純白
彼女は手に持った煙草の先端をじっと見つめている。チリチリと赤い炎が煙草の葉っぱを灰へと還していく。紫煙が立ち登り、そして揺蕩い、部屋の中を広がっていく。
「ねえ、愛ってさあ、何色だと思う?」
彼女は唐突にそう言った。
僕は僅かに頭を働かせて、口を開いた。
「んん……まあ、無難に赤とか?」
「平凡ね」
僕は頭をガリガリと掻いた。ソファーに深くもたれかかる。彼女は煙草を深く吸い込んで、そして吐きだした。僕は煙草がそこまで好きではない。彼女に何度禁煙するように言っても、彼女は断固として聞き入れなかった。
僕は聞き返す。
「じゃあ、何色なのさ」
「ふん」
彼女は短くなった煙草を灰皿にこれでもかと押し付けて、火をもみ消した。まるで断末魔を上げるかのように、煙草は一際濃厚な煙を立ち登らせて、やがて消えた。
彼女が僕の方に向いて、もたれ掛かって来た。頭が僕の肩に乗る。ふわりとシャンプーの匂いが漂ってきた。僕と同じものを使っているはずなのに、彼女が使うと何倍も匂いが強くなっている気がする。
彼女は僕に体重を預けながら口を開いた。
「愛っていうモノはね、白いのよ」
「白?」
「ええ、白無垢よりも――どんな白色よりも純粋で、澄み切っていて、澱みなく、白いの」
僕は、彼女の言う白色について天井を仰ぎながら想像してみた。
しかし、僕の頭に浮かぶのは白色ではなく、それは限りなく光に近い色だった。何物を完全に浄化する神の光。生命が誕生するときの祝福の光。
白色ではなく透明、透明ではなく光、光ではなく白色。
それが彼女の言う白色、いや愛の色なのだろうか。
「愛って言うのは白色なのだけれど、でも何色にも成れる。染まることが出来るの。黒にでも、藍にでも蒼にでも、黄にでも、朱にでも、極彩色にでもなんにでも成れるのよ。だから白色なの」
僕は彼女の身体を抱いた。少しでも力を込めると折れてしまいそうな程華奢な体躯が、どうしようもなく愛おしい。僅かな煙草の臭いが僕の鼻腔を衝いた。
彼女は僕にもたれながら、ゆっくりと瞼を下ろした。
「愛ってのはね、空っぽなのよ。触れたら崩れるほど脆い殻のようなモノ。その中には何も入っていないの。空虚で切なくて、愛おしいのモノ。だからどんなモノでも愛は吸収するのよ。憎悪でも嫉妬でも、どんな汚いモノだって際限なくその脆い殻の中に仕舞い込んでしまう。もちろん優しさなんかの美しいモノだって、なんだって吸収するわ。どこまでも際限なく吸い取って、そしてそれらがぐちゃぐちゃに混ざり合った色に染まっていくのよ」
僕は彼女の頭を優しく撫でた。細く滑らかな癖のない髪がどこまでも退廃的なモノに感じられた。
彼女を抱きしめながら、窓の外に視線を向けた。いつの間にか曇天模様になっていて、のっぺりとした暗雲が重たそうに空を覆いつくしていた。ぽつぽつと細い雨が窓を叩く。
彼女は新しい煙草を取り出して口に咥えた。しかし火は付けず、口だけで器用に煙草の先端を上下に振った。僕はテーブルに置かれたライターを取り、煙草に火をつけてやる。
「ありがと」
彼女はたっぷりと時間を掛けて、肺一杯に紫煙を吸い込んだ。そして僕の肩に頭を預けるようにして上を向くと、ふうっと煙を吐き出した。不定形のそれは幾度も形を変えながら部屋の中に広がっていく。再び窓の外を見ると、いつの間にか雨の勢いは増していてパラパラと窓を叩いている。
彼女は細い指で煙草を弄びながら口を開いた。
「愛は、愛っていうのは唯一無二のモノなの。人はそれをたった一つしか持てなくて、そして誰かから渡される愛も一つしか貰えない。愛の色は白色なのだけど、でもその形は人によって違う。角の立ったゴツゴツしたモノもあるし、限りなく球体に近い滑らかなモノもある。棘の付いた危ないモノもあるし、この煙みたいに一つの形に留まらないモノもある」
彼女は煙草を一口吸って、美味しそうに吐き出した。
僕は彼女のきめ細やかな頬に手を伸ばし、撫で、首を動かして口づけする。そして言う。
「寝るかい」
「ええ、そうね。そろそろ終わりにしようかしら」
彼女はまだ半分ほど残った煙草を灰皿に押し付けて消した。僕は彼女をお姫様抱っこで抱え上げ、そのまま寝室に向かう。ベッドに優しく彼女を降ろし、脇のサイドチェストの上に置かれた錠剤の入った瓶を取り上げた。その中から十粒ほどを手のひらに出し、半分を彼女に渡した。
「これを一気に飲むのね。喉に詰まらせそうだわ」
瓶をサイドチェストの上に戻し、その隣のコップとミネラルウォーターの入ったペットボトルに手を伸ばした。コップ一杯に水を注ぎ、それを彼女に手渡す。僕は錠剤を握ったまま彼女の横に座った。
「じゃあわたしから飲むわ」
「うん」
彼女は錠剤を全て口の中に入れると、コップに口を付けて半分ほどを一息で飲んだ。コップを僕に渡してくる。それを受け取って僕も錠剤をのみ込んだ。
「これで終わるんだ」
「ええ、終わるのよ」
僕は彼女と共にベッドに倒れこむ。そしてキスをした。彼女は僕の胸に顔を埋めながら言う。
「じゃあ、ね」
「うん」
「わたしたち、また出会えるかしら」
「うん」
「出会って、愛を渡し合うのかしら」
「きっとね」
僕は彼女の髪をひと撫でして、目を閉じる。彼女の呼吸音だけが僕の暗闇の中に木霊し、やがてその呼吸音は聞こえなくなった。
僕も、眠りについた。