雨の墓・1
おい、と投げつけられた声に振り返ると、クラスの男の子が三人立っているのに出くわした。
「なに?」
私の問いかけに何か思うところでもあったのだろう、三人が三人ともぐつぐつした笑い声を漏らした。なんだか面倒事の気配がする。
男の子たちはお互いに目配せし合って、それぞれに抱えたバケツの水を私に叩きつけた。これからますます冷え込む時間ではあったが、教室のストーブで酸欠になりかけていた私にはいい刺激だった。眠気が覚めてはっきりした両目を男の子たちに向ける。三人は急に怯えたように顔をこわばらせた。
「なんだよ、なんか言いたいことがあんのかよ」
この男の子の声は、濡らした雑巾を叩きつけた音に似ている。ぺちゃっとした大声を所構わず張り上げる子だった。そのせいか、どこか声がかすれている。
教室のざわめきが聞こえていたが、廊下はそこだけ切り取ったようにピンと張りつめた空気をしている。窓もうっすら曇っているから、外はここよりもさらに寒いのだろう。
もう一人の男の子が、嘘をつくときの顔で言いつのった。
「いつもぼーっとしてるから、目を覚ましてやったんだよ」
「そうだよ、感謝しろよ」
背の低い男の子が高い声で付け足す。
男の子たちの狙いは効果があって、見事に目がさっぱりした。本当に感謝したいのに、男の子たちの顔を見るに、どうやらその親切は嘘であるらしい。
「ありがとう、おかげですっきりした」
男の子たちのご所望の通りに感謝してみる。予想は当たっていたみたいで、戸惑いを踏んで苛立っていく顔を見てしまった。
「はァ? お前、何言ってんの?」
「意味分かってる? 馬鹿じゃねえの」
ますます声が高くなって、廊下いっぱいに反響する。教室からいくつか顔がのぞくのが見えたが、誰も本当の答えを教えてくれそうになかった。まるで遠くの山火事でも眺めるように見守っている。
私は困り切って口をつぐんだ。言葉通りの意味でないなら分からない。分かって当たり前のことだったのだろうか。だとしたら、誰かに尋ねたところで教えてはもらえないのだろう。
救いが来たのは黙り込んで十秒も経たない時だった。
「何やってるの!」
先生が駆けつけてきた。廊下に立ち尽くす私と、その足元で雫を受け止めている水たまりを見て目を剥く。そうして、つかつかと私のそばまで来ると、白目がちになった両目を男の子たちにぶつけた。
「なんで千鶴ちゃんに水かけたの! 掃除の時間でしょ? なんでこういうことするの?」
立て続けの質問攻めに男の子たちが黙り込む。そりゃ、こんな剣幕だったら何もしてなくても答えづらいに違いない。
「ぼーっとしてるから、水かけて目を覚まそうとしたんだって」
代わりに答えてあげると、男の子たちは弾かれたように私をにらんだ。
「違うよ! 千鶴がはじめに水かけるって言ったからやり返しただけだし!」
「そんなこと言ってない!」
思わず大きな声が出た。普通に言えばいいのに、どうしてこんなところで嘘をつくんだろう。いつもこうして問い質されたときに出る嘘で私が怒られるのだ。やってもいないことで怒られるのは嫌だった。それなのに。
「言ったじゃん! おれがあくびしたら『水かけてやる』って脅したじゃん」
「――…………」
それは、確かに言った、ことになるのかもしれない。眠いときに水を浴びると目が覚めるらしいと教えたら、こんなに寒いのに自分からそんなことするわけがないと意地を張ったのだ。それなら私が代わりにやってあげる、みたいな会話をした気がする。
だから、脅した覚えはない。脅したように見えるほど私の顔は怖かったのだろうか。なんだか不満だ。納得がいかない。
「そうなの?」
先生のぎょろ目が私を見据える。しぶしぶながら私も頷く。男の子の言い分に嘘はなかった。
先生は溜息をついた。
「はい、みんな席に座って! ……四人は先生と一緒に来て」
先生はじろりと私たちを見る。男の子たちとひとくくりにされたまま職員室に連れて行かれるのだろう。
分かっている限りで、私も男の子たちも悪いことはしていないはずだった。それなのに先生もみんなもやたらと言い合いたがるわけが分からない。唯一悪いらしいことといえば、男の子に水をかけると『脅した』ことくらいだが、あれだって悪意があったわけではない。そんなの、ちょっと謝ったらいいだけの話だろうに、無闇に責められた挙句、職員室で集中的に怒られるのだと思うと不満が募った。




