6話 奴隷商
木の陰からゆっくりと姿を現す雪兎。その姿はローラにとって、オークの集団に囲まれる以上の恐怖を感じた。
「ユキトさん……落ち着いて話を聞いてください」
雪兎は何も答えない。まるで聞き耳持たずと言い放っているように黙って歩いている。
「なんだ、スノーラビットか。さっきの奴は死んだだろうし、最近は野良のスノーラビットがこの辺で増えているのか?」
ローラの父親は雪兎を先程とは別のスノーラビットと勘違いをしているようで、危機感をまるで感じさせないでホッと胸をなで下ろしている。
「お、お父様……お願いですから一緒に謝ってください。ユキトさん……完全に怒っています」
「だからさっきからお前は何に怯えているんだ? いくら私が戦士じゃなくても、スノーラビットの1匹やそこら、負けはしないぞ」
「違うんです。あの方は普通のスノーラビットではないんです。オークやゴブリンを一撃で蹴り殺す事ができ、会話もする特異なモンスターなのです」
ローラは震えながら正座をしだす。この行動は考えて行なった事ではなく、恐怖から本能に従って敵対の意思がない事を見せようとした結果だ。
そんな怯えるローラを守ろうと、父親は剣を抜いて雪兎に向ける。その行動に、ローラは息を飲む。これは間違いなく敵対行動にしか見えない。
雪兎は歩みを止める。父親は剣を見せた事で警戒していると思っていたが、それは勘違いと気付くのに時間はかからなかった。油断がなかったかと言えば、確かに少し油断はしていた。だがそれを抜きにしても、戦いのシロートである父親には雪兎の動きを目で追う事が出来なかった。
パスッ!
乾いた音と共に手に衝撃が走ったと思ったら、握っていたはずの剣がなくなって離れたところにあった木に深々と刺さっていた。
『お前との契約は終わりだな。だがアイテム袋は返してもらうぞ』
ローラは雪兎の声を聞いて、自分が持っていたはずのアイテム袋がなくなっているのに気付いた。父親の剣を蹴り飛ばした後に、ローラのところに来て奪っていったのだ。
そして雪兎は背を向ける。助かった……このまま立ち去ってくれるようなので、直接攻撃される事がないと安心した。
だが……
「ガルルルル!」
「「 なっ!? 」」
ローラと父親は、雪兎に気を取られていたせいでブルーウルフに囲まれていた事に気付かなかった。
父親はモンスターがいる森で、人1人を抱えて走って来たのだ。いくら火事場の馬鹿力で出来た行動とはいえ、無警戒で大量の汗を掻きながら走れば鼻の良いモンスターに居場所がバレるのは当然の事だった。
ブルーウルフはモンスターと戦う者にとっては、最初に越えなければならない壁である。いくら武器を持っていたとしても、素早い動きで襲って来るモンスターの集団に冷静に対応するのは難しいからだ。
そんなモンスターに囲まれて、商人である父親と娘が乗り切れるはずもない。さらに今は雪兎に武器を蹴り飛ばされて丸腰だ。
「せっかくオークから逃げれたと思ったのに……」
父親は絶望的な状況にブルーウルフを睨みながらも、表情は諦めの色が見える。ローラもこの状況からの結末を理解していた。理解したからこそ、助かるための交渉に出る。
「ユキトさんお願いします! 貴方の力で私達を助けてください」
『はあ!? お前は俺をおちょくっているのか? どこに人の物を持ち去った盗人なんかのために戦う馬鹿がいるっていうんだ』
ローラも虫の良い頼み事をしているとは分かっている。だがそれでも助かる為には雪兎に頼るしかないのが事実だ。
だから新たな交渉材料を用意しようと父親に話を振る。
「お父様! この危機をユキトさんが救ってくれたなら、彼の為に奴隷を1人用意してくれないでしょうか!」
『は?』
「お前は………そうか、きっと怖い思いをして混乱しているんだな。だがその方が良いのかもしれん。その方が死ぬ恐怖が少しは減るかもしれないからな……」
「ユキトさん! お父様に貴方の声を聞かせてください。そうすれば私が命を掛けて説得させてみせます。だから……」
ローラの話に聞き、父親は気がおかしくなったと思っていた。だがそんな父親の話を無視して、今度は雪兎の方に振り返って頼み込む。
