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次回予告1 後編  作者: 山崎 あきら
1/1

後編






   次回予告

 マグロのトロもウニもヒラメも食べなくていい。

 次回「化学合成人間の可能性」てやんでぇ、べらぼうめぃ。

 





     化学合成人間の可能性


 合成人間シリーズその2である。

 少し前に南極上空のオゾンホールの拡大が騒がれたことがあった。幸いなことに、モントリオール議定書によってオゾン層破壊物質の削減・廃止への道筋が定められ、NASAが発表した2015年の調査結果によるとオゾンホールは確実に縮小していて、21世紀末にはこの問題は解決する見通しであるのらしい。しかし、ここで「よかったねー」などと言っているようではお話にならない。SF者ならば、心を天邪鬼にしてオゾン層が完全に消滅したら、と考えるべきだろう。

 地球の大気圏からオゾン層が消えると、生物に対して有害な太陽からの紫外線をブロックするものがなくなってしまう。そうなると、日焼け止めや日傘のメーカーが儲かる……だけでは済まない。人間が長時間紫外線を浴びていると、皮膚・眼・免疫系に急性または慢性の疾患を引き起こす可能性があるのだ。紫外線は皮膚のタンパク質を変性させて老化を促進し、DNAを傷つけて皮膚がん発生のリスクを上昇させる。また、晴れた日にサングラスなしでスキーなどしようものなら雪目になったりすることがあるが、あれも紫外線による眼の炎症だ。

 単細胞生物は一般的に多細胞生物よりもタフなのだが、紫外線は効果的な殺ウイルス・殺菌効果を持っている。そのため、海外では排水処理のみではなく、上水道の殺菌処理に使用されることもあるらしい。ただし、塩素ほど効果時間が長くはないので長期間保存すると生き残っていた細菌が増殖することもあるそうだ。

 紫外線が強いのなら、サングラスのレンズにも使われているポリカーボネートなどの紫外線カット素材で造った屋根で都市も田畑も覆ってしまうという手があるだろう。見た目は昔のSFによく出てきたドーム都市に近いな。

 別の方法もある。紫外線が届かない海の底に生活の場を移してしまえばいいのだ。盲目の大婆様なら「紫外線の毒も海底には届かん」とおっしゃることだろう。

 しかし、海底都市などというアイデアはすでに使い尽くされてしまっている。そこで作者はもう一歩踏み外すことを提案してみたい。化学合成細菌を体内に共生させることによって、何も食べずに生きていけるという究極の生態に移行するのだ。

 地球の表面で生きている生物はそのほとんどが太陽光を生命活動のエネルギー源としている。植物は光合成によって二酸化炭素と水から有機物を合成し、動物もバクテリアの類もそれを食べて生きている。『生命の星エウロパ』の著者である長沼毅先生はこれを「太陽を食べている」と表現しておられる。それに対して「あたしらはお天道様に顔向けできませんから」と太陽光に頼らずに生きているものたちもいる。「地球を食べている」とも言われるイオウ酸化細菌などの化学合成生物である。彼らは海底から噴出する熱水中の硫化水素を酸化するなどして、その時に発生するエネルギーで有機物を合成している。まだ詳しいことはわかっていないようだが、海底の熱水噴出孔付近に群棲しているチューブワームはこのイオウ酸化細菌などを細胞内に共生させることで生きているのだそうだ。彼らはミミズやゴカイの仲間らしいのだが、口も消化管も肛門もない。必要な器官は海水中から硫化水素や酸素を取り込むためのえらと細菌を共生させるソーセージ形の胴、そして名前の由来になったチューブ状の棲管に体を固定するための筋肉リングだけなのだ。彼らは硫化水素を含む熱水が枯渇しない限りはこれだけで生きていける。ヒトもこういう生態に移行すれば何も食べずに生きていけるわけだ。

 この場合も肉体を改造する必要がある。まず十分な呼吸能力を持ったファーの襟巻きのようなえらがいる。胴は細菌を共生させる細胞だけでいいから肺も消化器官もないシンプルな構造になる。ヒトサイズの獲物を襲うような深海魚がいるかどうかはわからないのだが、モザイクをかけるのも面倒だからえらから下の部分を隠すために棲管も用意しよう。スタイルのいい子ならビキニの棲管なんかもいいかもしれない。ただし、口はいらないし、眼と鼻は海水がしみるし、耳に水が入ると不快だからそれらの器官は退化するしかないだろう。つまりのっぺらぼうだ。

 チューブワームの生息域の海水温は数度から30度くらいらしいのだが、ヒトの場合はもう少し温かい方が良かろうということでお風呂くらいの温度にしよう。そうすると、特に熱めの場所を好む化学合成人間も現れるだろう。こういう頑固おやじタイプは奥さんや娘さんが体に毒だと言っても聞きやしない。

「てやんでぇ、べらぼうめぃ。ぬりぃ風呂なんかに入ってられっかよぉ!」

 こんなことを書くと「のっぺらぼうなのにどうやって声を出しているんだ」というクレームをもらいそうなのだが、この場合は海水を振動させればいいので口はいらないのである。イルカの発声器官を参考にすれば、声帯で音を造り、口腔(舌は残っているかもしれないが、歯はないだろう)で変調・増幅してから周囲の海水にその振動を伝えればいいのではないかと思う。

 熱水噴出孔の反対側は女湯にしよう。ここでお待ちかねのビキニ棲管が登場する。それはもう、三角でもホタテ貝でも生地の薄い競泳用ワンピースでもお好みで。

 あ、そうだ。彼女らは赤ちゃんが生まれても授乳することはないので、顔はもちろん胸ものっぺらぼうである。生まれた時から化学合成細菌が栄養を供給してくれるので授乳する必要もないのだ。お母さんはただ、我が子の棲管を適当な場所に固定してやるだけでいい。まあ、子守歌を歌ったり、おとぎ話を語って聞かせるくらいのことはできるかもしれない。

 子どもたちの中には反抗期に「親の決めた場所になんか居たかねえよ!」と棲管から抜け出して家出してしまうのっぺらぼうもいるかもしれない。そうすると残された家族は彼のことを時々思い出すわけだ。

「お兄ちゃん、ちゃんと硫化水素摂ってるかなあ……」

「だいじょうぶでしょ。あたしだって北赤道気流から黒潮を乗り継いでここにたどり着いたんだから」

「えーっ。そうだったの?」

「あら、話してなかったかしら。お母さん、マリアナ諸島の近くの生まれでね。ここに着いたころはだいぶ痩せてたの。今はこんなになっちゃったけどね。それでいきなりお父さんに捕まえられちゃったの。『おめえは痩せすぎだ。もう少し太るまでここに居ろ』って」

「うわぁ……」

         完



   次回予告

 もしも植物が心を持っていたら。

 次回「箱船15号」イネ科植物こそが文明の母だ。




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     箱船15号


 人間には向き不向きというものがあるようだ。作者にとって長編小説というものは不向きなものなんだろうと思う。例えばこの『箱船15号』というアイデアはおそらく小説という形にすることはないはずだ。未曾有の災厄が起こった時に政治家や宗教家が何を考え、どう行動するかなど人間嫌いの作者には想像できないから。

 このアイデアが生まれた背景から説明していこう。

 夢枕獏先生の『闇狩り師』シリーズに主人公が屋久杉の心を感じ取るシーンが出てくる。また、1966年にアメリカのクリーブ・バクスターがドラセナという木に嘘発見器を取り付けて「ライターで葉を焼いてみよう」と思った瞬間に嘘発見器が反応したということもあったらしい。その後、彼と彼の協力者たちが植物の種類も機械もいろいろ換え、場所も変えて実験しても類似した結果が得られたのだそうだ。

 ここで「心は脳の働きだ」「植物には脳がない」「したがって植物には心がない」と言ってしまうのは簡単だが「ない」ということを証明するのは事実上不可能だ。この場合も動物の中枢神経系のようなものではない思考回路が存在していて、我々はまだそれを発見していないだけなのかもしれない(最近では植物同士が情報交換をしていることがわかってきているらしい)。そこで、もしも植物が心を持っていたらという設定でお話を作ってみようと思ってしまったのだった。

 時代設定はコールドスリープを利用した大型の多世代宇宙船が建造されて、他星系への移民が行われるようになった頃とする。船団3隻1組で出発し、目的の星系への予想到着率は約40パーセント、つまり少なくとも1隻はたどり着けるだろうというやり方である。箱船13号は欠番として14号・15号・16号のグループが太陽系を出発して、15号と16号が目的の星系に到着する。14号は何か致命的なトラブルが発生して、生き残った乗組員は全員15号と16号に分乗したということにしておこう。

 目的の星系の海を持つ地球型惑星に到着した2隻は、大気中に酸素がほとんど存在しないことと海水や土壌中に危険な、あるいは将来危険な存在になりそうな生物がいないことを確認した後、実験室レベルでのテラフォーミングを開始する。そのために育ててきた藻類を採取してきた海水中に放つのだ。この藻類は低い酸素濃度では爆発的に増殖するものの、酸素が増えるにつれて繁殖速度が低下して大気中の酸素濃度が21パーセントで増殖が止まるように遺伝子操作をしておこう。なお、この実験水槽は惑星上で問題が発生した時のために半永久的に維持されるものとする。

 実験室レベルで問題が生じなければ、いよいよ惑星そのもののテラフォーミングだ。

 酸素濃度が上昇してオゾン層ができるまで何十年かは大規模な入植はできないから「いまさら地上には降りたくない」という乗組員も出てくるだろう。未知の生物による汚染を防ぐために、地上で生活した者が移民船に戻ることは許されないというルールも必要になるかもしれない。

 そうしてやっと地上での生活が軌道に乗った頃、事件が発生し始める。

 まず、ペットとして飼育されていた1匹のモルモットが死ぬ。世話をしていた子はわんわん泣くだろうが、それで終わりだ。

 次に死ぬのはウサギかな。農場で放し飼いにされていたウサギが全滅する。この段階で防疫チームが調査することになるだろうが、原因はわからない。そしてヒツジが死に、ウシやブタまで死に始める頃には人間にも犠牲者が出る。

 ここでやっと原因が判明する。なんとトウモロコシとイネ科の牧草が青酸配糖体を産生していたのだ。これは動物にとっては猛毒である。地上で栽培されていたトウモロコシと牧草はすべて焼却され、移民船から新たに持ち出された種が蒔かれる。しかし、そのトウモロコシや牧草も徐々に有毒化していく。それどころか、同じイネ科に属する米や麦も青酸配糖体を産生し始める。ご飯もパンも食べられない。ウシやブタも多数を飼育するのは難しくなるのだ。

 ここで人類にとってイネ科植物がどれだけ重要な存在なのかを考えてみよう。

 長江文明を支えたのは米だ。インダス文明やメソポタミア文明やナイル文明は大麦や小麦。アンデス文明だけはジャガイモが主食でトウモロコシは酒造りに使われていたらしい。アンデス文明で文字が発明されなかったのはその辺りに原因があるのかもしれない。彼らがトウモロコシを食べて四大文明に匹敵する文明を築いてしまうというお話も作れそうだな。その場合の問題は何で酒を造るかになるだろうが。

 赤道地帯にはタロイモを食べる文化圏があるが、文明と呼ばれるレベルまで発展した所はない。日本の縄文人の一部もドングリやトチの実を主食にしていたが、彼らが築いたものも「縄文文化」であり、通常「縄文文明」と呼ばれることはない。つまり、地球にイネ科植物が存在しなければ文明もまた存在できなかったのだ。

 なぜイネ科植物は文明の母となることができたのかというと、第一に彼女らの可食部分は水分が少ないし、小粒なので貯蔵しやすい。ジャガイモやタロイモはこの点で劣る。第二に毒性がない。アルカロイドなどの有毒成分を含む植物は多い。当たり前だ。植物だって動物たちに食べられてばかりではたまらないだろう。イネ科植物のように「いいのよ。あなたになら食べられても」と言ってくれる植物は多くないのだ。〔おいおい〕

 東北地方の日本海側ではそういう偉大なイネ科植物を称える祭が今でも行われている。

「うおーうおー。泣ぐごはイネ科ぁ。怠げ嫁がイネ科ぁ。うおーうおー」〔それはなまはげ!〕

 このように人間にとって重要なイネ科植物が食べられなくなったらどうしたらいいのだろう? まず逃げるという選択肢がある。地上に降りなかった人々は別の星系に向かってもう一度成功率40パーセントの旅に出ればいい。そうなると、地上に降りてしまった人たちはジャガイモやサツマイモを食べながら細々と生きていくしかないかもしれない。文明は徐々に衰退していくことになるだろう。

 さてさて、謎解きだ。イネ科植物たちはなぜ反乱を起こしたのだろうか?

 ここでイネ科植物は動物のそれとは異質の知性を持っていたという設定が必要になる。自分たちが生きている地球の環境がひどく不安定であることに気付いたイネ科植物たちは、動物たちの中から特に遠くへ行きたがる種を選んで機械を使う文明を築くように誘導し、移動する能力をほとんど持たない自分たちを新天地へ運ばせたのだ。

 もしかすると、恐竜たちが滅びたのもイネ科植物たちに「見込みなし」と判断されてしまったせいなのかもしれない。



   次回予告

 金属よりも強い木材が造られた。

 次回「純白の凶器」犯人はあなただったんですね。




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     純白の凶器


 ある雑誌の2018年5月号によると、木材を圧縮して金属よりも硬くて強い素材に加工する技術が開発されたのだそうだ。

 アメリカ、メリーランド大学のソン博士らは木材に特殊な化学処理(水分や油分を抜いたのではないかと思う)を施した後、約100度Cの高温下で圧縮することで厚さを5分の1、密度を3倍にすることに成功したのらしい。加工後の木材は引っ張り強度が11倍、硬さは9倍になり、ほとんどの金属や合金よりも高い強度と耐湿性を持っていることがわかったという。これは押しつぶされた木材の繊維が互いに絡み合ったことによるのだそうだ。

 金属よりも優れた素材があるなら宇宙船を造るべきだろう。木のぬくもりを持った宇宙船だ。外板はあえて木目を活かすためにニスを塗るくらいにしておこう。ただし、エンジンノズルまで木にしてしまうと燃えてしまうかもしれない。あまり大きな推力を求めずに窒素ガスなどを噴射するかな。趣味の宇宙船だろうし。

※2021年1月現在、木製の人工衛星の開発が始まっているそうだ。有人宇宙船はまだだろうと思うが。


 木で宇宙船が造れるのなら土で造るのもいいんじゃないだろうか。小惑星の内部をくりぬいて居住区画にした宇宙船というアイデアはすでに使われているから、もう一歩踏み外してみよう。陶磁器でできたセラミック宇宙船だ。人間国宝の陶芸家の爺さまかなんかがスランプに陥っている時に誰かにそそのかされて造ってしまう、という設定が使えるんじゃないかと思う。

 そのストーリーは地球の片田舎に設けられたとある窯場から始まる。

 工房で2つ並んだろくろをまわしている若い男女がいる。男は先生の二番弟子。女性は先生のお妾さんの娘ということにしよう。この2人は時々手を止めてお互いに見つめ合ったりしている。まあ、そういう間柄である。なお、この女性はストーリー展開に必要な存在ではない。登場人物が男ばかりでは面白くないという作者の側の都合である〔おいおい〕

 母屋に続く廊下からどたどたという足音が聞こえてくる。それに気が付いた2人は顔を見合わせて笑みを浮かべる。

(先生、元気になったみたいだね)

(そうね。よかったわ)

 視線だけで会話する2人である。念のために言っておくと、足音に気が付くのはろくろに集中できていない証拠だ。いいことではない。

 手を止めて振り向いた2人の前に現れた作務衣姿の先生が宣言する。

「宇宙船を造るぞ!」

「はあ?」

 仲良くハモる2人であった。

 先生がなぜ陶磁器で宇宙船を造る気になったかというと、次に何を作るべきかに悩んでいた先生を一番弟子がそそのかしたのである。「宇宙船などいかがですか。釉薬をかければ空気はもれませんよ」と。

 この一番弟子はいわゆる天才型で、普段の作業が雑なために先生にしょっちゅう怒られているのだが、時としてはっとするような作品を作ってみせたり、とんでもないアイデアを出してきたりする。その点、安心して仕事を任せられるが、自由に作らせた作品は面白くない二番弟子とは真逆の存在なのである。

 2人乗りの宇宙船の形は全長10メートルほどのとっくり形が良かろう。ろくろで成形できるし、注ぎ口の部分はそのままエンジンのノズルとして使える。こういうアイデアを出してくるところが一番弟子の凄さなのである。

 船殻はできるだけクリーンな造形にしたいので、エアロックや太陽電池パドル、姿勢制御スラスターなどをまとめたモジュールを接続できるようにとっくりの底の部分に穴を開けておくことにしよう。また、この大きさだと粘土が自重で変形してしまうおそれがあるから、巨大なろくろは宇宙空間に浮かべた直径20メートルほどの宇宙服素材のボールの中に設置する。

 直径2メートルほどの深皿でテストした後、必要なだけの粘土を入手して、いよいよ船殻の成形にかかる。先生が外側から、二番弟子が内側から、息を合わせて両手で持ったオールのようなヘラで船殻の形を造っていく。その間、一番弟子と娘ははしけでサポートである。〔手を出すなよ〕

 素焼きは船殻をいったんボールから出して、多数の姿勢制御スラスター付きの平面鏡で造ったパラボラ反射鏡で太陽光を集めて加熱しよう。船殻が冷めたらまたボールに入れて全員で協力して釉薬を塗布し、それが乾いたら本焼きだ。

 そうして焼き上がった純白の船殻は宇宙服を着た先生によって子細に検分されることになるのだが、事件はここで発生する。

「だめじゃあ!」

 3人が待機していた艀の中に先生の悲鳴にも似た叫び声が響き渡り、漆黒の宇宙に浮かぶ純白の船殻に何本もの亀裂が走る。続いてけたたましい減圧警報。点滅する減圧箇所の表示は先生の宇宙服だ。

 先生はゆっくりと回転しながら砕け散る船殻から離れていく。いくら呼びかけても応答はない。

 どうにか回収された先生の宇宙服には鋭い白磁の破片が突き刺さっていたのだった。


 先生の葬儀が済んだ後、窯を継ぐことになった一番弟子の所に二番弟子が現れる。

「先生を殺したのはあなただったんですね」

「……証拠はあるまい」

「あるんです。先生の宇宙服に刺さっていた白磁の破片はテストで造った深皿のものです。先生が叩き壊した皿の破片をつなぎ合わせてみたら破片が1個足りませんでした。そして、その形は先生の胸に刺さっていた破片と一致します。あなたは釉薬を塗る時にわざとムラを作っておいて、その部分の内側に破片を高速で発射する仕掛けを取り付けておいたんでしょう」

         完

 

 とはいうものの、金属のように割れにくいセラミックもあるんだよね。白磁にこだわらなければさあ。



   次回予告

 必要な遺伝子の多くが欠落している。

 次回「パークバクテリア」なぜ生きていられるんだ?




