第12話
翌日、約束通り叔母さんは昼に会いに行ってくれたようだ。夕方、俺が母さんの見舞いに行った時にはもういなかったけれど、母さんが「美樹が昼に来てくれた」と言っていたことで知った。おそらく、仕事を減らすよう進言してくれたのだろう。
俺は、あえて母さんの仕事の話には触れず、普段通り特に中身のない話に終始した。入院翌日から二人がかりでガミガミ言うのもよくないと思ったためだ。
やたらと咳をしていたこと、そして、レントゲン検査の結果肺炎になりかけていると医者から言われたことが気になったが、概ね元気そうだった。
帰り際、医者から呼び止められ、こう言われた。
「先ほどもお伝えしましたが、肺炎の症状が見られます。今は元気そうですが、あまり自覚症状がないまま進行する肺炎もあるので、興奮させたりせず、とにかくゆっくりさせてあげてください」
仕事を減らせという話は、しばらくやめた方がいいかもな、と思った。
事態が急変したのはその翌日、つまり、運び込まれてから二日後のこと。仕事中に俺の勤める工務店へ電話があり、母さんが危篤状態に陥ったという連絡を受けた。午後二時過ぎだった。
早退し、病院へ急行したが、一足遅れで母さんは息を引き取っていた。肺炎が急激に進行し、敗血症を起こしてしまったらしい。
俺は、人間これほどまでに泣けるのか、というほどに慟哭した。まだ温もりを保っている母さんにしがみつきながら、嗚咽を病室中にこだまさせた。
離婚した父さんとは音信不通。母さんの両親、つまり俺にとっての祖父母はすでに他界。唯一の家族を失い、天涯孤独に近い状態となったことで、言い知れぬ寂寥感に襲われた。絶望という言葉は何度も耳にしたことがあるが、体現したのは初めてだった。
***
あれから一年強、いまだに俺は、毎日のように母さんのことを思い出す。一緒に暮らしていた家に今でも住んでいるから、というのもあるのだろうが。
でも、思い出すことは苦じゃない。それどころか、生きがいですらある。日々、この家で母さんを思い出せることが、俺の心の支えになっていた。
ふと顔を上げ、振り返って壁掛け時計を見る。四時五十分を少し回っていた。どうやら、四時間近く集中してノートに向き合っていたようだ。いつの間にか、三十ページある大学ノートを、最後まで使い切っていた。腕が攣りそうだ。
そうだった。忘れていたが、今は日給百万円という世にも怪しいバイト中だったのだ。こんなことをして、なぜ百万円も貰えるのだろう。というか、本当に貰えるのか。今この瞬間も、何らかの罠が実行されているのだろうか。
改めて部屋中を見回す。どこかに、俺レベルでは発見できないような超小型かつ超高性能なカメラが設置されているのではないかという疑念は、まだ消えていない。
ピンポーン
眉根を寄せながら視線を部屋中に這わせていると、不意にインターホンがなった。横っ腹を突かれたようにビクっとした後、壁掛け時計を見やる。五時ぴったりだった。