クリスマスの祝い方:後編(夢幻のソリスト・ウォーカー)
年明けてしまい申し訳ない。
クリスマス短編の後編になります。
生まれてから既に十八年が経っているが、ここまで緊迫したクリスマスはちょっと記憶にない。
全ては俺の双肩にかかっている。こんな事なら、まだ魔王を倒しに行けと言われた方がマシだ。というか是非ともそういう要求をして欲しい。この夢の趣旨はそこだろうが。
戦々恐々している俺に、大臣が癖のように顎鬚を撫でつけながら訪ねてきた。
「ところで、勇者殿には恋人などおりますかな?」
「何をいきなり……いないし、いたとしてもこの世界では関係ないだろ」
「いえ、この世界のルールは基本一夫多妻制なのですが、勇者殿の世界では異なると記憶しておりましてな」
この世界一夫多妻制なのか。初耳だ。
まぁ、魔物という天敵が存在する以上、人類の滅亡を防ぐためにはやむを得ない処置なのかもしれないし、俺としてはこの世界の制度に口を出すつもりはないが、何故唐突にそんな事を――。
「いえ、勇者殿は誠実でおられる。恋仲の女性がいる場合、こちらで恋人を作るのは躊躇われるかと思いまして」
「……まぁ、そうかもしれないな」
所詮、夢なので浮気にはならないんだろうが、これだけ現実感があると枷になる可能性はあるだろう。幸いか否か、現実世界でも恋人はいないが。
しかし、本当に何をいいたいのかわからない。大臣の表情を観察するが、意図が読めない。
そんな俺の視線を受けてどうして笑えるのか、大臣がにこやかに両手を打つ。
「ならば調度良い事で……僭越ながら、勇者殿の恋人候補を用意しております」
「……は?」
何を言ってるんだこいつは。
聞き間違えかと大臣の方を二度見するが、大臣はもう一度同じ台詞を言ってみせた。
話の展開についていけない。
「……恋人……候補?」
「はい。恋人候補です。家柄も性格も厳選した逸材です。勇者殿の格から考えると物足りないかもしれませぬが……」
……別にそんな事をいいたいわけじゃない。文句がいいたいわけでもない。
何? 最近の勇者は恋人作る時も大臣に紹介してもらうの?
……じゃない。じゃなかった。
内心動揺しているらしい。いつも通りに回らない頭を、深呼吸をしてクールダウンさせる。
恋人候補……何の話をしているんだ、いきなり。
勿論、欲しいと思った事がないとは言わないが……唐突に過ぎる。
「……何の話だ? クリスマスの話とどう繋がる?」
「いえ……勇者殿の話では、家族がいない場合は恋人と一緒に過ごすのがクリスマスだと……」
「あー……」
なるほど……確かに言ったかもしれないな。
大臣がもっともらしく話を続ける。
「ここには勇者殿の家族はいないので、恋人と一緒に過ごすのがクリスマスという事になるのかと」
「恋人もいないが」
「ですから、候補を用意しました。カミ殿もこの世界に召喚されてから大分たっているので、恋仲の一人や二人できていてもおかしくないはずなのですが……」
大臣が呆れたようにため息をつく。余計なお世話過ぎる。そして、失礼すぎる。
俺はそういうタイプではないし、夢で恋人が出来たとしても眼を覚ました後に虚しくなるだけだ。
「報告では一人もいないとの事だったので……僭越ながら国側で用意致しました」
こいつら、まさか俺の動向を見張っていたのか。何その無駄な抜け目のなさ。
俺は彼等にとって救世主であり赤の他人。冷静に考えればそれくらいしていてもおかしくはないが、いつもの様子からは考えられない動きだ。しかもその結果が恋人候補を用意したって……どうしてそうなった!
とっさに反論を試みる。
「一人でもクリスマスは過ごせるぞ」
「しかし、それはカミ殿の仰るクリスマスの楽しみ方とは異なるのでは?」
「そんな事はない……と思う」
「国民たちにひとりぼっちで過ごすクリスマスを広める、と?」
こういう時に限って口が回る。何となく正当な事を言っている風に聞こえるのが腹が立つ。まるで俺が駄々をこねているかのようだ。
強がりなんて言わずにレビエリを連れてくればよかった。
今更実感するが後の祭りだ。
一瞬詰まった俺に、大臣が畳み掛けてくる。口撃を受けている俺に、王様達は口を挟む気配がない。
どうやらこの場所に俺の味方はいないようだった。
「カミ殿は少々……魔王を倒す事にストイック過ぎる。勇者という重責を担うものとして、それなりの貪欲さは必要ですぞ」
「……俺のモットーは清貧なんだ」
「それは素晴らしい事かと思います……が、それでは困る。我が国が勇者殿に対して報いていないかのように見られてしまいます」
その理論が誤っているのかそれとも俺が誤っているのか、もう何が何だかwからない。
俺の意見を言わせてもらえれば大臣の意見くそくらえなんだが、それは所詮主体的なものであって――大局的に見ると俺が間違えている可能性もあるわけで……。
……というか、この話もう、クリスマスに関係なくないか?