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     パークバクテリア


 もしも、細胞膜もタンパク質もRNAも分解されてしまうような環境で生きていけと言われたらどうしたらいいんだろうか。そういう普通の生物が生きられないような強いアルカリ性の水の中で増殖までしているのが今回取り上げるパークバクテリアである。

『日経サイエンス』2018年03月号によると、アメリカ、カリフォルニア州、サンフランシスコ北方にあるザ・シダーズという場所の泉ではパークバクテリアが優勢となっている生態系が存在しているのだそうだ。このパークバクテリアというのは通常の微生物よりも小さい超微小サイズの微生物グループであるCPR細菌の仲間らしい。CPR細菌は通常細菌の最小サイズである0.2~0.3マイクロメートルよりも微小で「ゲノムサイズもかなり小さく、生物にとって必須とされる遺伝子の多くが欠落している」という特徴を持っているのだそうだ。ということは、通常の地球型生物が使っているものとは違う塩基配列の遺伝子を使用している可能性があるということになる。

 CPR細菌は地表近くでは少数派だが、一般的な細菌が生きられない地下深くでは多数派であるのらしい。念のために言っておくと、こういう微小細菌が地下深くに存在し、そのような極限環境では他の微生物を圧倒していることを10年も前に発見したのは「科学界のインディー・ジョーンズ」とも言われる長沼毅先生である。しかし、培養することができず、当時はまだDNAシーケンサーの性能も低かったためにゲノム解析もできないという、まったくのお手上げ状態だったのだそうだ。

 ザ・シダーズで検出されたパークバクテリアのゲノムを解析したところ、彼らのゲノムサイズは特に小さく「呼吸に必要なATP合成酵素の遺伝子や電子伝達系の遺伝子、発酵関連の重要な遺伝子の多くが含まれておらず、DNAやアミノ酸の合成に必要な遺伝子もなかった。DNAの複製と転写・翻訳の遺伝子と細胞膜の合成に関わる遺伝子は存在していたが、リン脂質を造る遺伝子はなかった」ということらしい。これでは通常の生物のようなDNAやアミノ酸や細胞膜を造れないということになる。ヒトに例えれば、内臓も皮膚も造れないというようなものだろう。これで生きられるわけがないのだが、パークバクテリアは有機物がほとんど存在しない環境下でちゃんと増殖までしているのだそうだ。

 ザ・シダーズの地下水には蛇紋岩化反応によって生じた水素やメタンが豊富に含まれる一方、有機物や酸素はほとんどない上にpH12という強アルカリ性で普通の微生物は生存できない。パークバクテリアは花崗岩の地底に適応した初期生命の一部が進化することなく地底世界に居座ってきた可能性も考えられるらしい。なかなか面白い話なのだが、作者はひねくれた性格をしているので「進化しないで」と言われると「いやいや、進化の結果という可能性もあるんじゃないですか」と反論したくなってしまうのだ。

 蛇紋岩は超塩基性岩に分類されるかんらん岩と水が反応して生じる(2Mg₂SiO₄+3H₂O➝Mg₃Si₂O₅(OH)₄+Mg(OH)₂)。なんともまあ、水酸基(-OH)だらけである。なるほど地下水が強アルカリ性になってしまうわけだ。こういう環境下ではタンパク質を構成しているアミノ酸同士の結合が切断されてバラバラになってしまう。だからこそ、強いアルカリ性の環境では普通の地球型生物は生きられないのだ。

 では、そこで生きていくためにはどうしたらいいんだろうか? 答は簡単。アルカリ性に対して強い耐性を持つタンパク質を使えばいい。アミノ酸ではどうしてもアルカリ性に耐えられないというのならアミノアルカリ……いやいや、それではもう「タンパク質」と呼べるものではなくなってしまう。普通の生物が使わないようなアルカリ耐性の高いアミノ酸を使うとか、タンパク質の立体構造を変えて耐性を上げるくらいが妥当なところだろうかなあ。

 そして、RNAは使い終わったら分解して再構成するのだから、あまり耐アルカリ性を上げるわけにはいかないような気がする。DNAはRNAよりも化学的に安定なはずだが、普通の地球型生物と同等の安定性を求めるのなら何らかの対策が必要になるだろう。ああっと、細胞内だけpHを下げればいいかな?

 細胞膜にはそういう手は使えない。細胞膜の主要な構成要素であり、生体内でのシグナル伝達にも関わっているのはリン脂質だ。この分子は脂肪酸とアルコールをリン脂質が繋いでいるという構造になっている。この脂肪酸が水酸化マグネシウムなどと接触すると加水分解されてしまいそうだし、リン脂質もおそらくアルカリ性に弱いだろう。細胞膜が破壊されたら細胞の中身をぶちまけることになってしまう。だからこそ一般的な細菌は強いアルカリ性の環境では生きられないのだ。ではどうしたらいいかというと、これはもう、リン脂質と同じような性質を持ちながら強いアルカリ性に耐えられる物質で細胞膜を造るしかあるまい。うーん……炭素八個のアルコールである1-オクタノール(C₈H₁₁OH)とかなら耐えられるかなあ……。あるいは壊れた分を補給し続けるか、だな。間に合うような気がしないんだが。

 パークバクテリアは有機物の原料がほとんどメタンしかない強アルカリ性の環境で生きていくために必要な遺伝子を新たに獲得し、その上で穏やかな環境で生きていた頃に使っていた遺伝子を捨て去ってしまったのではないかと思う。だからこそ、ゲノム解析では普通の生物が使っている遺伝子が見つからなかったのだろう。

 さらに細胞を小型化して、タンパク質も細胞膜も節約すれば有機物が少ない環境でも増殖しやすくなる。これは大陸から隔絶された島という環境で生きているゾウなどのように、もとは大型であった動物が小型化する「島嶼矮小化」に近い現象として説明できるのではないかと思う。ゾウなら細胞の総数を減らして小型化するところを、単細胞のパークバクテリアは遺伝子まで節約してしまったということだ。それでも他の地域の中性に近い環境でも普通の細菌に混じってちゃんと生きているのだから細菌のような小型生物はしぶといのだなあ(劣勢ではあるらしいが)。動物のように、環境が厳しいのならよりよい環境を求めて移動してしまうということができないせいもあるんだろうけど。

 いつかはパークバクテリアの培養に成功する時が来るのだろうが、彼らの細胞膜やタンパク質などを分析した研究者は地球の一般的な生物とのあまりの違いに驚くことになるだろう。「こいつら、実は地球外生命体なんじゃないか」という話になるかもしれない。ところがどっこい、彼らは普通の生物はいきられないような環境でも増殖できるように進化してきただけで、あくまでも地球型生物なのだよ。ゲノム解析ができるようなDNAを使っている以上は、ね。



   次回予告

 ペルム紀の上陸競争。

 次回「汗の起源」ウロコにはかなわない。




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     汗の起源


 今回は汗について考えてみたい。

 作者は夏場にサイクリングした時に腕や脚の表面で塩が結晶化してザラザラしてくるということを何回も経験してきた(今ではそこまで走るほどの体力はなくなってしまった)。いわゆる「発汗によって水分と塩分が失われている」という状態である。そこで水分と塩分を補給ということになるわけだが、これがめんどくさい。ボトルにスポーツドリンクを入れていると口の中がベタベタになってしまうのだ。だからといって水だけを補給していると血液中のナトリウム濃度が低下していく。するとどうなるかというと、まず軽度の虚脱感や疲労感が表れる。さらに低下していくと精神錯乱・頭痛・悪心・食欲不振を経て痙攣・昏睡に至るのだそうだ。作者は昏睡までは経験していないが、痙攣や食欲不振はしょっちゅうだ。精神は常に錯乱しているからたいした問題ではないが、ね。〔自虐ギャグだな〕

 全身で汗をかく動物は多くない。マウスやネコは手のひらと足の裏だけ。イヌはまったく汗をかかない。爬虫類は日光浴することで体温を上げ、上がりすぎたら日陰に入るなどして体温を調節するので汗をかく必要はないだろう。またカエルなどは皮膚の乾燥を防ぐ物質を分泌するらしいのだが、もしかすると、これが哺乳類の汗に変化したのかもしれない。

 ネコの汗は多分滑り止めのためのものだろう。彼らは待ち伏せ型の狩りを基本としているのだから汗をかいて体温を下げる必要はないはずだ。イヌやオオカミは獲物が体温上昇で動けなくなるまで追い立てるという狩りを得意とするのだが、彼らは口から舌を出して速い呼吸をすることで舌の表面から水分を蒸発させて体温を下げている。もふもふの体毛の下で汗をかいても蒸発しにくいから体温は下がらないだろうし、細菌も繁殖して不潔になる。汗をかくためには水分が蒸発しやすい皮膚が必要なのだな。

 昼間は水の中にいて、夜間に上陸して草を食べるカバは皮膚を保護する効果を持つ「血の汗」と呼ばれる粘液を分泌する腺を持つ。ヒトの皮膚は長時間水に浸かっているとふやけてくるが、カバにとっては水から出ていることによって皮膚が乾燥することの方が問題なのだろう。また、血の汗には細菌の増殖を防ぐ効果もあるそうだ。

 ヒトは半水棲生活によって直立二足歩行や薄い体毛などの形質を獲得したのだという仮説があるらしいのだが、本当にカバ型の生活によって直立二足歩行に進化したのだとしたら、ヒトはカバのような血の汗を分泌するようになっていたかもしれない。この場合、サッカーやバスケットボールのような敵味方が入り乱れるスポーツだと、全員のユニフォームが赤く染まってしまって敵と味方の見分けがつかなくなってしまうだろう。ああっと、水虫に悩むことはなくなるかもしれない。

 ウマの皮膚にはアポクリン腺という汗腺が多く分布している。アポクリン腺は運動した時や興奮した時などに副腎から分泌されるアドレナリンによって発汗が促される。それに対してヒトの汗腺はほとんどエクリン腺で、気温上昇によって皮膚が刺激されることによって発汗する。つまりウマの汗は運動することで上昇した体温を下げるように働くのに対して、ヒトのそれは暑い時の体温上昇を抑えるのが主な役目ということだ。そのためウマは汗をかく割には夏の暑さに弱いらしい。また、ウマの汗には皮膚全体に広がるように石けんとよく似た成分が含まれているのだそうだ。もしもヒトがアフリカではなく、もっと涼しいユーラシア大陸の草原地帯で進化していたらシャンプーやボディソープが売れなくなっていた可能性があるわけだな。思い切り運動して汗をかいたらシャワーを浴びればそれだけで全身がきれいになるし、汗で濡れたユニフォームも水洗いするだけでいい。スポーツマンにとっては理想的な進化になっただろう。石けんや洗剤を製造する会社は儲からんだろうが。

 さて、ヒトの汗だが、これはカバの汗ともウマの汗とも違っている。

 大型類人猿(チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オランウータン)の中で一番ヒトに近縁なのがチンパンジーだと言われている。チンパンジーもエクリン腺を持っているのだが、ヒトよりはだいぶ少ないらしい。おそらくヒトは体毛が薄くなることと汗腺が増えることによって長距離ランナー型へと進化したのだろう。ということは、違うやり方で体温を調節するヒトが生まれていた可能性もあったわけだ。例えば、汗をかく代わりに面積の大きな耳で放熱するヒトというのはどうだろう? 女の子たちがみんな生まれつきのバニーちゃんだ。夕日をバックにサバンナを駆けていくウサ耳小女隊というのはなかなか魅力的な絵ではあるまいか。汗臭いということもないし。〔男もウサ耳だぞ〕

 ……ええと、彼らもいずれは農耕を始めることになるだろうが、汗をかくためのナトリウムの必要量が少ないのなら草食寄りの雑食になって大規模な戦争や大量破壊兵器が存在しない世界を築いていくのではないかと思う。まあ、こんな平和な世界を舞台にして売り物になるSFを書くのには相当な実力が必要になるだろうが。

 さて、そろそろ真面目な話をしよう。〔ここまではふざけてたのかい!〕

 現代の哺乳類はいろいろな汗をかいている。ということは、もともとの汗をそれぞれの種でアレンジして使っている可能性があるわけだ(もちろん、収斂進化という可能性もあるが)。では最初の汗はどんなものだったのだろうか? 

 古生代ペルム紀後期に繁栄したディノケファルス類という巨大な牙や角を持つ単弓類のグループが生きていた。単弓類は哺乳類の祖先にあたるのだが、ディノケファルス類の一種のエステメノスクスの化石には皮膚が残っていて、その表面にはウロコがなく、無数の腺があったのらしい。これが汗腺で、この時代ですでに発汗による体温調節が行われていたとする説があるのだが、作者は違うと思う。

 ペルム紀は脊椎動物たちが陸上に進出していった時代なのだが、両生類は皮膚が乾いてしまうような乾燥した環境へ進出するのは難しかったのではないかと作者は考える。そして爬虫類に繋がる双弓類はウロコという乾いてもいい皮膚を獲得して水辺から離れた環境へ進出していったのだろう。では単弓類は? 

 作者はこの時代の単弓類の汗はカバのように乾燥に弱い皮膚を保護するためのものだったのではないかと考えている。だいたい、この時代から汗で体温調節をしていたのでは体毛を獲得できないだろう。

 しかし、汗という使い捨ての紫外線対策では双弓類のウロコにはかなわなかったはずだ。だからこそ、次の中生代は双弓類の時代になってしまったのだろう。その後、単弓類は体が小型化して体温維持が難しくなっていく段階で、汗腺を減らしつつ体毛を獲得して哺乳類に進化していったのだろうと作者は思う。

 もしもペルム紀の単弓類がウロコを獲得していれば、中生代は単弓類が支配していたかもしれない。ただし、その場合の地球人類の外見はトカゲ男やヘビ少女のようなものになっていただろうね。くわばらくわばら。



   次回予告

 生きねば。

 次回「海がきえる」第二のイヴが最後の希望だ。




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     海がきえる


 念のために言っておくと、このサブタイトルは「海がきこえる」の間違いではない。漢字にすれば「海が消える」である。某古書店のアニメDVD売り場で思いついたということは否定しないがね。

 作者の好きなSFの1つに石原藤雄先生の『ハイウェイ惑星』がある。これは大昔から巨大なハイウェイが存在する惑星の動物たちはどういう方向へ進化するだろうかというようなお話だ。今回はそれを真似て、環境の違いが動物の進化にどのような影響を及ぼすかについて考えてみようと思う。

 まずは定期的に海が消える惑星。太陽系でいうと、近日点が少し金星側に、遠日点も火星側に移動した楕円軌道で周回する地球のような惑星だ。最初からこういう軌道だと多細胞生物に進化するのも難しいだろうから、地球だと古生代に相当する時代までは離心率が小さかったことにしよう。その後、近くを通過した星系外の天体の重力によって軌道がゆがんでしまったのである。悪い仲間に誘われてグレてしまったのだな。さらに、もともと陸地が多く、地中海くらいの浅い海がいくつか点在しているような惑星にすれば、地球軌道よりも内側に入って恒星に近づいていくと海が干上がってしまうというわけだ。こういう海で生きている動物たちは大変である。何しろ1年に1度生活の場を奪われるのだから。

 地中にもぐったり、休眠したりして夏をやり過ごすというのでは地味過ぎるので、地表面の温度が多細胞生物が生きられないほど上昇するということにしよう。単細胞生物なら地中深くの岩の割れ目などで生き残れるだろうし、植物なら種子のような休眠形態で耐え抜くこともできるだろうが、動物たちは空へ逃げるしかない。ヤゴがトンボになるように水中生活から空中生活に切り替えるわけだ。

 ただ空中へ逃れただけではまだ暑いだろうからさらなる対策が必要だ。

 積乱雲が発生するようなら上昇気流に乗って上空の快適な温度域を飛び続けるというやり方がある。この場合はコンドルのような大面積の翼で風に乗るか、風船のようにぷかぷか浮いていてもいい。

 あるいは惑星の自転速度と同じスピードで夜の中を飛び続けるという手もある。この場合は面積が少ない高速型の翼がいいだろう。こういう設定なら、紫色に染まる地平線を肩越しに見ながら力尽きそうになっている仲間を気遣うというお話が作れる。

