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偽善の報酬と死神

作者: エンドウ

 S氏は、その日の午後に死んだ。


 彼の死を語る前に、まず、S氏がいかなる人かを伝えなければならないだろう。

 S氏は、某建設会社の社長であった。彼の才覚は経営において如何なく発揮され彼一代で彼の会社はこの国の建設業の5位に上り詰めた。

 また、S氏は良き慈善家であった。彼は私財の殆どを慈善事業に使った。おかげで、例えば、彼の住んでいる町の街路樹は整然とし、地球の裏側では伝染病は終息へと向かっていた。

 そして、最後にS氏は良き父、良き夫であった。S氏の病室には妻と子二人、その家族が涙を貯めながら、悲しみを受け入れてその時を待っている。


「ああ、俺は死ぬのか?」

 声にならない声を上げた。

 彼の眼はすでに見えないはずだが、真白い天井とその部屋にいる彼の家族がぼんやりと見える。

 老いた妻と、たくましく育った子二人、そして孫にあたる幼い子供4人と、そして黒いローブを頭からかぶった若い女。

 ――誰だ?この女。

「そうよ!」

 黒いローブの女が手を上げた。S氏は眉根を寄せて顔を顰める。

「誰だ?お前は」

 ローブの女はにこやかに、フードを外して頭を出して、

「フフフ」

 自らの顔を指さした。自信ありげに笑みなどを浮かべている。

 活発で可愛い顔立ちの少女、というやつだ。眉は気の強さを示すように勇ましく、瞳はまるで世界のすべてが楽しいとでも言わんばかりに輝いている。髪は、染めてでもいるのか現実感のない薄紫だ。

「・・・・・・」

 S氏はその顔に、

「いや、誰だ?」

 見覚えがなかった。

「え!?死神ですケド?」

「・・・・・・そうか」

 目をむいて驚いている死神から目をそらし、S氏はため息をついた。

「あれ?反応薄い?死神ですケド?私!」

「まあ、そんなもんも見えるんだろう、死ぬんだから」

 S氏はそう言って、自分の背中の先にある寝たきりの自分の体を見た。瞳は閉じたままで、柔らかい寝息を立てている。

「・・・・・・老いたな。よくやった」

 死神は、S氏の感傷を気にするでもなく、S氏のシーツの上にどっかりと座った。死神は手帳を取り出してパラパラとめくる。

 S氏はちょっとだけイラッとし、文句を言うために口を開けた。が、先に言葉を発したのは死神だ。

「えーと、Sさん。私の死神手帳にですケドね。貴方の功罪が書いてあるんですケド、実はですね、マイナンバー制への移行のせいで、役所の手違いで、あ、私の手違いではないんですケド、8割くらいの方の功罪データが無茶苦茶になってるみたいなんでして、貴方の功罪を確認させていただきたく、参りましたケド!」

 ため息が、S氏の口から出る。その反応に、死神は首を傾げた。

「もしかして、お邪魔でした?帰りましょうか?」

「だいぶ、そうだな」

「ちなみ、地獄と天国を判断する私を追い払うと、問答無用で地獄行きですケド」

「おぉい!?」

 S氏は抗弁する。S氏としてもさすがに地獄に行くほどの心当たりは・・・・・・

「いいや、だが、確かに地獄行きだ」

 S氏は首を振った。その顔には諦念が浮かんでいる。

「お!そこの話を詳しく!詳しく聞きたいんですケド!」

 ハキハキとした声が、S氏の耳に届く。死神がにこやかに笑って、手帳とロケット鉛筆を手に、ズイと首を伸ばしてくる。

「どうもこうもないさ、俺が悪党ということだ」


「ああ、貴方・・・・・・」

 S氏夫人は、堪えきれずにS氏の手を握る。

「貴方・・・・・・。貴方・・・・・・」

「この女はな」

 S氏が苦笑した。死神は首を傾げた。

「この女は、借金のカタに取った女だ」

「来ましたね!ハイ!教えてください!しっかり!しゃっきり!」

 死神は手帳に何かペンを滑らせた。

「だから俺は、地獄行きだろう。この女を妻にしたのは、商売敵を追い落とした後の後顧の憂いを断つためだ。その一族の長女だったからな」

 S氏夫人は縋るようにS氏の手を擦った。

「寂しいです。貴方」

「無意味だぞ。妻よ」

「・・・・・・」

 死神が眉を上げた。

「借金のカタに取った妻ですよね」

「そうだが?・・・・・・辛い思いをさせたと思う」

 死神はロケット鉛筆で頭を掻いた。 

「なるほろー。上手く最後まで騙しきったとは言え、本心は自分のためであったとー」

 S氏は眉を上げた。

「そうなる」

「母さん」

 S氏夫人の肩に手が置かれた。手の主はS氏とS氏夫人の長男だ。

「ええ、分かっていますよ。分かっています。でもね、でも・・・・・・」

 S氏夫人は今悲しみに暮れているが、S氏の瞼には、S氏夫人の笑顔が焼き付いている。

「煮え切らない、ノロマな妻ではあったよ。だが、だから騙しきれたともいえる」

 騙しきれたはずだ。それがS氏の誇りだ。

「へぇ」

 死神はすでにノートからロケット鉛筆を離し自身の肩を揉んでいる。

「後ろの方は?」

「長男だ。この男も、よくできた息子ではあったお陰で、俺の会社と俺の名声と富は安泰であろうよ。事あるごとにクダランことを言うのは癪だが、育て方に問題があったなら、まあ、俺のせいであったろう」

