#2 愛車と女冒険者
ジンはしばらく歩くと、森を抜けることができた。
「おいおい、なんだよ。ここは……」
目の前の景色に思わずジンは言葉を失う。明らかにジンが住んでた街どころか、日本ですらない光景が広がっている。
そこは崖沿いにある山道。はるか下の方には広大な草原が広がっていた。ところどころには森や林も見える。
「マジか……いや、そりゃそうか……」
ジンは手にした食べかけのリンゴのような果物をみる。味も形もリンゴそっくりだ。だが、決定的に違うところがある。
「紫のリンゴなんてないよな」
それはまるで絵の具でも塗ったような鮮やかな紫色だった。
嫌な予感はしてた。だが、この景色と紫のリンゴを見て、間違いないとジンは確信する。
ここは日本どころか自分のいた世界ではない
ジンは目を閉じた。真っ先に思い浮かんだのは母親の顔だ。
彼女はシングルマザーでジンを大切に育てた。当然、ジンがいなくなれば悲しむだろう。それは間違いない。
だがジンは、自分と言う重荷がなくなれば、母親も再婚して幸せになれるかもしれない、と思った。
ジンの母親は美人で若いと評判だった。実際、再婚の話もあったが、彼のためにそれを断り続けていたことも知っている。
自分の手で幸せに出来ないのは心残りだが、再婚して幸せになってくれるのなら、それはそれで悪くはない。ジンはそう思った。
次に、友人やチームの仲間のことも思い出した。
別れは確かに寂しいし、突然で何も言えなかったのは心の残りだ。だが、いつまでも一緒にいられるわけではない。別れは必ず訪れる。それが少し早く訪れた、ただそれだけだ。
ジンは自分に言い聞かせると大きく伸びをする。
「さて、行くか」
ジンは道沿いに下山し始める。平原には村らしき建物たちが見えていた。とりあえず、そこまでたどり着ければなんとかなるだろう。いや、もしかしたら捕まったりするかもしれないが、ここで野垂れ死にするよりは何倍もましだと、彼は考えた。
「しっかし、腹が減ったなぁ……」
リンゴをかじる。もちろん、この色のリンゴを食べるのは抵抗感しかなかったが、空腹で倒れる位なら、食べて倒れる方が、ジンにとってはましだった。
ただ、腹の足しになるかと言うと微妙ではある。
「でも、動物なんか捕まえたこともねぇしな……」
うさぎや鹿に似た動物も見かけたが、残念ながらジンに動物をし止める技術も、さばいて調理する技術もない。
「……ったく、街にたどり着く前に倒れるとかシャレになんねぇぞ」
ジンはリンゴをかじりながらつぶやくと、ひたすら山道を下りて行った。
――――――
どれくらい歩いたか、あたりはすっかり夕日に染まっている。ジンは、なんとか日のあるうちに山から下りられることに安心した。
空腹感はある。だが、途中で紫のリンゴの木を見つけられたのは運がよかった。まだなんとかなりそうだ。
「ん? なんだ?」
不意になにかジンの耳に聞こえてくる。足下からだ。ジンは山道の淵のところから、下をのぞきこむ。2、3メートル下、4人の男が1人の女を取り囲んでいた。
女はジンの方向、崖を背に身構えている。
「あの服……なんか、ケンジのやってるゲームみたいな服だな……」
ジンはつぶやく。最近は遊ばなくなったが、子どもの頃には幼馴染みのケンジが遊んでいたファンタジーRPGを横で見たり、自分でも遊ぶことはあった。
彼らはそのゲームに出てくるような、服を着ていた。
女の顔はよくわからないが、茶色の長い髪に、茶色のマントを身に着けているのだけはわかった。
「こいつは一体……」
彼らの声がまた聞こえてくる。
だが、何を言ってるかはまったくわからない。聞いたことすらない言語だ。
男たちはナイフをチラつかせながら女冒険者に迫る。女はなにかを言うと、突然うずくまってしまった。
「おいおい、マジかよ……」
男たちは徐々に女に迫る。頬の古傷がうずいた。
「どうする? 厄介ごとに巻き込まれるのは――」
言いかけてジンは目を閉じる。そして、思いっきり自分の頬を叩いた。
「おいおい、なに寝ぼけたこと言ってんだよ。ここがどこかはわからねぇけど、数が少ない方を助けるのが漢ってもんだろうが!」
