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出発進行

 あ、しまった、と出発した瞬間、思った。考えが足りなかったというか、浅はかだったというか。少し考えれば分かることだった。騙された、と私は座席に背中をべったりと擦り付けた。この浮遊感。身体が浮く。地に足がついていない。意志とは反して身体だけがその場に残ろうとする違和感。空へ、銀河へ。私は足の裏を床にぎゅっと押し付けて歯を食いしばる。

 窓の外。街の灯。チカチカ眩しい。私がいた所。

 手を伸ばせば届きそうな距離にあるその明かりに、私は決して手を伸ばさない。その光は次第に輝きを薄靄の向こうにしまいはじめる。

 ああ、離れた。とにかく離れた。

 銀河鉄道は私を乗せて、ガッタンゴットン、発車した。

 旅の始まりは、いつも何かに蹴躓く。小学四年生の集団登山では、バスに乗り込む時にすべって転んで捻挫した。中学時代の修学旅行では、私のカバンだけどこかになくなった。それらに比べれば、まあ、こんな程度かわいいもんだ、の強がり。

 最大のミスはお弁当と冷えたお茶、それに冷凍のミカンがないことくらいだろう。

「お嬢さん、あのぅ、おひとりですかな」

 浮遊感にもそれなりに身体が慣れ始めた頃、隣の座席に座っていたおじいさんが、もしゃもしゃとした髭を撫でながら笑顔で私に話しかけてきた。

 大きな身体に白くて立派なお髭、紳士的な言葉遣いに私はその人のことを季節外れのサンタクロースみたいだな、と思った。

 ええ、まあ、そうですね。一人旅ってやつですよ。前から是非してみたいと思っていたのです。幸運なことに、ちょうどこの度機会に恵まれましてね、女一人、カバン一つの鉄道旅行というやつです。

 私は笑顔には笑顔で返す主義。

 銀河鉄道に乗った。着の身着のまま。学校帰りにふらりと乗った。

 確かに、どこからどう見ても、私という人間は至極ひとりぼっちなのだった。

「そうですか。それはそれは」おじいさんの大きなお腹は何か一言喋る度にぷるぷると愉快に震える。「ああ、お嬢さん。そのう、前の座席、いいですかな? もしよろしかったら、少しの間、喋り相手になってくれると、うん、うれしいのですが」

 ええ、どうぞ。笑顔返品主義。

 人と話すのは、どちらと言わずとも、苦手なのだ。けれど、一切の悪意のないお話を断ることのほうが、その何倍も怖いのだから、私は絶やさぬ笑顔で前の席を譲る。

 おじいさんは私の明らかに気のない返事も気にしないご様子。よっこいしょと席を立ちあがり、よっこらせとゆっくり動き、えっちらせと私の目の前に腰を下ろした。ぽよんぽよんとお腹が揺れる。

 トナカイさんはお留守番ですか、と心の内で思いながら笑顔をおじいさんに振りまく、ちょっとばかし可愛げのある私。

 女は度胸。私は愛嬌。旅は道連れ、世は情け。

 初めての一人旅に高揚していた。けれど、同時に少し不安を持っていたのも確かだった。このおじいさんが私みたいな子に話しかけてくれたことは、ありがたいことなのだと素直に喜ぶべきだったかもしれない。

 寂しさに、今更怯えるのもおかしな話だけど。

「わたしも何回かこの鉄道に乗ってはいるけど、キミみたいな、その、若い女の子は珍しいですな」

 そうですね。わざわざ、鉄道を選ぶなんてめんどくさいことしなくてもよかったかも知れませんね。船やら車やら他の交通機関もたくさんありますからね。それでもなんでしょう一種の憧れがあったのかもしれません。

