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甘くて脆い砂糖菓子のような恋の話

作者: みやこ




 汐見しおみは売れない小説家で、自分の言葉がなによりも美しいと思ってる。


 小説が売れないのは、世間がせかせかしていて僕の小説をちゃんと見てくれないからだと。


 そう頑なに信じてる。サンタを信じる幼児のように固く固く固く信じてる。


 だけど、私は彼の言葉を読んで思う。


 彼の作る物語は、確かに完璧に美しい。だけど、それだけだ。


 砂糖菓子でできているみたいに、優しく気持ちよく綺麗で、だけど、たやすく砕けてしまう。


 おお。なんて儚さ。なんて脆さ。なんて強度のなさ。


 一言で言うなら、甘ったるくて弱い。


 それは汐見と、彼の小説、両方を表現できる言葉だ。






 今度の小説は、


『明治か大正あたりの時代の雪国で、文学部の大学院生である書生が体の弱いお嬢様と恋に落ち、だけど手も繋がない話』だ。


 おお。好きだ。私もこういうの好きだよ。


 レトロな空気で、ロマンチックで綺麗な物語だと思う。


 だけど、たぶん、大ヒットはしない。多くの人の心には届かない。


 多くの人の心にある苦しみを掬い上げて癒したり代弁するような要素がないからだ。


 この本は、趣味の合う少数の人に耽美で優しい夢を見せてくれる本だ。


 汐見も言っている。


「僕は夜眠れない人のために暗い夜空に輝く月のような本が作りたいのだ」と。


 それが劣ってる、と云いたいわけじゃない。


 この本はこの本で素晴らしい。いとおしい本だ。


 だけど。うん。この本で、彼の望む結果は多分、出ないだろう。


 彼の暮らしは、楽にはならない。


 世間が彼に「こんな素晴らしい小説家がいたのだ」とスポットを当てたりしない。


 印税にしても20万入ればいいんじゃないのかしら。これ。



 現代で小説家が食べていくのは難しい。


 せめてバブルの時代なら、汐見の本でも、もう少し食べていけただろうに。


 




 さる小説家はこう言った。


 小説家は、小説をかくために。


 自分に胸に開いた穴を指でなぞり、確かなものにして、そこにスコップをつきたてているのだと。


 その穴は、まっとうに生きるためには塞がねばならないが


 小説を書くためには、掘らなければいけない。掘り進めなければいけないのだ。と。




 だから、小説家にまっとうな人間などいやしないのだと。









 汐見は、コンビニで普段働いている。アルバイトだ。

 

 前は正社員だったんだけど、汐見は気難しい性格だから続かなかった。


 作家になるためには必要な、自分の正しさと美を疑わず信じて信じて信じぬく頑迷さは、会社員になるには、邪魔だった。


 彼は子供っぽい。純粋である自分を是としている以上、彼は、正しいと思い込んだら、一歩も引けなくなってしまう。


 正しい間違ってるじゃなくて、うまくやるほうが大事、みたいな、そつなさがない。融通がきかない。


 結局、なんでもない言い争いから孤立するようになって、繊細だからその空気に耐え切れずに仕事を辞めてしまった。


 本当は、そういう、社会からはみだした自分自身を小説に書いたほうが面白いと思うんだけど。


 それはしない。汐見は、胸にあるその穴は広げたくないんだろう。


 

