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剣と魔法と弱虫ティアリィ

作者: 藤原埼玉

 荒くれ者の集うギルドの一角。


 酒場同然のように酒を持ち込み酌み交わすものもいれば、それを横目に依頼を吟味するものもいる。昼間から報酬について受付に文句をつけて絡むような輩もいる。


 そしてそんな喧騒のギルドに似つかわしくない、帽子にフリルのスカート姿の小さな少女がいた。


 少女の両手に抱えられた一枚の木の札にはこう書かれていた。


『荷物持ち 雑用 なんでもやります』


 少女の名前はティアリィ。見た通り冒険者志望の町娘だ。


 ティアリィの表情がどこか自信なさげに見えるのは、その困ったように泣きそうに歪んだ眉の形と眠くなくても眠そうに見えてしまう目が原因だろう。


 ティアリィはオロオロと大男たちの間を右往左往してなんとか躱しつつ時折巻き込まれながらも、なんとかその場に留まっていた。


「おい」


 そんな折、後ろから後頭部を小突かれてティアリィはつんのめる。驚いて振り返ると周囲の男たちと比べてさらに一際大柄な男がいた。


「またお前かよ…」


 そう言われティアリィはただでさえ泣きそうに見える困り眉を、さらに悲しそうに歪めて俯いた。


 目の前のアイザックはベテラン冒険者だがその歯に衣着せぬ物言いがティアリィは少し苦手だった。


「何度いえばわかるんだよ、冒険者ってのは魔法も剣も使えねえ奴を連れていくほど余裕はねえんだ。とっとと帰れ」


 アイザックは大きな足音を立てて行ってしまった。


 その大きな足音にさえ叱られているような気持ちになりティアリィはため息をついたが、気丈に胸を張ると木の札を掲げた。


 しかし、それから半刻が過ぎてもティアリィに話しかけるものは誰一人としていなかった。


 今日も収穫はゼロ。それでも意地悪な冒険者たちに嘲笑されたりしないだけ今日は大分マシな方だ。


 ティアリィはトボトボと家路に着いた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「おかえりティアリィ」


 ティアリィが家の裏庭で井戸水を汲んでいると後ろから声がかかった。ティアリィと二人で暮らしている、じさまの声だった。


「じさま…」


 ティアリィは振り返りじさまと向かい合った。その暖かい眼差しに、ティアリィは不意に涙腺が緩むのを感じ、涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。


「ティアリィ」


 じさまは何も言わずにティアリィの頭を撫でた。


「…ティアリィのポットパイが食べたいなあ、作ってくれるかい?」


 ティアリィはじさまの手の温もりにますます決壊しそうになる涙腺と必死で格闘をしながら、弱弱しくこくんとうなづいた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「家事も上手くこなせるし、人一倍思いやりだってある。村は平和だし、裏庭の畑も食べていくに困らない程度には収穫できる」


 じさまは食後のお茶をすすりながら、汲んできた井戸水で食器を洗うティアリィに話しかけた。


「充分さ、充分だよティアリィ。それ以上に一体何が必要だって言うんだ」


 ティアリィからなんの返事もなかったので、ふとじさまが見やるとティアリィの目からポロポロと涙がこぼれていた。


「おやおや…」


 じさまはティアリィに近づくと袖で涙を優しく拭った。どうして人に優しくされると嬉しいのにやるせないのだろう、とティアリィは思う。


 ティアリィは自分が情けなくなりながら、しゃくり上げつつ言った。


「わたし…強くなりたい…」


 じさまはうんうん、と言った。


 じさまがいなくなったら、ティアリィは自分で自分のことを守れるようにならなければならないのだ。


 じさまに心配をかけないためにも、強くならなければならない。


 それに父様も母様もお身体がお強くなかったから、きっと天国で娘の私のことも心配している。だから私は強くならなければならないんだ。そうティアリィは強く思っていた。


 それらはうまく言葉にはならなかったが、じさまはティアリィが泣き止むまで頭に手を置き、何も言わずうなづいてくれた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「だから何度言えばわかんだよおめえは!!」


