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月ステーション

 地球から見たら光っている月も、そこにたってみれば汚い地面があるだけだった。ここで駅を降りる人は一体何を目的に降りるんだろう。

「立ってみたいと思うものですよ。夜闇に光る月に、誰だって一度は。そのために人々は鉄の塊を宇宙に飛ばせるように、せこせこ努力してきたんじゃないですか。近くに来て、たとえそれで幻滅しても、それでもやっぱり、月は憧れですよ、人類の。永久の」

 月への憧れなんてそんな昭和チックなお話されても困ります。と、私はアポロの乗組員の足跡を探しなら言った。

 月に立ってみたいなんて、そんなこと私は思ったことありませんよ。月見だってしたこともありませんし。じっと月を見る機会なんて、そもそも、ありませんよ。現代人の私の意見ですが、ね。

「なら、今のうちにじっくり見とくんだな。今日はお月様がよく見えるぞ。まん丸お月様だ」

 暇そうにあくびをしていたドラキュラさんは冗談を言うみたいにして冗談を言った。私はそれにわざとらしくむすりとした顔をしてみせる。

 そもそも月にウサギがいるってのはホントの話ですか? それとも蟹、でしたっけ? 横顔の綺麗な美女は、さすがにいませんよね。

「興味あるなら降りてみりゃいいじゃねえか。もしかしたらメーテルみたいな美人がいるかもしれねえぜ。まあまあ可愛い嬢ちゃんなら、ハハ、それなりにいい勝負になるんじゃあないか。ちっとばかし胸に脂肪が足りねえみてえだがよ」

 私、メーテルには興味ないですけど、カニ鍋やウサギ鍋があるなら降りてもいいかもですね。色気より食い気ですよ、実際。

 鍋からふわりと漂う味噌の匂いを想像したら、お腹がきゅうと鳴った。お腹の中にあるのは申し訳ない程度のお煎餅だけ。私のお腹は一度文句を言いだすと中々止まらない。意地悪な私の身体はきゅうともう一度鳴いて私を苛める。私にまで苛められる、苛められっこな私。

「では、停車している間に、何か食べ物でも買ってきましょう。お二方は何がよろしいですかな。月の駅でならば、大抵のものは買えるでしょう。何せあの有名な月ステーションですからな」

「ニンニクが入ってなきゃ、俺は何でもいいぜ。美味えもんを頼むぜ爺さん。ついでに血の色ワインもあったらうれしいがな」

 ドラキュラさんは遠慮なしに言う。

「お嬢さんはどうします? お金はわたしが出しますから」

 いえ、そんな、お金はちゃんと――。

 言いかけて気づく。私のガマ口が呑み込んでいるお札は果たしてお月様では使えるのであろうか。使えないと困るなあ。私みたいな孤独屋が頼れるのは結局のところお金くらいのものなのだから。

「若い人が遠慮するものじゃありません、とご両親に教わりませんでしたかな。私たちは祖父と孫ほどの年の差なのですから、遠慮なんてしないで下さい。こんな爺にとってはお嬢さんのような方に何かを買ってあげるのが数少ない喜びの一つなんですから」

 ……それならお腹にたまるものを何か、お願いします。嫌いな食べ物は特に、ありませんので。

 嘘。あれとこれとそれ。嫌いなものは結構ある。それこそ星の数。

「そうですか、それは、いいことですな。わたしも昔は娘には好き嫌いだけはするな、と強く言っていたものです。厳しく、その、教育、とでも言いましょうか。娘にはきっとうるさがられていたでしょうなぁ」

 おじいさんは、うんうん、と頷いて、よっこらと席を立つ。おじいさんは白くて長いお髭のせいでお年寄りに見えるけれど、背筋はぴんとしていて、思っていたよりもずっと若いのかもしれない。

 私はおじいさんの背中を何ともなしにじっと見送った。不思議な気持ちが私の胸をこつんと叩いた。


 客車からおじいさんが出て行ってから私はドラキュラさんと彼の言うカンバセーションをした。ドラキュラさんは下品だけどお話は面白かった。治める領地のこと、異教徒との戦いのこと、おいしいお酒のこと、家族のこと。私の見たことのないことを一杯話してくれた。私の知らない世界のこと。

 私も精いっぱいのホントを喋った。読んで面白かった本、とか美味しいお菓子の話、とか。ウソは一つも言ってない。

 喋ってないホントはいっぱいあるけれど。


「お頼み申す! お頼み申す!」甲高い声が突然響く。

 客車のスライドドアが開いて入ってきたのは、おじいさんではなく、お侍さんだった。ご立派な月代に御刀。背負っている旗には日本一の文字と桃の印。

「おお、ようやく乗客に巡り合え申した。拙者、乗り換えですっかり迷ってしまい申して、これはヘラクレス駅に止まる鉄道でござるか」きんきん声のお侍。

「かんかん、うるせえ奴だな。そうだよ、その列車だから、ちょっと声のボリューム落とせやい。鼓膜がびりっと破れちまう」

「おお、これは申し訳ない。が、この声は生まれつきでござる故、どうか我慢召されい」音叉を鳴らしたような声が窓ガラスと共鳴する。ドラキュラさんは「こんにゃろめ」と言って耳を塞ぐ。

 私も髪の毛を掻き揚げるふりをして両方の耳を軽く抑えた。

「あ、申し遅れましてござる。拙者、キビの国の旗本、桃太郎と申すものでござる」

 少しだけ、驚いた。

 桃太郎って、あの桃太郎さんですか?

