第13話
慌てて立ち上がり、部屋を出て玄関へ向かう。
にっぴゃくさんが来たのだろう。約束の時間ちょうどに鳴るインターホン。自宅を訪れる、不気味な存在であるにっぴゃくさん。この後何が起こるのかという疑念。本来ならばこれらの不安材料によって、とても冷静ではいられないような状況だが、母との思い出にどっぷり浸かったことでゾーンに入っていたのか、自分でも驚くほど泰然としていられた。
ドアを開ける前に、一度ドアスコープを覗く。用心深くあれ、そう教育されてきたことによる、来客時の癖だ。
するとそこには、予想だにしない人が立っていた。落ち着いていた心が、一瞬でざわつく。俺は一度ドアスコープから離れ、頭を整理しようとした。なぜ。なぜ叔母さんが、今日、この時間に?
おもむろにガチャリとドアを開け、そっと顔を出す。
「こんにちは。いきなり来ちゃってごめんね」
いつもと変わらない柔らかな笑顔を纏っている。
「な、なんで、叔母さん、が……?」
「とりあえず、中に入れてもらっていいかな」
あまりの訳が分からない状況に言葉が出ず、ただ黙って首肯した。
「変わらないわね、この部屋も」
先ほどまで手紙を書いていた母さんの部屋ではなく、普段俺が過ごしている部屋へ通すと、叔母さんは畳の上に正座してから傍らにバッグを置き、部屋中を見回した。叔母さんが我が家を訪れるのは久しぶりだ。
「一樹君の部屋は、相変わらず机の一つもないのね。この布団、敷きっぱなしでしょ。」俺が座っている万年床を指差した。「駄目よ、たまには干さないと」
「そんなことより、なんで叔母さんがここにっ?」
ようやく、まともな言葉を吐けた。
「そうよね。いきなり来たりしてごめんね。でも、何も変なことなんてないから安心して」
「ど、どういうことですか。変なことだらけじゃないですか。なんでこのタイミングで、叔母さんが来たんですか? てっきり、にっぴゃくさんが来たものだと……」
「にっぴゃくさん?」小首を傾げながらそう言った。
そういえば、日給百万円のバイトを受けたという話を伝えていなかったし、俺があのおばさんのことを「にっぴゃくさん」と呼んでいることも知るはずがないので、戸惑うのは当然だった。
「ああ、ごめんなさい。あの、日給百万円おばさんだから、略して『にっぴゃくさん』って勝手に呼んでたんですよ。――ていうか、散々怪しいだのなんだの言った日給百万円のバイト、実は受けちゃいまして……」
「知ってるよ。だから、来たの」
「へ?」間の抜けた頓狂な声が出てしまった。
「ということで、はい。約束の日給。百万円ね」
バッグから取り出した、布で包まれた厚みのある「何か」を、畳の上にドサリと置いた。
「えっ? はっ? ど、どういうことですかっ?」
「だから、約束の百万円よ。開いてみて」顎をクイっと動かし、包みを開くように促す。
「開けて……いいんですか」
「もちろん」
おそるおそる包みに手を出し、ゆっくりと布をめくってみる。すると、帯のついた札束が顔を覗かせた。慌てて、めくった布をかぶせる。
「なんですかこれっ?」
「だから言ってるじゃない。百万円よ。今日、そういうバイトをしたんでしょ」
「でもそれは、叔母さんとはなんの関係も――」
「そろそろ気付きなよ」
「え……?」
「私は仕掛け人の共犯者。今回のイタズラのね」
「イタズラ……?」
「そ。ここまで言えばそろそろわからない? 仕掛け人の主犯が誰か、って」クスクスと笑っている。
何を言っているのか理解できず、無言で叔母さんを睨めつけた。
いや、本当は、ほんのりと頭を過ぎりはした。イタズラと言えば母さんだ。でも、母さんはもういない。一年以上前に亡くなった母さんが、こんなイタズラを仕掛けることはできない。でも……。でも……。
「その表情からすると、察しはついたみたいね。多分、正解だよ」
母さんのことを思い出しながら宙を見やっていると、待ってましたとばかりに叔母さんが言った。