 ティアリィはアイザックの頭ごなしの叱責に泣きそうになるのを唇をぐ、と噛んで堪えた。


「…俺はたくさんの冒険者を見てきた。冒険者の中には勇者もいればただの命知らずの馬鹿もいる」


 その日のアイザックの言葉はいつもと少し調子が違った。怖くて顔は見上げて見れないけれど、意地悪で嘲るような調子などない、どこか真摯な声だった。


「俺に言わせれば今のおめえは身の程知らずのただの馬鹿だ。帰る場所があるならそこにいればいいじゃねえか。一体おめえはこんな掃き溜めに何を期待してんだ」


 ティアリィは急に不甲斐なくなって木の札をぎゅっと握りしめアイザックの目を見あげた。


 ティアリィは驚いた。アイザックの目にあったのは何かを言いたくて言えないような、そんなこの男に似つかわしいとは言えない想いだった。


 どうしていいかわからず、ティアリィはしばらくそのまま固まっていると、アイザックは聞こえよがしに舌打ちを一つしてそのまま行ってしまった。


 ティアリィは俯いたままその場から動けなくなってしまった。


 どうして、私はいつもこうなんだろう。ティアリィはしょんぼりとそう思った。


 そんなティアリィの側に近づく人影がいた。ティアリィは邪魔だと言われるかと思い、慌てて顔を上げた。髪の長い優男風の男だった。


 そんなギルドではなかなか見ないようなタイプの男が、ティアリィに笑顔で話しかけて来た。


「よければうちのパーティーについてこない?」


 ティアリィはキョトンとしたあと自分の周りを見回した。声をかけられるような人間はティアリィ以外には誰もいなかった。


「ははは、もちろん君だよ。僕はゴードン、少し話だけでもいいかな」


「…えぇっ!?」


 ティアリィは驚いた。ギルドでパーティーの勧誘で話しかけられたことが信じられない思いだった。ティアリィは傍目にも浮かれているのがわかるほど嬉しそうだった。


 …それを今ひとつ釈然としない面持ちで眺めている男がいた。アイザックだ


「……物好きなパーティーもいるもんだな…」


「何?気になります?アイザックさんあの子のこと気にかけてあげてますもんねえ」


「なんすか?親心って奴ですか?強面で口悪いくせに随分殊勝っすね?」


「てめえら軽口叩いてるとはり倒すぞ!!??」


 アイザックはガンとテーブルを叩いた。


「…おい知らねえのかアイザック?あの優男」


 男は潰れて一つしかない目から隙のない眼光をアイザックに寄越した。アイザックと同じくらい年季の入ったベテラン冒険者のフラナガンだ。フラナガンは自身の獲物である二尺ほどの巨大なボウガンの手入れをしている最中だった。


「あ、なんだよ?そんな有名人なのかよ?」


人身売買トラフィッキング


「あ?」


「ゴードンと言ったがおそらく偽名だ」


「おい、フラナガンそれってつまりよ…」


 フラナガンがボウガンを拳で叩くとガチ、と音がしてボウガンの弦がはまった。ハンドルの滑車の滑りを確かめながら、さして興味もなさそうに告げる。


「札付きの悪人だよ」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「そっちだ!!挟み撃ちにするぞ!!」


 ティアリィは一心不乱で森の中を駆けている。心臓が破裂しそうに脈動し、肺に空気がうまく流れてくれない。恐怖で頭から血が逆流して視界が赤く染まる。


 薄暗い暗闇からは男たちの獣のような荒い息遣いが聞こえた。


 馬車で魔物討伐に、と言う話だったがティアリィは森に入った辺りから不穏な空気を否応なく感じた。自分のことを仲間ではなく『獲物』として見るような。そんな不気味な目つきだった。


