猫に見初められた半妖の話
妖の世界に生きていながら、人間の世界で教鞭をとる妖怪、久零内時と、人間の世界で生きていながら妖の世界に行くことのできる半妖、朽梨彩の日常風景。
「妖の世界は存在する」
そう言われて信じる者はまずいないだろう。
だが、私は信じる。信じるも何も、否定できないのだ。
なぜなら。私の父は妖で、私は半妖で、妖の世界へ通じる道を知っているからだ。
色神神社裏の祠の裏。妖が来るとブラックホールのような渦が浮かび上がり、妖怪の世界と人間の世界とを繋ぐ出入口になる。完全な妖でなくとも行くことのできるそこは、私のちょっとした秘密基地であり、第二の家である。
花散らしの嵐が吹き荒れた翌日、私、朽梨彩は色神高等学校に入学した。
入学式中、校長先生やPTAの長い長いテンプレートな話を聞くのは当たり前。その最中は誰しも暇だと思うだろう。私は暇つぶしも兼ねて、辺りを見渡してみた。そこで、思いもよらない事実を知ることになる。
職員が座る席の後方右端に座っている男。
私は彼を知っている。
漆黒にも似た鈍色の髪。新雪のように真白い肌。切れ長の瞳。首に巻かれた黒のチョーカー。細くしなやかな線で描かれたシルエット。
こんなに特徴的な人物を、私は一人しかしらない。
彼の名は久零内時。妖の世界の長である化け猫だ。
その昔、妖が人間の世界に来ることは禁忌であるとされていた。それが長きに渡り言い継がれてきたことなのだが、現長である久零内時はそれを良しとしなかった。
そもそもなぜ、人間の世界に行くことが禁忌とされていたのか。
それは、ほかの文明と交わることにより、代々受け継がれてきた伝統が薄れていくことを危惧していたからだ。
現長は「それでは、この世界は古いままだ」と言い放ち、代々長が住まう地、猩妃にある咲良城の裏の祠から、人間の世界へと向かった。
新たな文明を携えて帰ってきた現長のなんとも言えぬ嬉しそうな表情を見た旧長は、あきれたように笑っていたという。
その時、彼は齢120。人間の年齢からしてみれば12歳ということになる。好奇心旺盛な年頃なのも理解できる。
私は幼少期を妖の世界で過ごした。
母は人間だ。妖の気配を探ることのできる以外は一般の、普通の母親だ。
私の父は化け狐だ。それにより、私は狐の半妖ということになる。そんな父に連れられて過ごしていた。母は心底不安がっていたらしいが、父を信用して送り出したという。
この妖の世界には、紅、山吹、京紫、水浅葱、緑青の順で位が定められている。私は二番目に位の高い山吹の位もちであり、山吹の人間が住まう地、朽葉を治める妖の娘だ。
その位にいた上に、父の昔馴染みらしい現長を、私は幼少のころから知っている。
その彼に対して、ある悩みがある。それは彼に付きまとわれていることだ。
幼い頃は「かわいらしい」「愛らしい」「まるで姫のようだ」といった類の言葉に過敏に反応し喜んだものだ。だが小学校、中学校と上がってもなお彼は言い続けた。私はそれがだんだんに嫌になり、妖の世界で生きていくことをやめた。長は私が小学校に上がったころ、人間の世界で教師の資格を取ったらしい。
いつかこちらで会うだろうとは思っていたが、まさか。進学先の高校で出くわすとは・・・。世界は狭い。妖の世界とこちらの世界。実はどこかで融合されているのではないかと錯覚しそうになる。
「ただいま」
「おかえり、彩。入学式どうだった?」
帰宅すると、父親に迎えられた。妖らしさを挙げるならば、狐耳が頭の上から生えていることぐらいだろうか。人間の姿でいることはかなり窮屈らしい。耳以外は普通の人間というところが何となく面白い。時折耳が揺れる上に、顔の横にあるはずの人の耳がない。それらのことから、本当に妖なのだなと自覚する。
「どうもこうも、ただの高校だよ。何の変哲もない感じ」
真新しい制服のリボンを引き抜き、ワイシャツの第一ボタンを外す。すると、気道が開く感覚を覚えた。自分で思っていたよりも、喉は「苦しい」と感じていたらしい。
ふう、と息をついたところで、一つ思い出した。というより、当主――私は父親を当主と呼んでいる――に報告しなければならない事があった。
「あのね、当主」
「うん? それより、いい加減お父さんって呼ばないのか」
「それはまた今度。あのさ、学校に長がいた」
「時だと!?」