 私との出会いも、コンビニだった。


 レジ操作ひとつできない彼を、私は何度も指導した。


 私が汐見のバイトの先輩だったのだ。年齢は私がかなり下だったけど。


 出会ったとき、会社を辞めたばかりの汐見は25歳で、私は17歳の高校2年だった。


 私は学校が終わると、学校近くのコンビニでアルバイトしてた。


 そこに新しいアルバイトがやってきた。


 髪の毛を無造作に後ろでまとめた表情の固い無愛想な青年だった。汐見と名乗った。


 汐見は、客商売なのに「いらっしゃいませ」が声をひっくり返しながらしか言えず、店長によく怒られていた。


 でも、仕事には一生懸命で、あまり悪い印象はなかった。要領は悪かったけれど、真面目なのは伝わった。


 半年くらい、ただのバイト仲間だった。


 ある日いきなり、汐見は、ものすごく真面目な顔をして私を見た。


「……気持ち悪いかもしれませんが、君が好きです。」


 そう言って、ものすごく分厚いラブレターをくれた。


 中身は小説だった。


 ものすごく繊細な、優しく美しい片思いの話だった。


 半年で死ぬ病にかかった芸術家の青年が美しい思い人のために青い薔薇の壁画をしあげる話だ。


 思い人は、私と同じ名前だった。


 結末は、思い人との関係は一緒にお茶を飲むような友だちのまま、青年は息絶えて冷たい死体となり、思い人は青年の死を知らぬまま、その壁画の美しさにそっと涙を流す。そんな悲恋だった。


 一言一句。ちゃんと覚えてる。


 はじめて読んだとき涙が止まらなくて、そうして、ころりと、私は恋に落ちた。


 汐見の書いた物語は、ひとつひとつの言葉がきらきら輝くように美しく、その言葉が優しくも切ない物語を壊さないように配置されていた。


 その完璧な物語が私のために紡がれた話だ、ってことが、息が止まるくらい嬉しかった。


 それから、私たちは慎ましくデートを繰り返した。


 面白い小説をいっぱい教えてもらって、かわりに私は彼に音楽の素晴らしさを叩き込んだ。


 喧嘩もしたけれど、他愛のない喧嘩だった。


 美しい物語によって結ばれた私たちも、まるで、なにかの物語のように幸せだった。


『そうして、二人はそれからずっと幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。』


 そう、つむいでしまいたいくらい。私たちは幸せだった。




 ああ。でも、人生はそれで終わらない。


 ここでエンドマークがついたらなんて綺麗だろうな、と思ったとしても、人生はそこで幕引いたりしない。


 人生は続く。


 人生は続くものなのだ。



 あれから、二年たった。



 彼は27歳に。


 私は19歳に。


 彼は相変わらず、食えない小説家であり、コンビニアルバイターである。


 私は、大学一年生になり、汐見と同じコンビニでアルバイトするのをやめた。

 


 もっと決定的な変化は、


 私と汐見は別れてしまった。



 私から、言い出した。汐見の欠点に耐え切れなくなったからだ。

 


 そう。汐見には、とても許せない欠点があった。


 彼は浪費家なのだ。そんなお金もちじゃないのに。

 

 ビブリオマニア。古書収集が趣味なのだ。


 ご飯を食べず本を買う。その行いは小説家として立派かもしれないけど、体壊すからやめなさいと何度も言ってたのに、汐見はまるで聞いてなかった。


 一ヶ月ほど前、汐見は100万ほど借金をしてまで、超希少な古書を手に入れていたことが分かった。太宰治関係だった。


 汐見は太宰が病的に好きだ。駄目男同士惹かれあうものがあるのかもしれない。

 