一度騙された相手の話を信じる事は、そう簡単には出来ない。だが雪兎にとって奴隷を手に入れる事は、町の中で自由に行動するために必要であり、この機会を逃すと次のチャンスが来るかどうかも分からないものだった。
『おい。お前の娘が話しているようにここでお前達を救ったら、俺の言う事を聞く奴隷を用意するんだな』
「な!? いったいどこから声が聞こえるんだ!」
少し悩んだ結果、雪兎はローラの話に乗る事にした。だが急にどこからか分からない声が聞こえてきた父親は、顔を左右に激しく振って周囲を確認している。その様子を見たローラは、雪兎が父に話しかけてくれたと分かり、事情を説明し始めた。
「ほ、本当にスノーラビットの君が話しかけていて、この状況を打開してくれたのなら……娘を助けてくれたお礼も込めて、君の望む奴隷を用意すると約束しよう」
『その言葉が嘘だった時は……』
「娘の命を掛けさせる訳にはいかない。約束を一方的に反故にした場合は私の命を狙いにきてくれて構わない」
ローラの父親は必死な目で雪兎を見ている。それを見て、雪兎は動き出す。一度裏切られたような相手の話を信用するなんて、自分でも甘いと思ったら自然と笑いがこぼれた。
だがもう一度助けると決めた以上は、2人に傷1つ負わせるつもりはない。すでに近くまで迫っているブルーウルフの前に移動し、顔を横から蹴りつける。
すでに素早さはブルーウルフを大きく上回り、その蹴りもオークエースや後から出会ったオークを吸収した事でさらに威力が増しているので、いくら集団で襲って来たとしても、今の雪兎の相手にならない。
戦いはすぐに終わった。ただ少し前にオークを吸収していたのでお腹は満腹状態。ブルーウルフの死体は放置することにする。
神社 雪兎 レベル 9
HP 124 / 124
MP 69 / 69
力 115
耐久力 89
素早さ 93
魔力 60
スペル ヒール(LV1)
スキル アブソープション ・ 鑑定眼 ・ 念話 ・ 嗅覚強化(LV1)
オークを何匹か倒したせいか、レベルが上がって力も大きく上昇していた。
『さて、町まで早く行くとしようか。お前達の気が変わらない内にな』
「は、はい! 助けてくれてありがとうございます」
「……………」
ローラはすぐにお礼が言えたが、父親は雪兎の強さに驚愕して何も言えなかった。そんな固まっている父親をローラは、雪兎の機嫌が悪くならないように強引に引っ張って移動し始める。
街道に戻り、しばらく歩くと町が見えてきた。
周囲が2メートル程の塀に囲まれている人口五千人ほどが住む町、<エルシー>。四方に大きな門を構えており、そこには門番がしっかり見張っている。
雪兎が見て来たモンスターしかここの周辺にいないのなら、この塀があれば町は安全だろう。だが、もし雪兎みたいなモンスターが現れたら、簡単に塀を跳び越えて中に侵入出来てしまう。まあ、そんな特異な存在が現れる確率はかなり低いのだが……。
町の中に入ったら、雪兎はローラに抱きかかえられて移動する。彼女達がモンスタートレーナーではないと知っている人が多い。なので愛玩モンスターと思わせるために、あえて抱きかかえていた。
まずローラの父親が向かったのは、自分の店で働く者を手に入れる為に奴隷を買った奴隷商の店だった。だが、雪兎の奴隷を買いたいと伝えると、怒って追い出されてしまう。
もちろんこの店は国で認められている正規の奴隷商の店だ。主となる者の経済力と人柄まで調べるので、どこの誰かどころか人ですらないモンスターを主とすると聞けば、怒るのも当然だった。
「やはり正規の店では駄目だったか。あとは当たり外れが大きい裏の奴隷商の店に行くしかないな。……確認したいんだが、私が約束したのは奴隷を用意する事であって、奴隷を選ぶのは君でいいかい?」
ローラの父親が言いたい事は分かっている。使い物にならない奴隷を買わされるかもしれないので、自分の責任で選んでくれと。ハズレを引いても私達のせいにしないでくれと約束させたいのだ。
その話に雪兎は黙って頷く。ここでハズレを引いたとしても、それは自分の見る目がなかったと、運命だと受け入れると決めていた。