父親の顔が驚きで満たされる。それもそうだろう。私も驚いたのだ。幼馴染である当主が驚かないわけがない。
「大丈夫なのか? 嫌がらせされるんじゃないか?」
「多分大丈夫だよ。長が受け持ってる教科古典らしいんだけど、一年次は古典ないから。それに長だっていい加減私が嫌がってるって分かってるだろうし」
「妖の成人は14だぞ」
「大丈夫だよ。何とかなるし、なんとかする」
長と関わるとしたら、二年と三年だけだろう。今年度は他の学年の教科担任をもっているらしい。一学年担当教師の欄に久零内時の名はなかった。あれだけ珍しい名前だ。一目見ればすぐに分かる。
私は特に何も考えず、純粋に高校生活を楽しむことにした。
私は長を甘く見すぎていたらしい。あの先生が。あの猫が。獲物を捕らえると最後。蜘蛛の巣のように絡めとられ、なにをしようと離してはくれないではないか。それは、私が今までしてきた経験が物語っているだろう。
一年次。私は長とあまり関わらなかった。一年次担当でなかったことが救いかもしれない。
二年次。長が二年次教科担任になってしまった。そのまま持ち上がりだったら良かったものを。そう考えてしまうのも致し方ないだろう。長は私の悩みの種なのだ。
「彩、こっちで過ごさないのか」
3年次。山々が、紅や山吹、深緑に染まるこの季節の昼休み。長はおもむろに私の机の所へ来るとこう言った。
長は一般的に“格好いい”部類に入るそうだ。化け猫らしくしなやかで無駄な筋肉が無いこの体格だ。注目の的になるのもうなずける。容姿だけは昔から良い。
そして今現在。周りの女子からの視線が痛い。長の発したの言葉は事情を知らない人間が聞いたら誤解を招きかねない。
長の言う“こっち”とは、それすなわち妖の世界のこと。長は昔、もう幾度となく「妖の世界に住まないのか」と打診してきた張本人だ。嫌がらせをし続けてきた妖が何を言うか。本人は真剣なのだろうが、私には昔から心に決めた幻獣使いがいるのだ。長には靡かない。
「何度も言わせないでください。私はそっちでは過ごさないと決めました」
「強情だな」
長だって、どうして私なんかを。
言われ続ける中で、私には一つ疑問がうまれた。どうして、長は私をここまであちらの世界に住まわせたいのか。昔からの馴染みではあるが、この学校にはもう一人、直系で鬼の一族の血を引く梅雨草琉月という女性がいる。位は与えられていない特別な一族だが、なにも下の位、ましてや半妖の私でなくてもいいではないか。
ちょうどいい機会だ。この際聞いてみようではないか。
私は意を決して聞いた。
「どうして、ここまで私にこだわるんですか。梅雨草さんじゃだめなんですか」
言って、後悔。ここであらぬ答えが返ってきたら、それはそれで今後の生活にかかわるのではないか。
後悔しても致し方ない。聞いてしまおう。
私は長の返事を待った。
いくらかの間を置いて返ってきたのは、想像通りのあらぬ答えだった。
「決まっている。お前を好いているからだ」
さも当然だとでもいうかのように答える長。
嗚呼、これ以上、私の高校生活を非日常にしないでくれ。
長がチャイムとともに立ち去る。これにより、クラスメイトから質問攻めに会うことはなかった。放課後のことはそれから考えればいい。
そして放課後。各自の部活そっちのけで質問攻めされたのは言うまでもない。
そしてそのあとから、私は長を避けるようになった。廊下ですれ違っても知らぬふり。机に来てもすぐ別の場所へ行くようにした。
今の私には、長と真剣に向き合うことはできなかった。
「っていうことがあって・・・」
「あはは、それは災難だったね」
「笑い事じゃないですよ、もう」
今、私は妖の世界にいる。
猩妃の地にある咲良城の裏の祠。そこが、人間の世界の入り口である色神神社の裏の祠と通じている。
その猩妃からひとブロック先に進んだところが、私の父が産まれ育った場所。朽葉だ。
朽葉には大きな図書館がある。そこで勤務している司書に長について相談をしようと思い、休みが同じこの日を利用して朽葉の茶屋に呼び出したのだ。
相談するやいなや、この司書、いや、私の想い人である幻獣使いは涙をぬぐって笑い出した。
「いや、ごめんごめん。笑う気はなかったんだよ」
「笑う気があるような人には相談しませんよ」
「そうだよね。あー、笑った」
「だから笑い事じゃ」