 人見知りのはずだった私の口から何故だか言葉がぽんぽん飛び出す。きっとこれがトラベラーズハイってやつなのだろう。

「憧れ?」

 ええ、昔から本で読んで知っていましたから。これの存在だけは。ただ少しばかし誤算がありました。こんな乗り心地だとは少しばかし想定外でしたから、ね。

 と私は、私の後悔、を話した。

「ああ、なるほど。飛行機がお嫌いで」おじいさんは立派なお髭をいじった。「奇遇ですね、わたしも飛行機は、うむ、大嫌いなんですよ。死ぬほどね」

 言っておじいさんは少し寂しそうににこりと笑った。それからおじいさんは、サンタクロースの持っている袋、みたいな大きな袋の中からお菓子やらお茶やらを取り出して私の横にお店を広げた。食べなさい、と笑顔で薦めてくるおじいさんは、薦めてくるものがお煎餅でなければ、完璧にサンタクロースのオジサマだった。

 そういえばうちにはあんまりサンタさんが来てくれたことなかったな。そんなに悪い子だったかな、私。心当たりは、たくさんある。

 そんなどうでもいいことを思いつつ、私は謹んでお煎餅をいただく。

 パリリン、と私は遠慮なく前歯でお煎餅を割る。狭くて、驚くほど明るい車内に薄く醤油の匂いが広がる。私は、祖母が一人で住む、母の実家の居間の匂いを思い出した。おばあちゃんの家にいつもあるお煎餅と同じ味。もちろん私も好きな味。ぽりぽり齧る。

 ホントは船でも良かったんですけどね、騙されましたよ。憧れって言ったって、そんな強いものではありませんでしたし。それに銀河鉄道って名前、そりゃ少し考えれば分かりますよね、空を飛ぶって。でも鉄道って言うんだから、線路走ると思っちゃうじゃないですか、ゴトンゴトンって。こんなに恐ろしい浮遊感に襲われるとは、まさか思いませんでしたよ。

 私はぺっぺと唾を吐き愚痴る。

「うんうん、分かりますよ。発車するときはね、グンッて、浮かび上がるような感覚になりますよね。私もあれには、ハハ、なかなか慣れないものですな。でももう大丈夫でしょう。最初だけですよ、最初だけ」

 そりゃあ、そうですけどね。怖いものは、理屈で分かってても怖いもんですよ。実際。

 私の言葉におじいさんは、ははは、と小さく笑った。そして、そうですね、と小さく頷いてくれた。

 銀河鉄道は今、雲の中。私もおじいさんも雲の中。窓の外は白。夜の色が混ざった、そんな白の中にいる。

 車掌さんのアナウンス。「ただいま地球を離れました。少々揺れますので、お気を付けください」。少々どころではない揺れが、私を、酔わせる。

「お嬢さん、一つ、あの、つまらないことを聞いてもいいですかな」おじいさんが少しの優しさと、少しの真剣さを噛んだような顔で言った。

 私もさっきからつまらない話しかしてませんから、私が答えられる類のものなら、喜んで。

 私はおじいさんの方をちゃんと向いて言った。

「きちんと、帰りの切符は用意してます、ね」

 おっと残念、答えられない質問だった。私は心の中でお口にチャックをする。

 無言。無言で返す。親切なサンタクロースのオジサマに私は無言を投げてはぶつける。私の唯一の得意技。

「ああ、いやあ、これは失礼。初対面の方に聞くことではありませんでしたな」おじいさんはコホンとわざとらしく咳をする。「人には色々あると頭では分かっていても、お嬢さんのような、その、お若いのにこんなところにいる方を見ると、何と言いますか、年寄りのいけないところだとは分かってはいてもついちょっかいを出してしまう。まったく反省しなくてはいけませんな」

 はっはっは、とおじいさんは軽く笑う。

 あはははは、私はもっと軽く笑ってみせる。

 ウソもウソ。ウソの笑い。

 慣れている。もうすっかり板についたこのウソ笑いは、おじいさんを見事に騙すかもしれないけれど、同時に私をも騙すのだ。教室。クレンザーとチョークと埃のにおいが広がる。あの薄暗い教室で、私は、おそらく一番のアクトレス。いや、もしかしたら至極滑稽なコメディアンヌ。

 騙す? 自分を騙すの? 騙してみる? 騙しちゃえば? それとも騙される? 黙っちゃうの? だんまり決め込む? 黙ってれば楽だよ。騙さなくていいもん。騙すのは辛いよね。騙されるのも嫌だけど。どっちがいいの? 黙っちゃうの?