俺の顔色を察したのか、すかさず大臣が話題を変える。
この男、まさか俺の思考が読めるのか。あるいは、俺がわかりやすいだけなのか。いつも俺に見せている姿が嘘であるかのような口撃。
「まぁ、今回に限っていうのならば、国民に希望を与えるのも勇者の義務なのです。一人で過ごすクリスマスに何の希望が見出だせましょうか」
「恋人は与えられて作るものじゃないだろ」
「我が国はお見合いが主流です」
「お見合いしろと?」
「今回は国が斡旋するので素性が怪しい者はおりません、ご安心なされよ。金、武力、権力の三拍子揃った勇者殿ならば選びたい放題です」
「歯に衣着せぬ物言いだな」
「失礼なのは百も承知。それだけ、我々がクリスマスというイベントに対して本気なのだと思っていただきたい」
大臣は引くつもりはないようで、王様もその物言いを止める様子はない。
しかし、本当にああ言えばこう言うな。
だが断る。何故夢の中でお見合いせねばならぬのだ。まだ俺は高校生……十八だぞ。早過ぎる。
どう断れば角が立たないか考えていると、大臣がすかさず切り込んで来た。もしかしたら俺が漆黒明竜を倒した時よりも遥かに鋭い言葉の刃。
「実は既に三人程準備してあります」
「は? ちょっと待て、どういう事だ」
クリスマスについて最初に話をしたのは一昨日、しかもその時大臣たちはクリスマスをパイ投げ祭りだと思っていたはずだ。
いや、そもそも正しいクリスマスについて教えたのはついさっき――
明らかに準備のスピード感がおかしい。まるでずっと前に準備していたかのようだ。
王様とお妃様の表情を窺うが、特に表情にも仕草にも乱れはない。もしかしてこいつら……最初からこのつもりで……。
穏やかな笑顔の裏側に隠れた本性が垣間見え、ぞくりと怖気が走る。王様の間の抜けた笑顔が悪魔のそれに見えてくる。
「取り敢えず会うだけ会ってみてくだされ。それで気に入らないようであれば――」
「気に入らないようであれば?」
至極真面目に、大臣が宣言した。
「百人でも千人でも、カミ殿の好みに合う者が現れるまで探しましょう。何、ガリオン王国はこの大陸に存在する国の中では随一の大国です。必ずや好みに合う者も見つかりましょう。何なら他国から募ってもいい」
「本気か……」
「勇者殿に報いるためならば悪魔にでも魂を売り渡しましょう」
やはりこいつらは根本的に何かがおかしい。
勇者殿に報いるためとか言っているが、凄い迷惑なんだが……。一応はっきりと言っておく。
「迷惑だ」
「拒否権は勇者殿にあります。無理をして恋人を作る必要はありません」
「向こうが気にいるとは限らない」
「いーえ、気に入りますね。カミ殿は勇者ですから」
何故か、俺よりも大臣の方が自信満々だった。
自慢じゃないが女の子に気に入られたことなどレビエリからくらいしかない。
もし俺が勇者だという理由で気に入られるのならば、それは俺が気に入られたのではなく勇者という称号が気に入られたという事だろう。まっぴらである。
その時、ふと思いついた。
レビエリ。その手があったか!
「いい方法を思いついたぞ」
「ほう」
まだ見合いとかしたくないし、夢の中で恋人を作るつもりない。
聖剣達には悪いが、協力してもらおう。彼女達ならばきっと断らないはず……何人かは断ってきたとしても、レビエリだけは断るまい。
そもそも、彼女達は実質、俺にとってこの世界で一番親しい人々でもある。
「お見合いの件は置いておいて、クリスマスをやるだけならば恋人と過ごす必要はない」
「といいますと?」
決まっている。
「レビエリ達とクリスマスを過ごそうと思う。別に俺の恋人ではないが、無理やり作らされた恋人と一緒に過ごすクリスマスよりも余程いいクリスマスになるだろう」
俺の言葉に、王様と大臣が形容しがたい表情で顔を見合わせた。
◇ ◇ ◇
しかし、クリスマスを過ごすと言ってもどうやって過ごせばいいだろうか。
俺と彼女達の絆は一重に――戦いの一言に集約される。
彼女達は闇を切り裂く意志ある剣。人とほぼほぼ同様の生活を送る事が可能で、泣き笑い、怒り、感情を持ち意志を持つがそれでもレビエリ達は剣だった。長い間宝物庫で担い手を待ち続けた兵器だった。
俺が彼女達と交流する事になったのは俺が勇者だからであり、故に俺と彼女達との関係は勇者と剣以上の関係を持たない。
あまりにも人間っぽいのでたまに忘れそうになるが、そこの所の感性の差異がたまに如実に感じられて、俺は彼女達の事を好きではあるが愛してはいない。ライクではあるがラブではない。恐らくそれは、彼女達の年齢が俺と同等くらいだったとしても変わらなかった事だろう。意識しないように気をつけていると言えば気をつけてはいるが、そうでなくても、恐らくそういう考えが無意識のうちに俺の中には眠っている。
意外な程あっさりと王様達からの了解をもらうと、俺はどう彼女達と交渉すべきか頭を悩ませながらレビエリの部屋に向かっていた。
俺がこの夢を見始めてから大部分はレビエリと一緒にいる。ので、別に話すことに躊躇いがあるわけではないが、内容が内容だ。余りにくだらなさ過ぎて恥ずかしい。