 森の中で別の馬車と合流した時、ようやくティアリィは自分が罠に嵌められたことを確信した。


「おい!!味見はしても怪我はさせんじゃねえぞ!!」


「っつ!!?」


 ティアリィは木の畝に足を引っ掛け茂みの中に頭から突っ込んだ。枝が体に引っかかり焦ってもがいても後の祭りだった。


「…ったく、ただのちんまい町娘のくせに手間かけさせんじゃねえよ」


「お前らここで何をしてる?」


 背後から声がして振り返ると、巨大な影がそこにあった。蹄の金属音が闇に響く。


 この巨体で馬まで駆っていたのに、声をかけられるまでにまるで気配を感じなかったことは男たちにとって不気味だった。


 アイザックは、地に伏して息を切らしているティアリィとそれを取り巻く数人の男たちを交互に眺めていた。


「おい、おっさん。あんたなんか勘違いしてないか?俺たちは…」


「…人身売買トラフィッキングだろ?」


 アイザックはすうと息を吸うと空気が破裂するような大音声だいおんじょうで言った。


「俺の名はアイザック!!ランクAの冒険者だ!!人の領分ギルドに土足で入ってくるんじゃねえ!!死にたくねえ奴は立ち去れ!!」


 戦士の本気の圧力。


 気圧された男たちから、唾を飲む音が聞こえるようだった。


「な、何を言ってやが」


 アイザックの大剣の横薙ぎで側にあった大木が瞬時に一刀両断された。


 男たちは唖然とした顔で大木がなだれ落ちるのをただ眺めていた。


 アイザックの目に冷たい獣の眼光が灯る。


「二度は言わねえ。死にたくなきゃ立ち去れ」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ティアリィは怒鳴り散らし大剣をぶん回すアイザックがあまりに恐ろしかったので、恐怖のあまり震えたまま指一本うごけなかった。


 男たちが去ったのを見届けると、アイザックは馬から降り茂みの中のティアリィをウサギの首根っこを掴むように、鼻先に乱暴につまみ出した。


「このくそ馬鹿野郎!!一体なんなんだよおめえは!!剣も魔法も使えもしねえくせしやがって!!半端な覚悟で戦場に立つ奴はみんな腹わたぶちまけて死ぬんだよこの餓鬼が!!」


 ティアリィはふるふると震えたままアイザックの目をギラと睨みつけた。


「んだよその目…!…?」


 ティアリィの強張った表情筋の一部がプルプルと小刻みに震えている。


 その様は一種器用な芸のようですらあった。


「…おめえ泣くの堪えてんのか」


 ティアリィはぶんぶんと首を縦に振ると、アイザックはため息をついた。


「仕方ねえだろ…元々おっかねえ顔してんだから…声がうるせえのもな…悪かったよ…」


 アイザックは頭をガリガリとかくとその巨軀に比して小さな声で謝った。


 怖いけど案外いい人なのかもしれない、とその時ティアリィは思った。


「名前は…?」


 アイザックは、地面にティアリィを置いた。


「…ティアリィ」


 アイザックはティアリィか、ティアリィねぇ、と小さく反芻して立ち上がった。


「道わかんねえんだろ?家まで連れて帰ってやるから乗れよ」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 アイザックはティアリィを町の入り口まで連れ帰ってくれた。


 ティアリィがお礼を言うとアイザックは呻くような返事を返すだけだった。ティアリィはアイザックに迷惑をかけてしまったことに対してしょんぼりした。


 ティアリィはひどく疲れていたので、じさまの家に帰るなり水浴びもせずベッドに倒れこんだ。そのまま目を瞑り眠りを迎えるのを待ったが、ふと瞼を照らす月明かりが窓から差し込んできていることに気がついた。


 窓の外を見ると暗闇があの森の薄暗さと重なり、今更ながらティアリィの体の内から震えがこみ上げてきた。


 あのまま男たちに捕まっていたらどうなっていたのだろう?


 今となってはアイザックの叱責の理由もわかる気がした。


 現実を何も知らずに強くなるのだと肩を張っていた自分を滑稽で恥ずかしい人間だとティアリィは感じた。


(ごめんなさい…お父様お母様…じさま…アイザックさん……)


 その時、ドアを優しくノックする音が響いた。


「ティアリィ…」


 そういえばじさまにただいまの一言も伝えていなかった。リビングにランプは付いていたのに。じさまはティアリィの帰りを待っていてくれたのだ。


「大丈夫かい?」


 ティアリィはドアの外のじさまに返事を返すと伺うようにゆっくりとドアが開いた。暗くてじさまの表情は見えなかった。


 じさまがベッドに腰掛けると月明かりがじさまの顔を照らした。


「ティアリィはどうしてそこまでして強くなりたいんだい?」


 ティアリィは動揺した。じさまはティアリィのことはなんでも見通しているようなことをたまに言うのだ。


 ティアリィが答えられず俯いていると、じさまの声が響く。


「強い人間が強いとは限らない」


 じさまにしては、少し昏い声だった。


「ティアリィは充分強い」


 それは、じさまのいつもの優しい声だった。


 でも、じさまは優しい嘘をついてる。そう思いティアリィは首を横に振った。


「本当さ」


 じさまはティアリィの頭にポンと手を置くと、ティアリィは安堵から涙が溢れ出てきた。じさまにとっては、自分の涙を出すことなどスポンジを絞るくらい簡単なことなのかもしれない、などとティアリィは思った。


