Half Moonでよろしく 1
REALIZE1でリッキーがやってくる前のお話です。
ご自身もお店でコーヒーを飲んでいるつもりで、お楽しみください。
一話完結型です。
「Half Moonでよろしく」
定時が過ぎて、ぞろぞろとビルから多くの人が出てくる時間。仕事を終えた達成感と心地よい疲労感を感じながら、駅に向かって歩く。
「よぉ、坂田。今帰り?」
「あれ? 山下先輩、出張から帰ってたんですか?」
「おうよ。これでやっと一息だよ。なあ、ちょっと寄ってかないか?」
山下が目で合図したのは駅から近い場所にあるコーヒー専門店「Half Moon」だ。いつもこの前を通るとき、香ばしいいい香りがしてるのを坂田も気づいていた。
カランと明るいカウベルの音が響いて、珈琲の濃い香りが一気に体を包む。カウンターに空席を見つけて二人で座り込む。
「いらっしゃいませ」
薄茶の髪の美形なマスターが笑顔でメニューを置いていく。それを開いて山下がはぁとため息をついた。
「腹減った。俺、今日は昼めし抜きだったんだよ。ちょっと食べてもいいか?」
「ああ、どうぞ。」
山下はさっさと注文を済ませて、ちょっとためらった様子で水を飲む。
「坂田はさぁ、彼女とかいるの?」
「えっ?彼女ですか? あぁ、いや。いませんね」
山下はふ~んと気のない返事をしながら、ちらっと坂田の顔を見る。背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、見られていることには気づかないふりをしている。坂田には今触れてほしくない質問だった。つい昨日、隣の課の女子に告白されたばかりだ。その前は出入り業者の営業の子にも手紙をもらっている。つまりモテるのだ。
「お待たせしました。ミックスサンドとホットコーヒーです」
「ああ、ありがとう。」
「トマトジュースです」
「ああ、どうも」
人当たりの良いマスターがにこやかに去っていくと、すぐさま山下から突っ込みが入る。
「お前、せっかくのコーヒー専門店でトマトジュースはないだろう?」
「あは、すみません。ちょっと胃の調子が…」
「ストレスかよ」
苦笑いする坂田を、山下は片眉を上げて見返す。そう、胃が痛いのだ。昨日告白してきた女子は山下の想い人なのだから。わざわざ声を掛けてきて、何を言うつもりなのかと、内心ひやひやなのだ。
「おまえさぁ、モテるよなぁ」
ああ、ついに来たか。
「はぁ、俺もモテたいなぁ。お前の行ってる美容室ってどこ?服はどこで買ってる?」
え? そこ?
「先輩、モテることが良いことだと思ってます?」
「当たり前だろう!モテる男にモテない男の気持ちは分からないだろうなぁ。くそぉ」
「…」
サンドウィッチを完食した山下は、つまようじで歯の間の食べかすをほじる。坂田は思わず止めた。
「先輩、そういうのはちょっと…」
「なんだよ。口の中、気持ち悪いだろ」
「いや、だから。せめてトイレに行くとかしましょうよ」
山下は一瞬意味が分からないような顔をして、ハッとした。
「そうか、これか!よし、分かった!」
山下は意気揚々とトイレに向かっていった。
はぁ、悪い人じゃないんだけどなぁ。おおざっぱというか、デリカシーがないというか。山下の後ろ姿を見送りながら、小さなため息をつく。
坂田が入社したての頃、面倒を見てくれたのが山下だった。説明は理路整然とはいかず、困惑することも多かったが、付き合っているうちに、人柄の良さが分かってくるタイプの人間だ。長く付き合えば、いい人だって分かるんだけどなぁ。最近の女子に伝わらないのだろうか。後輩として、ちょっと悔しくも歯がゆい気分だった。
「いらっしゃいませ」
「マスター、こんばんは~。今日は友達と来たの。」
「やぁ、佐伯さん。いつもありがとうございます。奥にお席が空いております。どうぞ」
にぎやかな女性客が数人でやってきた。「かっこいい」、「すてき」、「やっぱりハンサムねぇ」などと、言いたいことを言いながら奥の座席へと流れて行った。女性客を案内したマスターはカウンダ―へと戻りながらささやかにため息をつく。そうか、マスターだって仕事でやってるんだよな。坂田は妙に納得して、マスターの動きを見ていた。
マスターはカウンターに戻りながらちらっと坂田の視線に答え、ちょっとだけ眉を下げて笑って見せた。
「またせたな。どうだ?」
山下はニカッと少年のような笑顔を見せた。
「ぶはっ」
坂田は思わず噴き出した。そして、心底思うのだ。この人の想い人に、どうか先輩の良さが伝わってくれと。
おわり
珈琲の香り、届きましたでしょうか? w