広めの、真っ赤な絨毯が敷き詰められた廊下を通り、レビエリの部屋に近づいたその瞬間、唐突に扉が開いた。出てきたのは燕尾服の壮年の男性だ。
聖剣の部屋に入るのは掃除や食事などを運ぶ使用人を除けば俺くらいのはず。
じろじろ観察していると、こちらに向かってきた男がすれ違い様に丁寧に礼をしてきた。初めて見る顔だが、侵入者というわけでもなさそうだ。こちらも軽く会釈を返すが、凄く嫌な予感がする。
この世界に来てから身体能力だけでなく、五感も強化されている。集中すれば蝶の羽ばたきすら聞こえる。
その聴覚が、分厚い石材製の扉越しに部屋のざわめきを検知していた。
緊張しながらも扉を開く。
弾かれるようにしてレビエリがいつもより二割増しに頬を染めた表情をこちらに向けた。
「あ、勇者様……お話は……終わったんですね」
「あ、ああ……」
様子がおかしい。レビエリだけでなく、フレデーラもそわそわしているし、アインテールはいつも以上に硬い表情でこちらをじっと見ている。フィオーレもトリエレも、どこかいつもとは雰囲気が違っていた。
まるで死地に踏み入る気分でそろそろと中に入り、後ろ手で扉を閉める代わりに僅かに開いた状態で固定する。
六人の視線が注がれているのを感じる。
レビエリがすかさず俺の後ろに回り、はにかみながら扉を閉めた。あえて開けておいたのに……。
珍しい事に、レビエリが背後に回って腕を取り、席まで引っ張る。
そのまま俺を座らせると、隣に自分も腰を下ろし、上目遣いでこちらを窺ってくる。あからさまに怪しい態度。
「……どうかしたのか? あ、欲しいクリームパイの数が決まったのか?」
「そ、それも決まりましたけど……そんな事より、私達に言う事があるんじゃないですか……?」
「……え?」
部屋の中を見回す。十畳程の広さの洋室。但し、俺含めて七人もいると十畳あってもやや狭い。
そこにいる六人のそれぞれタイプの違う少女達の間で流れる理解不可能な空気。
テーブルを囲んで椅子に座るレビエリ、フレデーラ、リースグラート、ソファに腰を下ろすアインテールにベッドに座る残りの二人。
レビエリカラの問いに思いつく節はたった一つしかない。クリスマスの件だ。寄り道もせずに王の間からまっすぐに来たはずなんだが、どこから漏れたのか。
「……さっきここから出てきた男に聞いたのか」
「……ええ、そうよ。ウィレットの使いだって。詳しくは勇者様が話すはずだという事で、趣旨しか聞いてないけど」
フレデーラが今まで見たことのない、やや戸惑ったような様子で答える。
大臣の使い、か。一体どうやって俺よりも後に出て俺よりも先にこの部屋につけるのか。おまけに、趣旨だけとはいえ、説明まで済ませていると来ている。
まぁ、動向は不気味ではあるが、大臣が気を利かせてくれたものだと考える事にしよう。手間が省けたのは確かだ。
「趣旨ってどこまで聞いた?」
「えっと……クリスマスの説明と……貴方がデートに誘いに来るって事くらいかしら」
デート、デート、か。言い方は妙だが間違えてはいない。
室内で引きこもっているだけではパイ投げ祭りに負けるかもしれない以上、街中を一緒に回るくらいはするつもりだった。そもそも、漆黒明竜討伐を機に、彼女達にはある程度の自由が許されるようになったとはいえ、厳重な警備が敷かれているのは間違いない。彼女達は聖剣――国宝なのだ。必要がなければ城外に出ることも許されない。
クリスマスを示すためとはいえ、これは彼女達との交流を深めるいい機会。この機会に街中を一周して色々見て回るのも楽しいだろうと思う。
大臣の言う通りというわけではないが、基本的に訓練くらいしかしていなかったし、羽休めにもなりそうだ。
幸いな事に、竜を倒した褒賞がまだまだ残っているため、金銭面では困っていない。甘いものをご馳走したり、何か欲しい物があれば買ってあげるくらいの事はできる。
「そうか……なら話は早いな。少しだけ付き合ってくれると助かるんだが……」
レビエリが瞳を潤ませて息を僅かに飲み込む。そんなに楽しみだったのだろうか。というか、入ってきた時に皆が浮足立っていたのはそのせいか。
やはり聖剣とは言っても感情がある以上、そういった娯楽は楽しみなんだろう。
どうやら付き合ってもらえそうな雰囲気にほっと息をし、全員を見渡す。
数秒間返答を待つが、しかし何故か誰一人として答えが返ってこない。
ここまで顕著な反応をしているのに、まさかみんなNGなのだろうか……まさか大臣が拒否するように仕向けたのか? 俺と誰かしらをお見合いさせるために?
穏やかな大臣のイメージが漆黒に染まっていくような錯覚を覚えていると、フィオーレがそわそわと口を出した。
「……で、だ、誰を選ぶのよ……勇者は。ゆ、勇者にはいちおう、お世話になっているし……わ、私なら別にオーケーというか、考えてあげなくもないけど?」
「……へ?」
フィオーレの頬が林檎のように朱に染まっている。レビエリがまるで睨みつけるかのような視線をフィオーレに向ける。
俺は馬鹿だ。そこまで来て、俺はようやく彼女達との温度差に気づいた。
大臣の使者からなされた説明はどうやら俺の趣旨と差異があるらしい。あいつ……何をどう伝えたんだ!?