「もうだめだ。俺を置いて先へ行け」

「何を言う。もうすぐ海が戻ってくる。それまで頑張るんだ」

 ありふれた話だな。北極や南極の近くならもっとゆっくり飛べるんだし。

 何ヶ月も飛び続けるとなると、食料も問題になる。飛びながら獲物を捕らえ、飛びながら食うということが要求されるだろう。トンボのように獲物を抱え込む脚と口が近ければいいのだが、鳥のような体型だとちょっと無理がある。1羽が足のかぎ爪でつかんでいる獲物を後ろ下方につけたもう1羽がついばむというような生態に移行するか? そうすると集団で横取りしようとする奴らが現れるはずだ。

「へっへっへー。いいもん食ってんじゃんかー。俺らにも一口分けてくれよー」

「くそっ。ここは僕が食い止める。君は逃げろ」

「いやよ! 私も戦うわ」

 ……またつまらぬ話を作ってしまった。

 スズメバチのような社会性の肉食昆虫だと、卵を抱えた女王だけが生き残ればいいのだから働き蜂も雄蜂も女王に食われてしまえばいい。自力で飛んでくれる生きたお弁当だな。最後に残った雄蜂が交尾を終えて食われる頃には海もよみがえっていることだろう。


 定期的に陸が消える惑星というのもいいかもしれない。陸地は海面すれすれの島が点在するだけという海の惑星だ。軌道は遠日点が火星軌道寄りの楕円軌道にしよう。

 この場合は惑星が恒星に近づいていく夏に、両極の氷河が融解するために海水面が上昇して陸地が消えてしまう。ウミガメのように陸上に卵を産む動物だと陸地が現れていて、しかも気温が高い時期に一斉に上陸して産卵ということになる。さらに島の面積に対して個体数が多すぎると悲惨だ。産卵を終えて海に帰ろうとしても、後から後からカメが上陸してくる。こうなると、くさび形に変化した頭を他のカメの甲羅の下に差し込んでひっくり返しながら海に戻るという方向への進化が起こることになるかもしれない。しかし、これでは陸地がカメの死骸だらけになって産卵する場所がなくなってしまいそうだな。孵化した子ガメが海に向かうのも難しくなるだろう。中生代の海棲爬虫類のように胎生に移行する必要があるかもしれない。


 男が消えるのはおそらくたいした問題にはならない。アリマキやミジンコのように単為生殖に移行すれば済むことだ。具体的には生殖細胞の減数分裂をブロックすれば卵細胞がそのまま発生して赤ちゃんになる。遺伝子のシャッフルが起こらないから感染症には弱くなるだろうが、それはたくさんの赤ちゃんを産むことでカバー……だめだ! 排卵された卵子がすべて育ってしまうと、初潮から閉経まで毎年のように赤ちゃんを産み続けることになる。あっという間に人口が急増して地球の資源を食い尽くしてしまう。


 女が消えたら……人類滅亡しかないなあ。まあ、それではあんまりなので、もう少し悪あがきしてみようか。

 男もX染色体を1本は持っているのだから、聖書に倣って残された男たちの肋骨から採取した細胞からY染色体を抜き取り、別の細胞から取り出したX染色体を移植する。これでX染色体を二本持つ細胞が得られるわけだ。この細胞にさらに何らかの操作を施すことによって初期化して受精卵のように発生させ、第二のイヴを育てるのである。今では人工子宮も家畜の未熟児レベルでは実用段階だから不可能ではあるまい。1個の細胞から発生させるとなると胎盤を造らせることが必要になるだろうが、要はその細胞に「あれ? あたし、受精卵だったかしら」と思わせることができればいいわけだ。ハードルは高そうだが不可能ではないだろう。

 この場合、最大の問題はこのイヴがオトナの女になるまで男たちが現役でいられるか、だろうなあ。〔ヤることしか考えてないのか!〕

 男は常にヤりたい生き物なのさ。



   次回予告

 犯人は半漁人?

 次回「深海の舞姫殺人事件」本ボシとしか思えんやつはおるとです。




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     深海の舞姫殺人事件


「どうぞ」

 コーヒーをテーブルに置いた助手は探偵の隣に腰を下ろした。

「警部さんが直々においでになったということは深海の舞姫殺人事件が壁に突き当たっている、ということですね」

 探偵はテーブルの反対側の警部補を見つめながら切り出した。

「どうしてそれを……」

「簡単なことです。第一にマコちゃんが殺害されたというニュースが流れた。第二に犯人が逮捕されたという報道はまだない。数学的にはこの2つの点を通る直線はたった1つしか存在しないのです。お任せください。ファンクラブ会員ナンバー1桁の名にかけて、必ずや犯人を突き止めてご覧に入れましょう」〔曲線なら無数に存在できるんだけどな〕

「あのう……実は容疑者、現段階では重要参考人ですが、本ボシとしか思えんやつはおるとです」

 探偵は一瞬ひるんだが、即座に立ち直った。

「ふむ。さすがは日本の警察ですな。というと何が問題なのですか?」

「凶器が見つからんとです。このまま立件しても裁判では有罪にできんとですよ」

 それを聞いた探偵はテーブルに拳を叩きつけた。

「そんなバカなっ。今や国民的アイドルとなった深海の舞姫、マコちゃんの命を奪った奴など、市中引き回しの上、獄門磔さらし首にしなくてどうるのですか!」

「まっこと情けなかことですが……」

 警部補は内ポケットから取り出した手帳をめくりながら説明を始めた。

「一作日の22時ごろ通報があり、同30分ごろ、夢奈真子さんのマンションに警察官が駆けつけたところ、水で濡れたじゅうたんの上に夢名さんがうつぶせに倒れており……」

「ちょっと待ってください。『水で濡れた』ですか? 血ではなくて」

「ええ、そうです。鑑識によると、頭蓋骨が陥没するほどの打撃を受けての脳挫傷が死因ということで、被害者の血液も少しは混じっておったそうですが、それを除くと屋上の水タンクの水質とほぼ一致するとのことです」

「ふむ……続けてください」

「はい。警察官はその場にいた芸能プロダクション社長の身柄を拘束。社長によっると『21時ごろ夢名さんの部屋を訪れ、やるべきことを済ませた後、2人でくつろいでいたところ、突然異世界への扉が開いて半漁人が現れ、手にしていた棍棒で夢名さんを一撃して帰っていった』と」

「なんと卑劣な! 無理矢理SFにしようだなんて」

「解剖の結果では『凶器はバットくらいの太さの棒状の物』とのことだったとですが、そういった物は一切見つかっておらんとです。室内にも外の芝生にも、ビールビンを初めとしてベッドやテーブルの脚などで形状が一致するものは見つかりませんでした。砂を詰めたらしい靴下も、マイナス40度まで冷やせる冷凍庫もなかったので釘を打てるようなゴーヤとか氷の棒という線もなかとです」

「先生! ワタクシ、謎が解けましたわ」

「……聞かせてくれたまえ」

 探偵は勢いよく立ち上がった助手を見上げながら促した。

「凶器は男性が生まれつき持ち歩いているアレです。その社長は自ら太く硬くしたアレで被害者の頭を一撃したんですわ」

「……第一にアレはそれほどの太さにも硬さにもならない。第二に頭蓋骨が陥没するほどの衝撃を与えるためには、少なくとも数十メートルの高さから飛び降りる必要がある。実際にそれをやったとしたら、社長のアレも無事では済まないはずだよ」

「はい。社長のアレからはそういう痕跡は見つかっておらんとです」〔ほんとに調べたんかい! 容赦ねえな、日本の警察〕

「ふむ。これ以上はなんとも……。現場を見せていただけますか」


 現場のリビングのじゅうたんには、おなじみの白い人型の枠と窓際に置かれた水槽の前まで続く大きな楕円形が描かれていた。かなり大型の水槽には熱帯魚らしいきらびやかな小魚たちと全長30センチほどの巨大なエクレアのようなナマコが1匹入れられている。

「ふむ。謎は解けました」

「えっ。もうですか!」

「はい。この世界には枚数制限というものが存在しますのでね。警部さん、ここを見てください。人型の胸の辺りに小さな白い汚れがあります。この成分と水槽の海水の成分を分析して、その結果を社長に見せてやってください。それで落ちるはずです」


「凶器は何だったんですの?」

 助手はコーヒーをテーブルに置くと探偵の向かい側に腰を下ろした。

「ふむ。水槽に入れられていたナマコだよ」

「ナマコ? ナマコって、カクレウオがお尻の穴から出たり入ったりしてお互いに気持ちよくなっているあのナマコですか? ぽん酢で食べるとコリコリして美味しい」

「気持ちまではわからんが、そのナマコだね。ナマコの仲間には手でつかむというような刺激を与えると硬くなる性質があるんだ。特に暖かい海に生息しているイシナマコはその名の通り石のように硬くなる。社長はあらかじめ持ち込んでおいたイシナマコでマコちゃんを殺害し、何食わぬ顔で水槽に戻しておいたんだよ。じゅうたんを濡らしたのもナマコから滴った人工海水をごまかすためだったんだ」

「そうだったんですか。……最後に一つだけ問題が残ってしまいましたわね」

「ほう……何かな?」

「ここまでSFの要素がほとんどないじゃありませんか」

「ふむ。その点は大丈夫だよ。中国の古いことわざにもあるんだ。『SFだろうがミステリーだろうが、面白い小説が良い小説だ』というのがね」〔白い猫と黒い猫だぞ〕

         完



   次回予告

 目で会話する異星人たち。

 次回「目は口ほどに」届け、あたしの想い!




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     目は口ほどに


 地球人は主に音声によって会話する。しかし、宇宙のどこかには手話のような音声以外の手段を使って意思を伝え合うことを基本とする異星人がいてもいいはずだ。

 このテーマで個人的に気に入っている作品に筒井康隆先生の『関節話法』がある。これは体中の関節をポキポキ鳴らすことが言語である異星人と会話するというようなストーリーだったと記憶している。同じ手を使うわけにはいかないのだが、特別な訓練を受けた男女が四本の腕による手話で会話する異星人の相手をするというお話はどうだろう? 

〈地球へ「ちょっと!」ようこそ。「どこ触ってんのよ!」私たちは「仕方ないだろ」あなた方を「手をそこに」歓迎します。「持って行かないと」何でも「正しい言葉にならないんだから」ください〉

 手話で相手と会話しながら同時に相方と口げんかというのはたいしたものだと思うんだが、どうだろうか。

 次はいよいよ目で会話する異星人の登場である。

 まずはまたたき言語。地球人でも大けがで口がきけない、手足も動かせない相手に質問する必要がある時に「イエスなら1回、ノーなら2回まぶたを閉じてくれ」と言っておいてから二択形式の質問をするということがよく行われる。その延長線上にある言語ということで、またたきをモールス信号のように使って会話する異星人だ。

 ヒロインは検定(英会話の検定のようなものがあるという設定にさせていただこう)に合格していたために、異星人の接待を命じられた女性社員にしよう。

 彼女にとって幸運だったのは相手がイケメンだったこと。不運だったのは彼がおしゃべりだったことだ。相手がまたたきを続けている(しゃべり続けている)間は目を閉じることができない。目を開けていないと何を言われているのかわからなくなってしまうのである。これは苦痛だ。涙が溢れて頬を伝っていく。

 それを見た異星人は驚いたようにまたたきを止め、すっと立ち上がる。そしてごく自然に彼女を抱き上げて、隣のベッドルームへ歩いていく。

「えっ? ちょっ……あっ……」

 彼らの星では涙を流すことが〈あなたに抱かれたい〉というメッセージになることを思い出した彼女だったが、動揺してしまってまたたきが出てこない。ただ目を見開いて相手を見つめるのみである。

 異星人は〈あなたがそう言ってくれるのなら私もそれに応えなくてはね〉などとまたたきしながら彼女をベッドに横たえる。〔手が早いな〕

 そうなると、ブラウスのボタンに手をかけられた彼女も「この人とならいいかな。今はフリーだし」という気持ちになって、そっと目を閉じて体の力を抜いてしまう。

 そして彼女はそのまま異星人との友好の架け橋になる……と思ったら大間違い! 彼女の閉じたまぶたを見た異星人の手が止まる。しばらくの間彼女を見下ろしていた異星人はゆっくりと身を起こし、何度かまたたきすると部屋を出て行くのだった。彼らにとってまぶたを閉じるのは〈ノー〉という意味だったのである。めでたしめでたし。

 地球人のそれとは構造も機能も異なる目を持つ異星人というのもいいかもしれない。一つの例として額に第三の目を持つ異星人のお話を作ってみよう。

 彼らは、常に強風が吹き荒れる惑星の草原地帯に住んでいる。土地の面積当たりの生産性が低いので1人が生きるためには5キロ四方程度の面積が必要だということにしておこう。

 一人前になった子どもたちは親元から独立せざるを得ないという環境なのだが、それでも母と子は時間帯を決めて丘に登り、お互いの無事を確認し合うくらいのことはしている。

 独立してしばらくの間一人で生活していたヒロインは、ある日自分の胸や腰を子細に点検する。そうして「あたしはもう大人だ」と判断すると、近くにある小高い岩山に登り始めるのだ。

 青空に針のように突き立っている岩山の頂上にたどり着いた彼女は、唸りをあげている強い風に飛ばされないように岩にしがみつきながら、見える範囲内にある他の岩山に順に目を向けていく。

〈……んにち……〉

 はるか先にある同じような岩山から発信されている呼びかけをキャッチした彼女は、深呼吸してから額にある第三の目を開いた。そして、その深紅の瞳からパルス状のレーザー光をその岩山に向かって発射するのだ。

〈こんにちは。こんにちは。こんにちは……〉

 レーザー通信ならば、相手が遠くにいようが、声がかき消されてしまう強風の中だろうが顔さえ向き合っていれば会話ができるのだ。

〈……こんにちは。僕は◇◇。君の名前を聞いてもいいかな?〉

〈あたしは〇〇よ〉

〈いい名前だね。応えてくれたということはその気がある、と思っていいのかな?〉

〈ええ、もちろんよ。あたしはもう大人だもの〉

〈それは嬉しいな。それじゃあ、ここと君がいる岩山の近くまで大きな川が流れているだろう。僕は川を右手に見ながら下流へ向かって歩いて行くから、君は左手に見られる側で待っていてくれれば会えると思うんだけど、どうだろう?〉

〈あなたは上から、あたしは下からひとつになるのね〉

 彼女の額が熱くなっていく。彼らのレーザー発振器官の効率は約10パーセント。残りはすべて熱になる。会話を続けていると廃熱がどんどん溜まっていくのだ。

〈素敵な表現だね! 早く君を二つの目で見たいよ。じゃ、川岸で会おう〉

〈ええ。あなたに会えるのが楽しみだわ〉

 レーザー通信を終えて第三の目を閉じた彼女はウサギの耳のような放熱器官を風の中に立てた。このウサ耳を立てたままではレーザーの狙いを安定させられないのだ。

 岩山を降りた彼女はしばらくの間迷った後、川岸を歩き出した。〈待っていてくれ〉と言われて素直に従うような性格ではなかったのだ。

 そして彼女は、男が偶然出会った他の女を口説いているところに出くわしてしまい〈バカぁ!〉と最大出力のレーザーを浴びせることになるのだった。〔危険です。よい子は真似しないでね〕

            完



   次回予告

 仏教原理主義過激派による同時多発バイオテロ。

 次回「リタウイルス」なんてこった! 世界が平和になっちまうぞ。




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     リタウイルス


 ロバート・A・ハインライン先生の作品に『人形使い』というのがあるらしい(読んだことはない)。こういう「外見が人間のまま異種の生命体に支配されてしまう」という侵略テーマのSFは多いようだ。それなら作者が扱う必要はあるまい。みんなが登る山があるのなら、その山に背を向けて荒野の彼方を目指し、道を踏み外してすっ転んで笑いを取った方がいい、というのが作者の考え方だ。というわけで、ヒトを優しい気持ちにさせて世界に平和をもたらしてしまうウイルスによるバイオテロというアイデアを思いついた。

 最初のささやかな事件は夏に向かうニューヨークのとある大富豪の屋敷で起こる。

「夕食はいらない。それと明日の朝食はミルク粥にして君が持ってきてくれたまえ」

 主にそう言われた部屋付きのメイドはおかしな注文だと思いながら厨房のシェフにそれを伝えた。

 高度な技術を必要とする料理ではないが、金持ちの気まぐれに慣れているシェフは全力を注いで米を煮ることにしたのだった。

 翌朝、ミルク粥を平らげた主は「ありがとう。美味しかったよ」と珍しくていねいに礼を言い、メイドとシェフは妙に大きな満足感を得たのだった。

 同じ頃、フランスの片田舎では薄汚れた服を着た男が集まってきたシカたちを相手に人としての正しい道を説くという光景が見られた。さっそくマスコミが取材に駆けつけたが、男は彼の思想に賛同する人々と共にどこかへ立ち去った後だった。

 ロンドンの動物園では子育て中の雌トラの前に飼育係が身を横たえた。生まれも育ちも動物園で野生とは無縁の雌トラは「どうしたの? だいじょうぶ?」と飼育係の顔をていねいに舐めてあげたのだった。後に「トラが飢えているのなら私を食べてもらおうと思った」と語った飼育係は半ば強制的に休暇を取らされることになる。なお、念のために言っておくと、トラのザラザラした舌で舐められるのは紙やすりで擦られるようなものらしい。

 東京の慈善団体では急に増加した寄付への対応に追われていた。しかし、その忙しさは彼らにとってはむしろ喜びだった。彼らは世界が光に包まれていくような感覚を覚えていたが、誰もそれを異常だとは思っていなかった。