 私は、私を、私のために、騙さないと決めて、だから、今、私は、ここに、いる。

 男女混合の合唱団が一斉に声を張り上げたかのような音が、車内に響いた。それは私たちが地球駅を完全に離れたその合図。夜空に届いたその知らせ。

 まるで私を咎めるかのように、汽笛は私の心を震わせた。

 いや、そんなわけない。分かっている。きっと被害妄想。

 汚い心。何度も言われた。あの、クラスメートの、名前さえ憶えていないあの嫌な女に。そして自分に。銀河に響く汽笛の余韻を感じながら、私はわざと大きな音を出して煎餅を齧ってみせる。私は、そう、そんなオンナ。

 窓の外を見た。私のいたはずの世界が、青い球としてそこには見えた。球の表面を太陽が眩しく照らしている光景が、私の濁った両方の瞳にはっきりと映る。少し視線を横にずらして見れば地球の後ろで太陽が見たことのない色で光っていた。痛いくらいに眩しい。そして、痛いくらいに美しい。両方の目から涙がこぼれてもこれは仕方がない。強い強い光のせい。そのくらいに眩しい、そんな星。

 私は正面に座るおじいさんにばれないように目元をこする。制服の袖でそれを拭う。スカートの裾をちょびっとだけいじってみて平静を装ったりもしてみる。

 ウソだらけの人生を生きてきた私だけど、今になって一つだけ確実なホントを見つけた。

 青い地球。地球は確かに丸かった。それだけは今この眼で確かめられる唯一のホントの本当。そうだよね。誰に言うでもなく呟いて、私は自分の胸に手を当てる。心臓が、とくん、と一つだけ強く鳴った。

「綺麗でしょう。この景色。何度この鉄道に乗ってもね、この景色は、うん、胸に深く沁みます」

 私はそんなおじいさんの言葉に、無言を、差し出す。

 からん、と響く沈黙。私たちはただただ黙って地球を眺める。

 ホントはですね。ホントは私の着ている、この可愛くも何ともない高校の制服の、その胸ポケットにちゃんと帰りの分の切符も入っているんですよ。臆病ですから、私臆病ですから。怖くて、忘れ物とか怖くて、旅行期間よりも明らかに多い分の下着を持っていかないと怖くて家を出れないような人間ですから、帰りの切符を用意しないでこんな旅行出来るはずもないのです。私はそんなオンナですから。

 と、私は臆病だから、そして意地の悪いオンナだから、そんなこととても言えないし、それに言わない。

 地球色、夜空色、太陽色。そんな色の絵の具をぐるぐる混ぜて真っ白なカンバスに、とん、とそれをのせてみたい。そしてそれで描いた、今私の瞳に映るこの光景を、永遠に胸に抱いていたい。そう強く思った。


「ねえ、どうして泣いてるの?」


 声が聞こえた。

 気が付くと私は濁った色の教室の中で、不揃いな足の机の前に、とん、と座っていた。それはいつもの私だ。鮮やかさの欠片もない世界の中でぶすりと頬を膨らませる、不愛想な私だ。

 埃っぽい空気が私の肺を支配する。白黒の空気。クレンザーのにおいが混じる。私は眼を瞬かせる。

 いくつもの頭がぷっかりと教室に浮かんでいる。かりかりと黒色の炭を白色の紙に擦り付けているけれど、きっと誰一人その内容なんかに興味はない。容が大事、容だけが重要なんだ。

 世界は容れ物ばかりにかまけて、肝心の中身には冷たいもの。そんなこと、とっくの昔に気付いていたけど、私は空の容れ物にいれるタカラモノばかりを探して、ずっと下を見続ける人生だった。

 私は立ち上がる。ガラガラと椅子を床に擦り付け、とん、と二本の足で背伸びをする。けれど誰も振り向かない。ガタンゴトンとわざと大きな音を立ててみるけど、みんな容を崩しはしない。