全員と行くつもりだったんだが、なんて言えない空気に、俺は誰にも気づかれないようにゆっくりと唾を飲みこんだ。
これ、どうすんだよ。
◇ ◇ ◇
「勇者様も大変ね」
いつもそれほどテンションが高くないが、今日は一際テンションが低かった勇者を見送り、フレデーラが人ごとのように言った。結わえられた燃え盛る炎のような鮮やかな赤髪を触りながら、消えていった勇者の方向をずっと見ていた。
東の大陸を支配する諸国の中でも一際巨大な王国、ガリオン王国の現在有するたった一人の勇者。六聖剣を扱う権利を得たその勇者の名を知らぬものは諸国では存在しない。
エルフの王の結界すら破壊しかけた最上級竜種を討伐した強力な剣士。その膂力、強力無比、その動き、疾風の如く。莫大な力と、闇に立ち向かう高潔な精神を持つとされるその勇者は、時間こそあれば全ての聖剣を使いこなすだけの資質を持っていた。
ベッドの上に転がりながら、トリエレが無邪気に笑う。
パジャマのような服装にだらしなく真っ白なシャツが出ている。見た目は十代に至っていないだろう、だが、見た目だけならば六聖剣で最も幼い少女は、同時に六聖剣最強でもあった。断罪の剣、光真剣の名を知らぬものはガリオン王国では存在しない。
「勇者様は相変わらずだねえ」
「ぐす……ね、ねえ、トリ? 勇者は……私の分も持ってきてくれると思う?」
「フィーはからかわれただけ。性格から考えて、勇者様が一人だけ仲間はずれにすることはまずない」
眉をぴくりとも動かさずに断言するアインテールに、フィオーレが涙目で縋り付く。
「で、でも私、いつも勇者に……ちょっと、酷いこと言ってるし……」
「そんなに気にするなら、言わなければいいのに……」
もっともなつっこみを入れたリースグラートに、フィオーレがきっとばかりに睨みつけた。
その視線に一瞬で敗北し、リースグラートが慌ててフォローする。
「だ、大丈夫だよ、きっと! 勇者様、優しいし――」
「勇者様は格好良くて優しいです……」
「……はぁ」
いつも通り、熱病に侵されたかのような潤んだ瞳で呟くレビエリに、フィオーレは気が抜けたようにため息を返す。
レビエリの勇者への評価は、別に勇者の事が嫌いなわけではない、どっちかというと好んでいるフィオーレから見ても過剰評価なこと甚だしい。
ずっと扉を睨みつけていたフレデーラが視線を元に戻した。険しい表情で腕を組み、仲間達に視線を投げかける。
「しかし……一体どういう事かしら。ウィレットの奴……」
「んー、確かにおかしいけどねぇ。ウィレットちゃんだし、何をしでかしてもおかしくないかもねぇ」
フレデーラの問いに、トリエレもくりくりとした目を瞬かせる。
議題は勇者が昨日やったという、ニセクリスマスについてだ。
勇者が先ほど散々愚痴っていった王様達の考えたパイ投げクリスマスに巻き込まれたという内容は、事情を殆ど知らないフレデーラ達が聞いても明らかにおかしい内容だった。
ガリオン王国十五代国王は非凡な腕を持っているわけではないが、決して馬鹿ではない。そしてその下の大臣であるウィレットもまた、楽天家でもなければ愚か者でもない。魔族対人族の戦争が始まって既に長い時が過ぎている。そんな者が国を運営していたら国は瞬く間に魔族に飲み込まれてしまうだろう。
余りにも奇妙な内容だったので勇者には言えなかったが、フレデーラ達は話を聞いていて何度もつっこみかけていた。
レビエリが唇を噛み、勇者様の消えていった方をもう一度見る。王様の所に向かうと言っていた。帰りに部屋に寄ると言っていたので、話し合いの結果はその時に聞けるだろう。十中八九、クリスマスに関しての続報。何かしら事態が進展しているはずだ。
「勇者様に不利益な事をしようとしたら殺します」
攻撃手法を持たない盾の実体を持つレビエリの言葉に、トリエレが笑う。
「あははは……レビちゃんこわーい。まぁ、それはないと思うけどねぇ。ウィレットちゃん達が勇者様を推しているのは『真実』だし」
その言葉、トリエレからの配慮に、レビエリは気まずそうに肩と表情から力を抜いた。
その剣の由来から、光真剣に虚偽は通用しない。
「まぁ、勇者様も変な人だから……」
「あー、確かに……」
フレデーラの言葉に同意するリースグラート。脳裏に浮かぶのは初めて顕現化された時の光景だ。
力は歴代最強だし、善人であることも間違いないが、今代の勇者の精神はどこか歪だ。
凡人かと思えば、剣の一本も持たずに強力な魔族跋扈する王都外に出ようとする。魔物の前で震えていたかと思えば命を投げ出し特攻をかける。まるで夢幻でも見ているかのようなあり方は聖剣達から見ても酷く危なっかしく、そしてそれは、数々の勇者を召喚してきた王国側から見ても同様だろう。
勇者を王都の外に出さないのもその一環だ。いくら力があろうと所詮人は人、簡単なミスで命を落としてしまうのだから。
「しかし、ウィレットは本当に何を考えているのかしら……正しいクリスマスなんて――他の召喚者に聞けばいいだけの話なのに……」
「調べがついてもおかしくないよねぇ……この国の諜報部隊、かなり優秀だし。そもそも普通、聞く前に調べるよねぇ」
「そもそも、調査が完了していなかったとしても、パイ投げ祭りになる時点でどうかしてるわ」
「え? 楽しそうだと思うけど……パイ投げ祭り」
何も考えずに呟くリースグラートに、他の五人が呆れたようにシンクロしてため息をついた。
ガリオン王国が召喚した勇者で現存している者はカミヤ・サダテルだけだが、召喚魔術は決して珍しい魔術ではない。この世界には勇者と同郷の存在も少なからずいる。勇者の話を聞いた限りではかなり有名なイベントらしいし、それを調べるのは決して難しくないはずだ。
切り分けたクリームパイを、フレデーラがそれぞれ小皿に載せ配布する。
「あまり勇者様の意に沿わない事が起こっているようなら一言出さないと」
「……意に沿わない行いが誤っているとも限らないからねぇ」
レビエリとトリエレの会話を眺めながら、考えるのが苦手なリースグラートは黙ってパイをフォークで崩していた。
生クリームのたっぷり乗ったタルトに似た生地をさくさくと刺し、口に入れ頬を緩ませる。
ふとその時、アインテールが眉を僅かに動かした。
「誰か来る」
ほぼ同時に扉が静かに開き、人影が入ってきた。
きっちり折り目のついた清潔な黒の燕尾服を着用した老年の男。袖口に誂えられたカフスボタンが、その者がこの王宮に使える使用人である事を示している。
「失礼致します」
「ウィレットからの使者ね」
即座にフレデーラが応対する。