 中国南部で発生した洪水に対しては世界中から義援金と支援物資が集まり、密入国してまでボランティアに参加しようとする外国人まで現れた。いままでの人民解放軍ならば災害救助そっちのけで外国人を排除するところだったが、不思議なことに彼らは強力しあって救助活動を進めるのだった。

 最初に直接的な被害を被ったのは製薬会社のプロパーたちだった。抗がん剤の売り上げが急減してしまったのである。上司に叱責されたプロパーの何人かは担当している医師に事情を聞いた。それに対する返答はほぼ一様に「治癒する見込みのない患者に副作用が強い薬を投与して、いたずらに苦しめたくない」だった。そして、その患者たちは医師や看護師の手厚いケアを受け、時には笑みさえも浮かべながら息を引き取っていく。これは製薬会社にとっては大きな問題だ。薬を売る側としては苦しみに満ちた数年のために高価な薬を購入してもらわなければ資金を投入して抗がん剤を開発した意味がなくなってしまうのだ。

 そして、とうとう世界各国の行政機関に犯行声明が送りつけられてくる。

「我々はブッダの教えに従い、他者を思いやり、苦しみから救おうという気持ちにさせるウイルスを世界中に散布した。これより世界は仏教的理想社会へと向かうのだ。アーナンダの弟子」

 このアーナンダという修行者はブッダの入滅まで付き従い、最も多くの教説を聞き、よく記憶していたので「多聞第一」と称えられた男である。ちなみに美男子だったために女難を被ることが度々あったと言われている。また、「女は入信させません」と言うほどの女嫌いだったブッダを説得して「しょうがない。入信してもいいということにしてあげましょう」と言わせてしまったのもアーナンダである。

 さて、ここからは作者の勝手な想像なのだが……この2人は男同士の深い愛で結ばれていたのではないだろうか。アーナンダは女嫌いで攻め気質のブッダの気を引くためにわざと女たちとつきあっていたのであって、ブッダがアーナンダを聖人と認めないまま連れ歩いていたのも、受け気質のアーナンダと別れたくなかったからだと考えるとつじつまが合う。そう、これこそまさに仏教的愛、BLの世界……。〔仏罰を食らいやがれ!〕

 話を戻す。各国の行政機関はアーナンダの弟子の声明文を無視したのだが、いくつかの製薬会社は即座に提携している研究機関に分析を依頼した。ウイルスを特定し、いち早く治療薬を開発することができれば大儲けに繋がる可能性があるのだ。

 そして数週間後、インフルエンザの治療薬がいくらか効果を発揮するということが確認される頃、一人の女性研究者がウイルスの単離に成功する。この病原体が彼女の名前を取って「リタウイルス」と呼ばれるようになっていくのは彼女にとって名誉だったのか、不名誉だったのかは定かではない。

 実はこの女性こそがアーナンダの弟子の正体なのではないかと疑われたこともあったのだが、彼女は有能で幸運にも恵まれただけの研究者だった。

 さらに研究が進むと、この病原体は人間の脳に作用することが明らかになる。慈悲心(他者の苦しみに共感し、救いたいという気持ち)を起こすとエンドルフィンを分泌させるのだ。エンドルフィンは多幸感をもたらす神経伝達物質であり、脳内麻薬の異名を持つ。つまり、このウイルスに感染すると他人のためになる行動をすることによっていい気持ちになってしまうのである。

 北半球の夏が終わり、気温が低下していくと、リタウイルスの流行も下火になっていく。逆に夏に向かっているオーストラリアとアフリカ南部で流行の兆しが見え始める。どうやらリタウイルスは低温に弱いらしい。ということは、夏がやって来ればまた流行する可能性があるわけだ。

 その頃には各国の政府もこのウイルスがいかに危険なものであるかを認識して研究機関への援助を始めていた。富める者が貧しい者に無償で援助することで気持ちよくなっていたのでは貧富の差が無くなってしまう。それでは経済活動が停滞してしまうのだ。そしてまた、世界が平和になってしまうと商売が成り立たない兵器産業や武器商人なども惜しみなく研究資金を提供するのだった。

         完


※これは新型コロナウイルスが流行する前に書いてしまったお話です。あしからず。



   次回予告

 彼らはもふもふだったという可能性もないとは言えまい。

 次回「ネアンデルタール人の謎 その1」むかしむかし、あるところに……。




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     ネアンデルタール人の謎 その1


 作者は「人類は猿人➝原人➝旧人(ネアンデルタール人)➝新人(クロマニヨン人)と進化してきた」と教えられてきた世代なのだが、いつの間にかネアンデルタール人とホモ・サピエンス・サピエンス(現生人類)はそれぞれヨーロッパとアフリカで生きていたホモ・ハイデルベルゲンシスから進化した、言わばいとこのような関係だということになってしまっていた。まったくもう……科学というやつはイワシのように足が速いのだなあ。

 ネアンデルタール人は約40万年前に現れ、現在のヨーロッパから中東辺りで生活していたらしい。約4万年前、アフリカで生まれたホモ・サピエンスの祖先である早期ホモ・サピエンスがヨーロッパに進出すると、両者はその後5000年にわたって共存した後、ネアンデルタール人だけが絶滅した。なぜネアンデルタール人は滅びたのか、なぜホモ・サピエンスだけが生き残ったのかはわかっていない。

 それに関して最近ネアンデルタール人と早期ホモ・サピエンスの頭蓋骨の化石から脳の形状を復元する研究が行われ、脳全体の体積に対する小脳の体積の割合にわずかに差があったことが明らかになったそうだ。現代人のデータでは小脳が大きい人の方が言語を使ったコミュニケーション能力や思考の柔軟性が高い傾向があることがわかっている。小脳が相対的に小さかったネアンデルタール人はそのような能力が乏しかったために絶滅してしまった可能性があるというわけだ。実に論理的である。しかし、作者はこの仮説を好きになれない。これは「ネアンデルタール人はホモ・サピエンスよりも劣っていた」という結論が先にあって、その結論へ導くための論理展開のような気がする。いわゆる「正義は必ず勝つ」=「勝者は好きなように歴史を書き換えることができる」というやつだ。そこで、彼らはどういう人々であったのか、そして、それがどのように滅びに繋がっていったのかを科学の網の目をくぐり抜けながら想像してみようと思う。

(1)彼らはイヌやネコのようにもふもふだったかもしれない。

 今では多くの恐竜が羽毛付きで復元されるのが一般的になった。それは羽毛の痕跡が残っている化石が次々に発見されたからだ。しかし、ヒト属に関しては皮膚の状態がわかる化石は見つかっていないはずだ(作者が調べた範囲内では、だが)。発見されている化石はほとんどが骨と歯だ。アファール猿人は毛むくじゃらで、ひげ面のネアンデルタール人は毛皮の腰巻き姿で復元されていても、それはあくまでも想像を基にした姿だろう。それらの復元像の根拠はアファール猿人はホモ・サピエンスよりもチンパンジーに近いからとか、ネアンデルタール人の遺跡からは骨製の針が出土していないからとか、その程度のものでしかないはずだ。

 ここで彼らがもふもふだったかもしれないという思いつきの根拠を説明しておこう。

 まず、ヒト属の体毛が薄くなった時期は確認されていない。我々はたいした根拠もなしに少しずつ薄くなっていったように思い込まされているのだが、一気に肌がほとんどむき出しになってしまったという可能性も否定はできまい。個人的には原人の時代にはチンパンジー並みの体毛だったが、寒冷なヨーロッパへ進出するのと同時期に保温性の高いダブルコートの体毛を獲得したのがネアンデルタール人だったなら合理的だと思っている。それなら毛皮の服を作らなくても冬を乗り越えられただろう。ただし、汗をかかない方向へ進化しただろうから、暑さや長時間の運動は苦手だったかもしれない。彼らがヘラジカやウシのような逃げ足の遅い大型の獲物を主に狩っていたのもこれで説明できると思う。もふもふの体毛では足の速い獲物を追いかけても、すぐに体温が上昇して動けなくなってしまうはずだ。また、彼らが魚を捕っていたという証拠が見つからないのも密な体毛を濡らしてしまうと乾きにくいのが理由だったのかもしれない(当時の海岸近くの遺跡は海面上昇によって沈んでしまったのだという説もあるのだが、川にだって魚はいたはずだ)。そして彼らが生活の場をアフリカ方面へ広げなかったのも赤道近くの暑さが苦手だったからと考えることもできるだろう。

 一方、ほとんどむき出しの肌と体温を下げるための汗を獲得したホモ・サピエンスは、森が草原に変わっていくアフリカで獲物が体温上昇で動けなくなるまで追い続けるという狩猟法を開発する。彼らが寒冷なヨーロッパへ進出するためには毛皮の服を着て体温調節をすればいいわけだ。ネアンデルタール人との共存期間の長さもこういう体温調節能力の違いで説明できるのではないかと思う。

 また、ホモ・サピエンスには数百人という絶滅一歩手前の個体数で海辺の洞窟に住み、貝などを食べていた時期があるらしい。しかし、チンパンジーは体が濡れるのを好まないようだ。チンパンジーとホモ・サピエンスの共通祖先も濡れることを嫌っていたとすると、すぐに乾く薄い体毛を獲得することによって「なーんだ。濡れても平気じゃん」ということになった可能性もあるだろう。体毛が薄くなれば体温を下げるために汗をかくこともできるわけだ(汗をかくことによって水分と塩分を消費するというデメリットはある)。こうして薄い体毛と大量の汗という他の類人猿にはない形質を獲得したことがホモ・サピエンスが世界中に生息域を広げていく大躍進の基礎になったのかもしれない。もっとも、ネアンデルタール人にしても遠い祖先は熱帯の森で生きていた類人猿なのだから寒冷期のヨーロッパに進出できただけでもたいしたものではある。

 さて、そろそろお話を作ってみようか。

 まずタイムマシンは必要だろう。で、それをどう使うか? 

 一つの例として「ホモ・サピエンスが存在している限りは地球の環境破壊は止められない」と考えた過激な環境保護活動家がタイムマシンに自動小銃と手榴弾を積んで数万年前のアフリカの東海岸に赴き、総人口が3桁にしかならないホモ・サピエンスの祖先を皆殺しにしてしまうというお話が作れるだろう。しかし、ビルも車も存在しない世界でネアンデルタール人が獲物を狩っているのを夢見ながら現代に戻ってみると、そこには何も変わっていない文明社会が広がっているのだ。

 呆然と立ち尽くす活動家。その背後からタイムパトロールが声をかける。

「我々は殺された人々の代わりに現代人の中から選出した移民を送り込んだのだよ」

 ……当たり前のSFだな。面白くない。

 作者ならタイムマシンにベンチを積み込んでネアンデルタール人たちのところに行くだろうな。そして彼らと仲良くなって彼らの言葉を教えてもらう。

 日常会話ができるようになったら洞窟の前の陽当たりのいいところにベンチを置いて、隣に座らせた五歳くらいのネアンデルタール人の女の子の背中をモフりながらおとぎ話を語って聞かせるのだ。〔年寄りくさいな〕



   次回予告

 利害が一致したのかもしれない。

 次回「ネアンデルタール人の謎 その2」よう、ねーちゃんたちー。




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     ネアンデルタール人の謎 その2


 前回に続いてネアンデルタール人についてのヨタ話である。今回だけは彼らの体毛も薄くて、毛皮に開けた穴に細い毛皮製のひもを通して作った服を着ていたということにさせていただく(次回はまたもふもふに戻す予定)。これなら骨製の針はいらない。先端の尖った石器で十分だ。

(2)彼らは優しすぎたのかもしれない。

 イラクのシャニダール付近の洞窟で発見されたネアンデルタール人の骨は、6体のうち4体が病気やけがのために変形していた。シャニダール1号と名付けられた男性は右の脚やくるぶしの骨が砕け、さらに頭部のけがで片目を失明し、右腕も肘の上で切断されていた。その他にも何かが刺さった痕がある肋骨とか、くるぶしに関節炎を患った痕がある骨も見つかっているらしい。これらの傷にはいずれも治った痕が認められる。ということは、体の不自由な仲間に少なくとも食べ物を与えていたことになる。つまり、彼らは介護をしていたというわけだ。

 また、人類史上最初の埋葬の痕跡が発見されたのもネアンデルタール人の遺跡からだ。もちろん、彼らの生きていた地域は同時期のホモ・サピエンスの生息域よりも気温が低い分遺体の分解が遅くなって、放置しておくと不潔だから埋めたという解釈も可能ではある。しかし、作者は人類学の研究者ではないので「彼らは親しかった者たちが腐敗していくのを見続けることに耐えられなかったのだ」という立場から推論を進めていきたいと思う。

 現代人の感覚だと彼らがそういう優しさを持っていたとしても悪いことではないような気がしてしまうのだが、彼らの時代においては死はもっと身近なものだったはずだ。時には弱者を切り捨てなければ共倒れという状況もあっただろう。幸いにして(あえてこういう表現を使わせてもらうが)石器によって付けられた傷のあるネアンデルタール人の骨も発見されている。これはつまり食人の証拠である。もちろん葬送の儀礼として遺体を食べたという解釈も可能なのだが、作者としては生きるために必要なら仲間の遺体も食料にしたタフな人々だったのだと思いたい。

 ネアンデルタール人と接触しなかったはずのネイティブアフリカンも埋葬をしていたらしいから、狩猟採集であれ農耕であれ、定住するためには埋葬という習慣が必要になるのかもしれない。遺体を放置するとハエや肉食獣を呼び寄せることになるし、朽ちていく仲間を見続けるのは苦痛だっただろうし。ああっと、海辺の洞窟に住みついていた時代のホモ・サピエンスたちは埋葬の代わりに遺体を海に流していた可能性もあるな。それなら朽ちていく遺体を見続ける必要がない分定住しやすかったかもしれない。

(3)ホモ・サピエンスの方が繁殖力が強かった。

 現生人類の女性は乳飲み子を抱えながら次の子を妊娠することができるのだが、これは類人猿としては異常らしい。チンパンジーの雌など4年間に及ぶ授乳期間中は発情しないのだそうだ。環境が許せば毎年出産するようなことはネアンデルタール人にはできなかったのかもしれない。

 しかし、「同じくらいの大きさの獲物を狙う場合、わずかでも繁殖力が弱い方が滅びる」という説には賛成できない。がっしりした体型のネアンデルタール人とほっそりしたホモ・サピエンスが競合する関係になれたかどうかには疑問がある。むしろホモ・サピエンスはより小型のシカやウサギなどを狩ることで棲み分けをしていたんじゃないだろうか。獲物の奪い合いがあったとするには共存期間が長過ぎるような気もするし。

 作者は、ネアンデルタール人たちがウシのような大型の獲物を仕留めると食べ残しが出るので、それをあてにして彼らにつきまとうホモ・サピエンスがいたのではないかと思うのだが、どうだろう? ネアンデルタール人たちをライオンの群れだとするとホモ・サピエンスはハイエナのような立場だったという仮説だ。「ホモ・サピエンスの方が優れていた」という先入観を持っている研究者は認めたくないだろうが、苦労せずに食べ物が手に入るのならその方がいいはずだ。ネアンデルタール人たちにしても食べ残しがすぐになくなれば、その分清潔になる。利害が一致した可能性があるだろう。そのうちにホモ・サピエンスは個体数を増やし、石器を改良するなどして次第にネアンデルタール人たちを圧倒するような存在になっていった可能性もあるのではないかと思う。

(4)ネアンデルタール人の遺伝子は今でも我々のDNAの中で生きている。

 2010年にアフリカのネグロイドを除く現生人類の核の遺伝子にはネアンデルタール人の遺伝子が1~4パーセント混入しているというスヴァンテ・ペーボ先生らの研究結果が発表された。薄い色の皮膚・金髪や赤毛・青い眼などのコーカソイド的な特徴はネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高いのらしい。ホモ・サピエンスと交配可能だったのなら彼らはホモ・サピエンスの亜種ということになる。つまり肌の色や体型が違うという程度の違いでしかないということだ。そうなったら何年か後の教科書からは「ネアンデルタール人」という用語そのものが消えてしまうこともあり得るだろう。

 まあ、その辺りはそうなってから対応すればいいとして、彼らと初期のホモ・サピエンスが共存していた時代の出来事を想像してみよう。

 その頃のホモ・サピエンスは男女共にネアンデルタール人よりも華奢な体型だったのは間違いあるまい。グループの人数にもよるだろうが、より小型の獲物を狙っていたのなら、得られる肉の量も十分ではなかった可能性があるはずだ。その場合、ホモ・サピエンスの女たちは根菜やベリーの類を採集して不足するカロリーを補っていたんじゃないだろうか。そんな女たちがうろついているうちに、ちょうどネアンデルタール人の男たちが大物を仕留めたところに遭遇することもあったはずだ。そうすると彼女たちは食べ残しが出ることを期待して近くで待つだろう。そんな女たちにネアンデルタール人の男たちが気付く。よく見ればかれらにとっては珍しい華奢な体型の女の子たちである。さっそく獲物の肉からいいところを切り出してエキゾチックな女の子たちに近寄っていくわけだ。

「よう、ねーちゃんたちー。俺らと肉食わねー?」

 こうしてネアンデルタール人男性の遺伝子がホモ・サピエンスに受け継がれていったのではないかと作者は思う。

 そしてネアンデルタール人の授乳期間は3歳児くらいまでだったというから、乳飲み子を抱えている母親は男を拒否するというような条件も加わっていたかもしれない。そういうハンディキャップもあったとしたら、ホモ・サピエンスに数で圧倒されてしまうのも時間の問題だっただろう。



   次回予告

 彼らも火を使っていた。だが、何のために?

