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散々な春には犬と美人と妖怪が

以前、pixivに投稿した作品のリメイクです。大きく変えるところもあるので、ネタバレはないと思います。


私、月宮倖乃つきみやゆきのにとってあの春の初めは散々な思い出だ。

私の座右の銘は『自業自得』だ。変わってるかもしれないけれど、おばあちゃんが教えてくれた言葉だ。自分がしたことはいい事でも悪い事でも、自分に返ってくる。そんなシンプルな言葉だから好きだ。これまでの人生でこの言葉を疑うことはなかった。勉強を頑張れば、褒められるしご褒美もある。人を助ければ、自分が困ったときにその人が力になってくれる。これは私の短いながらも十八年間の人生で気づいた真理の一つだ。しかし、初めてこの言葉を疑うことになった。

 不幸の始まりは進学先が私の意図しない場所になってしまった事だ。別に受験に失敗した訳ではない。むしろ、教師を目指して県内トップの私立高校に入学し、猛勉強の末に晴れて名門大学の入学の推薦枠も貰っていたので、三年の中盤から進路から解放され、自由な時間をアルバイトに充てていたくらいだ。

しかし、ここで不幸が起きた。父が子供を助ける為に車に轢かれたのだ。

結果だけを見れば、幸い大事には至らなかったが、父は一時的には危篤状態にまで陥り、手術から約半月も意識が戻らなかった。今も左足と腕に後遺症が残り、杖が手離せない生活をしている。不幸中の幸いというべきなのか、通勤途中の出来事だった為、労災や保険が下りたので、治療費や入院費は何とかなったが、医者の見立てでは短くても半年、長ければ一年以上の通院が必要との事だった。当然、父のリハビリにもお金はかかる。そこで、私も家族の力になりたくて「進学は辞めて就職して働く」と両親に伝えたのだが、両親は頑なに、奨学金や支援金があるから。預金も崩せば。と大学に行かせようとしてくれた。私としてはこれ以上、両親に負担を掛ける事はしたくなかった。だから、隣の神座市かむくらしにある公立の神座大学を受験した。

それが、私と両親の妥協点だった。神座大学は安さと偏差値が反比例している珍しい大学だ。それに神座市は隣とはいえ違う県だ。血の繋がりは薄いが親戚も数人はいる。一人暮らしの建前としては充分だった。神座大学への進学が決まった日から私は一人暮らしを決意していた。当然、両親に負担を掛けたいためだった。それが結果的に自分の為にも成ると思ったから。


 しかし、私はその事を途轍もなく後悔して、必死に全力疾走している。誇張表現などではない。人生で体育の苦手は私がこれほどまでに本気で腕を振り、足を高速で動かしたことなどなかっただろう。なぜなら、走るのを止めればそれこそ文字通り必ず死ぬからだ。

「ッ…なん、なのよ。あれ…」

息も絶え絶えにそう呟く。お昼過ぎ、駅から荷物を送り終えたアパートへの初めての帰り道、私の後ろをついてくる何かが居た。人間ではない。スマートフォンを鏡替わりに後ろを見れば、それらは三匹の黒い犬だったしかし、普通の犬じゃない。全身に黒い霧か靄の様なものが纏っているような、或いはその靄自体が犬の形をとっているような不思議な犬。私は怖くなり競歩気味になり、ついには全力のダッシュになっても、三匹の犬たちは影のように私の後ろに張り付いている。ギラギラとした赤い目は明らかに空腹にもかかわらず、餌をお預けされている時のものだ。今にも襲い掛かりそうな本能を、何か別の習性か何かに押さえつけられ、やっとの所でとどまっている眼だ。それに気づいてしまった私は、もう今にも零れそうな涙を浮かべ、走るしかなかった。高速で前方から後方に流れる景色の中に、一瞬赤いものが見えた。鳥居だ。藁にもすがる思いでその鳥居のある神社へと駆け込もうとした。小高い丘の上にある鳥居までの、なだらかな石の階段は、平時なら少し短く感じるのだろうが、今の私には途方もなく長いものに感じられた。そんな焦りもあったのだろう。はたまた、駅からここまでの道のりで足に限界が来たのかも知れない。鳥居の僅か手前で私の足はもつれ、顔と石畳の距離がどんどんと近づいていく。周りの景色がスローモーションになる。自分の股の間から見える逆さまの風景には、石の階段を駆け上がるタガが外れた狂犬が三匹、その体とは不釣り合いな真っ白な牙を剥き出しにして、私を食い殺そうとその四つの足を目まぐるしく動かしていた。ああ、わたし、死ぬのか。初めてそう思って目を固く閉じた。

