#3 魔法使いエルザ
月明りの下。ジンはしばらくアンジュを走らせてから、ミラーで背後を確認する。追ってくる影は見当たらない。それを確認したジンはアンジュを止めた。
「ここまでくれば大丈夫か……」
ジンはアンジュから降りるために、エンジンを切ろうとしたが鍵は見当たらない。
『鍵は必要ありません』
アンジュは機械的な音声で、ヘッドライトを点滅させながら言う。ジンはその言葉に従って、女を先に降ろし、自分も降りた。
女は軽くふらついている。バイクに乗ったせいか、先ほどの戦闘のせいかはわからない。
大きく伸びをすると、なにかぶつぶつとつぶやいている。そして、軽くストレッチをしはじめた。
その様子を見たジンが話しかけようとするが、それより先にアンジュが話しかけてくる。
『すみません。ジンさんは私を見て何も思わないんですか?』
「え? ああ、そうだな。メーターは減ってないからガソリンは使ってないみたいだな……あとは、どっか痛いとことかないか? こっち来るときにケガとかしてたら大変だからな」
ジンはアンジュの体をあちこち見まわす。月明りなのでよくはわからないが、傷などがある様子はない。
それを確認すると、ジンは安心した様子でアンジュのタンクをなでる。
「今は大丈夫みたいだな。ただ、修理とかも考えないとな。工具とパーツはどうすっか……」
『傷は大丈夫です。普通の生物のように自己修復……勝手に治りますから』
「マジか! すげぇな、さすが俺の相棒だぜ!」
ジンは思わず笑顔になる。
『いえ、そうではなくて、私がこうして話していることに疑問を感じないのですか? 私はバイクなんですよ?』
アンジュの言葉に対応するかのようにヘッドライトが点滅する。
「あっ、確かにそうだな。おまえと話せるのが嬉しすぎて気付かなかったぜ……で、なんでお前はしゃべれるんだ?」
『……すみません。実は私も、いきなりこの世界で目覚めた時にしゃべれるようになっていたのです。ですから理由はわかりません』
「なんだよ。しらねぇのかよ……まあ、いいさ。ここはちょいと不思議な世界みたいだからな。そう言う事もあるだろうよ」
ジンは言いながら、女が手から炎が出していたことを思い出していた。
そんなことを話していると、その女が話しかけてきた。
茶色の長い髪に、茶色のマント。上下も茶色で統一した地味な服に、革製と思われる胸当てを付けている。ジンよりも身長は高い。
話す内容を聞き取ろうとしたが、やはりジンには何を言っているのかはわからなかった。
『ジンさん。ここはおまかせください』
ジンがアンジュから降りる。すると、アンジュは女と不思議な言語で話し始める。
女は最初、困惑するような表情をしていたが、しばらく話をした後、腰の袋から指輪を取り出し、ジンに差し出してきた。
「なんだこれ?」
『翻訳機みたいなものです。それを身に付ければこの世界の言語が話せるようになるはずです』
「へぇ、そんなもんまでこの世界にはあるのか……って、相棒。お前、そんなのどこで知ったんだ?」
『わかりません。なぜかこの世界の知識があるのです』
「へぇ、そりゃ便利だな」
ジンは言いながら指輪を身に着ける。特に何か変化があったようには感じない。しかし――。
「えーと……あたしの言葉、わかる? たぶん大丈夫だと思うけど……」
ジンは女の顔を見る。唇の動きと声に少し違和感を感じたが、それ以外は特に問題が無いように思えた。
「ああ、問題ないぜ。しっかし、この指輪すげぇ便利だな」
「ええ、旅をするときには、ドワーフやエルフとかとも話さないとならないから、その指輪は必須なのよね……あ、あたしはエルザ。さっきはありがとう。助かったわ」
「いや、気にするな。たまたまだからな。オレは神崎 仁、こっちはアンジュって言うんだ」
ジンはエルザの右手に包帯がまかれているのを思い出し、左手を差し出す。エルザもその手を握り、二人はお互いにしっかりと握手をする。
「カンザキ・ジン?……変わった名前ね。顔つきとか見ると東方の国の出身なの?」
「東方とかよくわからないが、どうやらこの世界とは別の世界から来たらしいんだが……」
ジンは顔の傷を触りながら答える。その答えにエルザは困惑する。
「え? 冗談……じゃないみたいね。まあ、そんな変なかっこうの人間はこの辺じゃ見ないし、前に異世界の勇者って言う人はいたからおかしくはないか……」
「なんだって!? オレ以外にも同じような人間がいるのか!」
ジンは意外な答えに、思わずエルザの両肩を掴んだ。ジンも背は日本人の高校生としては平均的だが、エルザの方が背が高く、見上げるような感じになる。
「あ、その、何百年も前の話よ。名前すら残ってないんだけど、この世界の危機を救ってくれて、その後は元の世界に帰ったって話だけど……」
エルザはさらに困惑したように言う。嘘は言っていないようだ。
「あ、いや、その……ありがとうな。帰れるかもしれないって言うのはかなり助かる。それを聞けただけでもありがたいぜ」
ジンは笑いながら言う。そして、同時に気分が軽くなるのを感じた。
帰ることは諦めていたが、正直に言えば、元の世界にまったく未練がないわけではない。帰れなくても仕方がないが、帰れるのならその方法を探すのを目的にしてもいいかもしれないと考えた。
「うん、お礼はいいんだけど、そろそろ離してくれない? ちょっと顔が近いんだけど」
「え? うわっと!」
ジンは慌てて手を離す。そして、お互いに気まずい感じになってしまう。二人の顔は少し赤くなっている。
『すいません。きちんと自己紹介をした方がいいと思うのですが』
気まずい空気を感じ取ったのかアンジュが話しかけてきた。
「ああ、そうだな。えーと……あ、やっぱり、敬語使った方がいいか? 見た感じ年上みたいだし」
「あんた、変なところで真面目ね。別にいいいいわよ。いまさら敬語とかも変でしょ?」
「そうか、じゃあ、このまま話させてもらうぜ。オレは……」
言おうとして、ジンの腹が大きな音を立てる。彼は昼頃から果物程度しか食べてはいなかったことを思い出した。
「ぷっ、あはは、もう……大丈夫?」
「ああ、すっかり忘れてたが腹ペコなんだ。食いもんは……ないよな」
「あー、残念だけど、携帯用の食料はないわね。この暗さじゃ動物を捕まえるのも一苦労だし……ああ、でも、村が近いわね。とりあえず、あの村を目指しましょう」
エルザが指差す先には村の明かりが見えた。少し距離はあるが問題ないだろう。
「まだ歩けそう? 歩けるなら、歩きながら自己紹介でもしようと思うんだけど?」
「ああ、オレは問題ないが……」
ジンはアンジュを見る。
『私は疲れなどは感じませんので問題ないです』
「そうか、じゃあ、歩きながら自己紹介でもするか」