「分かってるよ」
彼は肩に乗った幻獣の小鳥を机におろすと、視線をそれにやり指先で羽をつつきはじめる。彼が考え事をする時の癖だ。ああ、その指先で私に触れてはくれないだろうか。まるでクラスメートが読んでいた携帯小説のような思考回路に苦笑が零れる。
「俺ね、時様があれ程懐くのは彩だけだと思うんだ」
「私だけ? でも、水浅葱の若女将は?」
麗羽さんは私に視線を移すと小さく苦笑した。
「あの人は違うよ。あの旅館で飲んでる時にお酒を注いでもらう相手ってだけ」
水浅葱の位持ちが住む土地である浅葱には少し大きめの旅館がある。そこの若女将とは当主伝いで知り合いだ。当主と長が酒を酌み交わすときは決まって若女将がついているというから、てっきり長が懐いているのかと思っていた。
そうだったのか。と自分の脳内にあった知識を書き直す。ということは、長がここまでしつこくするのは私だけということか。
「嫌?」
「え?」
麗羽さんの声ではっとした。飛んでいた意識を遥か彼方からこちらへ戻す。机には小鳥がもう一羽とまっていた。
「時様にしつこく付きまとわれるの、嫌?」
「嫌ですよ。嫌だから、こうして相談しにきたんじゃないですか」
「そっか・・・。僕が思うに、時様、相当彩を手に入れたいんだと思うよ」
「どうして私なんかを・・・。半妖なんですよ?」
「新しいものを手に入れたがるのは、昔から変わらないよ」
どうして、長は私を好いたのだろうか。理由が知りたい。その理由が「物珍しい半妖だから」だとしたら納得がいかない。「人間の世界の女子高校生は好意的な言葉を言っておけば寄ってくる」とでも思っているのだろうか。そう思うと腹が立ってくる。
私が持っていた湯呑が、キシリと嫌な音を立てた。
「彩? とりあえず落ち着こう」
「至極落ち着いていますよ」
大きなため息が聞こえ、掌が頭にのる。そのままゆっくり撫でてくる。
麗羽さんに触れられている。
そう理解するのに、多少の時間を要した。
まさか、触れてもらえる日が来るなんて。
驚きで言葉が出ない。
そんな私をよそに、麗羽さんが言の葉を奏でた。
「あの気まぐれな猫が彩一人にずっと懐くのは、それだけ彩が好きってことなんじゃないかな。彩は迷惑に思ってるかもしれないけど、それは長なりの愛情表現なんだと思う」
彼にそう言われてしまえば、「そうなのだろう」と思えてしまう。だがその考えは瞬時にかき消された。やっぱり、あれは嫌がらせとしか思えない。
麗羽さんに撫でられている間、私は長の事を少し忘れることにした。
翌日も、私は妖の世界にいた。昨日は結局帰らなかった。当主は帰ったらしいが、私は朽葉の城で厄介になることにした。母親には、当主がうまいこと話しをしてくれただろう。
私の頭の中では、黒い渦を書いた紙が丸められ、広げられては丸められの繰り返しが起こっていた。きっと、私の長に対する感情の考察と答えをまとめられない様を如実に表しているのだろう。頭の中の自分には申し訳ないが、少しうっとおしかった。脳内にゴミ箱でも置いておくべきだろうか。あいにく、きっぱり物事の結論をだせるような性格はしていない。
「散歩行ってきます」
門のそばに来ると、従者の一人が「どちらへ?」と声をかけてきた。晴天の秋空に似つかわしい、鮮やかな萱草色の髪を持つ小柄な従者だ。
私はつま先でトン、と地面を叩くと従者のほうを向き「二藍まで」と短く答えた。
「分かりました。お気をつけて」
従者に見送られ、私は二藍へと歩みを進めた。
女郎蜘蛛達が住まう土地、二藍。夜は遊郭、昼は人間の世界で言う京都茶屋が立ち並んでいる。当主には妻がいるため夜の遊郭に行くことはないが、長はたまに夜の遊郭にも足を踏み入れているらしい。女郎蜘蛛だけに治安維持をさせていると、どういうわけか無法地帯と化してくるそうだ。だから、長じきじきに見回りをする。
昼の二藍。茶屋の屋根の上。夜とは違い静かなこの時間は私のお気に入りだ。瓦の上は良く日が照っていて、昼寝には丁度いい。朽葉からも近いのだ。第二の家である朽葉の城の上で寝ていてもいいのだが、従者に「降りてください! 危ないです!」と騒がれてしまうのだ。咲良城で寝るなどもっての外。前に試したら、当主にこっぴどく叱られた。「あそこは時が住んでいるんだぞ。もう少し警戒しろ」と。どうしてそこまで怒られたのかは覚えていない。この世界の長が住まう地で昼寝など言語道断、ということだろうか。