 なぜ借金なんてしたの、と問えば。


 彼は澄んだ目でまっすぐ私を見て、答えた。


「好きなものを好きだと思い表現することを我慢するくらいなら、僕は死んだほうがいい」


 正直、


 ついていけない。


 そんな感覚で借金をぽいぽいする人、私は信じられない。


 あきれ果てて、三行半をたたきつけた。


「別れよう」


 そう言って、汐見と連絡のとれるデータを全部消去した。彼の携帯からも私のデータを問答無用で消した。


 彼は傷ついたような顔をするだけで、引き止めなかった。


 うん。そうだろうなと思ってた。


 彼は美学に反することを嫌う。


 そもそも、去って行く恋人に縋ることができるくらい図太ければ、最初の職場を退職してないだろう。





 私はもうコンビニをやめていたし、大学も実家も、汐見の生活圏とはかなり距離がある。


 会おうと頑張らなければそうそう会うことはない。


 少しだけ、いや、正直言うなら、とても寂しかった。


 彼は甘ったるくて、弱い。


 そこを好きになって、2年経つとそこを嫌いになった。でも、好きな気持ちもまだあった。


 彼は変わらなかった。


 私の見る目だけが、変わってしまったのだ。



 彼の優しく美しいだけの世界に、昔は純粋に感動して涙できたのに。


 今は、幻想的すぎると思うようになった。


「それは優しく甘い嘘でしかない」なんて、批判をしてしまうようになった。



 汐見の弱さをいとおしい弱さだと思っている。


 

 でも、汐見の弱さをまるごと包んであげられるほど、私は強くないのだ。


  

 私は汐見よりも8つも年下で、学生で。



 できたら、恋人にはしっかりリードしてほしい、大人っぽい包容力がほしい、と望む小娘なのだ。


 

 

 そうして、


 人生は続く。


 終わらないと信じた恋が破局しようと続く。





 汐見と別れて4ヵ月たったある日。


 メアド交換してるコンビニの店長が汐見のその後をわざわざ教えてくれた。


 たぶん、私がどう反応するのか、って好奇心だ。

 別に嫌いじゃないよ。店長のそういうところ。


 汐見の借金はどうなったか。

「好きなものを好きだと思い表現することを我慢するくらいなら僕は死んだほうがいい」そう私にはきっぱり言ったくせに。


 実際は死ぬ覚悟なんて全然できてなくて、借金取りに少し恫喝されたらすぐさま音をあげ、親になきついて、親のお金を借りて返したそうだ。……かっこ悪い。


 で、借金を尻拭いをさせる汐見に親もあきれ果て、汐見を強制的に実家に呼び戻し、代々続く酒屋を継がせるそうだ。ついでに店舗拡張してコンビニもするそうで、「バイト経験が役に立ちそうでよかったぜ」と店長は語っていた。



 私の住所と汐見の実家は、新幹線を使う距離がある。


 ああ。これで汐見と本当にもう会えないな。と思った。


 忘れようと思って、大学にまじめに通った。


 友だちと遊び、サークルに参加して、コンパに行き、別のアルバイトをして。


 それなりに毎日忙しくすごした。


 でも、汐見のことは、いつも胸のどこかにあって、忘れられなかった。



 そんな、ある日汐見から手紙がきた。


 

「諸事情があり、実家に戻ることになりましたが、小説家は続けます。」



「これから僕のつむぐ物語は、すべて君への恋文だと思ってください。」



 そんな、短い手紙だった。


 読んで、すぐさま思ったことは(嘘つき)だった。



 だけど、涙が溢れて止まらなかった。



 私はちゃんと分かってる。


 汐見の手紙の言葉はたぶん、嘘になる。 


 自分に優しくて傍にいてくれる人が、汐見は好きだ。


 傍にいて優しく「好きだ」と言ってくれる人がいたら、嬉しくなって、すぐ次の恋人にしてしまうだろう。


 汐見は、そういう、意思が弱くて流されやすいひとだって。


 ちゃんと分かってる。

 


 ああ。だけど、優しい嘘だった。


 私の、恋した、優しい嘘だった。


 汐見は遠い場所で、私を愛して、その証として美しい小説を書き続けている。


 信じたくなる、美しい嘘だった。


 


 泣きじゃくりながら、決めた。


 嘘を信じて、今は強くなろう。


 強くなって、強くなって。大人になって。


 そうしたら。



 いつか、もう一度、汐見と恋人になって、今度はうまくやっていけるかもしれない。


 

 その希望は、嘘だとしても、甘くても脆くても、夜中に輝く月のように、私の心をやさしく照らした。








勢いだけで書きましたが

結構好きな話です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後半から引き込まれてきました。 そして、ラストはキラッとした感じの明るい終わり方で爽やかに読み終えてよかったです。
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