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第1章 エピソード6:定められた道

 


  森の中、息を切らしながら走っていた。



 肺が空気を欲し鈍く痛む。茂みの存在を無視して、ただひたすらに前だけを見て走っていた。でも、なぜ走っているのか分からない。分からないが、なぜか走らないといけないという義務があった。いや、これは義務なんかという固いしろものではない。誰よりも何よりも自分の身を守ろうとする非人間的なもの。あるいは動物的ともいうのだろうか。感情のままに流され、足を動かされる。いわゆる逃走本能というものが自分の体を突き動かしている正体なのだと気づかされる。


 追われている。一体誰が。そこは問題点に含まれない。今ある問題は、生命が助かるか、助からないかという単純な問題。だが、これは生物として極めて大きな問題となりうる。他者を尊重するという生温い考えは、命取りだ。この世界で生き抜くために何が必要で、何を成すべきか、俺は理解しているはずだ。ここがどれだけ俺たちにとって酷い世界なのか。でも、なぜ俺はそんなことを理解しているんだ。なぜだ。分からない。分からない。俺は、俺は、俺は、、、




 ……オレ……ハ……ダレ……ダ?




「……っ」


 重い瞼が少しずつ上がっていき、目がぼんやりと外の世界を取り込んでいく。最初に目に入ったのは、鉄みたいに固くて、冷たい床。体が軋む音がする。うつ伏せのまま寝ていたみたいだ。そもそも、俺の部屋にこんな固い床はない。じゃあ、ここはどこだ。


 疑問と同時に起き上がろうと手を床に着く。そして、足も上げようとする。


「いたっ……」


 右脚に鋭い痛みが走る。寝違いにしては、あまりに鋭い痛み。おそるおそる痛みを発する右太腿に目を落とすとズボンの上から雑に包帯が巻かれてあった。血が滲み出たことによりできた、白い布の中で目立つ赤いシミを見て、ここに至るまでを思い出す。


「待て、待て待て待て。俺は異世界に飛ばされて、森の中を歩いて、そしたら矢に……矢……」


 震える手で顔を抑える。隠しきれない動揺と矢で射られるという新たな痛みの恐怖がじわじわと心を覆っていく。思考が全力で現実逃避をしようとする。それは意識が遮断されることで一時的に起こりえたことで、目が覚めてしまえばもはや逃げ道はない。そこで、右脚に集中していた意識を周りに向けてみた。



「……………は?」



 檻だ。ペットショップや動物園で見るような檻が目の前にあった。しかし、大きな相違点として、あれらを外観からの姿しか見ていないため、このような内観からの姿を見ることは初なのだ。つまり、現時点で加倉井 奏太は檻に閉じ込められているという答えになる。


 思考より先に手が動く。柵を掴んだ手は揺らす、揺らす、揺らす。その度に鉄と鉄が擦る歯痒い音が鳴り響く。しかし、自分の力ではどうやっても開けることができないことを遅れてきた思考が教える。


「だ……誰か! 誰かいませんか!」


 哀れな懇願が暗い空間の中、虚しく目の前で落ちていく。恐怖に不安と焦りを散りばめ、より一層加倉井 奏太の心を締め付けていく。


「誰か! 誰か! いないんですか! ここを開けてください!」


 ギシギシとした金属音と人間の虚しい鳴き声がひたすらに部屋の中で走り回る。どんなに叫んでも、どんなに音を立てても、何も変わらない。変わらない恐怖が常に自分を追い込んでいってる。


「お願いです! 誰か! 誰か助けてください! 誰か! 誰か!」


 加倉井 奏太は叫び続ける。恐怖に負け、他力本願で、醜く、叫び続ける。


 ****


 喉が枯れる寸前で叫ぶことをやめた。これ以上やっても無駄だということに自分で納得してしまった。冷たい。冷たい床で我が身を抱きながら、檻の壁を見つめる。誰もいない。何もない。何もできない。自分はなぜこんなにも無力なのかと、なぜ異世界に来ようなどと思ったのかと。こんなことを望んで来たわけではない。自分が一体何をしたんだというんだ。


 自分の過去の行動を嘲け、異世界に来てしまったことを悔やみ、そして今の自分が情けない気持ちで心を埋め尽くすことで、思考を放棄していた。それだけ、加倉井 奏太にとって今の現状は酷なものだと判断しているのだ。



「……らね、まだ、そうときまっ……」


「うそは……ない。しょう……あれば……」


 檻の外から、微かに声が聞こえる。そして、かつかつと床を鳴らしながら、近づいている音も同時に聞こえてくる。


「あ、あの! 誰かそこにいるんですか!」


 助かる。そんな淡い希望が芽生える。なりふり構う余裕がないだけあって、声の調子も良くなっていた。すると、暗かった空間が一瞬にして、眩い白へと変貌した。いきなりのことだったので、目が久しぶりの光に慣れておらず、とっさに目を腕で覆ってしまう。



