一石
人間はしばしば、奇妙な感覚を働かせることがある。
コルゴア山脈から帰還し、その近隣の大きな街に戻ってきたときに、俺たちはそれを感じ取っていた。
「・・・遠巻きに眺めてだが・・・何かあったみたいだな」
「ええ。少し、不穏なモヤのようなものが立ち昇っているように見えます」
「ほ~らみろ、クリス。きっと廃墟からあふれ出したレッドキャップが、ここまで来たんだぞ。あー、何てひどい奴。人災だよ、これは人災だ」
そんなことを言ってじゃれ合っていた俺たちは、そのまま市街に入ってもまだ、落ち着いたものだった。
心なしかザワついている市民を横目に、足を休める宿へ向かいながら、金羊毛を売って街に賠償金でも払えと、クリスに迫っていたくらいである。
ーーだが。
「何だってぇ!? ランバルドが攻めてくる!?」
ようやくそれを聞いてひっくり返りそうになったのは、幾度か入ったことのある料理屋、『黄金の泡沫』亭でのことだった。
その店の女将に、「なんだいアンタら、冒険者じゃないのかい。こういうことに詳しいのは、むしろそっちだろうに」と笑われたのだった。
オイ! 一体、どういうことだニール!!
茫然としながら、俺はテーブルに置いた両手を見ていた。
がなる友人を無視し、隣に座ったフリアに目をやれば、彼女は真っ青になりながら、震えるように唇を開いている。
・・・ああ、そうか・・・。
そういうことか。
すぐには言葉が出てこず、俺は彼女の肩をたたいた。
「どうも暗部の追跡が甘いと感じてたが・・・どうやら向こうは、それどころじゃない事態になってたみたいだな。
ーーいいか、フリア。あんたは・・・いや、あんたのいたパーティーは、何も間違ったことはしちゃいねえ。人間が強大なモンスターに襲われてたら、それに加勢するのは当然のことだ。例えそいつらの親玉が、他の国に攻めこんで、民を殺そうと企んでるクズでもな」
「・・・?」
クリスは一人、話が分からないという顔をしていたが、ああ、嬢ちゃんたちが瓦解するはずの敵軍を助けちまったんだな、と無神経なことを言っていた。
もともと対人を想定した軍隊では、魔物相手ではうまく立ち回れないことが多い。
少数でも、柔軟に動ける冒険者のほうが、経験値もはるかに高いのである。
「いちおう訊くが、その現れた魔物ってのはーー」
「骸骨翼竜です」
「!!」
さらに衝撃を受けて、俺とクリスは黙り込む。
『スカル・ワイバーン』・・・
俺たちの国も、相当本気だったんだな、とため息をつく。
羽毛はわずかしかないが、常時魔力の毒風をまとって空を飛ぶ凶悪獣で、風向きが悪ければ羽ばたきだけで20人は殺すと言われる、最悪級のアンデッドだ。
「念入りな準備もなしに、よく遭遇戦で倒したな・・・」
めずらしくクリスが、他人を褒めるようなことを言っていた。
しかしフリアは、表情を曇らせたまま、
「はい・・・。しかしそれ故に余力はほとんどなく、ディノスの諜報部隊に次々と・・・」
膝の上で拳をにぎり、涙を浮かべている。
店内の客が騒がしい中、自分たちのテーブルだけが別世界のように沈んでいた。
「・・・けど、どうするよ、ニール。しばらくこの国を離れるか? なぁに、どうせ奴らは、フェナス魔石の鉱床がほしいだけだろう。時期を見て、またディノスが取り返すさ。この国はそうやって、復讐の果てに立国した国だしな」
「ああ・・・」
領土を奪われる恨みを、骨身に染みて知っているからこそ、他国には攻め込まない。
そんな敬虔な誓いは、隣国ランバルドにとって、さぞ愚かに映っていることだろうが・・・。
それにーー
「俺たち”冒険者”ってのは、明日も知れない職業だ。だが、こんなときには簡単に逃げ出せる自由さがあるから、良いよな・・・」
俺は自嘲気味に言う。
「・・・わ、私はーー」
フリアは何も言うことができず、ただ俯いていた。
ーー自分たちみたいな人間が、大それたことを考えちゃいけないーー。
それが、三人の共通の見解である。
こんなことになる前から皆がそう思っているし、たとえどんな事態が起ころうが、責任など問われない。
なんせ、ただの放浪者なのだ。
「クリス。S級魔導師の名前を貸せ」
だが、俺は。
「・・・何だ? 何かやろうってのか、ニール?」
明らかに間違った方向へ進もうとしていた。
「『灰塵槍』をやる。それで『ランバルド』が退かないというのなら、この争い、全面戦争で仕方ないってことだ」
「!」
それを聞いたフリアは、ぽかんとした表情をしていた。
しかし、やがてその言葉の意味を理解すると、驚愕に目を見開いていく。
俺は・・・そのとき、深刻な顔をしていたと思う。
だが友人は、すべてを知っているクリスは、これ以上ないほど愉しげな表情でうなずいたのだった。