 今週はギルドに行くのをお休みしようかな、とこっそりティアリィは考えた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「助けてくれたお礼です…」


「いらねえよ」


 アイザックは、ティアリィの持ってきた手作りの傷薬ポーション一ダースをあっさりと突っぱねた。


 ティアリィが日課として行なっている雑草取り(ちなみにギルドの最低難易度の仕事の一つ)中に得た素材で試しに一度作ってみたら、じさまにいたく褒めてもらったのでそれ以来ティアリィが日夜作り続けているものだ。


 ちなみに、いつかの冒険のためにとせっせと毎日作っているが、未だにそのいつかが来ないのでそろそろじさまと一緒に置き場に困っていたところだった。


「お前はもうここには来るな」


 アイザックの目にはどこか清々しいまでの冷酷さが浮かんだ。


 ティアリィは昨日のこともあり、アイザックのことをどこかで敬愛していた。それがために、尚更ティアリィの心に激しい悲しみを与えた。


「…わた…しは…どうしたらいいんでしょうか…」


 ティアリィは知らず口から溢れでた言葉にハッとしてアイザックの顔色を伺った。  


 アイザックのその鋭い眼光に一瞬怯んだが、ままよとばかりにティアリィは続けた。


「…強く…なりたいんです…誰にも迷惑をかけないくらい…大事な人にも心配かけないくらい…大事な人に恩返しできるくらいに…強く…なりたいんです…」


 ティアリィが勇気を振り絞って言ったのち、アイザックはしばらく黙り込んだままだった。


 何かを考えているのか、ただティアリィが立ち去るのを待っているのか。


 ティアリィが恐る恐る見たアイザックの顔の中には…なぜだろうかどこか迷いがあった。


 迷いがあると言うことはそれだけ真剣に考えてくれていることだ。


 諦めないでいてくれていると言うことだ。


 ティアリィはそう思った。


 そしてそれだけでもティアリィは救われる思いがした。


「…ありがとうございました」


 ティアリィは鼻先の涙を堪えて深くお辞儀をした。気持ちがごちゃごちゃしていて一体なんの涙なのかわからなかった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 昼下がり、ティアリィは川辺に来ていた。


 何か辛いことがあるとティアリィはよくここに来た。


 川面を眺めているとティアリィの脳裏にアイザックの渋い顔が浮かんできた。


 あんなに強い人なのに、迷うこともあるのがティアリィには不思議だった。


 あんなに強い人でも頑張って頑張って今のように強くなったのだろうか?


 あの人はなんのために戦っているんだろうか?


 誰かを守るために戦っているんだろうか?


 だが、考えてもティアリィには何もわからないことばかりだった。


 見ると夕陽は随分と山の向こう側に落ち込んでいた。そろそろじさまと夕飯の支度をしなければならない。


 ティアリィは思い切りよく立ち上がり服を叩くと夕陽に一瞥をくれて、村に踵を返した。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 町の入り口に入った時にティアリィは違和感を感じた。静かすぎるのだ。


 違和感が拭いきれないまましばらく歩いて行くと民家がある通りに出たが、そこに騒然としている人だかりができていた。


「いいい痛いよ!!!痛い!!痛い!!あああああああああ!!!」


 男が血まみれで喚いていた。男の血まみれの腹部が一体どうなっているのかはティアリィには恐ろしくて見ることができなかった。


「頑張れ!!気をしっかり持て!!!ギルドに助けを呼びに行っているところだ!!」


「逃げろ!!早く地下室に避難しろ!!」


 遠くでは、町のみんなの避難の誘導をしている人が声を張り上げている。


 かろうじてパニックにはなっていないが、静かな緊張感と不安感が町中を覆っていた。


「ティアリィ!!ティアリィじゃないか!!よかった!!」


 自分の名前を呼ぶ声があり振り返ると、じさまの隣家のおじさんだった。


「ティアリィ!!落ち着いて聞け、巨大なモンスターが村を襲いに来た。今ギルドには討伐依頼をしに行ってるところだ。うちの女房の親戚の家に行って一緒に地下室に隠れてるんだ!!」