 次回「ネアンデルタール人の謎 その3」説破!




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     ネアンデルタール人の謎 その3


 ある雑誌の2018年11月号によると、ネアンデルタール人は火打ち石を使って火をおこしていた可能性があるのだそうだ。

 ヒト属は前期旧石器時代から火を利用していたらしい。ネアンデルタール人も火を日常的に利用していたのだが、自然に発生した野火を使っていたのか、自ら道具を利用して火をおこしていたのかはわかっていなかった。

 オランダのソレンセン博士らはフランスの中期旧石器時代の遺跡から出土した石器の表面の傷跡を詳しく調べ、石器を作る時の打撃によってできる傷跡とは異なるものを見つけたのらしい。これは石器の平らな面に黄鉄鉱を同じ方向から繰り返し打ち付けた時にできる傷跡に似たものなのだそうだ。

 確かに黄鉄鉱をハンマーなどで叩けば火花が出るのだが……黒色火薬に点火するとかならともかく、この火花を炎にまで成長させるのは難しいような気がする。個人的にはオーソドックスに木の棒できりもみ式の火起こしをしていたと思いたいところだ。獲物の皮を細く切り出して棒に一巻きし、その皮紐を左右に引っ張って棒を回転させれば、棒の先端を発火点まで持っていくことはそれほど難しくはないだろう。


 さて、本題に入ろう。

 研究者は基本的に確実な証拠を基にして仮説を構築しなければならない。不確かな証拠では他の研究者から総攻撃を受けかねないし、自分で埋めておいた石器を発掘するような行為など完全に犯罪である。そういう面ではSFは楽なもので、宇宙人を出そうが、人類を皆殺しにしようが許されるのだ。〔それが面白ければ、だぞ〕

 そういうわけで、またいい加減な思いつきを書かせてもらうことにする。

 まずは仮定だが、第一に「その1」でも書いたように、ネアンデルタール人の皮膚はもふもふの体毛で覆われていたとする。最近の恐竜化石と違ってネアンデルタール人の皮膚の状態がわかる化石はまだ発見されていないのだから何とでも言えるのだ。逆にネアンデルタール人もホモ・サピエンスと同じように薄い体毛であったことが確認されてしまったら、この「ネアンデルタール人の謎」シリーズは削除するしかないわけだが、時限爆弾付きのエッセイというのも面白いだろう。

 第二に彼らは肉食寄りの雑食だったと思う。彼らは骨折のような大けがのリスクを背負いながらウシのような大型の獲物を狩っていたらしい。個人的には協力してヌーを倒すライオンの群れのような生き方を想像している。

 第三に彼らは化石に残らないような木や皮で作った道具を使っていたと思う。

 古生物学の世界では恐竜温血説のような突拍子もない仮説をいきなり発表する研究者が現れることがある。アメリカ辺りの科学界にはそういう勇気が賞賛される風土があるのだそうだ。ネアンデルタール人についても「石器による傷がない獲物の骨が出土しているから皮を鍋代わりにして煮炊きをしていた可能性がある」という仮説が発表されている。これなどほとんどSFだと思うが、こういう大胆な仮説こそが議論を活発化させ、科学を進歩させる原動力でもあるのだろう。

 皮の鍋について少し考えてみようか。まず4本の木の棒と皮紐を使ってピラミッド形のやぐらを作り、これに獲物の皮を毛の生えている側を下にして少したるむように縛り付ければ鍋ができる。これに水を入れればその下で火を焚いても熱は水が吸収してくれるので皮に穴が開くことはない……と思うんだが、どうなんだろうかなあ……。紙の鍋ほど薄くない(熱が伝わりにくい)のと、毛が燃える臭いが問題になるかもしれない。近くのたき火で焼き石を造ってそれを投げ込めばいいかな? お玉やお椀の代わりはウシの角でいいだろう。

 しかし、大きな問題が一つ残る。塩分の不足だ。例えばウシの肉を塩も加えずに水だけで煮たとして、そのスープは美味しいだろうか? ヒトも哺乳類なのだから他の哺乳類の肉には塩分も含めてヒトが必要とする栄養がほとんどすべて含まれている。野菜が育てられない北極圏で暮らすイヌイットの人々も昔はアザラシの生肉だけを食べていたらしいが、肉を煮るのなら少なくとも塩を加えないとミネラル不足になってしまうはずだ。幸いなことにヨーロッパ地域には現代でも有名なアルプスの岩塩というものがある。ただ、それを使うにしてもどうやって産地から運んでいたのかという問題が残る。岩塩を毛皮の風呂敷に包んだ行商人が売り歩くのか? いやいや、この時代には通貨は存在しないだろう。となると、塩と毛皮などを物々交換するようかもしれない。

「まいどー」

「おお、塩屋さん。久しぶりだね。いい毛皮が揃ってるよ」

 とか? この行商人を主人公にしたお話も作れそうだな。

 しかし、作者としては彼らには煮たり焼いたりのような手間をかけずに生の肉を食べて欲しいと思う。スープなんかであの筋肉の塊のような肉体を維持できるとは思えないのだ。それに彼らはヨーロッパから中東に書けての地域にしか進出しなかった。行商人がいるくらいならユーラシア大陸全土に広がるくらいのことはできたのではないかと思う。ネアンデルタール人にしろ、同時代に中央アジアにいたデニソワ人にしろ、ホモ・サピエンスのように地平線の向こうへ、水平線の彼方へという気持ちは強くなかったようだ。むしろホモ・サピエンスのそういう性向の方が地球型生物としては異常なのかもしれない。

 さてさて、ネアンデルタール人が生肉を好んだとすると困ったことになる。今回、彼らはもふもふだったという仮定をしてしまっているので、暖を取るために火を使う必要もない。特に寒い時期には猫団子のように身を寄せ合えば温かいだろうし、獲物から剥いだ毛皮を被ってもいい。火を使う理由がなくなってしまいそうなのだ。そこで作者は保存食作りという可能性を提示してみようと思う。

 彼らがウシやヘラジカのような大型の獲物を仕留めると、一度に食べきれないほどの肉が手に入ってしまうとしよう。寒冷期のヨーロッパとはいえ、生の肉はどんどん腐っていく。そこで化石に残らない木の棒と皮紐を使って室内用の物干しのようなものを作るのだ。その大きさはベッドくらいはあってもいいかもしれない。その上に薄く削いだ生肉を並べて下から弱火であぶり続ければ半生の干し肉というか、ベーコンの出来損ないというかそういう物ができる。現代のものほどの保存性は期待できないだろうが、獲物が捕れなかった時にも食べる物があるというのは大きな安心感に繋がるだろう。

 ただし、暖かい季節には傷んでしまったり、その臭いでクマやオオカミなどを呼び寄せたりすることにもなりかねないのだがね。



   次回予告

 そんなこともあるさ。人間だもの。

 次回「魚の餌になりたい」あたたかい海に抱かれて。




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     魚の餌になりたい


 ノンフィクションになってしまうのだが、死にたいと思ったことがある。

 その頃の職場はとある盆地にある食品工場だったのだが、工場の製品に頻繁に虫が混入していたので、大型の電気蚊取り器のようなものを設置して24時間殺虫剤を発生させながら作業することになったのだ。ところが、作者はこのての殺虫剤に特に敏感な体質だったために、のどの焼け付くような痛みが月曜日から土曜日まで続くという状態になってしまった(日曜日にはいくらか回復する)。市販の塗装用防毒マスクを着用しても効果はなく、軍用の防毒マスクを手に入れるか、辞表を出すかという二者択一を迫られることになったのだった。ここで虫が減らないとか、全従業員のせめて10パーセントが健康被害を受けたとかなら「やめた方がいいのではありませんか」という提案もできたのだが、残念ながら一気に虫が減り、咳やのどの痛みを訴える従業員も1~2パーセントしか現れなかった。

 なお、「食品に殺虫剤が混入してもいいのか」と考える読者もいるかもしれないが、虫入りの食品のように眼で見てわかるものではないし、メタミドホスのように急性中毒を起こすものでもない。何十年か後にがんになる確率がいくらか上昇する程度の毒性では因果関係を証明することすら困難だろう。何の問題もないのである。

 軍用の防毒マスクなどどこに売っているのかわからないし、フィルターを自腹で購入し続けるとなるとコストもかかるので辞表を提出したものの、予想通り却下されてしまった。ふらふらになりながらも仕事を続けるような従業員は貴重なのだろう。というわけでプランBを発動させるしかなくなった。つまり夜逃げである。

 その頃住んでいたのは会社から家賃の半分を援助されているアパートだったので1週間かけて掃除をし、車を売り払い、マウンテンバイクと予備のロードを粗大ゴミに出して、11月の早朝にロードにまたがったのだった。目指すは250キロ先の糸魚川市。目的は日本海の魚の餌になることだ。

 日本では墓地が足りないとか、不潔だからとかいう理由で、化石燃料を使って遺体を地球温暖化ガスに変えてしまう火葬が主流なのだが、モンゴルの遊牧民には「風葬」という習慣があるらしい。これは簡単に言えば野ざらしなのだが、死者は他の動物に食べてもらうというのは食物連鎖という点から見れば正しいことなのである。チベットでもハゲワシに食べてもらう天葬(鳥葬)が行われているし、インドでは火葬の他に水葬も行われている。世界的にもかつての日本でも埋葬が一般的だった。これらはいずれも生分解されて他の生物の血肉になるという点で共通している。それなら日本は遺体を海に流すべきだろう。個人的には親しかった人の遺体を食べて育った魚なら喜んで食うぞ。というわけで、作者にとっての理想的な死に方は魚の餌になることなのである。

 標高345メートルの自宅から国道20号を北西に向かい、富士見峠(952メートル)を越える。ここから諏訪湖までは下りだから楽……なんて思ったら大間違い。冬の下り坂には冷えという厄介な問題があるのだ。

 作者には冬の峠道を下っている最中に指がかじかんでしまってブレーキレバーを引けなくなったという経験がある。その時は指が動かないのならと、肘を持ち上げて減速したのだった。それが何十年か前の話なのだが、それ以来、毎年冬が来るとレジ袋で作ったハンドルカバーをロードに装着している。ロードの場合、高速の風が直接指に当たるから冷えるのであって、風よけがあると体感温度がまるで違ってくるのだ(気温10度Cでも秋用のグローブで走れる)。見た目がいいとは言えないし、横風の影響も大きいので積極的にお勧めできるものではないがね。

 諏訪湖から塩尻峠までは標高差250メートル。登り始めた途端に越えてしまうような峠だ。ただし、下りで冷えないように対策しておく必要はある。

 その日の装備を紹介しておこう。ヘルメットの下にはキッズ用のニットキャップ。これは折り返しがないのでじゃまにならないし、蒸れにくい。その上、締め付けが弱いので頭が痛くならない。上半身は長袖ジャージにウインドブレーカーを2枚。これは文字通り風よけなので、気温が上がったとか、峠の上り区間とかなら1枚脱ぐ。下半身は裏起毛の秋用タイツに腿から膝までを保温するためのパッドを差し込んでおく。腿の筋肉が冷えると痙攣しやすくなるし、膝関節に痛みが出る場合もあるのだ。それでも寒いという状況もあり得るので、下半身用のウインドブレーカーとしてホームセンターで買ってきたナイロンパンツを膝下でカットしたものも用意しておいた。まあ、軽くてそれなりに暖かいスタイルである。見た目を気にしなければ、だが。

 塩尻市で国道19号に乗り換え、さらに松本市で国道147号に乗る……予定だったのだが、道を間違えた。多分この方角だろうという走り方で正しいルートに戻ったものの、冬場だけにこのロスタイムは大きく、長野と新潟の県境近くで日が暮れてしまった。その上、おそらく低温のせいで両面テープとタイラップでライト上に取り付けておいた高度計付きの腕時計がいつの間にか外れてなくなっている。さらに照明のないトンネル。これで完全に心が折れた。トンネルの入り口まで戻って湯治客用らしいホテルに飛び込むことにする。

 冬のサイクリングではロードを降りた途端に寒さを強く感じる。歯をガチガチ言わせながら入る温泉は格別だった。さらにラッキーなことに風呂上がりに覗いた売店で大好きなまるごとリンゴパイを見つけた。さっそく夕食用と朝食用に2個購入させてもらう。

 翌朝、ホテルを出ようとすると後輪がパンクしていた。これも想定内なので、すばやくチューブを交換……したのだが、空気圧が上がらない。どうも低温のせいで小型ボンベの炭酸ガスが気化しにくくなっているようだ。それならと形態ポンプを使ってもパッキンが硬化していて空気を入れられない。

 この先へ進ませたくないという何者かの意思を感じ始めた作者ではあったが、「気のせいだ」と思うことにする。ゴールはそう遠くない。タイヤの空気圧が十分でないとパンクしやすいということを意識しつつ走り出す。その後は大きな問題もなく、小さなアップダウンをいくつか越えると糸魚川市だった。

 海岸沿いをサイクリングして暇を潰し、救助されないように夜になってから海に飛び込んだ。しかし、これがなんと、ぬるめの風呂のように温かい! これでは心臓麻痺を起こせないではないか。すっかり忘れていたのだが、九州と朝鮮半島の間を抜けて青森県の沖まで達する対馬海流は暖流だったのだ。

 こうして作者は魚の餌になり損ねたのである。〔間抜けだな〕



   次回予告

 こ、こいつ、速いっ。

 次回「アンモナイトの正体」オウムガイとは違うのだよ、オウムガイとは!




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     アンモナイトの正体


 中生代白亜紀末に生きていたニッポニテス(意味は「日本の石」)というアンモナイトの化石がある。学名から見当がつくと思うが、日本列島からカムチャッカ半島にかけての浅い海に棲息していた「異常巻きアンモナイト」と呼ばれる頭足類である。これらは普通のアンモナイトをぐいーっと引っ張って真っ直ぐにしてからぐちゃぐちゃっと丸めたような形をしている。

 ニッポニテスは1904年に矢部長克先生によって発見された。この時に見つかった化石は1個だけだったので、ニッポニテスは奇形ではないかと言われたらしい。しかし、1926年に清水三郎先生によってまったく同じ巻き方をしている別の個体が発見されて、ようやく種として一般的に認識されるようになったのだという。

 種として認められてからも、このような異常巻きアンモナイトは進化の袋小路に入り込んで種としての寿命が尽きてしまったアンモナイトの仲間が奇形を生じたと解釈されてきたのだが、その後、コンピュータシミュレーションによる解析が行われ、規則性が見いだされる。らせんがほぐれてコルク抜き状になっている類縁種ユーボストリコセラス・ジャポニカムがらせんの成長を左右に定期的に蛇行させることによって、この形状が再現されることが示されたのだそうだ。今ではむしろアンモナイトがいろいろな環境に適応して進化した例とされているらしい。

 ニッポニテスがそういう形になった理由についてはいろいろな説があるらしいのだが、日常的に空気抵抗を意識しているロード乗りの立場で言わせてもらえば、水中であの形では前後左右どちらの方向へ移動するのにも同じくらいの水の抵抗が発生するのではないかと思う。したがってあの形に意味があるとしたら、それは一つしかない。移動しないためだ。あえて言おう。彼らの殻の隙間は海藻を絡みつかせるためのものであると。〔長いな〕

 野生のラッコが休息する時には潮に流されないようにケルプという長い海藻を体に巻きつけるのだそうだ。また、泳ぐのに適した体型とは言えないタツノオトシゴも普段はしっぽの先を海藻に巻きつけている。ニッポニテスも海藻を絡みつかせることによって潮流に押し流されることを防いでいたのではあるまいか? さらにもう一歩踏み外させてもらうなら、彼らは捕食者が入り込めないような浅い海で海藻そのものを食べていた可能性もないとは言えないだろう。頭足類は軟体動物門に属するのだが、殻付きの軟体動物であるサザエなどは海藻を食べている。現在の頭足類はすべて肉食で植物食の種は確認されていないようなのだが、5億年に及ぶ頭足類の歴史の中で獲物を追いかけることをやめ、逃げることのない海藻を食べる生活に移行したアンモナイトが生まれなかったとしたら、その方が不自然だろう、と作者は思う。

 さて、これで終わりにしてしまうとページが余ってしまう。別の方向へも踏み外してみることにしよう。

 最近オウムガイに給餌する様子を撮影した動画を見つけたのだが、彼らはどうにも思っていた以上に怠け者……もとい、省エネ型の生物なのだなあ。魚の切り身らしい物をオウムガイに近づけると何十本もある食腕をすべてそちらに向けるのだが、それだけ。イカのように伸ばせる食腕を持っていないのかもしれないが、餌の方に近寄ろうともしない。それどころか、餌の方に体を向けることさえしないのだ。1本の食腕が獲物に触れた途端にすべての食腕で素早く包み込むのだが、おそらく食腕が届かない餌は食べないのではあるまいか。何というか、イソギンチャクよりはいくらか積極的かもしれないという程度の捕食行動である。

 アンモナイトもこんなものぐさな捕食行動をしていたのだろうか? そんなわけはあるまい。そんな消極的な生き方であれだけの種数・個体数になるまで繁栄できたとは思えない。彼らはオウムガイとは違う生態だったからこそオウムガイよりも繁栄し、また、それゆえに絶滅したのであるはずだ。

 生態が違うのなら姿形も違っていた可能性もあるだろう。ではオウムガイベースではないアンモナイトの姿はどんなものになるだろうか。作者はここでトグロコウイカという現生種のイカを紹介したい。このイカの外套

