誰もが危うい平穏に生きている
戦いを生業とする者にとって、ディノスと呼ばれる俺の国じゃあ、40の歳がデッドラインだと言われている。
何でも、その中年のひと山を超えると、冒険者の戦闘致死率が倍近くになるらしい。
たぶんそれは、能力の衰えからくるものじゃない。そうでないと、一歳違うだけでいきなり死人が倍になるわけもないからな。
だが「40」という数字が重みとなって、いざという厳しい戦いの時にあきらめに繋がるおそれもあるので、ゆえに俺は、その一年前に、冒険者稼業の引退を決意したのだった。
「・・・おおっ。今日は、でかい獲物がかかったなぁ~」
山道からはずれ、しばらく歩いた薄暗い森で、俺ーー《ニール=ダンセル》は猪を発見していた。
長い旅を共にした仲間と別れたあと、俺は一人さびしく、生まれ故郷に帰ることになったのだ。
今はそこで、山籠りみたいな生活をしているのだが、別に人が嫌いとか、そういうわけではない。
ただ、ずっと各地を放浪していて気づかなかったのだが、自分は地に足をつけた毎日を送ろうと思ったら、どうしても雑音のない場所でしか生活できなかったのだ。
幸い、かなり名を上げたパーティーにいたおかげで、お金には事欠かない。
あとは細々と町に出て買い物をしたり、獲物が豊富な山で肉を食ったり売ったりして、悠々と暮らしている。
「いやあ、まだ現役でよその国にいたころ、悪さをしていたここらの巨狼は狩られつくしたらしいからなあ・・・。おかげで、いまはキツネや鹿なんかも増えて、獲り放題だよ」
押さえつけてナイフでとどめを刺し、くくり罠からはずして血抜きをし、麻縄をかけて山道まで引っぱりながら、俺は晩飯を思い浮かべていた。
あとは荷車に乗せて、家に帰ってボタン鍋だ!
大金を払って宴会だー!と、皆でどんちゃん騒ぎしていた昔も懐かしいが、これはこれで、乙なものもある。
静かな一人の夜の酒と、囲炉裏の火は、もはや俺の人生最高の友だった。
(・・・ふーん、ふん)
鼻唄を歌いながら、家から歩いてきたゆるやかな登りを、おりてゆく。
別の地に移り住んだ両親には、若いころに冒険者として旅立った際、すでに絶縁状を叩きつけられている。
だから、山の麓でひっそりと暮らす、自分の引退生活は平穏に満ちていた。
・・・まさか、その日の晩餐が、俺が気ままに孤食できる、最後の夜になるとは思ってもみなかったんだーー
(珍しいな・・・こんな時間に。人、か?)
酒がいつになくすすみ、深夜に迫ろうという時刻だった。
俺は、じっくりと囲炉裏の火を眺めながら、自分の”クモの巣”が侵されたことに気がついた。
「ここに訪ねて来るような知り合いは、町のギルドの情報屋と、その使いっ走りの ”ソラ”ぐらいだが・・・」
ぼやけた頭で考えながら、俺はその弱々しい人間の気配を追っていた。
先ほども言いかけたが、俺が”孤独に生活しなければならない”理由ーー
それが、自分に備わった特殊な魔術の才能だった。
ふだんは、軽斧をふり回す戦闘スタイルだったので、俺に魔術が使えるなどと気づくやつは、まずいない。
しかし、生まれながらの識字障害だった俺は、何故かは分からないが、そのぶん耳の良さが普通ではなく、高位の魔術を一度聞いただけでコピーしてしまえるという、信じられない偏りの脳を持っていたのだ。
「・・・お前は、まともではない・・・!」
当時の師匠は、顔をひきつらせて言ったものだ。
「ーーこの世界の魔術はな、ニールよ。己の潜在魔力を火種として、神の御手による存在か、魔の者の力を借りて発動するものだ・・・。魔術体系をまったく理解せずに、適当な呪文感覚だけでコピーしてしまえるお前は、不完全な大爆弾に等しい」
いつ暴発するか分からない俺の魔術は、その師匠によって”禁じ手”とされた。
自分の命、または大切な者を守るとき以外は、けっして人前では使うな、と。
ゆえに俺は、魔術の発展で有名だったこの国において、数少ない”戦士”を目指すことになったのだ。
・・・おかげで、特別な才能がある! と信じていた両親にはガッカリされまくったが、まあ自分の魔術と同じように、性格も大雑把だったので、俺にとっては良いことだったのかもしれない。
(それにしても、いきなり現れたこの気配は・・・一直線で家に向かってくるな・・・。俺の存在は、近くの町でもそれなりに有名だ。その「変人」のところにわざわざやって来るとなると・・・)
キナ臭さに眉をゆがめて、知らずに組んでいた腕を解いた。
無駄な敵意は感じないが、とにかく気配が微弱だ。
これがもし、若い頃ならすぐさま「どうした! 何があったんだ!!」と駆け寄るところだが、それで思いもよらぬ痛い目に遭ったことは何度もあり、冒険者稼業では、善意を裏切られるようなことは少なくない。
山を通りすぎるだけならそれもいいと、俺は鍋の前にどっかと座ったまま、成り行きにまかせることにした。
「ーー!」
果たして、俺の住む家屋の前でその人間は止まり、不揃いな音で扉を叩いたあと、姿を見せる。
(む・・・)
大概のことでは驚かない俺は、それでもその服が血に濡れた女に、怯みを覚えた。
「あの・・・一晩の宿と、ほんの少しでいい。食料を分けてくださいませんか」
そう言って、その場にくずれ落ちた。
意識は、すぐになくなった。
俺は”耳がいい”とさっき説明したが、魔術の師匠がそれを恐れたのは、人の発する雰囲気、細胞の波長などまで感じ取れる、異様な敏感さもあったのだ。
・・・だから、俺はその女の素性は知らない。
(けどーーコイツは・・・! 人を殺してるな)
それだけはすぐに分かった。
しかも、一人や二人ではない。
この女ーー本当に助けるべきか迷いながら、俺は力のなくなった肢体を、かつぎ上げていた。