宝物庫に収められていた頃は殆ど人と接する機会はなかったが、今では、城内に限りある程度出歩く権利を持っている。
大臣の側にいるその男の姿を、何度か見たことがあった。
ガリオン王国が持つ諜報部隊の一員にして、騎士とは別の形で手足の如く動く戦力。
男が、厳つい容貌に笑み一つ浮かべず、丁寧に頭を下げる。
「ウィレット様から連絡がございます」
「来るタイミングおかしいよねえ? 勇者様がいなくなってからまだ――十分も経ってないのに」
トリエレが無邪気な表情でパイの皿をテーブルに置き、壁の時計を人差し指で指す。
その視線は頭を下げたままの男の方を見下ろしている。
「おじちゃん、勇者様がいなくなるのを――待っていたの?」
男がゆっくりと顔をあげる。何を考えているのか読み取れない、皺の刻みつけられたポーカーフェイスは歴戦を感じさせる。
躊躇わずに老年の男が答える。
「はい。勇者様がいない所で連絡するよう指令を受けております」
「おじちゃん、トリの力、知ってるねぇ……」
トリエレが顔を顰め、猫のそれに似た目でじっと男の表情を観察する。
光真剣の能力は虚偽の看破。如何なるポーカーフェイスも訓練もその力の前には意味をなさない。
観察した結果、男の表情には嘘が見当たらなかった。
「当然です……光真剣の伝説――権能を知らない者は……この国でおりません。ウィレット様からも、よく聞かされております」
「……ウィレットちゃんは相変わらず抜け目ないねぇ……」
呆れたように呟くと、トリエレは仰向けにベッドの上に転がった。虚偽を許さぬ光真剣は、逆に言うのならば謀らない限り害がない事を指す。
レビエリがちらちらとトリエレを見つめる。
仰向けに転がったまま、トリエレが最後の仕事を行った。
「あ、そうだ……一応聞いておくけど――勇者様に危害を加えるつもりはないよねえ?」
「誓ってそのような事はございません」
「はい、嘘じゃない。じゃあ後はレビちゃんに任せようかなぁ」
やる気がなさそうな声でトリエレが目を閉じる。
だが、聖剣達は皆知っていた。トリエレは、光真剣は、決して油断しない。
軽く瞼を下ろし、一見穏やかに眠っているように見えてその実、その意識は常に研ぎ澄まされている。
どこか超然としたその態度に、同じ側の人間である男が僅かに喉を動かし、唾を飲み込む。
その挙動から見えるのは聖剣から勇者への信頼、あるいはそこまでいかなくても好意の側の感情だ。
「……さすが、全振りの聖剣を持つことを許された勇者、という事ですか」
「勇者様ですから」
レビエリがさも当然の事でも述べるかのように答え、椅子を引いた。
フレデーラがなれた手つきでお茶を入れ、さっとテーブルに配置する。
トリエレを除いた五人の視線を一新に集めながら、使者が腰を下ろす。
ガリオン王国の保有する超兵器の注目を一身に受け、来訪者が口を開いた。
「もう既に勇者殿から軽く話は聞いているとは思いますが、この度、我が国で勇者殿の国のイベントであるクリスマスを再現する事になりました」
「聞きました。何でも、クリームパイを投げて互いにぶつけあうという常軌を逸した内容だとか」
非難の感情が軽く込められた視線に、使者は表情を変えずに首を横に振った。
「いえ、それは我らの国で考えた『くりすます』であって……祝う予定なのは本来のクリスマスの方です」
「……昨日既にやったと聞きましたが」
「昨日のはリハーサルで、本番はこれからです」
「リハー……サル?」
「リハーサルというか……勇者様に本来のクリスマスに参加して頂くための前段階ですね。ああでもしないと、勇者様は本来のクリスマスに参加してくれないだろう、との事で」
無言で顔を見合わせるレビエリとフレデーラ。
あっさり述べられる言葉は、まさしく、先ほどまでレビエリ達が話し合った内容と関連しているものだ。
どうやら、王国側は本物のクリスマスについても情報を掴んでいたらしい。
どう対応すべきか頭を回転させつつも、一番勇者に近しいレビエリが代表して質問する。
「それは……何のために?」
答えは事前に用意されていたのだろう。レビエリの問いにすらすらと返答が返ってきた。
「クリスマスを祝う目的は三つあります。一つ目は訓練ばかり繰り返し身体を酷使している勇者様に休んでもらうため、二つ目は英雄の国のイベントを行う事により、魔族との厳しい戦いを強いられ、鬱屈している国内の空気をリフレッシュするため」
「……三つ目は?」
使者は一度深く息を吸うと、全員に視線を投げかけ、まるで言い聞かせるかのような声色で答えた。
「三つ目は……勇者様に我が国との絆を深めてもらうため、です」
「きず……な?」
トリエレの耳が一瞬ぴくりと動くが、何も言わず黙ったままだ。
使者から出された予想外の言葉に、アインテールが珍しく自ら身を乗り出す。
「はい。勇者様は類まれな武力と善性、優れた英雄の資質を持つ方です。その存在はガリオン王国にとって希望であり、その証に王は貴方がた全ての聖剣達を扱う権利を与えました」
「僕は力を失ってたけど……」
リースグラートの言葉をスルーし、大臣からのメッセンジャーが続ける。
「ですが、ここで一つ問題が発生します」
「問題……?」
首を傾げるリースグラート。
今まで黙っていたアインテールが口を開く。氷止剣の名に相応しい氷のように冷たく美しい声。
「……勇者様の側に何一つ戦う理由がない、という事」
「!!」
使者が出されたお茶を口に含む。その眼に動揺はない。
が、それは同時に、アインテールの言葉が正しい事を示している。
「アインテール様の言う通りです。勇者様には戦う理由が、この国を救う理由が……ないのです」
「……」
「戦いを望む性格でもなし、金、名誉、権力、女を求めているわけでもなし、それどころか何よりも――元の世界に戻りたいとすら考えていない節がある」
心当たりのあるその言葉。レビエリがほんの少しだけ悲しそうに眉を歪める。
それは強さであり、同時に危うさだ。
きっとその行動原理は正義感ですらなく、それは薄々とレビエリ達も気づいていた事実で、一見まともに見える勇者様と付き合えば付き合う程、その姿に『超然』を感じてしまう理由でもあった。
理由もなく世界を救える者は特に理由もなくそれを諦める事もできる。強力無比な能力を持つ勇者としては余りに不安定な性質。
フレデーラがやや表情を険しくする。
「絆……勇者様にちゃんと国を救ってもらう意義を与えたいって事? でも、ウィレットは一度勇者様に帰還を示唆したはずよね? 何で今さら――」
敵になる可能性を潰したいのだろうか?