「おいおい、マジですかぇ?」



 低くしゃがれた声の持ち主が今、目の前にいる。覆っていた腕をどかし、徐々に徐々に光に慣らしていく。


「!?」


 慣れた視界が目の前の人物を捉える。いや、人と捉えるべきなのか。そこにいたのは紛れもなく、頭がネズミで体が人型をした化け物がいた。


 薄汚さが残る毛深い肌。クリクリとした黒い目。長い髭に、ネズミ感を特に出している二本の前歯。それに加え、体はネズミの毛並みはあるものの、人間と同じ構造をしている。そんなネズミ男が、オーバーオールを身につけ、ハンチング帽を手で被り直しながら、しゃがみこみ、こちらを凝視しているのだ。


「嬢ちゃん。こんなやつ、どこで拾ってきたんでぇ」


「いつものように森でノラ探しをしていたらほっつき歩いていたんでな。そこを捕まえただけだ」


 ネズミ男ともう一人、隣で俺を物色するやつが立っていた。短く整った翠色の髪。鋭い目つき。高くも整った鼻と、艶めいた唇。そして、長く尖った特徴的な耳……ちょっと待て、こいつどこかで……


 じくじくと痛む右脚。これを触媒として思い出す。痛みが、恐怖が思い出してしまった。彼女だ。俺に矢を放ったのは。俺に怪我を負わせたのは。俺を殺そうとしたのは。


 すぐさま檻の奥へと逃げた。そこまで大きくない檻のため、ネズミ男とエルフの顔がしっかり見て取れる。


「ほらぁ嬢ちゃんが驚かすから」


「私は悪くない。お前の顔が醜いからだろ」


「こりゃまた辛辣だねぇ。しかしあれだよ、ヒュームを怪我させるのはいけねぇなぁ。法で決まってるって前にも教えたの、ちゃんと覚えてる?」


「私にはこの方法でしか狩る方法がないんだから、仕方ないだろう」


「仕方ないじゃ済まなぇんだよこれがまた。今回もとりあえず、おじちゃんが誤魔化すけど、次からはなるべく気をつけてね」


「助かる。心得た」


「ほんとうに心得てよね」


 ヒューム?俺のことか。この世界では人間をヒュームと呼ぶのか。二人だけで話が進んでいって、全く理解が追いつかない。


「ねぇ、ちょいと君、怖がらなくていいよぉ、おじちゃんは見た目はあれだけど、このお嬢ちゃんより優しい自信があるから、ちょっと話を聞かs……ぐふっ!」


 ネズミ男が話してる内容に気が触れたのか、エルフが彼の横腹にエルボーを食らわせた。


「いたたたたたた、ほんと扱い酷いなぁ。えーっと、まず君は、どこから来たんだい?」


 警戒を解いたわけではないが、話さない限り先に進まない気がしたため、俺はまだ見た目に慣れてないネズミ男を前に話をすることにした。


「に……日本から来ました……」


「にふぉん? 聞いたことない地名だなぁ。嬢ちゃんは知ってるかい?」


「私も知らない。そもそも、エルフは基本的に一つの森から出ないから、私に聞いても意味ないだろ」


「それもそうか……」


「なぁそんなことより、いくら貰えるんだ。金貨五枚以上じゃないと私は納得しないぞ」


「大丈夫、大丈夫。こんなレアもの拾ってきたんだ。おじちゃんの見解でも、金貨十枚は下らないね」


「あ、あのう……」


「ん? どうしたんだい?」


「僕は……その、これからどうなるんですか?」


 自分の中に浮かび上がった一つの疑問を提示した。


「あーそのことかい。君は今からおじちゃんが買い取るんだよ。今、その話をしていてね」


「ちょちょっと待ってください! 買い取るってなんですか!」


 ネズミ男は心底不思議そうな顔をしていた。


「いや、おじちゃんの仕事はねぇ、奴隷商でねぇ、君を買い取ったあとに、また高い値で売るつもりだから。なにせ、言葉を話すヒュームなんてこの世界じゃ珍しいからねぇ、かなりの額で売れそうだから、商売魂が疼くってもんよ」


「ど……れい……?」



 感情が吹き飛ぶような感覚とはまさにこのことを指すのだろう。今、何をするべきか、これからどうするか、自分の身にこれから何が起こるのか、奴隷というたったの二文字でそれは覆された。



「安心しな。おじちゃん、こう見えてもホワイトでやってるつもりだから、売るまではしっかり面倒みるからね」


 するとネズミ男は、ニヤリと親指を立てて、ホワイトではない黄色い二本の前歯をこちらに見せつけた。


この小説を読んでくださり、ありがとうございます。

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