ふあぁ、とあくび一つ。やはり、この地の静けさは良い。活気あふれる他の土地とはまた違う。
いつしか、私は意識を遥か先へ飛ばしてしまっていた。
これは、夢だろうか。目の前に、耳としっぽだけを変化させた若かりし頃の長と、その長に抱き抱えられている幼いころの私が見える。場所は、咲良城の中。さしずめ長の部屋だろう。金と紅で彩られたこの部屋には何度か行った覚えがある。起きていたら二藍にいるはずだから、きっとこれは紛れもなく夢なのだ。
私は二人をしばらく眺めていた。
猫の姿の長の毛並みは、血統書付きの猫かと思うほどきれいな艶をしている。幼いころは、この毛並みがうらやましかった。狐の毛並みはごわごわしているから。
「いいなあ、ときさまの耳」
「どうしてだ?」
長のしっぽを撫でながら、私は羨ましげな瞳で長を見上げた。
「ときさま、ツヤツヤできれいなんだもん。あやかはこんなにきれいじゃないの」
空いた片手で自分の耳に触れ、泣きそうな表情を浮かべる。私ってこんな顔してたんだ。第三者目線から自分を見ると新しい発見があるが、少し気恥ずかしさを覚える。
「そんな顔するな。お前は将来、いい女になる」
「いいおんな?」
「綺麗な女になるということだ」
長の唇が、幼い私の額に触れる。頬を桜色に染め上げ嬉しそうに微笑む私の横で、羨ましげな瞳を向ける当主。ああ、当主が長を苦手だと思う理由はこれか。自分の娘に他の男がこれだけスキンシップをされている姿を見たら、確かに嫌いになりそうだ。見ているこっちは気恥ずかしい。でも、それでも。
いいなあ、昔の私。
・・・・・。
・・・・・え?
今、私はなんて思ったんだ。
いいなあ?
羨ましがったのか?
長に口づけを落とされている昔の私を?
こうしてほしいと?
確かに麗羽さんにされたら卒倒しそうだが。
どうして長に対して。
昔の私は好きだったのか?
いや、そんな覚えは・・・。
「どういう夢を見てるんだ、私は」
体を起こし町の柱時計に目をやると、1時間程度眠っていたらしい。妙に頭がすっきりしないのは、十割あの夢のせいだ。こんな良い日に、どうしてあんな夢を。
理由の解明をしようと四苦八苦していると、向かいの母屋の上に人影を見つけた。
黒く小さいがしっかりと存在感を示している二本の角。あの姿は見まごうはずがない。あの角は、鬼の子の象徴なのだから。
目を凝らすと、その姿はクラスメイトでサボリ常習犯の梅雨草琉月であることが分かった。どうしてここにいるのだろうか。彼女は目線を少し先の道に向けている。目線の先には、花魁たちに集られる長の姿があった。私の聴力では何を離しているのか分からないが、きっと、彼女には何を話しているのか分かっていることだろう。鬼の聴力は常軌を逸していると聞いたことがある。
彼女につられて、長たちをほんの少し眺めてみた。
花魁たちの中には、彼女たちのヒエラルキーで最も高い位置に座している太夫、紫えんの姿があった。彼女は、妖の年齢にして500歳。人間にしてみれば50歳である。それなのに若々しい容姿を保っている。所謂美魔女だ。妖は衰えが遅いとはいえ、周りと比べると若くみえる。以前、「どうしてそんなに若若しくいられるのか」と聞いたことがある。彼女は「それは秘密でありんす。わっちは自らを明らかにしんせん」と返されてしまった。
じっと眺めてみて、改めて、花魁たちの瞳の輝きが旦那を相手する目とは違うことに気が付いた。あれは色目と言われるものだ。いくら私といえど、それくらいは分かる。
「綺麗だなぁ」
長を見てそう思ってしまった。きっと、夜にこの街を歩き長は今よりもっと美しいだろう。長に対して好意をもっているわけではない、とは、思うが。容姿だけみれば長は美しい。そう感じる。
ただ、これはなんだろう。
体のどこかでなにかが沸騰し、心が蒸気で曇っていくようなこの感覚は。もやもやしていて気分が悪い。
私はそれに知らぬふりをして、その場から立ち去った。
休みも終わり、普段通り学校に行った。
久しぶりに梅雨草さんが来たと思えば長にべったり。それに随分楽しそうに見えるではないか。休み時間に長を見かけると、その隣には梅雨草さんがいた。
ああ、嫌だな・・・。
長、こっちに来てくれないのかな。
・・・嫌?こっちに来てくれないのか?