だが、付き合ってみればわかるが勇者カミヤ・サダテルは『そういう』人間ではないし、今までもそれを仄めかした事はないはずだ。
フレデーラの疑問に、男は首を横に振った。
「いいえ、この件については、王国側に深い意図はありません。ただ私達は――出来る限り勇者殿に負担を掛けたくないのです。常に鍛える事のみ、魔王を倒すことのみを考えてしまうといずれ勇者殿は魔王を倒す機械のようになってしまうでしょう。勇者としては正しくとも――国の恩人にそのような可能性を与えるのは忍びない」
「んー? 僕はそんな事ないと思うけど……」
リースグラートが唇に指を当て、首を傾げる。
「ないかもしれない、しかし、あるかもしれない。私達はその可能性を出来るだけ潰すべく、ずっと悩んでおりました。そして見つけた、勇者殿の生活に潤いを与える手段が――クリスマスなのです」
フレデーラがトリエレの方を見るが、トリエレは僅かに首を左右に振る。
嘘はついていない。少なくともこのウィレットの使者はそれを嘘だと思っていない。
話の内容自体は何となくわかるし、勇者に危害を加えるつもりもないという事もわかる。前準備で行ったパイ投げはどうかと思うが……。
「……まぁ、何となく理由はわかりました。それで、私達に何をして欲しい、と?」
その言葉に、使者はようやく本題に入り始めた。
勇者が戻ってくる前に終わらせるつもりなのだろう、早口気味に続ける。
「はい。貴女がたは勇者殿のクリスマスについてどのようなイベントだか知っていますか?」
「……いや……少なくともパイ投げではないという事しか……」
そもそも、クリスマスなんてイベント、この世界――オリゾンテには存在しないイベントだ。
全員の様子を確認し、使者が唇を舐め、続ける。
「他の召喚者から情報を収集したのですが、クリスマスというイベントは親しい者同士でご馳走を食べたりデートをしたり、クリスマスプレゼントと呼ばれる贈り物を渡したりするイベントだという事で……まぁ、一種のお祭りのようなものだと考えて頂ければよいかと思います」
「ご馳走を食べたり、デートをしたり……」
「そして、何より恋人がいる場合は恋人同士で過ごす事が多いという事でして……」
「恋人……?」
使者の説明で何となく『クリスマス』のイメージがついてきた。オリゾンテにも幾つか季節の祭りが存在する。実際に参加した事はなくても、長い年月生きていく中でそれらの知識だけは得ている。
レビエリとフレデーラが顔を見合わせた。使者が何を言わんとしているのかわからない。
勇者に特定の恋愛相手というのは存在していない。少なくとも、殆どの時を勇者と共に過ごしてきたレビエリにも思い当たる節がない。そもそも、訓練や戦闘を繰り返す勇者にとって接する機会の多い女性は屋敷の整備をしている使用人くらいだ。
その事を、勇者に細心の注意を払っている大臣達が知らないわけがない。
そこで、使者が僅かに笑みを浮かべた。
「そこで、我々は思いました。勇者様にクリスマスを楽しく過ごしてもらいたい。そうだ、勇者様に恋人をあてがおう、と」
「え……? ゆ、勇者様に、恋……人、を? わ、私がいます、けど?」
雲行きが怪しくなってきた。
レビエリが涙目でメンバーを見渡す。が、誰もが関わり合いたくなかったので目を逸らした。
「可能ならば勇者様には子供でも作っていただけると完璧なのですが、そこまで強制する事はできません。そこは最終目標として、取り敢えず有力な恋人候補を三人用意したのですが、ここで問題が……」
「こ、子供……勇者様の、子供……」
「問題……?」
まるで悪夢でも見ているかのように頭を抱え、いやいやと首を左右に振るレビエリに代わり、フレデーラが聞き返す。
潤いという意味で配偶者を作るという手段は悪くないかもしれない。勇者にベタ惚れしているレビエリには悪いが、もとより剣と人では寿命も違う。いずれそういう日が来るということも、レビエリを含めた全員が理解していた。
レビエリの様子に一瞬引いた使者だったが、向けられる真剣な視線に、話を再開する。
「はい。問題です。最後の最後に気づいた重大な問題です」
「それは……?」
ごくりと行きを飲むフレデーラに、使者は皺の寄った苦笑いを浮かべた。
「私達は勇者様にその三人の中から恋人を選んでもらうつもりでした。あるいは選ばなかったとしても代わりを何人でも探すつもりでいました。たとえその日恋人にならなくても、クリスマスを共に過ごせば強い絆が結ばれるのではないか、と。ですが、その時私達は最も高い可能性に気づいたのです。あの女性関係では酷くヘタレな勇者様が貴方がたに逃げる、という可能性に」
「ヘタレって……ああ」
その言葉を吟味し、フレデーラが頷く。確かにあの勇者様がいかにも選びそうな選択肢ね、と。
王国側も勇者様についてはある程度正しく認識しているらしい。英雄色を好むという言葉もあるが、カミヤ・サダテルは驚くほどその手の事に縁のない勇者なのだ。間違いなく英雄なのに。
そして、そういった選択肢を迫られた時、もっとも身近で交流のある異性(正確には種が異なるが)は聖剣達で間違いない。
レビエリと一緒に過ごすから恋人候補なんていらない、とか言いそうだ。
フレデーラは紅茶を口に含んだ。アインテールもフィオーレも呆れたように顔を見合わせている。
それは……有りなのだろうか。レビエリならば間違いなく断らないだろうが……。
使者がもっともらしく腕を組み、続ける。
「そして、私達は急遽吟味しました。それはありなのかどうか、と。三日にも渡る激論の末、結論が出ました。まぁ、それで潤いが出るならいいんじゃね、と」
