#2 炎の魔神
「ド、ドドド、ドラゴン! アースドラゴンだ! お、お助け!!」
いつの間にか起き上がっていたやせた男が、這いつくばって逃げだす。その姿は森の中へと消えてしまった。
「ア、アニキ!」
小柄な青年は叫ぶ。だが、腰を抜かしたのか、座ったままでその場を動くことができない。
アースドラゴンと呼ばれた巨大なトカゲは、歩くたびに花びらを巻き上げながらどんどんと近づいてくる。
「ちっ!」
ジンは小柄な青年を抱きかかえるとその場を飛びのく。
アースドラゴンの前足が小柄な青年がいた場所をえぐる。再び花びらが舞い散った。
『ジンさん!』
それと同時に茂みからアンジュが飛び出し、ウィリー走行。そのまま前輪をアースドラゴンの顔面にたたきつける。
アースドラゴンは悲鳴を上げながらひるんだ。
「相棒! ありがとな!」
ジンは距離をとり、小柄な青年を下ろす。青年はいまだに放心したままだ。ジンはその頬を思いっきり叩いた。
小柄な青年は一瞬何が起きたかわからないといった顔をしたが、ジンが強引に自分の方に顔を向けさせた。
「逃げろ! 死にてぇのか!」
『ジンさん!』
ジンは振り向く。アースドラゴンが迫る。間に合わない。時間がゆっくりと流れる。
しかし――
突然、アースドラゴンの巨体が吹き飛ぶ。アースドラゴンはすぐさま体制を立て直す。しかし、その顔に恐怖を浮かべたまま、森の奥へと逃げてしまった。
ジンはアースドラゴンが立っていた場所を見る。
そこには1人の女が立っていた。
途中から炎となった髪を燃やし、右手と顔半分が人形のようなつやのあるを黒い肌の女――エルザだ。その右腕と顔はひび割れ、中からは炎が漏れ出し、目はルービーのような真っ赤な宝石に置き換わっている。
「エル――」
「ま、魔神! 魔神だ! こ、殺される!」
小柄な若者は叫びながら森の中に消えていく。ジンはそれを無視しエルザをじっと見つめる。そこへ、アンジュが近づいてきた。
『ジンさん……』
「大丈夫だ。相棒。ちょっと待っててくれ」
ジンは小さく笑い、アンジュのタンクを軽くなでる。そして、エルザにゆっくりと近づく。
エルザは一点を見つめながら、その場に立ち尽くしていた。
ジンは徐々に近づく。熱気が襲う。エルザの足元の花は熱気で枯れてしまっている。
「あた……ルザ……ジン……もる……」
エルザは何かをぶつぶつとつぶやいている。ジンはさらに近づく。
今度ははっきりとなにをつぶやいているのかがわかった。
「あたしはエルザ……ジンを守る……あたしはエルザ……ジンを守る……」
約一メートルくらいの距離まできて立ち止まる。それ以上は熱くて近づけない。
ジンは思い切って声をかける。
「よう、エルザ。助かったぜ」
普段通りの一切の緊張のない声。その声に反応しエルザはこちらを見る。そして、目を見開く。
「ジ……ン……」
「なんだよ。大丈夫か? この様子じゃ薬草を見つけるとどころじゃなさそうだな」
エルザは必死で右手を隠しながらうずくまる。
「み、見ないで! あたし、あたし!」
「その髪……かっこいいじゃねぇか」
「え?」
エルザは驚きジンの顔を見上げる。ジンは小さく口元で笑っている。
「なあ、近くで見てみたいんだけど、ちょっと熱すぎるんだよな。ちょっと抑えてくれると助かる……って、抑えたら消えちまうか」
「ジン……」
「なんだ?」
「あたしが怖くないの?」
エルザは恐る恐る聞く。その声は震えていた。
「いや、正直に言えば少しは驚いたけど、おまえはおまえだろ?」
ジンは笑顔で話しかける。その顏、その言葉に恐怖心などは感じられず、いつものジンのままだった。
その笑顔を見た瞬間、エルザの体から炎が右手に吸い込まれるように消え、その場に倒れ込みそうになる。ジンは慌てて近づくと抱きとめた。
右腕は相変わらず黒く、赤い宝石が埋め込まれたままだ。しかし、顔はいつものエルザに戻っている。
「おい、大丈夫か? 待ってろ、すぐに運んで――」
ジンはそのまま立ち上がろうとしたが、エルザはジンの服をつかんだ。
「エルザ……」
「ねぇ……少しだけ話を……ごめん、やっぱり、アンジュに聞いて。彼女もあたしのことはわかると思うから」
この声は弱弱しく、エルザは小さく震えている。ジンは座りなおし、エルザをしっかりと抱きかかえた。