「お!そこのところ、詳しくお願いいたします」

 死神は、また、ロケット鉛筆を構えている。ギラリと獲物を狙う鷹のように瞳が光った。

 S氏夫人が立った後、長男はS氏の右手を強く握っている。

「父さん。あの時、父さんに養子として拾われていなければ・・・・・・。感謝してもしきれません」

「俺がこいつを養子にしたのは、マシな、信頼できる跡継ぎを作るためだよ。それをクドクドと」

 長男は、瞳に涙を浮かべて頭を下げる。

「ありがとう、ございました。いえ・・・・・・ありがとう」

「まあ、察しの良さはこの男の強みだ。俺の会社はこいつの代でさらに大きくなるぞ?」

「あはい。あ、寝てませぬよ」

 死神は、目を擦り、手をもぞもぞと(親指と人差し指の間の眠気を押さえるツボを押しているらしい)動かしている。

「興味はないか?」

 S氏はため息をついた。

「私、興味ない話を聞くと寝てしまうんです。だから、ホラ、寝てませんから、すごく興味ありますケド?でも時間もないので別の地獄行きエピソードを」

「お父さーん」

 声を上げたのは、S氏の長女だった。そして、その夫と子供たち。

「おじいちゃーん」

 S氏はその様を見た。

「正直な、この娘は、本当にどうしょうもないと思っているよ」

「はい!はいはい!なんでしょう聞きますよ!私、すごく聞きますよ!」

「・・・・・・」

 死神の溌剌とした声だ。

「・・・・・・下らん話だぞ。お前の好みにはそぐわん」

「え、じゃあいいです」

 しゅんと、声を落とし、死神は視線を下げる。

「お父さん!お父さーん!」

(男の趣味が悪い。俺のような男を夫にするだと?馬鹿な娘だ。だが、まあ、男の趣味は良かったな)

 S氏の長女の体を抱き寄せるように起こしたのは、彼女の夫だ。

(しっかりした男だ。男の趣味以外は優れた娘と、と仲睦まじく暮らせ)


「と、いうわけで」

 死神は頷いた。笑顔である。

 晴れ渡らんばかりの笑顔。それは曇天にさした太陽のようだった。

「Sさんあなたは、天国行きですケド」

「お、おう」

「フフフ、理由を聞きたいですか?聞き」

「少し待ってもらえるか?」

 家族の顔を見る。S氏は、微笑んだ。

「辛いことを家族で分け楽しいことを家族分倍にして過ごすなんてのは、嘘だな」

 S氏は涙を流す家族の顔を見た。


「少し待ちましたケド!」

 死神はドドンと声を上げた。死神の背はS氏よりも低いため、迫力には欠けた。

「ああ。ああ、なんだ?」

 S氏は面倒そうに答える。

「Sさん貴方は地獄行きですイエー!」

「・・・・・・」

 サムズアップ。死神は親指を立てた。

「おい待て」

「はぁーん?ビビってるンすか?ははぁーん?ビビってるンすかぁ?」

 ドヤドヤと笑う死神。S氏は頭を押さえた。死んでも痛い、この頭痛はメンタルが原因だろう。

「いや待て待て、いや、さっきお前、天国行きだって」

「心当たりがないと?」

「・・・・・・いやそういうわけじゃ」

「私にはありませんケドね!」

「!?」

 死神は力強くS氏を見た。

「いいですか?貴方は、たくさんの人を幸せにし、家族を守り今日まで生きてきた。地獄に落ちる理由なんてあるわけがない」

「だが俺は、妻たちを利用して・・・・・・」

 死神が顎に手を当ててしたり顔でうなずく。

「あー。あーあー、悪い心を持って動いたから結果は無視して悪いこっとっスかー?スピリチュアルーをシンジてるタイプですか?意外ー」

「死神が!?死神にスピリチュアル言われた!?」

 S氏の声を聞き流して、死神は高らかに宣言した。

「と、いうわけで、貴方は地獄行きですケド!?」

「流れが分からん!君は!」

「フッフッフ。しかもそんじょそこらの地獄じゃありませんケド!通称サービス残業地獄!例えば、マイナンバー制移行作業の息抜きにネットサーフィンしてたらウィルス食らって功罪データをメチャクチャにした人が給料なしで現地に赴いてデータ復旧につとめるような地獄ですケドね!」

「給料・・・・・・貰ってないのか・・・・・・」

「本当なら、今頃スマホ新調してたんですケド」

 死神は遠くを見つめた。

「・・・・・・まあ、要は手伝ってほしいということだな。まあ、のんびり屋を待たなければならん。その暇つぶしには、付き合ってやる」

 S氏は頷いた。

「よっし!バイトが増えた!部下が!増えた!早速行きましょう!次の仕事へ!レッツゴー!」

 死神は拳を高らかに突き上げた。

 S氏は小さく笑った後、眼下のS氏夫人の顔を、ほんの、わずかな時間、見つめた。

「ゆっくり、してろ」

 S氏夫人は、驚いたように顔を上げ、あたりを見回した。

 死神とS氏は、どこかへと消えた。

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