「ぶっ!」
「ちょ……汚――」
フレデーラが吹き出した紅茶を、リースグラートが慌てて避ける。
激しく咳き込みながら、涙の滲んだ眼で使者を見上げる。
「げほっ、げほっ……そ、それでいいのかしら?」
「まぁ、正直かなりアブノーマルですが、人の性癖に口を出すのは野暮ですし」
「性癖って……」
「小児性愛になるのか偶像性愛になるのか話し合いが行われましたが、まぁどちらにしても勇者は勇者、今の所、特に行動に影響もないですし人間味として許容すべきだと」
「小児性愛……ちょっと、貴方、本音で話しすぎじゃない?」
フレデーラの文句に、使者は大きくため息をついた。
「光真剣の前で虚言を弄するわけにもいきませんので……少なくとも、トリエレ様とフィオーレ様に欲情するのは特殊性癖だという結論に達しました。その場合、勇者殿の恋人候補の選定には苦労する事になるでしょう」
「虚偽を弄さず、ただ黙する、という選択肢もあったと思うんだけどねぇ」
「欲情……」
さすがのトリエレにとっても予想外だったのか、ベッドの上で上半身を起こす。
全身を覆うフリルのついた金色のドレス。ウェーブのかかった純白の長い髪。どこからどう見ても十になったかどうかという見た目。可憐といえば可憐だし美人と言えば美人だが、胸もなく身長も低く、性愛の対象となるような見た目ではない。
フィオーレがどうしていいかわからず、おろおろとトリエレの方を見る。トリエレも珍しく戸惑いの表情でフィオーレの方を見返した。
「まぁ、さすがにトリエレ様とフィオーレ様はないかと思いますが……」
確信はないのだろう。自信なさげに使者が呟く。
使者が入ってきた時の緊張感はいつの間にか別種のものに変わっていた。ついでに勇者への評価も。
沈黙に陥りかけ、無理やりフレデーラが言葉を出した。
「……で、それなら大臣からのメッセージというのは何? ……もし万が一勇者様が本当に私達の中の誰かを選んだ場合、受け入れるように、という事かしら?」
別に聖剣達は勇者を嫌ってはいない。資質も能力も極めて高く、性格もやや不安定ではあるが好ましい方ではある。今までの担い手候補と比較しても、王たちに選ばれるだけの事はある。だが、それとこれとは話が別だ。
少し考え、言葉を濁して答える。
「……少なくとも……レビなら受け入れるだろうけど」
フレデーラがレビエリの方に視線を向ける。
レビエリはいつの間にか顔を上げ、真剣な表情でこくこくと頷いていた。
「いえ、ウィレット様からの連絡はそういう事もあるかもという周知だけです。王国は勇者殿に可能な限り力を注ぐ意向ですが、同時に聖剣をないがしろにするつもりもありません。ただ、可能ならば、断る場合はきっぱりと未練を断ち切って断ってやってください。国の方で代わりを探しますので」
「え……ええ……?」
「どうせ聖剣とじゃ子供できませんしね……」
呆然と視線を向けるフレデーラを前に、使者がぼそりと呟いた。
◇ ◇ ◇
妙な熱の篭った視線を前に、何とか交渉を試みる。
ただの熱の篭った視線だけでなく、どこか侮蔑に似た視線も入り混じったそれらには身に覚えがない
「……よし、冷静に話し合おう」
「冷静にって、クリスマスの件、ですよね?」
「……ああ、そうだな」
レビエリがそわそわしながら俺を見上げる。もし彼女に尻尾があったらブンブン振られているだろう、そんな表情。
そんなに外に出たかったのだろうか。いや、それだけではないだろう。きっと先ほどの男が碌でもない事を言ったに違いない、くそったれ。
「実は王様と話し合って、俺の国の形式でクリスマスを祝う事になった。そのため、協力して欲しい」
「協……力……」
何故かフレデーラの頬が染まる。照れが半分、怒りが半分か。
あえてそれらにつっこまず、視線を他のメンバーに向ける。四方から感じる視線。まるで針のむしろにでも座っているかのような気分だ。
「これを成功させないとこの国の人々に多大なる迷惑をかける事になる。俺はクリスマスをなんとでも成功させなくてはいけない。まぁ、大した事をするわけではないが……」
一個一個丁寧に説明していくが、存在する温度差が縮まる気配がない。
レビエリがおずおずと手を挙げる。
「勇者様……まず肝心の事を教えてください。勇者様は――その……クリスマスを、私と祝いたいです……か?」
「……」
問い自体は簡単で、その答えはイエスだ。
イエスなのだが、先ほどの男が何を吹き込んだのかわかったもんじゃない。警戒はいくらしてもし足りない。
集中すると、レビエリの心臓の鼓動が一メートル以上離れた位置からでも聞こえてくる。
さて、どう答えたものか……。
ちょっと迷ったが、よく考えてみると別に俺は何ら悪いことはしていない。意識するから悪いのだ。
「……ああ、祝いたいな。協力してくれると本当に助かる」
「!! ほ、本当ですか? 私を選んでくれるんですか!?」
やはり認識に相違がある。まるで俺が聖剣達の中から一人だけ選んでいるみたいな言い方だ。
無表情のアインテールやらなんともいえない表情をしているフレデーラと視線を交わす。
「というよりも、できれば全員協力してくれると嬉しいんだが……」
「え!?」
俺の言葉に、全員の表情が瞬時に一変した。
傾向はそれぞれ違う。レビエリとフレデーラは唖然。トリエレは呆れ。アインテールはやや視線を強くし、リースグラートとフィオーレが目を丸くする。
「勇者様……ストライクゾーン、いくらなんでも広すぎ……」
「だ、大丈夫、私はそんな勇者様でも愛せます! 私が治療してみせます!」
