弾け飛んだ。
「ブ……?」
遥か上空から。
ブードゥの血が、幽霊都市ブレイザブリク全てに、雨のように降り注いだ。
一瞬で全てを破壊するーー原生魔獣ブードゥの唯一の殺害方法。
それを達成した稀代の術師「スノトラ」はその場に倒れ眠った。
その寝顔はあまりにも愛おしく、幸せそうにほほえみ眠っていた
我が子の頬を撫でるように、そんなスノトラの頬に手の甲を当てるのは。
アグネの幻影。
そして彼は涙を流しながら。
「……ははっすごいや、本当に人間が、魔術を使って、原生魔獣に勝っちまった。……これが俺たちの……旅の……『結果』か…………」
そんなアグネの幻影に話しかけるのは。
同じく、フレンに取り付いていた、かつての同じパーティメンバーのアリストロメリア家の愚王。
彼は八重歯を見せて笑い。
「キシㇱッ!悪くなかったろ? 吾輩たちの旅は」
「ああ……アンタに振り回されてばっかりの旅だったけどさ。こんな『未来』ならば悪くなかったと思うよ。ヘグニにも言っておいてくれないか? あっちで会えたらさ」
「吾輩が覚えていたらな」
「ひッ……そりゃ無理な話だ。じゃあ、一緒に行くか? 冥府に」
「そうだな。『ヘグニ』もそこにいるかもしれないしな」
「またアンタと一緒の旅か。まあ……悪くはないな」
そう言って、アグネの幻影と、アリストロメリア家の幻影は。
二人揃って、歩き去っていった。
やがて背中は遠のいていき、そのまま光の粒子となって消えた。