 ぽっかり、とモノクロの世界に浮かぶ、そんな私。


「わたしね。アナタのこと大好きなの」


 ハッと気づいた。私は空の上。宇宙に浮かぶ流れ星。目の前にはおじいさん。

 気持ちの悪い汗が頬を伝った。無意識に手を置いたところに彩色豊な虫が腹を見せて死んでいたような。そんな時のぞわぞわとした心。

「おうおう、なんでぇこんなところに若いオンナがいやがるじゃねか。珍しいこともあるもんだな、オイ」下品な声が沈黙を壊した。「おじいちゃんとの二人旅行か? イカ墨パスタみたいな黒髪の可愛いお嬢ちゃんよ」

 三十路ちょっと過ぎくらいに見える男の人。つやつやの黒髪だけどきっとガイジンさん。高いお鼻。黒々マント。その見かけは絵本でみたアレのまんま。

 ドラキュラ? 吸血鬼?

「おお、そうでえ、嬢ちゃん。俺が天下のドラキュラ伯爵さま。一週間ばっかし休暇をとって優雅にご旅行ときたわけよ」冷凍ミカンの袋を片手に吊るしドラキュラさんは牙を見せる。「嬢ちゃん隣いいよな。旅ってのは人とのカンバセーションも楽しみの一つなんだぜ」

 嫌ですよ。と言う間もなく、ドラキュラさんはどしりと遠慮なしに私の隣に腰かける。ドラキュラさんはそのギロリとした二つの目で私の身体を上から下からじろじろと遠慮なく眺める。

「いやあ爺さん。それにしても思わず齧りつきたくなるほど可愛いお孫さんだなあ、おい。羨ましい限りだなあ、いひひ」

 今にも私の首に噛みついてきそうなドラキュラさん。そういえば吸血鬼に血を吸われるととっても気持ちいいという話を聞いたことがあるけど、それは本当なのだろうか。本当だったら、ちょっとだけ吸ってみて欲しいかもしれない、ほんのちょっとだけ。

 おじいさんは私のおじいさんじゃありませんよ。

「ん、そうなのか、俺はてっきり――」

 ドラキュラさんは私の顔とおじいさんの顔を見比べる。

「はっはっは。わたしもドラキュラさんの言う通り若い女性とカンバセーションしたくて、お嬢さんにはそれに付き合っていただいていた、というところですよ」

「げへへ、そうかいそうかい」ドラキュラさんは納得したような顔で頷いた。「爺さん、あんた顔に似合わずヤリ手なんだなあ」

 下品なドラキュラさんが下品な顔で下品なことを言いながら下品に笑う。

 よかったですね。私が宗教家じゃなくて。もしそうなら十字架を掲げて、銀の釘で心臓を打ち抜いているとこでしたよ。

「手厳しいねえ、嬢ちゃん」

 ぽりぽりと頭を掻くドラキュラさん。鋭そうな牙をちらりと見せながらにへらと笑う。

「ところでドラキュラさんはどちらへ行かれるのですかな」おじいさんが尋ねる。

「そうさなあ。久しぶりのまとまった休暇だからいっちょ天の川でも覗いてみようかと思ってるところだ」

「それはいいですな。この時期の天の川は、うん、ホントに美しい。わたしももう何度もあそこへは足を運んでいますよ」

 地球からだんだんと離れていく鉄道の、その車窓からは確かに天の川がきれいに見える。それもどんどんと私たちとの距離を詰める。遠慮しない牛乳の零し跡。教室の机に倒れた牛乳のビンを思い出した。

 そういえば私は小さいころ牛乳を飲むたびにお腹を下していたなあ、と思い出す。

「嬢ちゃんはよぅ」おじいさんと話していたドラキュラさんが私の方に顔を向けた。「嬢ちゃんは、若い女一人がてら、いったいどこまでいくつもりなんだい」

 ああ。私は誰にも聞こえないため息を吐く。お得意のだんまりを決めるのもいい。ウソを言うのもいい。けど私は、とん、とホントのことを言ってみようと、何故だか、このときは思った。思ってしまった。