 ティアリィは頷き、おじさんの言う通りに動こうとした。


 しかし、その時ティアリィの中に焦燥感と共に引っかかった何かがあった。見落としてはいけない、致命的な何か。


「…じさまは…?」


 ティアリィがそういうと隣家のおじさんは、目を伏せた。ティアリィの心臓が不安でばくんと跳ねる。


 背中の方から誰かの声が聞こえた。


「落ち着けみんな!!モンスターは東の方角に向かっている!!地下室に避難すれば大丈夫だ!!」


 東の方角、それはティアリィのじさまのいる家の方向だった。


 ティアリィは制止の声を振り切り、弾けるように走り出した。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ティアリィは全力で走っていた。 


 大切な人がいなくなるのが如何に恐ろしいことか、不運にもティアリィは知っている。


 じさまがいなくなるなんてティアリィは絶対にいやだった。


 じさまの家もある民家の集合が見えてくる前の林の街道でティアリィはモンスターを見つけた。


 そのモンスターの下敷きとなって今まさに殺されようとしている若者がいた。


 若者はティアリィの存在に気がつくと泣き声混じりに助けを求めた。


「た、助け…!」


 ティアリィは反射的に足元にあった木の棒を力一杯放り投げた。


 その木の棒は大きなモンスターの頭に当たり、モンスターは怒りと共にこちらを睨みつけた。


「逃げて!!」


「ひっひいいっひいいいいいいいい!!??」


 モンスターは興味を失したのか、逃げる獲物に対して一瞥をくれることもしなかった。


 大きく仁王立ちでティアリィの目の前に現れたのは紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアー


 その異様な巨軀からは想像もできないほどの敏捷性を持ち、獰猛で成獣になる頃にはその爪は獲物の血で真紅に染まることからその名を持つ。


 紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーは獰猛なうめき声をあげた。


 ティアリィが見たその目の中にあったのは、驚くほど無機質で冷徹な野生だった。


 それはいつ自分が獲物として殺されてもなんら不思議はないことを恐怖と共にティアリィの本能に刻みつけた。


 紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーは地の底から震えるような咆哮を上げた。


 ビリビリと頰を裂くような裂帛。実戦経験のないティアリィは殺気を物理的なレベルで感じたことは当然のごとく皆無だった。


 ガチガチと歯の根がかみ合わず、足も震えた。


 それでも私…が


 私が…守らなきゃ!


「うっうあああああああああああああああああ!!」


 ティアリィはただ闇雲に悲鳴に似た咆哮を上げた。


 声に反応して紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーの後ろ足がその巨躯を前方に跳ね上げる!


 恐怖のあまりティアリィは目をつぶった。もはや死を覚悟したその瞬間だった。


 …


 …??


 いつまでたっても痛みがないことに恐る恐る目を開くとそこにあったのは大きな大きな背中だった。


「弱っちいくせに何してんだこのくそ馬鹿野郎!!」


 ティアリィは状況が飲み込めず、立とうにも完全に腰が抜けていた。


「足手まといだからとっとととすっこんでろ!!」


 ティアリィは腰がガクガクと震えて為す術もなかった。


「すすすすみませんんんん!!すすっこめませんんんんんんん!!??」


「ああ!!??おいフラナガン!!この馬鹿野郎どっかに放り投げとけ!!」


 アイザックは悪態をつきながら恐るべき膂力と速度で紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーの攻撃を受け流していた。


 紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーは見た目にそぐわず敏捷であり、さらに厄介なことにその一撃は重い。


