目
私は窓の外を見ながら息を吐いた。車の窓ガラスを通した景色は肉眼で見るよりも少しだけくっきりと見える気がする。運転席に境井のお母さんが乗り込んだ。流れるようにシートベルトをはめる。その小気味よい姿もこの頃では見慣れてしまった。
今日は境井が入院している病院に向かう予定だった。網膜だか何だかの手術を終えて、やっと退院になるらしい。実は、手術後の境井に会うのは、今日が初めてだ。
「不細工って思われそうだな……」
柄にもなく緊張しながら私が言うと、境井のお母さんはハンドルを握りながら声をあげて笑った。
「大丈夫よ。冬樹はまだ入院中のおばあちゃんと看護師さんと、あとは私の顔くらいしか見てないから」
慰めてくれてるのか追い打ちをかけているのか、ぎりぎりだと思う。例えば私のお母さんならなんて言うだろうか。千里やお父さんならなんて言うだろう。山内さんと日野原さんは、たぶん私の安心のためなら根拠もなく大丈夫だって言い切るんだろう。でも、何を言われても心配なことには変わりない。私はどんな顔が不細工でないのかが、まだいまいち分からない。
「千鶴ちゃんのお父さんもさ、もしかしたら言ってくれないかもしれないけど、かわいくてしょうがないはずだよ。男親はみんなそう」
境井のお母さんはそう言うが、本当にそうだろうか。あのお父さんが私にかわいいなんて言う顔は想像もつかないのだが。
ただ、男親が娘をたいそうかわいがるのは一般的によくある話らしい。そういえば生活指導の吉河先生にも娘さんが生まれて、たいそうかわいがっていた。写真を見せてもらったが、先生によく似た顔立ちをしていた。父親に似た娘は美人になるというから、将来有望だろう。
くだらないことをとりとめもなく考え込んでいると病院についた。境井のお母さんは一発でバック駐車を決めて、さっさと荷物を持っていく。その様は登校中の境井と同じものだった。
「冬樹くんはお母さん似ですね」
呟くと、境井のお母さんが振り返る。
「私の息子なんだから、当たり前でしょ」
眩しいまでの笑顔を浮かべていた。こういう人にお目にかかったのは、この人が初めてかもしれないと思った。私はこういう人が嫌いではなかった。
エレベーターに乗り込んで病室のある階に出る。
「うわ、なんか緊張してきた」
うっすら汗を刷いている両手を握ったり開いたりしていると、境井のお母さんはぽんと私の背中を叩いた。
「気にしすぎ。あれだけ仲良くなっておいて、今更何を言ってんの」
それは確かにそうだが。境井のお母さんはよどみない足取りでまっすぐ病室に向かう。
「ここだよ」
境井冬樹。私にとって、唯一無二の大切な人だ。同じ風景を見て、同じ世界を失った相手。今はもう、新しい風景を得ているのだろう。
私は息を吸って、吐いた。そして心を決めると、ドアを開けた。
あっおわった