「何と貴殿、拙者のことを知っておられるのか?」

 うれしそうな顔を私に向ける桃太郎さん。

 ええ、桃から生まれたとかどうとか。結構有名ですよ。あなた。

「その通りでござる。拙者こそがその桃から生まれた桃太郎でござる」

「ケ、何が桃から生まれた桃太郎だ。だったら俺たちはカカァの股ぐらから生まれた『股ぐら太郎』だってんだ」

 そんなドラキュラさんの下品な悪態も気にせずに、桃太郎さんは私の前の席に腰かける。ほんのりと桃の香りのする人だ。

 桃太郎さんはヘラクレス座まで行かれるんですか?

「まさに」

「あんな何もないところに一体何しにいくんでえ」

「決闘でござる」

 聞きなれない物騒な言葉が飛び出した。

 決闘? 誰とですか? 日本ならば、決闘は、犯罪ですよ?

「ヘラクレス座はその名の通り欧州の英雄ヘラクレスが治める土地にござる。拙者は必ず奴を倒して名を挙げるのでござる」

 桃太郎さんの両目は、よくよく見れば戦う男の目をしている、ようにも見えなくはなかった。戦ったことのない私にはよくわからないことだ。

 鬼ヶ島に鬼を退治しに行くだけじゃダメだったんですか。

「そう、拙者は確かにあの鬼ヶ島の戦いで名を挙げた。しかし、拙者はもっと世間に知られ、功を挙げ、恩返しをせねばいけないのでござる」

 恩返し。

 これも普段ならば口に出さない物騒な類の言葉だった。

「両親にか?」

「両親……、確かに両親のため、でござる。しかしただの両親ではござらん。血のつながらぬ育ての親にござる。血のつながりのない、ともすればすぐに『赤の他人』になる、そんな関係だからこそ、拙者はせめて、その家名だけでも世に知らしめねば死ねぬのでござる」桃太郎さんはそう言いながら、ぱらぱらと涙を流し始めた。「この世に生を受けしもの皆々、こちらの御仁が仰る通り、母親の股から生まれ出るもの。しかし拙者はそうではござらんかった。桃から生まれた桃太郎。孝行したきときに親はなしとは申すが、拙者には生まれた時から既に親はなかった。命を与えてくれた親のいる『さいわい』を感じない人間のなんと多きことか。拙者はただそれだけが悲しく、拙者こそがその『さいわい』を皆々に伝えんがため、こうして強者と刃を交わえながら、伝道の旅をしているというわけでござる」