「デ、デリカシーなさすぎ……私一人じゃ満足じゃない、って言うの!?」
何か凄い失礼な事を言われている気がする。
一体、俺を何だと思っているのか。俺が何をしたというのか。先ほど出て行った男は本当に何を吹き込んだというのか。
しかし、順番に説明していけば話は通じるはずだ。それだけの信頼を重ねてきたと思っている。信じている。
まずは誰から落とせばいいのだろうか。いや、落とすとかじゃないか。
深呼吸をして、なるべく真面目な表情を作る。そうだ。これは真面目な話なのだ。これでもしパイ投げ祭りが浸透してしまったら俺はこの世界の人々に申し訳がたたない。
「俺の国のクリスマスは家族や親しい人とケーキを食べたり……デートをしたりして過ごす。だが、この世界で一番親しい者はレビエリ達だ。一人で過ごすのもありだと言ったんだが、あいつら、それでは地味だとか言いやがった」
……こうして言葉に出してくるといらいらしてくるな。何という言いがかり。
向こうにも何らかの思惑があるのか無いのか、何もかもがごっちゃになって酷いカオスを作り出している。
「こうして聞いてみると、かなりの無茶振りね……」
「手段選んでないよねぇ……必死なんだろうけど……」
「何か聞いた話と若干毛色が違うような……」
リースグラートが表情を曇らせ、首を傾げる。
いい感じの手応え。
どこからどう見ても俺と彼女達の温度感の違いは明らか。これはそう甘酸っぱい系の話ではないのだ。
情けない話だが、隠す必要がない事なので正直に宣言する
「そこで、俺は奴らのパイ投げ祭りを阻止するために、俺の国の楽しいクリスマスを演出しなくてはならない」
「勇者様も大変ね」
「……こんなの勇者の仕事ではないと思うが」
俺の知る如何なる勇者よりもハードワークだ。さっさと俺に魔王を倒させろ。
ふとその時、それまで黙っていたレビエリがじっとこちらを見上げている事に気づいた。
「何だ?」
「いえ……一つだけ勇者様に教えて頂きたいのですが……」
……おかしいな。他の聖剣達の眼の色は若干同情の方に移り変わったというのに、レビエリの眼だけ熱に浮かされたままだ。
熱病に浮かされたような目付き。何故かそれは、ぞくぞくする程色っぽい。
僅かに開いた唇から熱い吐息を吐き出し、レビエリが言う。
「わ、私は聖剣なので……恐らく勇者様の子供は産めないのですが……問題無いでしょうか?」
「!?」
……レビエリは一体何を言っているのだ。
何でいきなり子供を産める産めないの話に……え? 何? もしかして俺、無意識の内にそんな展開を望んでいたの?
俺の今までの説明完全に無視しているんだが……。
フレデーラがぎょっとしたように、いきなり変な事を言い出したレビエリの方を見た。
「ちょ、レビ!? いきなり何――」
「で、でも、逆に言うなら、いくらえっちしても子供出来ないので……ストレス解消にぴったりというか――」
「レビちゃん、勇者様が引いているからちょっと黙ろうかぁ?」
おい、こいつら何とかしろ。
◇ ◇ ◇
「……レビちゃん、たまに暴走するんだよねぇ」
「いや、とっくに知ってる」
大臣、しばく。
◇ ◇ ◇
レビエリ達を引き連れて歩いた王都の街並みの光景はクリスマスそのものだった。
イルミネーションも、クリスマスツリーも。それは、異世界の光景とは思えない程にそれっぽかった。
どうやら大分前に正しいクリスマスの情報について、王都内の民達に周知していたらしい。それに事前に気づかなかったのはもしかしたら、本当に俺に余裕がなかったからなのかもしれない。まぁ、彼等には余裕ありすぎだと思うが。
結局、一緒に街中を歩いたレビエリ達も楽しんでくれたようなので、終わり良ければ全て良しとしよう。
聖剣達に伝えられた事柄については全て聞いた。酷い話だと思うが、俺の事を考えていると言われると強く文句を言われるわけでもなく、今後は出来る限り王様達に心配されないようにやっていこうと思う。
大臣曰く、今年はテストで王都でしか行わなかったが、来年は国中に周知するらしいので、それまでに世界が平和になればいいと思う。というかそれまでに何としてでも魔王を倒す。そうすれば、俺に対して細かい小細工をする必要はなくなるだろうから……。
もう今回のような事は本当に勘弁して欲しい。唐突にこういうサプライズをされると、俺への精神負荷が半端ないのだ。
さて、来年まで覚えておくべき事。
聖剣達はクリームパイが好き。
王様達は何も考えていないわけではない。が、特によく考えているわけでもない。
レビエリの愛は重い。
フレデーラは苦労性。
トリエレは俺以外に厳しい。
アインテールは甘いモノが大好きで大食い。
フィオーレはすぐに動揺する。
リースグラートはパイ投げをしたい。
そして、聖剣達はクリームパイが好きだが、デートの後にクリスマスプレゼントにクリームパイを渡すとパッシングを受ける。
こうして、生まれてこの方最も混沌とし、しかしそれなりに楽しめたクリスマスが終わった。
日記帳にそこまで書き込むと、腕を上げて大きく伸びをして日記帳を閉じた。
オリゾンテのクリスマスが終わり、しかし俺の夢はまだ――覚める気配がない。
年明けてました!
明けましておめでとうございます、
始めはデートシーンも入れる予定だったのですが、心折れてしまったので全カットしました(ソリスト三編で四万字って……)
前編オンリーでよかったんじゃないかと途中でうだうだしていたのは秘密です。
本編は完結しておりますが、楽しく書けました。
こんな感じで随時閑話を書いていきたいと考えていますので、よろしくお願い致します。