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地蔵長屋 第三章

作者: 眞基子

「地蔵長屋 」第三章


 江戸の町、深川木場の通りを挟んだところにある地蔵長屋にも夏の暑さが通り過ぎ、吹き抜ける風も秋の気配を含んでいる。

白々明けの門口に立つ人影に岩助の女房お花が気付いた。しんばり棒をそっと外し、土間口の戸を少しずらした。そこには、青白い顔をした利市の女房おまきが立っていた。

 「何だよ、びっくりするじゃないか」

 お花が声を掛けると、おまきは声を殺して咽び泣き、その場でしゃがみ込んだ。

 「そんなとこで話してないで中に入ってもらえ」

 岩助は寝間から声を掛けた。

 「そりゃそうだ。まずは中にお入り」

 お花は上がり框におまきを座らせ、戸をたてた。

 「一体どうしたんだい」

 お花は、おまきの肩を抱いて聞いた。

 「うちの人が昨夜戻らなかったんだよ。私は一晩中待っていたのに」

 おまきは掠れた声を出した。

 「何だ、そんなことかい。きっと酔いつぶれているまに町木戸が閉まったので、何処かで寝てしまったんだよ。心配しなくても直に戻るよ。安心おし」

 それでも、おまきは小さく首を振った。

 「実はこの前、鳶の彦治さんからうちの人が水茶屋「轟屋」で、茶酌娘のおよしさんと何だかこそこそと話しているのを見かけたと聞いたんだよ。うちの人の給金で水茶屋に行くなんて。きっとおよしさん目当てだよね」

 水茶屋は江戸各地にあり、緋毛氈の床几に顔向きのいい茶酌娘を置いて、高値なお茶を出す店である。

 「本当に利市だったのかい」

 寝間から出て来た岩助は気になって寝ていられず、茶の間に出て来た。おまきに手招きし、ここに来るように言った。おまきは、おずおずと岩助の前に座った。

 「岩助さんまで起こして申し訳ありません」

 「そんなこったぁどうでもいい。だが、俺は利市が他の女に懸想するとは思えねぇ。何かのっぴきならねぇ事になったか もしれねぇ。朝一番で自身番に行ってくらぁ。お花、それまでおまきを見てやれ」

 「あいよ」

 お花は、おまきを連れて利市の裏店に戻った。

 「顔色が悪いじゃないか。少し、横におなり。うちのが調べてくれるから大丈夫さぁ」 

 岩助はすぐに自身番に行き中に入った。岡っ引きの権太親分と書役の平蔵がお茶を飲んでいた。

 「岩助どうしたんだ、こんなに早く」

 権太と平蔵は驚いた顔で見合わせた。

 「いやちょっとねぇ。親分、昨晩何か起こりませんでしたか?」

 「何かってなんだ。はっきり言わねぇと分からないじゃねえか」

 「それが、あっしにも分からないんでさぁ」

 「おめえ、お花と喧嘩でもして、うちをおん出されたのか?」

 平蔵はさもありなんとの顔で苦笑していた。

 「うっせい」

 岩助は平蔵をひと睨みすると、朝方の一件を話した。権太は、ちょっと考えるような仕草をした。

 「何かごぜいましたか?」

 岩助は権太の顔を覗き込むように聞いた。

 「いや、大したことじゃねぇが、茶酌娘が急に辞めると言い出して、水茶屋「轟屋」の主がこぼしておった、好きな男でも出来たのかと言ってな。ひょっとして利市がその女と手に手にを取ってとか。まぁ、ちょっくら「轟屋」に聞いてくらぁ」

 「親分、あっしも連れて行っておくんなさい」

 権太と岩助は、一緒に「轟屋」に向った時、利市がショボショボと歩いて来るのに出くわした。

 「利市、てめえ女の所に行ったけえりけぇ」

 岩助は癇をたてた。

 「まあまあ、どっちにしろ自身番で話しを聞かせて貰おうか」

 権太は二人を連れて自身番に戻った。

 自身番に着くと、平蔵は三人にお茶を出すと平机の前に座り、聞き耳を立てた。

 「前に「轟屋」のおよしさんに頼まれたのよ。河岸にいる平太にぞっこんになり、口を聞いてくれないかってね。平太は人はいいやつだけど、お面はいけねぇ。おいらは器量のいいおよしさんがからかっているとばかり、取り合わねぇでいたんでさぁ。そしたら、およしさんは痺れを切らしたらしく、おいらが帰ろうとした時現れて平太に会わせろと叫んだんだ。しょうがなく平太に会わせると平太は舞い上がっちまって。それからていへんだったのよ。およしさんが手配していた屋形船においらと平太は乗せられて、酒三昧よ。おいらは、気が付いたら船宿に寝てたのよ。勿論、二人は影も形もありゃしませんでした」

 「てめえ、そんな与太話信じられると思っていやがるのか。昨夜、およしと寝てたんじゃねぇのか」

 岩助は利市に殴りかからんばかりの体で怒鳴り散らした。

 「まあ、待て」

 権太が二人の間に割って入ろうとした時、自身番の油障子が遠慮ぶかげに開いた。そこには、平太とおよしが並んで立っており、揃って頭を下げた。

 「利市さん、ゆんべはご迷惑をお掛けしてすんませんでした。あれからおよしさんと話して二人で所帯を持つことにしました。これからも、おいらたちの事よろしくお願い致たしますでぇ」

 平太は、はにかみながら言った。これでいいよねって確認するようにおよしを見た。利市は二人を見比べながら頷いた。

 「でも、およしさんの器量ならば、大店の旦那のおかみさんになれようものを」

 「私は大店の旦那より、平太さんのおかみさんになるほうが幸せですよ」

 二人は揃って頭を下げると自身番を出て行った。

 「ありぁ、平太が尻に敷かれるのが目に見えてらぁ」

 平蔵は笑いながら見送った。

 「いや、顔じゃねぇ。てめえには男と女のことが分かってねぇんだよ」

 権太は平蔵を睨んだ。

 岩助と利市が地蔵長屋に戻ると、店子たちが出迎えた。

 「何でぇ、みんなして揃ってよぉ」

 岩助が驚いた。

 「いや、おいらがおまきさんに余計なことを言っちまってよぉ。だからさっき平太の事を聞いてきたのよ。利市悪かったな」 

 鳶の彦治が利市に頭を下げた。

 「そんなこったねぇ。ちゃんとおまきに話しておけりゃ良かったのよ」

 お花は、この時が私の出番とばかりに声高に叫んだ。

 「そうだよ、そうすればおまきさんも要らぬ心配をせずに済んだんだ。さて、これから長屋で利市さんがおとっちゃんになる祝いや」

 「おいらが、おとっちゃんになるって?」

 利市は驚いて、おまきを見た。おまきは恥ずかしそうに俯いた。

 「さあさあ、太っ腹の大家の大三郎太さんから祝い酒やお惣菜が届いているんだよ」

 大三郎太は、お地蔵さんに小さな声でわし一人の驕りかいと呟いた。

お地蔵さんは、有難うと微笑むような柔和な顔を見せた。 





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