何を考えて・・・。
いや、でも。これである程度自覚せざるを得ないのではないか。曖昧でふわふわの雲のような感情でしかないが、これは、確かに。
翌日の昼休み。私は梅雨草さんに屋上へ呼び出された。
「えっと・・・、何か用事?」
彼女は間髪入れず話し始めた。
「長がこの間二藍に居たのは知っているでしょう。花魁たち、長を欲していた」
「え、あ、うん」
急になんの話をしだすのかと思った。これなら逃げなくて済みそうだ。なぜなら、鬼の一族は好戦的だと恐れられているからだ。「鬼に呼び止められたら逃げろ」というのは昔から伝わる話だ。長いわく「好戦的ではない」らしいが。妖にも先入観というものは昔から存在していたらしい。
私は梅雨草さんの話を黙って聞くことにした。
「京紫が山吹の位を超えるのではという噂もある」
それは父親から聞いたことがある。
「長は私達の鬼の一族に位を与える計画を立てているそうだ」
それは初耳だ。
「私は京紫の妖怪より気高く、長にふさわしいと思っている」
ここまで来ても話がみえない。私は意を決して「何が言いたいの」と問い返した。すると、彼女から思いもよらない言葉が返ってきた。
「私は長が好き。あなたには渡さない」
そう言って、屋上の扉を開き階段を降りて行ってしまった。
私はただその場に茫然と立ち尽くすことしかできなかった。梅雨草さんの姿を目で追うことすらできなかったのだ。
私は、心音が大きな音をたてて鳴るのを聴いた。人間の世界は人それぞれだが、妖の世界に神はいない。でもこれは、神と近しい天からの決定を告げる鐘の音なのではないだろうか。
朽梨彩は久零内時が好きだ。
誰にも渡したくない程に。
次に聴こえてくるのはこの言葉だろうか。いや、これはそんなものではない。己の心がそう告げているのだ。
私は、梅雨草琉月の話で自覚してしまった。
親の幼馴染で、私たちの先生で、妖の世界の長で、気まぐれな猫を好いたのだ、と。
できれば思い違いであってほしいと願ってしまう私は、ずるい人間もどきなのだろうか。
水浅葱の若女将はいつ見ても人間じみている気がする。幻獣使いであるため当たり前なのだが。
「そんなに見ても、頼まれたもの以外出しませんよ?」
つい、人をじっと眺めてしまう。全くの無意識だ。
若女将に首を垂れると「もう慣れましたよ」との言葉を笑顔に添えた。そんなにいつも見つめていたのだろうか。
若女将が小さく頭を下げて出て行った事を見計らったかのように、時が話し始めた。
「こうしてお前と酒を飲むのは久しぶりだな」
「まさか呼び出されるとはな。何か用事でもあったのか」
猪口に酒を酌みちびちびと飲み始める。こいつの頼む酒は異様に旨い上に度数が高い。俺はあまり強くないから、気を付けないと目もあてられない事になる。それなのに、こいつは平気そうな顔をして浴びるように飲むものだから理解しがたい。
話を戻そう。ここの地の名前は浅葱。そして俺たちが今いるところは水浅葱の位を持つ若女将が営む旅館だ。
昨晩の事。城で執務中にふらりとこいつが俺の部屋に来た。来て早々
「明日、いつもの時間に例の旅館に来い」
とだけ言ってふらりと帰って行った。新たに従者に迎えた妖は急な長の登場におびえていたが、俺を含め遠い昔から時を知っている妖は何とも思わなかっただろう。少なくとも俺はそうだ。「ああ、またか。分かったよ」といったぐあいに。驚きもしなかった。
そうして、今日の飲み会が実現した。
先ほどから酒の味を楽しむばかりで俺の問いに返そうとしない。しびれを切らした俺は先を促そうと口を開くと
「彩」
何故か問いの答えではなく娘の名前が返ってきた。思わず面喰ってしまう。
「彩が、どうかしたのか」
酒を置き、目線を時に向ける。彼は不気味な笑顔を浮かべ言葉を続けた。
「いい女に育ったな。お前の嫁にそっくりだ」
「何を急に・・・!」
酒を置いておいて心底良かった。きっと驚いた拍子に零していたに違いない。どうして急にこいつはそんな事を言い出したのだろうか。まさか。
「彩に嫌がらせをしているんじゃないだろうな・・・。お前に彩はやらないからな。あいつは山吹を収める王妃になるんだ」