長は35から45ミリ。ホタルイカよりやや小さい程度だ。彼らの最大の特徴はほとんどイカそのものの外套膜の中にアンモナイトのような平巻きらせん形の殻を備えていることである。彼らはこの殻で浮力を調整して日中は水深1000メートルの深海に潜み、夜になると100から300メートルまで浮上してくるのらしい。作者はこのトグロコウイカこそが現代まで生き残っているアンモナイトの小型種なのではないかと思ったのだった。

 アンモナイトの軟体部はほとんど見つからない。よくあるアンモナイトの想像図は「オウムガイをベースにイカのテイストを加えて」という程度のものだろう。それなら、実際のアンモナイトは殻を外套膜で包み込んだイカ形の抵抗の少ない体型を持ち、積極的に動きまわって獲物を捕食していたという可能性も否定できないはずだ。外套膜の縁をひれとして使えば獲物に警戒されない速度で近寄っていくこともできただろう。それに殻が小さければ、その分成長も早くなる。これが種数でも個体数でもオウムガイを圧倒できた理由だったのではないだろうか。さらに、思い切って殻を縮小して、より抵抗の少ない体型に進化したアンモナイトがコウイカやスルメイカなどなのかもしれない。

 さてさて、巨大な恐竜たちが地上を支配していた中生代白亜紀には海にも大型の爬虫類がいた。体長数十メートルと言われているモササウルスである。なお、念のために言っておくと、海に進出した恐竜はほとんど見つかっていない。魚竜もクビナガリュウも爬虫類だ。恐竜は恒温動物だったとされているから恒温性と水棲は相性が悪いのかもしれない。水温の影響も大きそうだし。

 モササウルスと同じ時代に生きていたアンモナイトにも殻の直径が2メートルに達するものがいた。彼らの体の構造がトグロコウイカと同じだったとすると、その外套長は4メートルから5メートル。触腕を持っていたとすれば、全長は10メートル以上になる。これは最近有名になったダイオウイカに迫るサイズだ。現代の深海でマッコウクジラがダイオウイカを補食しているように、白亜紀の海でもモササウルスとトグロコウイカ型アンモナイトの死闘が繰り広げられていたのかもしれない……と思ったのだが、これが実は大間違い。ダナ・スターフ先生の『イカ 4億年の生存戦略』によると、トグロコウイカは古生代にアンモナイト類から分岐したイカやタコの仲間で、ただ単に先祖返りして浮力調整システムを獲得しただけのことらしい。

 やれやれ、科学の網の目をくぐり抜けるというのもリスクが大きいのだなあ。今回は書き直しが間に合っただけでもラッキーではあるのだが。



   次回予告

 彼女らはなぜ地球人に擬態するのか。

 次回「ナメクジ惑星」その肩を抱いてあげたい。




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     ナメクジ惑星


 赴任先は記号と番号だけで表される、文字通り名もない恒星系の第二惑星だった。モニターに映る人工物らしいものは宇宙港周辺の小さな平屋の建物しかない。

 無人貨物船は海岸近くの深い森に囲まれた滑走路に滑らかに着陸した。そのまま待機していると、人員輸送用コンテナのハッチが開けられ、我が社が扱っているブランドの長袖ブラウスを着た手が差し出された。

「わたくしたちの星へようこそ。わたくし、支店長代理を任されていたヨーコです」

 化粧はやや派手だが、素直な黒髪を肩の辺りで切りそろえたなかなかの美人だ。ブラウスの第二ボタンまで外しているので胸元が開いているが、それは首が太めなためらしい。大きな目が印象的……じゃない! 彼女の目はほとんど楕円形で目元と目尻は描いてあるだけだ。赤い唇も口紅で本来の形をごまかしている。

「わかりましたか?」

 ヨーコさんは描かれた唇の両端を少し持ち上げてみせた。

「あ……失礼しました。少し驚いてしまって……」

 そうだ。この惑星の住人はヒューマノイドタイプではなかったのだ。

 そこで初めて、ヨーコさんの手が差し出されたままなのに気が付いた。失礼にならないように遠慮なく手を借りながらコンテナを出る。冷たくて湿っぽい手だ。

 私が格納庫の床に降りると、ヨーコさんは滑るような足取りで数歩後ろに下がってから床に届くほどのロングスカートの膝上辺りを両手でつまんだ。

「ご覧ください。これがわたくしたちの本来の姿です」

 スカートの裾が持ち上げられて足が……ない! そこにあったのは濃い茶色に白い斑点のアザラシの胴のようなものだった。


「地球からの調査船がこの星にやって来た時、岩の割れ目に隠れていた2本の腕を持つ巨大ナメクジが知性を持っていることに気が付いたのはジュンコという女性研究者だったと言われています。ジュンコは他の調査員に対してナメクジの知性を証明した後、ナメクジたちに提案しました。『エリアを限定して地球の文明を受け入れてはどうか。もしもそれがよくないものだった時は地球人と断交してナメクジ本来の生活にもどればいい』と……」

 ヨーコさんはゆっくり滑るように移動しながら説明してくれる。彼女たちがブラウスとロングスカート姿なのも地球の文化をそのまま模倣すためだそうだ。

「わたくしたちは骨格を持っていません。ですから体つきをある程度地球人に似せることができるのですが、長い間地を這う生き方をしてきたので足を2本にすると体重を支えきれないんです。『いつかは2本足』を合い言葉に努力を続けているナメクジたちもいるんですけどね」

 ええと……ここは笑うところなんだろうか?

 うろたえているうちに宇宙港の中にある我が社の支店に着いてしまった。

 ヨーコさんが開けてくれたドアから中に入ると、床の上にブロンドの髪の女の子が倒れて……いや、ロングスカートからはみ出して居るのはアザラシの胴だ。

「マリコ! どうしたのっ」

 滑るように近寄ってしゃがみ込んだヨーコさんに気がついたらしい女の子は、顔だけをヨーコさんに向けてリコーダーのような音を出した。

「マリコ。街の中では地球の言葉を使いなさい」

 ヨーコさんが強い口調で応じる。

「……疲れ……たの」

 それを聞いたヨーコさんは立ち上がってマリコちゃんを見下ろした。

「説明した通り、街で生活する者には直立姿勢を最低でも2時間は維持する能力が要求されます。それができないのなら、かつらと服を脱いで森の中で生きていきなさい。それが掟です」

 それを聞いたマリコちゃんはしばらくの間ヨーコさんを見上げていたが、やがて上半身だけを起こすと、かつらとスカートを置き去りにして部屋から出て行った。

「余計なことかもしれませんが、厳しすぎではありませんか」

「いいえ。わたくしたちは地球人の真似をすると決めたのです。それができないのならナメクジ本来の生活に戻るしかありません」

 そこまでする必要があるんだろうかとは思うが、これは彼女たちの問題だ。あまり干渉してはいけないだろう。


 地球時間で1ヶ月ほど経って、支店の業務にも慣れた頃、ヨーコさんからお誘いを受けた。

「海岸へ行きませんか。今夜はお見合いがあるんです」

 ヨーコさんの種族の子どもたちは海で育つのだそうだ。海中で男は30センチ、女の子は1メートル近くまで成長した後、一斉に上陸してくるのが今夜なのらしい。上陸したら、そこで待っている女性のナメクジたちが手を差し伸べ、男がその手を気に入ればその腕に絡みついて細胞を融合させる。これが彼女たちの生殖行動で、融合が済んだら腕を切り離して海に流すと、多数の幼生に分裂して個別に成長していくのだそうだ。なお、切り離した腕はすぐに再生するらしい。一方、女の子に好かれたら連れて帰って一人前になるまで一緒に暮らすのだという……ちょっと待て! それじゃヨーコさんたちの腕は本来生殖用なのか。もしかして、宇宙港で手を差し伸べてくれたのも求愛行動だった? いやいや、まさか。マリコちゃんもいたんだし。

「わたくしたちは海中でも陸上でも一方的に食べられる立場でした。街を造れば捕食者が入り込めなくなるので、生存率は大幅に向上するのですけどね。なかなかうまくはいきません」

 街で暮らしているナメクジが男に選ばれる確率は約30パーセント、女の子に好かれる確率は40パーセント以上も低下するのらしい。

 やがて星明かりの砂浜で大ナメクジたちの集団お見合いが始まった。その中にブラウスとロングスカート姿が何人か混じっているのがシュールだ。

 2時間ほど後、最後までヨーコさんの近くにいた小柄なナメクジが身を翻して海へ帰っていった。さんざん迷った末に今回は諦めたという風情だ。

 彼女を見送ったヨーコさんはゆっくり立ち上がると、私の方に滑ってくる。

「だめでした。マリコの代わりが欲しかったんですけどね」

 ……困った。彼女が地球人なら、そのうなだれた肩を抱いてあげるくらいは礼儀の範囲なんだろうが……。

              完



   次回予告

 氷が冷たいものだなんて誰が決めたんだ!

 次回「地獄の炎をください」氷Ⅶはロックだぜ。




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     地獄の炎をください


 ドアベルが一度だけチリンと鳴った。ドアを少しだけ開けるとこういう音がする。隙間から覗いてみて、空いている席がない時には入店しないというお客様も珍しくはないのだ。

 グラスを磨いていた初老のバーテンダーが顔を上げると、スーツ姿の女性が店内に滑り込んできた。

「いらっしゃいませ」

 レディはドアに一番近い席が空いていなければそのまま帰ってしまう。なかなか難しいお客様だ。

 皮膚そのもののように体の動きについてくる上品なスーツを着たレディはドアの方を気にしながらスツールに腰を下ろした。

「スクリュードライバーと地獄の炎をください」

 いつもより早口の注文だ。

「わかりました。少々お時間をいただきます」

 バーテンダーはレディが頷くのを待たずに「CLOSED」のプレートを手にしてカウンターを出た。

 地獄の炎は文字通り炎のカクテルだ(飲むことができないそれをカクテルと呼べるなら、だが)。少々危険なので店を貸し切りにして他のお客様を閉め出してしまう必要がある。

 プレートを掛け替えたバーテンダーは、常備してあるガス成分をできるだけ抜いた水を奥の部屋に設置してある加圧装置に注ぎ込んでスイッチを入れた。

 カウンターに戻ったらウォッカとオレンジジュースを用意する。レディの1杯目はいつもスクリュードライバーだ。

 レディが初めてこの店にやって来た時は男が一緒だった。金色の髪をニワトリのとさかのように固めて、袖を切り落としたジャケットの前をはだけ、アクセサリーをジャラジャラ言わせていた男は、お揃いの金髪でへそが見えるタンクトップの女の子をいささか強引に席に着かせたのだった。他のお客様がいない時だったので「満席でございます」と断ることもできなかった。

「スクリュードライバー2つ。こいつはアルコール苦手だからウォッカ少なめで」

 それを聞いて少し安心する。

「わかりました」

「それから地獄の炎を頼むわ」

「……少々お値段が張りますが?」

 バーテンダーがお客様に言っていいことではないだろうが、言わないわけにはいかない。

「知ってる。どうしてもこいつに見せてやりたくてさ。金は用意してきたよ」

「失礼いたしました」

 氷Ⅶができるまでの時間を利用して準備を進める。ステンレスの盆にコルクのコースター。グラスは耐熱性と耐熱衝撃性に優れる石英ガラス。時間勝負になるのでスピリタスを入れておくためのメジャーカップも3つ並べておく。

 2人がスクリュードライバーを飲み終える頃には氷Ⅶもできあがった。

「よろしゅうございますか」

 視覚効果を高めるために照明を落とせば準備完了だ。加圧装置から取り出した陽炎の立ち上る氷を素早くグラスに入れ、アルコール度数96度のウォッカを注ぐ。ボッという音と共にグラスの上に青白い火球が一瞬現れて消えた。

「えーっ」

 女の子の声を聞き流しながら2杯目。3杯目を注ぐと氷Ⅶもほとんど残らない。

 照明を戻すと、女の子が男の腕を揺すっていた。

「ユージ。何なのあれ? なんで燃えるの?」

「あの氷はエタノールの発火点よりも高温なんだ。だからウォッカを注ぐとエタノールが一気に気化して燃焼する」

「え? だって……」

「地球の地下深くのような高温高圧環境では0度Cどころか100度C以上でも融けない氷が存在できるのさ。この店で造った氷Ⅶは400度C以上の高温になってる。99.5パーセントのエタノールの発火点は384度C。つまり、あの氷にウォッカを注ぐとエタノールが一気に気化して燃焼するのさ。飲めないのが欠点なんだけどな」

「……すっごーい! ね、それってロックンロールなんじゃない?」

「感動したろ。だから……俺だってメジャーになれないってこたぁないはずなんだ」

「うん! そうだよね。応援してるよ、ユージ」

(そんな女の子がレディになるとは思いませんでしたね)

 何年か後、1人で来店した、いかにも既製品という印象のスーツを着た素直な黒髪の女性にウォッカ少なめのスクリュードライバーを注文されて初めてそれに気が付いたのだった。その日から彼女はレディ・スクリュードライバーになった。

 レディは最初に来店した時以外はいつも1人だった。1杯目はスクリュードライバーで、2杯目はソルティドッグやブラッディメアリー。しかもウォッカ少なめのレディスペシャル。ゆっくり2杯飲み干して、耳たぶが赤くなると「ごちそうさまでした」と言って去っていくのだった。

 さらに何年かすると、よく似合うスーツを着こなす様になって、2杯目には「春らしいカクテル」だの「心が温かくなるようなもの」だのという面白い注文をしてくれるようになった。こうなると立派な一人前の酒飲みだ。少しくらいアルコールに弱くても。

 レディはあの日のようにはしゃいだりせずに、一瞬だけ現れる火球を見ている。

 照明を戻したバーテンダーが背中を向けてグラスを洗い始めると、背後でドンッとカウンターを叩く音がした。

「ユージのバッカ野郎!」

(やっぱり人前では感情を露わにできない立場になってしまったんですね)

 バーテンダーは何も聞こえていないふりでグラスを洗い続ける。必要以上に時間をかけて。

(今夜は特別にもう一杯。「元気になれるカクテル」とかを注文していただけるといいんですが……)

            完



   次回予告

 気温33度Cで寒気がする。

 次回「変温動物だったら」熱中症だ!




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     変温動物だったら


 その日も朝から晴れて暑くなりそうだった。しかし、明日からは天気が下り坂らしいので、少々贅沢に3本の峠道を走るサイクリングを計画した。

 午前6時前に自宅を出て北に向かい、30キロ地点から仮称第三峠を目指す。38キロ地点まで足を伸ばせば第四峠があって、ここまで行くと問答無用で100キロコースになるのだが、第四峠はアップダウンの連続なので、どこが最高地点なのかわかり難い。気持ち悪いので今回はパスする。

 第三峠は標高差222メートルの5.8キロ。素直にUターンすれば90キロコースになるのだが、時間にも体力にも余裕があるので(この時点ではそう思っていたのだ)、反対側へ下りて313メートルを登り返す。これで100キロコースのできあがりだ。

 登り口に戻ったら26キロ地点の仮称第二峠入り口まで戻る。ここにはコンビニがあるので休憩と補給。

 第二峠までは標高差247メートルの6キロ。普段はなんでもないルートなのだが、今回は問題が発生した。靴が熱いのである。実は何年か前から履き続けているサイクリングシューズがよれよれになってしまったので3日前から新しいモデルに替えていたのだ。グレーの旧モデルはカタログから消えていたので新型の黒である。天気は快晴。気温は29度C。スピードを上げられない上に日陰が少ないという条件下では黒い靴の中の温度は急激に上昇する。夏の海水浴場でビーチパラソルの陰から足先だけを出しているような状況を想像してもらえばわかりやすいかもしれない。

 こんなこともあろうかと、作者のロードには水入りのボトルを常備している。さっそく靴に水をかけたのだが、新品の靴はメッシュ部分でも水を弾く。走りながら指先で水をすり込むようだった。〔危険です。よい子は真似しないでね〕

 次の靴からは洗剤で軽く洗ってから使うことにしよう。

 第二峠はトンネルになっている。今までは敬遠していたのだが、今日は交通量も少なそうだったので入ってみることにした。が、なんということか、湧き水で路面が濡れている。作者が使っているタイヤは親指よりも少し太いくらいのセンタースリックなので濡れた路面でペダルを強く踏み込むと滑ってしまって加速しないのだ。やったことはないが、ブレーキを強くかけるとどこかへ飛んでいってしまうだろう。そういうわけで濡れた路面はできるだけ避けてきたのだが、もうトンネルに入ってしまったので、とにかく反対側へ抜けてから慎重にUターンする。トンネル内では後ろから来る四輪車がセンターライン側に寄ってくれるのがとてもありがたかった。このトンネルに入ることは二度とないだろう。

 仮称第一峠の入り口は家から20キロ。コンビニはもう少し自宅側なのでポケットの中の補給食を食べながら休憩なしで登っていく。ここはこの辺りの峠道で最も勾配がきつい6.5キロ。トレーニングとしてタイムを計りながら2本、3本と走る若手グループもいるコースなのだが、作者にはもう強くなりたいという意識もないのでマイペースで1本だけ登って終わりにする。それでも素直に帰るだけで100キロコースになるはずだ。

 異常に気付いたのは第一峠を降りきって帰りコースに乗ってからだった。気温33度超の炎天下で寒いのだ。

 ヒトは急に発熱すると寒さを感じることがある。それと同じような感覚異常が発生しているようだ。これはおそらく熱中症の初期症状だろう。この場合、風通しのいい日陰(手っ取り早いのはコンビニの店内)で安静にするのが一番なのだが、ここから自宅までは約20キロ。一時間弱の距離である。意識もはっきりしている(ような気がする)ので、首筋と靴に水をかけながら走り続けることにする。〔危険です。よい子は無理せず休憩してね〕

 途中、左足に妙な違和感を感じたのでロードを止めて点検すると、靴底の滑り止めが一部剥がれている。帰ったら修理すると共に予備部品を発注しておく必要がありそうだ。

 ボトルの水がなくなったら道端の自販機で補給し、幹線道路の陸橋を越えるのがおっくうだったので、少し遠回りの完全平坦コースで帰宅した。走行距離は約110キロ。休憩込みでおおむね6時間だった。

 自宅に着いたら水分を補給しながら水風呂に入って体温を下げる。ここで重大なミスに気が付いた。体温を測るのを忘れていたのだ。ネタを稼ぐためにも次はちゃんと測らなくてはなるまい。作者は詰めが甘いのである。

 さてさて、マクラが長くなってしまったが、ここからが本題である。

 こういう高温環境でも活動できるのはヒトが恒温動物で体温を一定に保つ能力を持っているからだ。夏は体温が上がりすぎないように汗をかき、冬は小刻みに筋肉を動かすことまでして体温の低下を防ぐことができる。もしも作者が爬虫類や節足動物だったならば、夏は風通しのいい木陰で、冬はこたつに潜ってじっとしているしかないだろう。それはそれはだらけた生活である。しかし、だらけた生活は本当に悪いことなのだろうか? 