「救急如律令呪符退魔」

言葉の意味は分からないのに、落ち着きのあるテノールで聞くだけで安心してしまうような声が静かに響いた。不思議と体に痛みはなく恐る恐る目を開けると転んだわたしを抱き抱えるようにして立ち膝の様な体勢をとっている男が居た。歳は私と同じくらいなのに真珠の様な白い房がまばらに入った直線的な黒髪の中には、透き通った色白の肌に女性と見間違いそうな過剰なほど整った顔立ちが三匹の犬を見ていた。その顔に表情は無いが、そのやや目に掛かり気味な前髪の間から覗く朝焼けの様な茜色の瞳から注がれる冷たい視線に対してか、或いは彼の左手にあるお札を恐れてか、三匹の黒犬は、鳥居の外からこちらを恨めしそうに見つめてから、霧のように掻き消えた。

「いつまでこうしているつもりだ?」そう言われてハッとして慌てて立った。

「あっ…はい、すいません」助けてくれた男性をもう一度、しっかりと見る。

白髪交じりの髪は右側が長いアシンメトリーで、やはり前髪は少し長めで鼻先に届きそうだが、ゆるりふわりと右へと流れ目元を避けるように分かれていて茜色の双眸は隠れることなく私の姿を映していた。服装は古風な文豪のようで、赤いタートルネックに黒い着流し、黒い下駄がよく似合っていた。顔立ちから指先まで、桜の舞い散る春の青い空に溶けてしまいそうな儚げな線の細さ、男性にしてはいささか赤く薄い唇に、私は、美男子というより美人という肩書を与えたくなった。この神社の神主さんだろうか。

「別にいい。で、お前……、失礼、ええっと」

「倖乃です。月宮倖乃。」

「それで、月宮はここに来るまでに、転んだり躓いたりはしなかったか?」

「はい、鳥居の前で転びかけた以外は」

意図の分からない質問に戸惑いながらも、駅からここへの記憶をたどり答える。神主さんは難しい顔つきで目と目の間にある前髪を触り、少し考える素振りをすると口を開いた。

「そうか。…送り犬がこの時間帯にあそこまで、露骨に姿を見せるのは珍しいんだが…」

「送り犬? アレについて知ってるんですか? 」しかし、神主さんは眉一つ動かずに答えてくれた。

「…送り犬。または送り狼ともいう。『妖怪事典』によれば、夜中に外を歩くと後ろからぴたりとついてきて、他の妖怪や獣から守ってくれるが、もし何かの拍子で転んでしまうとたちまち食い殺しに襲い掛かるんだ。…俺が居てよかったな。居なければ君は今頃アイツらの腹の中でひき肉だ。」

能面の様な無表情に妙に安心感がある音声のギャップに思考が混線する。しかし、話の内容の方がさらに私を混乱させた。

「あの…まるで本当に妖怪とかが居るように話してますけど…それに送り狼って下心のある男性の事を…」

そこまで言いかけてやめた。初めて男の顔が崩れたからだ。驚きというよりどこか納得したような表情で頷いた。

「ああ、ひょっとして、月宮は妖怪を見るのは初めてか?」

「えっあ、はい」戸惑いながら眉をひそめて答える。

この人は、本気でお化けや妖怪の存在を信じているとでもいうのだろうか。私もお化けや幽霊は居たらいいなとは思うが、実際に居るかどうかと聞かれたら悩む所だ。私も昔は妖怪や妖精を見たような記憶はあるが、それは無邪気な子供の錯覚だとも思える。

彼は命の恩人だがオカルティズムの変人かもしれない。そんな考えは一瞬でに掻き消えた。手招きされ、鳥居の後ろを見れば、碁盤の目の様な街が丁度見下ろす形で見えた。

そして、当然無我夢中で走っていて、気づかなかったものも。

空を見上げればとぐろを巻いた一反木綿に彫りの深い顔の火車が空を舞っていた。神社の階段の下を高校の制服を着たろくろ首と猫耳を動かす女の子、そして普通の高校生が仲良く談笑しながら横切って行った。

「…ここは日本で唯一、妖と人間が共存する都市だ。ようこそ、神座市へ。」

落ち着き払ったテノールがそう言った。


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