 ホントの『さいわい』まで、一人。


 ※※※


 ん、と気付いた。一瞬、胸がどきりと。ああ、そうか。フケじゃない、フケじゃない。大丈夫、落ち着け、落ち着け。私は肩に乗った白い毛をぱっぱと払う。

「あ、ごめんね」後ろからガラスを弾いたような声。「毛、飛んじゃったあ」

「ん、別に」私の茶碗を叩いた様な声。

 教室。薄汚れた黒板。足の長さが不均等な机と何もかもが不均等な高校生。無味無臭無色透明な教室の空気を吸って私はじっと前を向いている。何か、哲学的な何かを考えている風を装って。

 私は少しも可愛くない。ちっとも可愛くない紺色のブレザーを着た集団のなかに私は同じ服を着て数ミリの可愛げも見せずに座っている。ただ右手には無機質なシャープペンシルを握り締めて、じっと前を向き続ける。それしかできない。

 別に可愛くなりたくないわけではない。ただ馬鹿みたいに可愛こぶりたくないだけだ。可愛さなんて所詮は自己満足。自己愛のアピール。上手くもない化粧をべたべた塗りたくり、モンゴロイドのくせして髪を黄色に染めて、履かなくとも同じような丈の布を腰に巻き。そんな風にしてまで私は誰かに可愛いと思われたくない。ぱちぱちとはじき出される、出鱈目にキーボードをタイピングしたかのような意味も意義も無いような言葉たちに、私は興味も関心も持てない。持ちたくない。やつらみたいに、かくかくと赤べこよろしく首を揺らすなんて、馬鹿みたい、阿呆みたい。

 そんなことをしなくても私は、他人と違って、きっと、自分を愛せる、はずだ。

 プライド? 誇り? 大和魂?

 いや、それは、意地。

 私だって『オズの魔法使』のジュディ・ガーランドに憧れて、「大きくなったらドロシーみたいな女の子になりたい」なんて乙女チックも甚だしい妄想をしていたことだって、恥ずかしながら、ないとは言えない。けれど今の私は、ジュディが今の私よりも断然小さい頃から片栗粉じみた不思議なお薬と私にはとても想像し得ないほどの壮絶な桃色遊戯に溺れていたのを知っているし、それで彼女が酷い死に方をしたのだってもちろんのこと知っている。素敵な王子様を夢見ているように見えた彼女はレズビアンでもあって、私はそれを軽蔑したりはしないけれども、それを知ってからの私は現実を凝視するしかできないのだ。

 セックス、ドラッグ、あと何か。

 おとぎ話のヒロインだって所詮は女。ヒロインじゃない女の私は尚のことオンナだ。メンスのきた女と精通済みの男と、ごっちゃに混ぜ込まれた教室の中の、一人の女。ホルモン臭い空間にお似合いな、無個性の塊。私の大嫌いな、そんな私。

「ねえ、ねえ」ぽんと私の肩に手が乗った。「やっぱり怒ってる? ごめんね」

 私の沈黙を怒りのためと受けとったのか彼女は心配そうな声を出す。

 ふう、と私は溜息を吐き吐き苛々な風を演じ、「怒ってなんて」と、そう言って振り返る。

 私の目の前には、真っ白なお顔に真っ赤なお目眼が二つ。まるで巨大な大福。

「あんた、ちょっと太った?」私はぽそりと言ってみる。

「ええ! そんなことないよ。だって野菜しか食べてないもん」うさはそう言ってくすくす笑った。「キャベツにキュウリにトマトにレタスにトウモロコシ。ちょっと、食べる? 成長期だよ、成長期」

 私の後ろは、ウサギの席。

 何かの比喩ではない。ウサギ目ウサギ科のウサギさんが私のクラスメートとしてそこにいる。一人の女生徒として、真っ赤な目でじっと前を見ている。人間大のウサギさん。私と同じ制服を着たウサギさん。毛が抜け始める季節だから私の方にふわふわと白い毛を飛ばしてくる彼女。

 私はどうやらこのウサギとは気が合うらしいのだ。全くもって、可笑しなことだが。


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