 おいおいと泣く桃太郎さんの声で、窓ガラスたちが今にも割れそうに鳴く。ドラキュラさんが私の方をちらりと見て肩を竦めて見せる。

 一しきり桃太郎さんが泣き終ったころに車内放送でそろそろ月ステーションを出発する旨の放送が流れた。

 おじいさん遅いな。

「おい、墨汁が垂れたような髪の毛の娘。こちらの御仁と親子には見えぬがどういう関係でござるか」

 しゃっくり含みで桃太郎さんが私に尋ねてくる。

 ドラキュラさんは、

「余計な詮索すんな糞侍。意外と助兵衛な奴だな。俺と嬢ちゃんは一人旅同士、ただの旅仲間。列車のなかで優雅に歓談を楽しんでただけよう」

「一人旅? お主、その若さでこの銀河鉄道に一人で乗ったと申すか」

 チョコリンとお侍自慢の髷を揺らして驚いたような顔をするけれど、私はその驚きを共有する気は毛頭ない。

 その若さって、私もう高校生ですよ。

 へへらと笑って私は無意味さを放り返す。

「いや、若すぎる。その歳なら未だご家族は御健在なのであろう」

 ええ、両親は健康ですし、親戚縁者も、事故で死んだ母方の祖父以外は健康ですよ。

「そうか。家族と一緒ならまだしも一人でとは、ご両親はこのご旅行さぞ心配であろうな」

 言って、桃太郎さんは彼には関係ないことにまた涙を零し始める。

「かわいい子には旅をさせろというが、これは、それにしてもあんまりではないか」

 おいおいと泣く桃太郎さん。今度は私がドラキュラさんに、肩を竦めてみせる番だった。


 ※※※


 弁当をつつく。私とうさと。私は野菜サラダ。うさは野菜。私は和風ドレッシング。うさはそのまま。

 このウサギは本当に野菜しか食べない。ポッキーも、じゃがりこも一切口にしない。うさが自分で持ってきた、そこらに生えてる葉っぱみたいなお野菜しか、彼女は口にしない。

 もしゃもしゃとうさの口が動く。私も真似してもしゃもしゃ。

 真っ赤な瞳はどこを見るのか。私は黒い目でその赤い眼をじっと見つめる。見つめながらもしゃもしゃ。もしゃもしゃもしゃ。

 教室の中に作られる机の島。私たちの領域は教室の端っこ窓側、窓際族、広さは机二つ分。地下資源もとぼしい特産品もない小さな島は、周りの大国たちには見向きもされない。私にとっては喜ばしいことかもだけど。のほほんと暮らし、のほほんと生きる。そんな生活、ができたらなんてうれしいだろう。永世中立を掲げたい、無理だと知りつつも。

「うさ」私は箸でトマトをつまんでうさに話しかける。「好きな人とかいる」

 唐突に関係のない野暮な話題を投下してみる。普通の女子高生らしい会話。おそらく、きっと。もしかしたら単なるプレジャディス。

「いるよ」

 だからそんな返事が返ってきたときは無意識に私の眉が上がった。私から振った話題ではあるけれども興味のないような顔をしてみせ「ふーん、誰?」と訊いてみる。

「あなた」とん、とうさは言う。

 真っ赤なミニトマトがぽとりと机に落ちる。ころころころころ転がって机の端へ、ぽとりと落ちて床に転がる。

「あなた?」

「あなた」

「私?」

「あなた」

 思わず、くすり。くすりくすりくすり。くすくすと小島に笑いが響く。あはは、と笑いが漏れる。

 他の強国のことはもう気にならない。富国強兵。栄光ある孤立。

 夏になりかけた空には雲一つない。少しだけあいた窓からは風が流れこむ。中途半端、中途半端の匂い。まだ夏じゃない。もう春じゃない。中途半端。中途半端な私。何でもない季節。何でもない私。

 蝉はまだ鳴かない。まだ死ぬほど熱いわけじゃない。太陽もまだまだ本気は出していなくて、青空についた取り替えたばかりの豆電球。

「楽しいね」うさが笑う。

「楽しいね」私は言わない。

 楽しくない学校の、楽しくない休み時間を、私は楽しいねと笑うウサギとだけ、そっと過ごす。私はそっと、そっと笑った。


「ちょっと」突然の声に少し驚いた。

 見ればクラスの女子が仁王立ち。名前はまだ覚えていない。今後もきっと覚えない。荻野だったか吉野だったか。

「何?」私は平気を装う。装いを装いとして見せない装い、そんな装い。

「あなた進路係よね。プリント、先生のところに持っていくはずだったでしょ」

 ふん、と鼻息。あ、鼻毛。

 どさり、と私の机の上にプリントの束が置かれる。進路希望調査か何かだろう。見覚えがあるような気もする。無いような気もちょっと。

「あ、うん、そうかも」私はもごもごと口を動かす。口を動かしていれば馬鹿はきっと満足する。鼻毛は見ないふり。見ない振りのままカロリー消費。

「そうかも、じゃないんだけど」

 彼女はその大きく見せたがっている小さなお目々で私のことをぎょろりと睨む。怖くはない、滑稽だ、そう。

「あなたが集めないおかげで私が集めることになったんだけど。何か言うことないわけ?」

 言うこと? ありませんが。

 私は黙る。口を結ぶ。への字に。ウサギの口。

「何よ、何も言えないわけ?」

 言えない、言わない。少し違う大きな違い。どうもすいません、反省します、腹を切ります、とでも言ったらそれで満足をするのだろうか。だから、そう、言わない。

 でもこいつは私が何も言えないものだと見えて少しの優越感をぺろりと舐める。それが私には分かった。分かっていて、私は噤む。

「あなたっていつもそうよね。一人でクラスの輪を乱して。みんな言ってるわよ。あなたのことなんて嫌いだって」

 私は何も言わない、言わない、絶対言わない。ぺちゃくちゃとつばを飛ばす女をじっと見つめる、私。耳を塞がない、眼を逸らさない、何も言わない。

「あなたって可哀想」

 あははは、と甲高い声で笑うソレ。

 ソレは私なんかに背中を向け、とてとてと離れていく。

 私は何も言わず、目線をうさへとそっと移す。

 うさは私の顔を真っ赤な目で見つめる。うさも何も言わない。ただただぴょこんと、耳を動かしただけだった。

「ああ」

 私の口から思わず、吐息が漏れる。

 それで十分。それが良い。

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