「なあ、エルザ。オレはおまえのダチだからさ……おまえの背負ってるもんを一緒に背負えないかもしれねぇけど、少しは軽くできるかもしれねぇと思うんだ」
エルザはうつむき震えたままだ。ジンはできる限り優しく声をかける。
「だから、おまえの言葉で聞かせてくれ。人の言葉じゃなくて、おまえ自身の気持ちとか、オレは知りたいんだよ」
エルザの髪を、ジンは優しくなでる。
女手一つで苦労して育ててくれた母親と同じ少し荒れた髪の毛――ジンはエルザの苦労を感じた。
ジンは当然、女性にこんなことをしたことはない。だが、エルザのために少しでも何かしてあげたいと思うと、自然と手が動いていた。
「ジン……じゃあ、聞いてくれる? 戻ってからだと決心が鈍るかもしれないから、今ここで、話したいの」
エルザは顔を上げ、戸惑いと不安の入り混じった顔でジンを見る。ジンは優しい笑顔でエルザを見る。
「ああ、いいぜ。ただ、無理しない程度でいいからな?」
「うん……ありがとう。まず、最初に聞きたいんだけど、あたしはいくつに見える?」
「いくつって……そうだな。二十代後半くらいか? いや、もっと若くておかしくないか?」
ジンはエルザの顔を見ながら口元で小さく笑う。
「あたしね……本当は三百年以上生きてるの」
エルザは真剣な目でジンを見つめる。ジンは真顔になる。
「嘘だと思う?」
「いや、おまえがそう言うなら信じるぜ」
「……ありがとう……で、なんであたしがそんなに長生きかって言うと、魔神の力のせいなの」
「魔神?」
「そう、世界を破壊する力を持つ、魔炎・イグニート、人々に忌み嫌われる災厄の化身……この世界だとその魔神の力が宿っている宝石が見つかることがあるんだけど、あたしは生まれた時からこの宝石を自分の体の中に宿していたのよ」
エルザは黒い陶器のような右手に埋め込まれた大きなルビーのような丸い宝石を見せる。ジンはその手の宝石をまじまじと見つめる。
「じゃあ、あの姿がそうなのか?」
「ええ、あれが魔神の姿よ。でも、完全じゃない……魔神の力を完全に引き出せば、あたしはあたしじゃなくなるから……」
「そうか……それなのに助けてくれたのか……ありがとな」
ジンはエルザの右手をとった。普通の体温よりも少し暖かさを感じる。
「ねぇ……あたしのことが怖くないの?」
「なんでだ?」
「だって、こんな力があるのよ? みんな怖がったし、普通は怖がるでしょ? 見捨てられたって当然なのよ」
エルザのジンのローブをしっかりとつかむ。ジンは雲一つない青空を見上げる。
「オレの元いた世界にさ。すげぇ体がでかくて顔の怖いやつがいたんだよ。で、みんなすげぇ怖がってたんだよな」
ジンは思い出しながら、ゆっくりと話す。風が吹き抜け、草木を揺らした。
「でもな、そいつは見た目だけで、中身は友達おもいの本当にいいやつだったんだよ。オレも何回も助けてもらったくらいなんだぜ? だからな」
ジンはしっかりとエルザの右手を握る。
「力なんか関係ねぇよ。おまえがオレとダチだと思ってる限り、ぜってぇに見捨てたりしないからよ」
ジンはエルザの顔を見るとニヤッと笑う。その笑顔にはやはり、一切の迷いや戸惑いはない。
「ジン……ありがと……」
エルザは言いながら、真剣な顔でジンをじっと見つめる。
ジンはエルザのその顔を見て、心臓が脈打つのをはっきりと感じる。
自然とエルザに顔を近づけていく。
もう少しで――
『すいません。私をお忘れですか? 邪魔なようでしたら先に帰りますけど』
突然、アンジュが二人の会話に割り込んでくる。その声は少し不機嫌そうに聞こえた。
「え?」
「え?」
ジンとエルザは間抜けな声を上げる。顔が近い。冷静に考えるまでもなくかなり恥ずかしい。
二人は慌てて放れて、立ち上がる。
「べべべ、別に忘れたわけじゃねぇぜ? 相棒!」
「そそそ、そうよ? アンジュ、あなたの存在を忘れるわけがないじゃない!」
二人はしどろもどろにアンジュに言い訳をする。
『別にいいんですけどね』
アンジュは二人の言い訳を適当に聞き流しながら、村に続く道に出るためにさっさと行ってしまった。
ジンとエルザはお互いの顔を見合わせる。そして、気まずそうに笑うと、急いでアンジュの後を追った。