 変温動物のいいところは気温の変化に逆らって体温を一定に保つための大量のエネルギーを必要としないことだ。現代の一般的な日本人が1日3食食べているとして、同じ体重の変温動物なら1日に1食か2食で十分ということになる。もしも世界中のヒトが変温動物になることができれば、発展途上国の子どもたちが飢えることもなくなるだろうし、文明を維持するために必要な総エネルギー量も減るだろう。〔ほんとかよ〕

 まあ、それほど単純な話ではないかもしれないが、現在のヒトには天敵がいないのだから、襲われた時に素早く逃げられるように体温を上げたままにしておく必要もないだろうと思う。

 そこまでしなくても、変温動物たちを見習って「暑かったり寒かったりしたら労働生産性を低下させてもいいよ」ということにすれば、真夏にエアコンの室外機が熱気を吐き出して余計に気温を上げると言うような愚かなことを続ける必要もなくなるだろう。これは地球温暖化や環境破壊に対して有効な対策になるのではあるまいか。

※後日、気温35度Cの中を100キロちょいサイクリングして帰宅したら、体温が39.1度まで上がってしまっていた。その2日前には389度だ。ウィキペディアによれば38.5度以上は「高熱」らしい。年を取ると変温動物に近づいてしまうんだろうかなあ……。



   次回予告

 子孫を残せないんじゃないか?

 次回「めしべもおしべもない」地球上から哺乳類が消えていく。




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     めしべもおしべもない


 作者はいつもの峠道を登っていく時には集中しない。「目をつぶっていても走れる」と言えるほどの達人ではないが、よそ見をしながらサイクリングするくらいの余裕はある。〔危険です。よい子は真似しないでね〕

 そうやってよそ見をしていて、赤紫に白い縦縞の入ったホタルブクロを見つけてしまったことがある。ただし、これは図鑑の写真にも使われているくらいなので、そう珍しいものではないのだろう。ホタルブクロはキキョウ科の多年草で先端が5つに分かれた(5裂という)紡錘形の花を咲かせるのだが、花びらの形成初期に色素が不足する部分が生じ、その部分が押し出されるように花びらが形作られていくために縞模様ができるというような事情があるのかもしれない。花びらは受粉の手伝いをしてくれる昆虫を呼び寄せることができればいいのだから、この程度の変異は大きな問題ではないのだろう。作者の自宅の近所にも萼が伸びて花びらが二重になっているように見えるホタルブクロが生えているし、箱根では5裂ということになっているリンドウ科のセンブリが4裂の花を咲かせているのを見つけたこともある。ある植物図鑑に使われていた写真も4裂だったから、筒状の花は何裂になろうが大きな問題ではないのだろう。アサガオの仲間にも5裂の花を咲かせる品種があるようだし。

 しかし、その何キロか先に咲いていたキキョウは問題だ。こいつはめしべもおしべも花びらに変化してしまっていたのだ。色や形は少しくらい変化してもたいしたことはないだろうが、めしべとかおしべとかは人間で言えば……女性のアソコとか、男のアレとかに相当する生殖器官のはずだ。それを花びらに変えてしまったら繁殖できないだろう。「生物としてそれでいいのか!」と非難したくなってしまった作者である。そこまでいかないまでもキキョウの仲間には6裂の花を咲かせるやつらも珍しくない。こんなおかしなグループの名称は「キミョウ科」に変えるべきではあるまいか。〔…………〕

 実は、めしべもおしべもないキキョウは山梨県でも見つかっているからあまり珍しいものではないのかもしれない。もしかすると、キキョウは多年草なので何年も生きているうちに遺伝子に異常が蓄積して繁殖能力を失ってしまった(ヒトで言えば閉経したとか、もう勃起しなくなったとか)個体だった可能性もある……と思ったら大間違い。山梨県のキキョウの近くには、やはり花びらが二重になったオニユリが咲いていたのである。

 これはいったい何が起こっているんだろう? ここで単なる偶然という可能性は面白くないので却下する。〔おいおい〕

 となると、めしべやおしべを花びらに変えてしまう遺伝子が種の壁を越えて伝搬したということになる。ウイルスだろうか? めしべやおしべを花びらに変えてしまうような伝染病が存在するのだろうか。しかし、そんな病気が存在しても、感染するのは一部の植物だけだということなら問題はない。そこで、あえて問題にするためにヒトを含む哺乳類も感染するということにしてみよう。

 一時期、人間社会の近くに棲息する魚類や貝類の生殖器の構造に異常が生じる現象が報告されて、その原因が内分泌かく乱物質(いわゆる環境ホルモン)だと騒がれたことがあった。ただ「一般的に哺乳動物のホルモン受容体は魚類よりも感受性が低いことなどからヒトに対する影響はまずないとも考えられている」という非常に楽観的な話もある。こういう場合は楽観的なデータが提供されないと化学薬品のメーカーや販売会社が困るのだろう。で、それらの会社から研究資金の提供を受けている研究者は得られたデータをうまく解釈して「無害」という結論を出すわけだ。

 しかし、実際にアレが付いていない男の子が生まれる確率が有意に上昇し始めたらそんなのんきなことは言っていられないだろう。ここで遺伝子を分析して、アレの付いていない男の子も内性器は正常でアレの形成不良だけが増えている、ということならたいした問題ではない。女の子のアソコはもともと「ない」のだから。本人たちの心は傷つくだろうが、卵や精子を造る能力さえ持っていてくれれば人工授精という手が使える。しかし、男女共に内性器まで形成不良で卵も精子も造れないというケースが増え始めたらどうしたらいいんだろうか。

 この場合はまず、できる限り多くの卵や精子を冷凍保存することになるだろう。同時に原因究明と治療法の研究が始められる。しかし、これらの対策が間に合ってしまったのではお話にならない。ここは手遅れになって事態がどんどん悪化していくことにしよう。そうなったら病原体が外部から侵入できないような施設を建設し、正常な男女をそこに隔離して子作りに励んでもらうことになるかな。赤ちゃん製造器扱いされる女性たちというのもいいテーマになるかもしれない。同時に、以前書いたように胎盤を形成できる人工子宮の研究も進められることになるはずだ。目指すところは赤ちゃん製造工場である。

 ヒトだけ増やせばいいということにはならない。同じ哺乳動物であるウシやブタも不妊化するはずだ。こちらは肉を直接培養しようか。これはSFの世界ではすでに古典的な技術だし、筋肉組織の培養も実験室レベルではすでに実用化されている。それが間に合わないようなら大豆を原料としたヘルシーな代用肉だな。

 さらに事態を悪化させよう。治療法の開発は進まず、赤ちゃん製造器たちも年老いて生産効率が低下していく。人工子宮も設備の老朽化による事故が頻発するようになる。世界の人口は急激に減少していくのだ。世代交代の早い小型哺乳類の多くは絶滅し、爬虫類が地上を支配し始める。

 こうして100年後には地球上の哺乳類はほとんど絶滅してしまう。トカゲの仲間からは早くも植物食に移行して体を大型化するものたちが現れ始めている。動物の場合、肉食の方が消化の効率がいいのだが、それだけに獲物の奪い合いになってしまいやすい。消化し難いのでライバルたちが食べようとしない植物を食べるというのも生き残る上で有効な戦略になり得るのだ。

 こうして哺乳類の時代であった新生代は終わり、鳥類と爬虫類の時代が復活することになる。しかし、それに名前を付ける人間は地球上にはもういない。月や火星に建設されたコロニーでは人類のわずかな生き残りがあの病気が侵入してくる事態に怯えながら暮らしているが、それもあと数十年で限界を迎えることになるだろう。

             完


 というのが作者の考える結末なのだが……人類はこの災厄まで乗り越えてしまいそうな気もする。ウイルスの弱点を攻撃する薬品を開発するのにかかる時間はせいぜい数年だろう。人類という種はそれくらいしたたかでしぶといのだ。




   次回予告

 なぜゴキブリは嫌われるのだろうか。

 次回「カマキリの街」名前を変えてみる?




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     カマキリの街


 作者はゴキブリが嫌いだ。「ゴキブリ、かわいいじゃないですか。あの滑らかな流線型、落ち着いたモノトーンの体色。何よりも4億年もの間体型が変わってないってことは、もともとのデザインが優れていたってことでしょ」とか「ふっくらせて角を付ければカブトムシと変わんないじゃない」とか「ゴキブリがいない世界なんて考えられない」とか言う人たちもいるかもしれないが、嫌いなものは嫌いだ。おそらく作者だけではなく、日本人の大部分はゴキブリが嫌いなんじゃないかと思う。

 しかし、ゴキブリはなぜ嫌われるのだろうか?

 あくまでも作者の個人的な印象だが、彼らの場合、思わぬ所から現れることと歩くのが速いために人間が驚いてしまうというのが問題なのだろうと思う。もしも彼らが蝶のようにひらひら飛ぶとか、ゆっくり歩くとか、かわいい声で鳴くとかすれば、カブトムシやクワガタ、ホタル、スズムシ、コオロギ、そしてトンボの次くらいには愛されていたかもしれない。しばらく顔を見せなかったゴキブリがのそのそと現れたら「おお、元気だったか? ほれ食え」とパン屑を撒いてあげたく……ならんかなあ。

 なお、念のために言っておくと、ゴキブリが足を使ってササササッと移動していくのは「歩行」である。ウマなどがスピードを上げていって、すべての足が地面から離れる瞬間が発生するようになると、これがギャロップ、つまり「駆け足」である。ゴキブリも含めて昆虫では片側2本と反対側1本の足で体重を支えた状態で残りの3本を前に踏み出して前進するのを基本としている。どれだけスピードが上がろうが、すべての足が地面を離れる瞬間が存在しなければそれは「歩行」なのだ。

 そういう歩くのが速いということが問題になっているゴキブリだというのに、なんということか、「ゴキブリが二足歩行だったらもっと速く走れる」という論文が発表されているらしい。確かに中脚2本で水平姿勢の体を支えた状態で重心を前に移動した場合、少なくとも片方の足を前に出さないと倒れてしまう。こういうティラノサウルス型の水平二足歩行をすれば効率よく歩けるだろう。十分な脚力があれば走ることもできるかもしれない。しかし……何を考えてるんだ、この人たちは? 走行速度が通常の3倍になったら連邦軍のエースと一騎打ちをさせるつもりなのか?「あんたらはいったいどっちの味方なんだ!」と叫びたくなってしまうところだが、おそらくこの人たちの場合は、何も考えずにシミュレーションしてみたらこういう結果が出ちゃいましたという程度のことなんだろう……と思いたい。

 さてさて、作者個人の考えだが、体長2~3メートルクラスに限定すれば、雑食のゴキブリよりも肉食のカマキリの方が怖いのではないかと思う。トゲトゲの鎌も見た目が凶悪だが、あの大顎はイネ科植物の枯れた茎くらいは簡単に噛みきれるのだ。というわけで『カマキリの街』というB級ホラー映画向きのお話を考えてみた。

 登場人物は4人。男女のカップルが2組だ。で、どちらかにやられ組になってもらうわけだが……これは監督がコイントスでもして決めればいいだろう。どうせ大物俳優が出演するわけでもないんだろうし。〔投げやりだな〕

 ストーリーは4人が乗った車が街外れのドライブインに入ってくるところから始まる。「はあー。休憩休憩」「腹減ったー。何か食おうぜ」とか言いながら車を降りてくるわけだ。

 しかし、ドライブインの中には客が一人もいないそれどころか、店員もいない。

「俺、トイレ」

「あたしもー」

 なんとなく異常を感じながらもやられ組はトイレに向かう。

 手を洗い終えた女の子が鏡を覗き込んでいると、トイレの外で「ゴリゴリ、ガリガリ」という音が聞こえてくる。不審に思った女の子がトイレから出てみると、そこには数分前まで彼氏だった物を2本の鎌で支えながらその頭を囓っているうつろな複眼の三角頭!〔カマキリの口器で人間の頭蓋骨を囓れるのか?〕

「きゃああああ~!」

 女の子が逃げ出すと彼氏だった物を放り出したカマキリも彼女を追う。〔カマキリが食いかけの獲物を放り出すのか?〕

 悲鳴を聞いて駆けつけた生き残り組のカップルと女の子は一緒に食堂に逃げ込む。そして生き残り組の男はカウンターの中の冷蔵ショーケースから缶ビールを取り出して栓を開け、カマキリに投げつける。

「手伝って!」

 3人で投げ続けているとカマキリの動きが止まり、外へ逃げていく。

「昆虫は腹部にある気門で呼吸してるんだ。ビールの泡でそれを塞いでしまえば窒息しちまうってわけさ」〔わざとらしい台詞だ〕

 その後、相談した3人はとにかくこの街を出ようという結論に至る。そのためには缶ビールよりも強力な武器が欲しい。というわけで、隣の無人のホームセンターから殺虫剤のスプレー缶をあるだけいただくことにする。

 さて、そろそろやられ組の女の子にも死んでもらわななくてはならない

。柱の陰から襲ってもいいのだが、それでは展開が平面的になってしまうので上からにしよう。

 左右を警戒しながら歩いていた女の子が、ふと顔を上に向けると、そこには羽を広げた巨大カマキリ!〔カマキリは待ち伏せ型のハンターなんだぞ〕

 声も出せずに目を見開いた女の子の顔面に向かって鎌が振り下ろされ、画面が血しぶきで真っ赤に染まる。〔あれは獲物を捕まえておくための鎌なんだぞ〕

 生き残り組のカップルは辛くも車に戻るが、どこからか集まってきたカマキリの群れに包囲されてしまう。〔待ち伏せ型のハンターが群れを作るのか?〕

 男は噴射させた殺虫剤スプレーにガス抜きラッチを掛けて群れに向かって投げつけ、ひるんだカマキリどもが開けた場所へ車を突っ込ませる。

 ギャロップで追いかけてくるカマキリに対しては助手席の女の子にラッチを掛けたスプレー缶を投げさせる。〔走るカマキリ? 飛べばいいだろ〕

 しかし、彼らの行く手にもカマキリの群れが道路を塞ぐように待ち受けていたのであった。このカップルの運命やいかに!〔どうせ2人とも助かって、夕日をバックに抱き合って終わりだろ〕

             完


 もしかしたら、「ゴキブリ」という名前には「ゴ」と「ブ」という2つの濁音が含まれているのが問題なのかもしれない。「コキプリ」とかにしたら少しはかわいい感じに……なる?