 それに対してアイザックは受け止め、時に受け流し驚くほど的確に応戦していた。


「嬢ちゃん、悪い」


「あ、え?」


 フラナガンは無遠慮な手つきで文字通りティアリィを放り投げた。


「ひいえええええええええええ!?」


 ティアリィの身体は宙高く放り投げられたが、狙ったように綺麗に木の枝に引っかかり止まった。


「落っこちんなよ、っと」


 フラナガンが背中のボウガンを構えた。紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーは知能の高さ故か、フラナガンの攻撃を阻止しようと突進する構えを見せた。


「させっかよ!!」


 アイザックが体当たりで怯ませると、フラナガンのボウガンの一撃が紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーの左足を太い弓矢が貫通する。


 それは、弓矢で刺すと言うよりも肉が爆ぜるような強力な一撃だった。


 紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーが悲痛な悲鳴をあげると、アイザックたちはみるみる攻勢に転じた。


(なんて強さ…これが…冒険者!)


「トドメだ!!」


 アイザックの渾身の心臓突きが決まると紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーは断末魔の咆哮を上げその動きを止めた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「ぴゃあ!!」


 フラナガンは器用にスルスルと木に登ると木に引っかかったティアリィを今度は地面に放り投げた。アイザックはそれをボールのようにキャッチすると地面にぼんと無造作に置いた。


「おら、立てるか??」


 ティアリィはいえ、あの、その…など歯切れの悪い返事で、もじもじといつまでも立ち上がろうとしなかった。それを見てアイザックはあっけらかんと言った。


「なんだおめえ?ひょっとして漏らしたのか?」


 ティアリィはこの世の終わりのような目をしながら呻くような声で泣き出した。


「う、うぐううううううううあうううううう」


「な、泣くな!」


 アイザックは慌ててマントを外してティアリィの体を丸ごとぐるぐると巻いた。


「…お前がいなければ死人だって出てたかもしれねえ、な、フラナガン?」


「…そうだな」


「よくやったな」


 アイザックが親指を突き立てるとティアリィは白目をむいて唐突に後ろから倒れた。


「うおおい!?」


 そしてそのまますうすう、と寝息を上げ始めた。


「こいつ…散々泣いた上に気絶しやがった…」


「見かけによらず強い子だろう?わしの孫は」


 アイザックに見知らぬ老人が近寄って来た。


「強い?こいつが??」


「そう、強くてそして勇敢だ」


 じさまは満足げにうなづいた。


 なんたる孫バカ…とアイザックは呆れかけたがスヤスヤと寝こけるティアリィと屠った紅鋼爪熊レッドネイルドビッグベアーを見比べて鼻を鳴らした。


「ふん…そうだな…こんな小せえ身体でこんなでけえのに立ち向かったんだ」


「わしの自慢の孫だよ」


「ちっ孫バカが…」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「何、クエスト?そうさなあ…」


 ギルドの受付のオヤジは少し思案顔をして手元の台帳をめくった。それを不思議そうな目で見るティアリィにオヤジは言った。


「いつも雑草取りばっかじゃあ飽きるだろ??近くのスライムの回収とかやるか??」


 ティアリィは力一杯こくこくとうなづいた。


「おうティアリィちゃん、今日も精が出るねえ。飴玉やろうか?」


「おうティアリィちゃん!この前もらった傷薬ポーションすげえよかったよ!余ってたらまた頼むぜ!」


 ティアリィは少しだけギルドの人たちが優しくなったことに気がついた。


 理由はティアリィにはわかるようであまりよくわからなかったが、どちらにせよ嬉しかった。


「おい、ティアリィ!明日は遅刻しないで来いよ!」


 ティアリィはアイザックの大声にビクビクしながら会釈をした。


 アイザックのパーティーにも日帰りのクエストがあれば荷物持ちを少しずつやらせてもらえるようになった。


 ティアリィは戦闘向きではないとアイザックの仲間たちに満場一致で言われたので(少しだけ不服には思った)近く薬の調合や味方の援護の職業であるクラフトマンに弟子入りをしようかと思ってる、とはティアリィのここだけの話だ。


 ーその時は誰も知らない。


 それがのちに不可能を可能にする奇跡の錬金術師と呼ばれることとなる黄金卿ティアリィの旅路の始まりであることに。

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― 新着の感想 ―
[一言] とっても読みやすい文章で面白かったです! 続きが読んでみたいと思える短編小説でした。 次回の作品がありましたらまた是非読んでみたいと思います!
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