ハロウィンの準備をせよ!:後編(堕落の王)
「ミディア!? ちょっと! くそっ、寝てんじゃねえええええええええッ!」
布団の外から聞こえる罵声はお世辞にも高貴な魔王様の前で出していい言葉じゃなかった。
面倒くさいなあ、と私は思った。ここに寝ているのが無駄に心の広い(というか無関心な)レイジィ様じゃなくてハードやカノン様だったら、恐らく即座にリーゼは処刑されていたはずだ。というか処刑されればいいのに。
すっかり深い眠りに入っているレイジィ様の腕に抱きつき身体を出来るだけ縮める。
争いなど無意味だ。リーゼは憤怒だから怒るという行為にも意味があるんだろうけど、私がちょっぴり齧ってる怠惰にその相手をする理由がない。
というか、元々私はリーゼにはあまり興味がないのである。接点もあまりないし、貸しも借りもない、と思う。多少の嫉妬はあるけど、それも本当に極微量だ。
レイジィ様風に言うのならば――
「俺はお前のあらゆる全てに――興味がない」
と言ったところか。
もちろん、レイジィ様がそんな台詞を口にする程勤勉だとは思っていないけど、言わないだけで多分考えていると思う。レイジィ様に激しく嫉妬を覚えていた私だから分かるのである。
「あぁッ!? その声やめろぉおおおおおおおおおおおッ! 馬鹿にしてんのか、てめぇはッ!」
布団の外から聞こえる罵声が勢いを増す。一体何が彼女の癇に障ったのか。
最近めっきりレイジィ様の前では怒らなくなったのに、私に対しては怒鳴るなんて――。
私はふと思いついた事を言った。別にからかっているわけじゃない。ただの疑問だ。
「リーゼ。自分より弱い者にしか怒れないなんて、プライドないの?」
「……殺すッ」
まずい。怒らせた。
奈落の底から響き渡るようなその声に、私は慌てて身体をレイジィ様とベッドの間に潜り込ませた。レイジィ様の耐久力は恐らくこの魔界で一番高いが、体重はそれほど重くないし、私の身体は控えめに言ってとてもスマートなので簡単に潜り込む事が出来る。
レイジィ様は世界最強の壁だ。気分は大きな岩の下、その隅っこで暮らす虫の気分だ。
周囲の温度が一気に上がる。空気が燃え上がる。
昔のレイジィ様の寝室は度々リーゼに灰にされていたが、今では枕はもちろん、ベッドも特注品であり、そう易易と燃える心配はない。この寝室の火耐性は完璧だ。私以外は。
レイジィ様がじりじりと焦がされる。レイジィ様がくぅくぅと眠る。凄まじい熱に思考がくらくらする。ぜえぜえと呼吸をする。口腔から流れ込んだ高温の空気が肺を焼き、ごほごほと咽る。私は蒸し器の中の肉まんの気分になって、あっさりとギブアップした。
リーゼ死ね。
§
「リーゼ、私に恨みでもあるの……?」
「あるわボケェッ!!」
ベッドから滑り落ちるかのように這い出た私の眼に入ってきたのは、鬼のような形相のリーゼだった。その長い紅の髪は逆立ち、その周囲の空間が熱で歪んでいる。
苦しい。空気が熱せられて苦しい。この女、本気である。怠惰を得る前の私だったら死んでいたかもしれない。勘弁して欲しい。
朦朧とした意識で腕を伸ばす。自慢の処女雪のように真っ白だった肌が赤くなっている。熱のせいだ。私の怠惰よりもリーゼの憤怒の方がまだ高いようだった。
仰向けに転がり、努めてじっとする。じっとリーゼを見つめる。好きでやっているわけじゃない。動くと耐火能力が弱まるのである。怠惰のスキル、本当に使いづらい。
そしてリーゼがうざい。怠惰を得て改めて解った事だが、怠惰は憤怒とあまりにも相性が悪すぎる。
だから私は怒鳴られる度にリーゼに雷でも落ちて滅びないかなと思うのだ。実際には雷が落ちた程度じゃ死なないだろうけど。
リーゼが私が着ていたネグリジェの首周りを無造作に掴んで、私の身体を持ち上げる。
やめて! 破れるからやめて!