   次回予告

 惑星の数よりも多くの海が存在する。

 次回「太陽系の海を巡る」ぼ、僕と、け、け、結婚してくださいっ。




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     太陽系の海を巡る


 地球の表面には「水の海」が存在する。地球で水の生命体が誕生したのはそのせいだろう(地球で誕生したのであれば、だが)。

 火星にもかつては海があったと言われていて、火星に隕石が衝突することによって地殻の一部が宇宙へとはじき飛ばされ、それが数十億年前の地球に飛来した後、その隕石に付着していた微生物が繁殖して地球の生物になったという説もあるらしい。火星で生物が発見され、それが地球の生物と同じ祖先から進化したものだと分かれば、この仮説が正しい確率が大幅に上がるというわけだ(地球と火星の生物の共通祖先が他の天体からやって来たという可能性は残る)。

 そして木星の衛星エウロパやカリスト、土星の衛星エンケラドスなどの分厚い氷の下にも「水の海」が存在するのはほぼ間違いないらしい。

 さてさて、ある物質が固体になるか、液体になるか、それとも気体になるかは温度と圧力によって決まる。そこで水に限定せずに惑星規模で大量の液体が存在する場所を「海」と定義すると、いろいろな水以外の海も存在できることになる。

 まず地球の中心部に存在していて、その対流によって地球を包む磁場を作り出している液状の外核は「水素や炭素などの軽元素を10パーセント以上含む鉄・ニッケル合金の海」だと言えるだろう。〔長いな〕

 次はお隣の星、金星に注目してみよう。金星の地表の平均温度は460度C以上。大気圧は90気圧。この大気には大量の二酸化炭素が含まれているから「二酸化炭素の海」ができる環境が存在するかもしれない。ただし、この条件下では気体と液体の特徴を兼ね備えた超臨界状態になるだろう。

 水星はどうか? この太陽に一番近い惑星には大気がほとんどない上に自転速度も遅いので、昼の側は400度Cを超える温度になる。そういう環境で「海」を造れそうな物質は、ざっと調べた範囲でもリチウム、カリウム、ナトリウム、水酸化ナトリウム、イオウ、そして鉛がある。水星の鉛の海というのは何かのSFで読んだ記憶があるな。

 太陽はというと、ここにも「水素のプラズマの海」が……と言いたかったのだが、プラズマというのは「電離した気体」なので海とは呼べないのだった。太陽の内部はかなりの高圧になるのだが、温度が高すぎて液体になれないのらしい。

 次は木星。ウィキペディアによると、木星は高密度の中心核の周りをヘリウムを含む液状の「金属水素の海」が覆い、その外側を「水素分子の海」が取り巻いていると予想されているらしい。その外側の水素は気体だが、圧力が高まるにつれて徐々に液体に変わっていくのだそうだ。つまりこの星には2種類の「水素の海」が存在していて、しかも外側の海には水平線が存在しないのだ! これは何というか……海霧が果てしなく濃くなっていって、いつの間にか海になっているという感じだろうか。

 木星の衛星イオはどうだろう? イオは地球以外では、最初に火山活動が発生していることが確認された天体である。しかも地球の月と同じくらいの大きさしかないのに火山の規模がやたらと大きい。ロキと名付けられた双子の火山の近くにある溶岩の湖は広さ2万1500平方キロ。琵琶湖の約32倍になる。それでも海と呼べるほどの大きさではないが、地球の生命が生まれた場所は地上の水たまりだとする説もあるから大きさはあまり問題ではないかもしれない。

 また、『別冊日経サイエンス ボイジャーの惑星探査』によると、イオの地殻の下には地上側から融けたイオウの薄い層と、より高温のタール状イオウの厚い層が存在すると予想されているらしい。タール状イオウは地殻を突き抜けてきたケイ酸塩のマントルによって加熱されると再び流動性を取り戻して黒いイオウに変わり、それ以上の温度になると気化する。この変化は温度によってイオウ分子の状態が相転移するために起こる。あえて言おう。これらは「イオの3種のイオウの海」であると。〔…………〕

 ええと、さらにガリレオ探査機の磁力計のデータによれば、イオの地殻の下には50キロ以上の「マグマの海」が存在することがわかっているそうだ。

 土星も木星と似たような構造らしいが、土星が放射する熱量を説明するためにヘリウムの雨の滴が水素の大気を通過する時に摩擦熱が発生しているというモデルが提唱されているらしい。そうすると、土星の核の周囲には「ヘリウムの海」が存在しているかもしれない。

 土星の衛星タイタンの地表には窒素を主成分とする大気から液体メタンの雨が降り、メタンやエタンの川や湖が存在していることがカッシーニ探査機から切り離されたホイヘンス探査機によって確認されている」。川や湖があるのなら海もあるかもしれない。海があるなら生物も、ということで、この「メタンとエタンの海」に潜水艇型探査機を沈めて探査をしましょうという計画が進められているらしい。

※2019年6月にNASAからタイタンの探査計画が発表されたそうだ。ただし、これは大気圏内を飛行するドローン型探査機によるものらしい。


 そして、メタンやエタンというのは極論すれば油なので、そこに生物が存在するとしても地球の生物とはまったく異なるものだろうと言われている。ディヴィッド・トゥーミー先生の『ありえない生きもの』には「エタンとアセチレンと水素を吸収し、メタンを排出する生物だろう」と書かれている。我々が有機物を酸化してエネルギーを得ているように、有機物を水素で還元してエネルギーを得る生命活動というわけだ。また、資料が見当たらないのだが、地球の生物の細胞膜を構成しているリン脂質の親水基部分と疎水基部分を逆にしたような細胞膜を使っているだろうという説もあったはずだ。

 天王星と海王星はどちらも似たような構造をしていて、大気圏深くに降下していくと大気は徐々に水・アンモニア・メタンの氷からなるマントルに変わっていく。これは実際には高温で高密度の液体なのだが、惑星科学の分野の習慣では「氷」と呼ばれるのだそうだ。この高い電気伝導率を持つ液体は「水とアンモニアの海」と呼ばれることも多いらしい。そして面白いことに、海王星の水とアンモニアの海の深度7000キロではマントル内のメタンが水素を奪い取られることによって生成したダイヤモンドの結晶が核に向かって降り注いでいる可能性もあるらしい。鉄・ニッケル・ケイ酸塩の核の表面をダイヤモンドが覆っているかもしれないというわけだな。

 ということで小話をひとつ。

 ある日突然、土星のリングと海王星が消滅するのだ。そして半年後、宇宙の彼方から響いてきたのは華やかなウエディングマーチ。〔どんだけ太い薬指やねん!〕

         完



   次回予告

 ストーリーってどうやって作ればいいんだろう?

 次回「おまけ ラピスの進化」わからん。




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     おまけ ラピスの進化


 作者は1979年にボイジャー2号が撮影した木星の衛星イオの火山噴火の映像を見た瞬間に、その地表で生きている青い鉱物質生命体の幻を見てしまったのだった。それはもう、コンペイトウを半割にしたような形から生命の危機を回避する方法まではっきりと。

「これはSFの神様のお告げに違いない」

 作者はこの生命体のお話を小説にするために選ばれたのだ、と思ってしまったのだよ。本気で。

 それから40年以上。このアイデアは小説にできないまま作者の生命活動が停止してしまうことになりそうなので、アイデアだけでもここに書き残しておこうと思う。作者が10年以上の期間、消息不明になったら好きなように使ってくれていい。

 さてさて、作者はこの生命体を「ラピス」と呼んでいる。これは中東では古くから装身具として用いられてきた半透明の青色ないし青紫色の鉱物であるラピスラズリ(ラテン語で「青い石」の意)からの命名で、ラピスラズリというのはラズライトという鉱物((Na,Ca)₈(AlSiO₄)6(SO₄S,Cl)₂)を主成分として、似た性質を持つ鉱物が加わった固溶体なのだそうだ。固溶体というのは結晶を構成する原子の一部が同じくらいの大きさの原子に置き換わったり、大きな原子の結晶の隙間に小さな原子が入り込んだりしている結晶である。ラピスラズリの色合いのばらつきが大きいのはこのように構成原子の自由度が大きいからなんだろう。

 実は作者が最初に見た幻のラピスは透明なコバルトブルーだった(シリカゲルから連想していたらしい)。その後、長野県のどこかの鉱物博物館でラピスラズリの現物に出会って、その本当の色を知ったのだった。とは言っても、ネパールの土産物屋で見かけたアフガニスタン産だというラピスラズリはほとんど不透明な濃い青だったし、物によっては黄鉄鉱の金色の粒が散らばっていたりもする。複雑な組成の鉱物なので色合いのばらつきも大きいのだろう。

 さて、まずはこれを生命体にしなければならない。

 結晶やガスを「生命体である」と言い張るのには、NASAが採用した生命の定義「生命とはダーウィン的進化を遂行することができる自律的化学システムである」が便利だ。これを使えば炭素型はもちろん、ケイ素化合物でも金属でもガスでも環境の変化に応じて進化するものならば「生命体である」と言ってしまえる。

 というわけでラピスを進化させよう。まずは命を持たないただの鉱物から生命体へジャンプさせなくてはならない。ラズライトの非常に複雑な化学式から考えて、この鉱物はケイ素原子とアルミニウム原子が酸素原子を共有するような形で3次元的網の目構造を形作り、その隙間にナトリウム、カルシウム、硫酸基、イオウ、塩素などが入り込んでいるような構造になっているのではないかと思う。こういう自己触媒による結晶構造の成長はただの鉱物でも起こるのだが、これらの原子や原子群の配置をラピス自身がコントロールして一定の秩序のもとに配置していくようになれば、これはきわめて原始的な生命活動と言えるだろう。地球の生物もこの辺りから進化を重ねて現在のやたら複雑な細胞にまで進化してきたわけだが、ラピスは固体の生命体だし、周囲の環境はほぼ真空なので細胞膜を必要としない。膜を獲得しないまま進化してきた生命体ということになるのだが……困ったことにラズライトは本来、液体の水の存在下で生成する鉱物なのだった。まあ、液体中でもないとスカスカの網の目構造は生じないのだろう。水晶などは固体の表面から成長するので、かなり緻密な結晶になっているし。

 現在のイオには多数の火山が存在し、太陽系の中で最も水の存在量が少ない天体と言われている(太陽はどうなんだろう?)。これでは生命体になる以前のラズライトすら生成できないということになってしまう。それでは困るのでなんとかしなくてはならない。

 ガリレオ衛星の仲間であるエウロパ・ガニメデ・カリストは氷で覆われている。ある程度の大きさになった巨大ガス惑星の衛星は氷に覆われているのが本来の姿なのではないかと思う。それならイオも氷で覆われていた時期があった可能性は十分に高いだろう(そういう論文も発表されているらしい)。その後、木星とエウロパ、さらにガニメデとの重力相互作用に伴うイオ内部での潮汐加熱によって活発な火山活動が起こり、その結果、イオの氷は融解してしまう。しかも現在のイオの地表は地球の月とほぼ同じ低重力である。大気がほとんどないために真空の宇宙空間に直接晒されたイオの海は沸騰し、ごく短期間で蒸発していっただろう。こうしてイオは火の天体になってしまったのだ。水中で生じたラズライトがこの大きな環境の変化を乗り越えて、ほぼ真空の環境でも成長できるように進化したならば、「それは生命体である」と言ってしまえる。

 豊かな水に覆われていた頃のイオでも海底火山が活発に活動していたのなら、その海中にはラズライトの原料が地殻から大量に溶け出していたはずだ。その後、イオの海が蒸発していくにつれて、それらの原料は濃縮され、結晶の成長は加速される。そうして生まれたラズライトの中からほぼ正確に同じ構造を成長させる性質を持ったものが現れる。こうして生命活動と言えなくもないことを始めたラズライトがラピスの遠い祖先にあたる。この原始的な鉱物質生命体をエオラピス(夜明けのラピス)と呼ぶことにしよう。

 海水中のケイ酸イオンやアルミニウムイオンを使って骨格を作り、その隙間に各種イオンを規則正しく配置して成長していくエオラピスは海底の地形に沿って成長していく。ただ、その生命活動は海水に接している面でしか起こらないから、実際に生命活動を行っているのは表面近くの薄い層だけで、そのすぐ下はただのラズライトということになるだろう。これが膜を持たない生命体の特徴だ。

 どんどん成長していくイオン濃度の中でのびのびと成長していたエオラピスの楽園は突然の破局を」迎える。海の蒸発が進んで海底が露出し始めたのだ。水中からほとんど真空へという環境の大変動である。

 これに対して、エオラピスの一部は自身の体の材料を海水中のイオンからまだ熱い火山灰(微小な火山噴出物)に切り替えることに成功する。木星とエウロパやガニメデによってもたらされる強い潮汐力は大きな干満の差を生じる。海中とほぼ真空という2つの環境を行き来するうちにエオラピスの一部が火山灰に含まれるドライな原料と熱エネルギーを使って成長するという形質を獲得したのだ。その進化はおそらく波打ち際で起こっただろう。

 しかし、この代謝方式には問題がいくつかある。第一に彼らが必要とする物質は基本的に上方から降ってくる。イオの重力加速度は約6分の1Gだから火山灰はかなりゆっくり降下してくるはずだが、それでもその中から必要な物質を取り込む為には地球の生物とは桁違いの代謝速度が必要になっただろう。それでも生命活動を行っている領域が薄いのと、生命活動そのものも地球型生物よりもはるかに単純な化学反応であれば対応できるはずだ。

 そして、取り込んではいけない物をどう処理するかも問題になる。波が洗い流してくれているうちはいいのだが、海が消えてしまったらそういうわけにはいかなくなる。不要物に埋もれてしまったら火山灰に手が届かなくなってしまうのだ。それを防ぐためには不要な物が滑り落ちていく円錐形になるのがいい。上へ上へと成長していけば常に熱い火山灰を浴びていられる。この段階まで進化したラズライト生命体をプレラピスと呼ぼう。

 プレラピスは生命活動に必要なエネルギーも成長するための栄養も火山噴出物に依存している。彼らはまだ熱い火山灰を浴び、その熱エネルギーを利用して火山灰に含まれる各種分子を正しい場所に配置する。しかし、配置し終えた後は速やかに熱エネルギーを放出してしまわないと、それらが勝手に移動してしまいかねない。しかも人工衛星のように太陽電池パネルの裏面を放熱板として利用するようなこともできない。ではどうするかというと、熱エネルギーを化学エネルギーに変換して放出することになる。つまり、各種分子を配置し終えたら、その周辺に存在する比較的重要でない分子にエネルギーを与えて体外に放出するのだ。それでも間に合わないようなら骨格まで分解して高エネルギーのアルミニウムやケイ素や酸素などを放出すればかなり大きな化学エネルギーを放出できる。これは地球人の汗に相当する体温調節システムと言っていいだろう。

 この高エネルギーの汗ではプレラピスの内部までは冷やせない。彼らは体液に相当するものを持っていない完全にドライな生命体なので、その円錐の内部へ伝わってきた熱を体の表面に運んでくれる体液がないのだ。この熱エネルギーも化学エネルギーに変換して温度を下げないと彼らの本体である円錐の表面近くの構造まで破壊されてしまう。3次元的網の目構造内の分子だけで熱を処理しきれないようなら網の目構造の骨格まで分解することで熱エネルギーを吸収させるしかあるまい。その結果、プレラピスの円錐の表面から数ミリ下からは網の目構造の密度が次第に低下して、そこに高エネルギーの分子群が溜まっていくことになる。

 さらに進化は続く。

 火山灰の温度が低すぎる場合、プレラピスはそれを利用できないから生命活動が停止してしまう。これはクマムシなどの乾眠状態と同じようなものである。その状態が長く続くと宇宙放射線によって正しい構造が破壊されていって、ついにはただの鉱物になってしまう。まあ、そうなるまでには数億年はかかるだろうから、低温に対してはほとんど不死身と言っていい。

 しかし、温度が高すぎるのは致命的だ。プレラピスの場合、体温が上がりすぎると体を構成している分子が勝手に移動してしまうから、それを防ぐために骨格まで分解して汗をかくようになる。そういう状態が続けば地球人の脱水症状と同じで生命活動がうまくいかなくなる。つまり、彼らは宇宙空間で放熱してちょうどいい温度まで下がった火山灰が降ってくる場所でしか生きられないということになる。

 そうなると、今度はイオの気まぐれな火山が問題になる。地殻の下はすべてマグマという構造ではどこから噴火が起こってもおかしくはないのだ。運が悪ければ火口から流れ出した溶岩に呑み込まれてしまうこともあるだろう。この場合もプレラピスは汗をかいて体温を下げようとするだろうが、もちろんそれでは間に合わない。水なしで砂漠に放り出された地球人のように汗を出し尽くして死ぬことになる。

 プレラピスは死を意識できるほどの中枢神経系など持っていないが、致命的な環境変化から逃げられるような形質を獲得できれば生き延びるチャンスが増えるだろう。こうして生まれたのがラピスである。

 プレラピスからラピスへと進化するためには2つの突然変異を必要とする。

 第一に円錐の成長を途中で止め、その基部を半球形に膨らませる方向へ成長させる。そうすると基部に空きスペースが広がっていくので、そこに新たな小型円錐を生えさせるのだ。これを繰り返していけば青いコンペイトウができていく。

 第二に炭素と各種硝酸塩類も取り込む。この2つはラピスが生命活動を行うのに必要な分子ではない。そういう意味では不要物でしかないのだが、炭素とイオウとナトリウムの硝酸塩があれば黒色火薬が造れる。黒色火薬というと炭素とイオウと硝酸カリウムというイメージだが、酸化剤として働くのは大きなエネルギーを内臓している硝酸基なのでナトリウムを使ってもちゃんと爆発する。ちなみにチリ硝石の主成分は硝酸ナトリウムらしい。

 この黒色火薬をコンペイトウの内部に集めておいて、溶岩に呑み込まれそうになった時に点火すれば、円錐の部分をロケットにしてとりあえずその場から離れることができる。運がよければ生存可能な温度の場所に落下するものもあるかもしれないという実に大ざっぱな生き残り手段を獲得するわけだ。地球の植物だとホウセンカが種子をはじき飛ばすようなやり方だと言える。また、これで個体数が増えることもあり得るだろう。しょせんは酵母の出芽のようなクローン増殖だが、大ざっぱな生命活動だからこれでも進化していけるだろう。

 これでラピスが誕生したわけだが、小説にするのにはまだ問題が残っている。

 第一に生物が存在している可能性があるエウロパならともかく、火山だらけで水がほとんど存在していないイオを探査する必然性が見当たらない。

 第二に、無人探査機がサンプルを持ち帰ったことにするにしろ、思い切って木星圏まで出向いて有人探査ということにするにしろ、研究者たちがその青い鉱物を「生命体である」と認識するきっかけを演出しなければならないのだ。どうしたらいいんだ、こんなの……。



   次回予告

 史上最大、空前絶後……だといいなあ。

 次回「2021年の宇宙生命」宇宙を食らうもの。




     『次回予告2 前編』に続く

 SFジャンクボックスは順次『次回予告』にまとめていく予定です。作品の数が増えると管理が大変だということがわかりましたので。


 すみません。連載の仕方を間違えました。うーん……もう短編の設定で前編と後編に分けて掲載することにしましょうかねえ……。

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