時を軽く睨みつける。こんなものはこいつには効かないが。それは長い付き合いで覚えた。
「彩はしっかりしている。頼んでも文句を言うだけ言えば何かと手を貸してくれる」
「時が先生だからだろう」
「そういえば、どうして付きまとうのか、と聞かれた事があったな。その時の真剣な表情も可愛らしかった」
呆れて苦笑いしか出てこない。こいつ、本気で彩を手中に収める気か。瞳にきっと俺は映っていないだろう。映っているのは、一手も二手も先の展開だ。
こいつの瞳は彩しか映そうとしないのだ。
こんなヤツに彩をやるのは癪だ。どうせなら、麗羽に彩を渡したい。あいつの方が安心できる。
「彩が時を好きだったのは、もう10年以上前の話だぞ」
彩は昔、こいつに惚れていた。離れたくないと泣き喚くほどに。連れて帰るのは簡単じゃなかった。夕飯の時間に間に合わず、何度知沙に怒られたことか。彩は覚えているのだろうか。いや、覚えていないだろう。時の話を聞く限り。
「たかが10年だ」
「人間には大きすぎる時間だ。まだ彩がお前を好いているという確証はないんだぞ」
「もし、その思いを忘れていたら。また好きにさせればいいだけの事だ」
いつの間にか熱燗を二本空にしていた時は、若女将にもう二本頼んでいた。
あわよくば、彩が時への恋慕を思い出さないことを祈る。父親として心配でしかない。
だが、もし彩が時を好いたら?
その時はその時だ。ゆっくり話合えばいい。
ここまでなんだかんだと話してきたが、彩が今後この人以外に誰も好きになれないと感じた人と一緒になってほしいと思っている。
それが、父親なのだと思っている。
自分の父が、妖の俺を人間の女性と結婚させてくれたように。
愛や恋に関しては、彩の好きにさせてやりたい。
こいつが彩を振るような事があれば、俺はこいつを殺めかねない。
・・・まあ、冗談だが。
「今日も飲んでるね」
「いつもより少しペースが早いわね。きっと、話が弾んでいるのよ」
時さまと明華久さまは先週も飲みに来てくださった。いいお酒を頼んでくれるから、こちらとしてはありがたい。
ちなみに、他のお客様は二人が居ることを知らない。この世界でツートップの二人が居ると知ったら、恐縮して帰ってしまいかねないのだ。そのくらい、二人は影響力が強い。
お酒の用意をしていると、頭の中でリンと鈴の音がした。次に聴こえてくるのは、小鳥の囀り。幻獣達が私宛に連絡が来たことを知らせてくれたのだ。
「要さんごめん、電話きちゃった。悪いんだけど、お酒、二人の所に持って行ってくれないかしら」
「ええ、僕が?」
眉を下げた困り顔みていると、人を化かす狸だということを忘れそうになる。でもきっと、この人に他人を化かすことはできないだろう。
「他に誰が居るのよ。ほら、お願い」
根気よく頼めばやってくれるのが彼の良い所だ。盆にのった熱燗二本を半ば押し付けるように渡す。とぼとぼと歩いて行く彼の姿が妙に弱々しくて苦笑が漏れる。
彼の妖気は二人に比べはるかに弱い。時さまが人間の姿じゃなければ、確実に食らわれていただろう。相当疲弊して帰ってくるはずだ。
少々無理をさせてしまっただろうか。今更になって心配になる。
「・・・さて。誰が連絡してきたのかしら?」
小鳥を呼び出し、「はい」と話しかける。
この世界の住人達は、皆それぞれ思念や杖、幻獣を介して連絡をとりあう。私は幻獣使いのため、幻獣の小鳥を使う。つい最近、思念を使い連絡をする妖の半妖が産まれた。
連絡してきたのは、そんな半妖の、可愛らしい女の子からだった。
『すみません、お忙しいところ。彩です』
「はい。どうかしたの? 珍しいわね」
受付に出て、休み中を示す札を看板に掛ける。今の時間帯は、本来なら夕餉の時間帯だ。この札が掛かっていることは珍しくない。誰も怪しむことはないだろう。
私は壁に寄りかかり、彩ちゃんとの会話に意識を向けた。
『用と言いますか、折り入って相談が・・・』
妙に歯切れの悪い物言いは彼女らしくない気がする。この世界で会うときはいつもハキハキと自分の意見を話す子、という印象を受けているから。