と私は表情を変えずに心の中で叫んだ。
リーゼの濁った眼が私の眼を覗き込む。唇が戦慄いている。その形相に、私は遅ればせながら今の状況が絶体絶命である事に気づいた。
この女はサイコ野郎である。(というか憤怒の悪魔は大抵、その憤怒に従い容赦なく他人を燃やし尽くす厄介極まりない性質があるんだけど、)自身の仕えるレイジィ様、そのただ一人の部下、あの大悪魔レイジィ・スロータードールズがいつも寝所を共にする程可愛い可愛いミディアちゃんを容赦なく焼き尽くしてもおかしくないくらいにサイコである。
きっとおっぱいがちょっと大きいからって調子に乗ってるのだ。と、私は表情を変えずに心の中でリーゼを糾弾する。
私だけの秘密だが、レイジィ様はまったくおっぱいに興味を持っていないので無駄である。本職の色欲の悪魔を嫉妬していた私の色気が通じないレイジィ様にリーゼのおっぱいが通じるわけがない。大体おっぱいだけならレイジィ様にはおっぱいメイドがいるし、リーゼの出る幕はない。なんかおっぱいおっぱい言ってたらイライラしてきた。やっぱりリーゼには絶賛消滅して頂きたい。
しかし、このままでは焼き尽くされる。死んでしまう。なんであのハード・ローダーとの戦闘さえ辛うじて生き延びた私がこんなところで意味もなく死ななくてはいけないのか。
戦ってもいい。私は強い。強いのだ。魔界でも一握りしかない将軍級悪魔である。最近黒星付け続けているがそれは相手が悪いだけであって私は悪くない。
リーゼに負けるとは思っていない。確かにこの女は強いが、私だって強いのだ。とっても強いのだ。レイジィ様のスキルだって一個だけ使えるのだ。
だけど、私は理知的だったので言葉で攻める事にした。
幸いな事に、リーゼが部屋から入ったその時から起きていたし、一人芝居は最初から聞いていたのでなんて言えばいいのかは予想がついた。
「はろうぃん」
「……」
私の予想は正しかったらしい。
リーゼが途端にぱっと手を話す。私はべちゃりと全身で床に落ちる。あ、今の落ち方レイジィ様にちょっと似てたかもしれない。ちょっと嬉しい。
見上げると、リーゼが冷徹な眼を私に向けていた。それでも、さっきまで見ていた主君の敵を見るかのような眼から虫けらを見るかのような眼に緩和(?)している。
空気の温度もいつの間にか下がっていた。まだ暑いけど耐えられない程じゃない。表に出さないように気をつけて、ほっと息をつく。
しかし、口に出して言ってみたはいいけど、「はろうぃん」って一体何なんだろうか?
私は賢い。レイジィ様に拾われる前は無知だったけど、影寝殿に来てからは沢山勉強した。本だって読んだし、デジや他の悪魔から話だって聞いた。その辺の転がっている欲望を満たす事のみに愚直な悪魔とは一味違う自信はある。
だけど、「はろうぃん」なんて言葉聞いたこともない。以前大騒ぎしていた「クリスマス」も詳しく知らなかったし、そもそもレイジィ様の御心を私達のような凡悪魔が理解出来るわけがないのだ。
前回「クリスマス」の時に散々ヘマをしたくせに、リーゼはまだその事を理解出来ていないとは、さすがの私も笑ってしまう。
私はとっくに理解出来ていた事なのに。
クリスマスの時だって、文献調べろとか言われて放り出されたけど、結局自室に戻って寝てたし。
リーゼが無言の圧力をかけてくる。無言のオーラがじわじわと私を蝕んでくる。
手を止めたのはいいけど、私は何もわからない。
仕方ないから適当に言う事にした。どうせレイジィ様もどんなのが来ても気にしないだろうし……クリスマスの時も気にしてなかったし。
……そうだ。どうせなら思い切り適当な事言って恥かかせてやろう。リーゼの不幸は蜜の味なのだ。
この女、さっき私を殺そうとしてたわけで、ちょっとくらい仕返ししても罰は当たるまい。
「『はろうぃん』ってのは――」
「……のは?」
リーゼの眼は本気だった。ぎらぎらとまるで獲物を前にした暴食の悪魔みたいな目付きである。ローナもそうだが、リーゼもリーゼで献身が過ぎると思う。もうちょっと力抜いて生きようよ。
しかしそこで困った事に気づく。適当な事を言うにしても、私は本当のはろうぃんを知らないのだ。
私は考えながら視線を逸らす。リーゼが私の手を思い切り踏みつける。噛み切ったのか、その唇からは血が流れている。
さて、どんな準備をさせればリーゼが自殺する程の恥をかかせられるだろうか。
なかなか本題に入らない私に、その眼が疑わしいものでも見るかのようなものに変わる。私を疑うなんて酷いやつだ。私は仕方なく声に出して言った。
「お祭り」
クリスマスもお祭りなので、この説は割りと信憑性があると思う。
リーゼの険しい目付きが僅かに緩和する。全部嘘を言うよりも、真実に一滴の嘘を混ぜたほうが効率的なのだ。いや、今回は嘘かどうか私もわからないんだけど。
リーゼが私の腹をぐりぐりとつまさきの先で踏みにじりながら尋ねてくる。やめて、それやめて。中身出る。
てか、いちいち人に物を尋ねる態度じゃない。やめて。
「……お祭り? どんな?」
そんなの知らない。
「えっと……確か――」
あちこちをきょろきょろと見回す。もちろん答えが転がっているわけがない。
久しくなかったくらいに頭を働かせる。何をやらせるべきか。恥をかかせるのならば変な格好をさせるのが一番だろう。
そこで私は閃いた。
「かぼちゃ」
「……かぼちゃ?」
いくらなんでもふざけすぎていたか?