ジンは自分自身に気合を入れる。心は熱く、頭は冷静に……そして、心の中でつぶやいた。
「よっしゃー! ぶっこんでいくぞ、オラァ!」
助走。崖から淵からの跳躍。跳び蹴り。
男の一人、その顔面に跳び蹴りが叩き込まれる。そのまま男は派手に倒れこんだ。
「流死不壊留の特攻隊長! 神崎 仁だ! この喧嘩、俺も買わせてもらうぜ!」
男たちは驚いてる。奇襲成功。こうなればジンのものだ。
「ざっけんじゃねーぞ、コラァ!」
ジンは近くにいた別の男にケンカキックを叩き込む。男は吹っ飛び転倒した。
後ろから別の男の叫び声、ナイフで斬りかかってくる。
ギリギリでかわしながら、顔面にひじの一撃。男は顔を抑えながら倒れ込む。
ジンは女をちらっと見る。女は立ち上がっていた。そして、何が起こったのかわからないといった、驚きの表情でジンを見ている。
ジンは最後の男に視線を定めた。
「おっし、てめぇで最後だな」
だが、男はナイフを構えながら、余裕の表情でジンを見た。
ジンは嫌な予感がした。何度も修羅場を潜り抜けて来たからこそ感じる直感――それはすぐに現実のものとなった。
近くの茂みから中から十人ほどの盗賊が次々と現れる。
男たちはじりじりと近づいてくる。ジンは後ずさり、女を守るように立った。
「ちっ、まずいな」
ジンの住んでた街は荒れていた。刃物や武器を使った喧嘩は珍しくもない。ジンもそう言う喧嘩もいくらでもやってきた。だが、今回は相手が悪い。
男たちの構えなどは明らかにその辺の不良とは違う。この人数と正面からまともにやりあえば、負けるのは間違いない。
女が立ち上がり、ジンに何か言う。言っている意味は分からないが、たぶん逃げろと言ってるんだろうとジンは思った。
「わりぃな。漢が一度は買った喧嘩を放り出せねぇし、女を見捨てるなんて死んでもごめんだ」
ジンはこぶしを握り、構えなおす。
女にはジンの言葉はわからないはずだ。
しかし、包帯の巻かれた右手を前に出し、手のひらを男たちに突き出す。すると、その手に炎が現れた。
「へぇ、そんなのも使えるのか。すげぇな」
ジンはニヤッと笑いながら女を見る。女も笑い返してくる。
普通だったら、ジンは驚いたかもしれない。だが、ケンカの最中に、余計なことを考えてる暇はない。その辺のことはここを切り抜けてから聞けば十分だ。
そう考えながらジンは男たちを見る。
男がじりじりと寄ってくる。そして、二人に襲い掛かろうとした。
その瞬間――
突然の警笛――クラクションの音があたりに鳴り響く。
ジンは思わず、音のする方を見る。
《《彼がそれを聞き間違えるはずはなかった》》
地平線の先、夕日を背にエンジン音と響かせながら、それはゆっくりと近づいてきた。
「相棒!」
ジンは叫ぶ。
風防の付いた流線型のロケットカウル。二人乗りに改造された三段シート。美しい真っ白な車体に光る七色のLED……そうだ。ジンのバイクにして最高の相棒「杏樹」だ!
男たちは初めて見たのか、アンジュに驚き、身動きができなくなる。
アンジュはヘッドライトを光らせ、エンジンを思いっきりふかすと男たちの集団に突っ込んだ!
何人かの盗賊が跳ね飛ばされる。中には混乱し逃げ出すものさえ現れた。
しかし、アンジュはそれらを追撃はせずに砂ぼこりを上げながらターンするとジンの前に停止した。
『早く乗ってください』
アンジュからは女性のような機械的な音声が発せられる。
「アンジュ……お前、しゃべれるのか!」
『すみません。今は説明を――』
「こいつは最高じゃねぇか!」
ジンはアンジュにまたがる。細かい説明を聞いている暇はない。今はとにかく逃げることが先決だ。
シートの座り心地とハンドルの感触を確かめる。二度と味わえないと思っていた感触に、ジンはテンションが上がっているのをはっきりと感じた。
「はやく乗れ!」
ジンは後ろのシートを親指で指さしながら女に言う。彼女は一瞬だけためらったが、素早く乗り込み、ジンの体をしっかりとつかむ。
「いくぜ!」
フルスロットル。急発進。急激なG。
女はさらにしっかりとジンの体をつかむ。
ジンはその場から走り去る。あっという間に、男たちの姿は見えなくなった。