「相談? 答えをあげられるか分からないけれど」
『話を聞いていただけるだけでも十分です』
「そう? ならいいけれど。それで、その相談って?」
『実は・・・』
彼女の相談内容は、「時さまから告白され、梅雨草の娘に宣戦布告をされた。自分の気さえ知らないのに」というものだった。
「それはまた・・・、随分急な話ね」
『本当ですよ、もう。逐一付きまとわれるし、こっちに住まないのかって聞かれるし』
「時さま、相当本気ね」
時さまがこんなに彩ちゃんを好いているとは思わなかった。昔から彩ちゃんについては「可愛らしい」とか「傍に置きたい」などと話していた。最近久しくその話を聞いていなかったが、彩ちゃんが時さまを避けていたのだとしたら合点がいく。
「彩ちゃん。時さまの事、一回も好きだって思ったことないの?」
『どうでしょう・・・。あ、昔一度だけ。長から離れたくないって泣き喚いた事があったって。まだ生まれたても同然の年でしたけど』
「その時はいいお兄さんって感情だったんだろうけど、今の彩ちゃんは、それがなんだったのか分かるんじゃない?」
私は昔、旦那を亡くしている。もう百年も前の話だ。人を好くという感情は忘却の彼方に消し去られたが、若い子ほど分からないわけではない。
彩ちゃんは少しの間を置いた後、小さな溜息を零した。
『よく分からないです。私は長より・・・、あ、いや、何でも』
「あら。ほかに相手がいたの? 誰? 私と彩ちゃんの間柄だもの。教えてくれてもいいわよね?」
『ええ・・・』
そのあと、少しだけ内輪話をした。久しぶりに聞く人間の世界の話は興味深い。
その話は、要さんが疲弊しきった顔で帰ってくるまで続いた。
若女将と話をして、少し戸惑いが生じた。
やはり、私が長と付き合うには年が離れすぎている気がする。私たちの間には、軽く120歳の差がある。長と若女将なら60歳差。妖の世界なら50を超える差など大きな差ではない。ただし100を超えると、この世界でも「若干離れすぎではないか」と感じられる差になる。
それに、私はこの妖の世界のことをほとんど何も知らない。
この世界の長は亡くなるまで長のままだ。久零内時はあと数百年生きる。それに対し、人間の寿命は短い。あと70年といったところだろう。私じゃ、長の最期まで寄り添うことはできない。そんな私が、長のもとにいていいはずがない。執務にも影響が出るだろう。そんなの、長の足手まといでしかない。
「やっぱり、若女将のほうが似合うなぁ。長と私は不釣り合いだ」
そう考えてしまうのも無理ないだろう。
ああ、頭がクラクラしてくる。恋愛とは、こんなにも心苦しくなるものだったのか。こんなのが初恋であってたまるか。こんなに苦しい恋が、初恋だなんて・・・。
翌朝。私は気晴らしを兼ねて再び朽葉の地を訪れた。父親が来ているから、でも、麗羽さんに会いに来たわけでもない。ただ、この町の、黄金色に輝くイチョウを眺めている事が好きなのだ。
「やっぱり、人間の世界よりきれいな色してる気がするなあ」
落ちた葉を一枚手に取り、くるりと回してみる。この葉で作られたベッドで眠ることができるようになるのは、もう少し先になりそうだ。
あわよくば、この空間に長が来ないことを祈、
「このイチョウには明華久の妖気が混ざっているからだろうな」
祈るには少し遅かったか。
朽葉の入り口すぐ近く。漆黒にも似た灰色をした猫の耳に尻尾。ここにいるときだけつける、赤いチョーカー。
ああ、長だ。
気持ちの整理がついていないうちに会いたくなかった。
思わず後ずさりしてしまう。できれば、この空間から逃げたい。
いや、逃げたかったと言った方が正しいか。
長にこの腕をつかまれなければ逃げられたのに。
「よくこの俺から逃げられると思ったな」
「長・・・、離してください」
腕を振り払おうと力を振るうも、それは長の前ではむなしく消えてしまう。
「何から逃げている、朽梨彩」
もう、やめて。離してくれ。もうこれ以上苦しみたくない。
長に、この思いを打ち明けてしまえばいいのか?