ちょっと後悔するが、どうせ言わなかったら言わなかったで燃やされるのだ。私はいつもより少しだけ早口でまくし立てた。
「大きなかぼちゃをくり抜いて……被る」
「くり抜いて……被る? ……それからどうするの?」
まずい。リーゼの眼に再び、いらいらしたような光が灯り始めている。
そりゃそうだ。私がリーゼの立場でも怒るだろう。私はできるだけ真面目な表情を作って答える。
「……踊ったり歌ったりする」
「……かぼちゃをくり抜いて被ったら前が見えないと思うんだけど?」
リーゼの口調は冷静にしようとしている努力が見られたが、その内にはぐつぐつと煮えたぎるような憤怒を感じさせた。視線を逸す。
「えっと……そう。目と口の部分は穴を空ける」
「…………くり抜いたかぼちゃの中身はどうするのよ?」
そんなの知らない。勝手に考えて!
というわけにもいかない。どうやら墓穴を掘ってしまったようだ。
「中身……中身は……料理とか作って、食べる」
「……………どうやら死にたいみたいね」
存在抹消の危機に魂核が凄まじい勢いで鼓動を刻んでいる。
私は全力でそれを静めながら、まるで当たり前の事でも言うかのような表情で言った。
「嘘をつくなら……もっとマシな嘘をつく」
ごめんなさい。嘘でした。嘘つきました。私に嘘のセンスがなかっただけです。ごめんなさい。ごめんなさい。
もちろん口には出せない。出したら負けだ。
どうせレイジィ様は「よは」しか言わないのでここを乗り切ったら勝てる。いや、乗り切るしか私の生きる道はない。
リーゼが、げしげしと私を横腹を蹴る。だが、彼女には私が嘘をついているのか判断できるような基準がない。まだ消し炭にされていないのがその証明だ。
「そんなお祭りあるわけないでしょッ! どこに需要があるのよッ!」
「そんなの……知らない」
「……ッ」
さすがの私でもそんなお祭りの需要まで考えつかない。というか、少しは自分で考えるべきだ。
大体冷静に考えて、まず側に本人のレイジィ様がいるのに私に聞く辺り、リーゼの中途半端さが出てると言えないだろうか。
そもそも、聞くにしても、多分私よりローナとかに聞いた方がいい。私とレイジィ様の付き合いは結構長いが、会話を交わした事など数える程しかないのだから。
リーゼが地団駄を踏む。怒りを必死に静めようとしている証だ。
私は、怒りで冷静な思考が出来ていないであろうリーゼにすかさずとどめを刺した。
「時間、急いだ方がいい。はろうぃんが終わっちゃうから」
§
身体を激しく揺すられ、仕方なく眼をあけた俺の視界に入ってきたのは、巨大なかぼちゃを被り、全身を激しく揺すって踊る二人の悪魔の姿だった。
その後ろにはバックダンサーなのか、カボチャ頭の人形のようなものが手を繋いで踊っている。
なんだこれ。悪夢かよ。
「……」
沈黙したまま見つめる俺に、踊っていたカボチャ頭の二人、その内の大きい方が小さな声で言う。
「ハ……ハロウィンです」
え? ハロウィンってこんなんだったっけか?
激しく面倒臭かったが、記憶を漁る。もう殆ど思い出せないが、少なくともこんな子供が泣きそうなイベントではなかったはずだ。かぼちゃは……あった気がするけど。
俺は深いため息をついて、総評を述べた。
「……惜しい」
「え……」
小さい方のかぼちゃ頭の悪魔が意外そうな声を出した。
惜しい……惜しくない? っていうか、そもそもハロウィン今日じゃねーし。
ちなみに、バックダンサーを努めた小さなかぼちゃの人形は魔界の野生動物です。
畑とかにいます。