いやいや何を考えているんだ、私は。
「離してください・・・! 私は何からも」
「ではなぜ、こんなにもあからさまに避けるんだ」
はっ、と息をのんだ。
長の顔を見ると、どこか悲しそうに眉をひそめていた。
こんなに悲しそうな長は見たことがない。私はつい、その表情に見入ってしまった。
すると。
長の手から力が抜けた。
ぽす、と私の肩に長の頭が乗る。
長の手は、私の背に回っていた。
そのまま、軽く抱きしめられる。
「お、長・・・?」
「お前が俺を避け始めたとき、俺に脈はないんだと確信した。だから、これだけさせてくれ」
長の腕に力が入る。声が震えている。その振動が私にまで伝わって、心を震わせる。こんな長、知らない。
「長がそんなだと、調子狂います」
どうしていいのか分からなくなるではないか。
ああ、もうどうにでもなってしまえ。
化け猫の長を好いたのだ。
梅雨草になど、渡してなるものか。
鬼より気高いのは、黄金色に輝く我が山吹だ。
「長。私、長の事、それなりに好きなんですよ」
「・・・え?」
長の指が私の背中でピクリと跳ねた。
「でも、私は妖の年齢に変えたらまだ180歳です。長と100年を超える差があります。それ、結構離れすぎだって思いませんか? それに、私はこの世界のこと、ほとんど何も知りません。だから、執務だって、ほとんど役に立ちません。そんなやつ、長の足手まといだと思います。だから、こうして気持ちを伝えるべきか否か悩んでいました。それに、私は麗羽さんに好意を寄せていましたから」
でも、長が今日に限ってこんなにしおらしいから。
「長、気づいてそうでしたし」
「俺とて、人の心を知る術は持ち合わせていない。ましてや好意など。お前の気持ちは、いましがたお前の言の葉で知った」
「そう、ですか」
まさか、こんな形で知られてしまうとは思わなかった。
でもこれはこれで。
「長」
「なんだ?」
「幸せにしてくださいね」
「ああ。分かっている。・・・しかし、そうだな。これからお前には執務を覚えてもらわなくてはならないな」
顔を上げた長は心底嬉しそうだった。
でも、まだ結婚まで考えているわけではない。断じて。
「この世界の告白は、向こうの世界で言うプロポーズと同じだ」
黄金色に煌めくイチョウ吹雪の中現れたのは、紛れもない我が当主だった。
「全く、人の土地で何してんだ。トキサマは」
腕を組んで心底呆れたような表情を浮かべる。私だって、まさかこんなところでこんな話をするとは思ってもみなかった。
「お前の所、次期当主が居なくなったな。どうするんだ」
長は心底楽しそうだ。私はいい加減、長の腕のなかから逃げたい。だが長の力が強まり、抜けられそうにない。これはあきらめてるしか道はなさそうだ。
「長、それなら大丈夫だと思います。私、兄弟出来るので」
その場が、静まり返った。
「子供、できるのか」
「あれ? 当主、知らなか・・・、あ」
まずい。出産近くになるまで秘密にしておく約束をしていたんだった。
お母さん、ごめん。ばれました。
「だそうだぞ、山吹の長。彩を貰っても異論はないな」
投手は苦々しい顔つきをした。
「彩は、それでいいのか」
「・・・うん。いいよ。もちろん」
正直、まだ麗羽さんを好いているのは否めないが、前よりそれは薄れた。今は長にこの身を捧げたい。
当主は納得がいかないような表情をしていた。
ため息、ひとつ。
「分かった。彩がそう言うなら」
きっと、この人との生活は前途多難だろう。
でも、それでもいいかな。
長となら、それでも。
「とりあえず、帰って知沙に文句のひとつでも・・・」
「当主。お母さん、もう入院しました」
「はあ!?」
「残念だったな。お義父さん」
「お前に“おとうさん”と呼ばれる筋合いはない!」
終。
いかがでしたでしょうか。
ファンタジーな妖の世界を描けてとても楽しかったです。
ありがとうございました。
では、また。




