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虹色の肋骨  作者: 修羅場ーバリアン
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第五話






 燃え盛る炎の中に彼女は居た。


 訳が分からず、周りを見渡してみれば、そこにあるのは……見知った者達の死体。

驚きに目を見開き、鼓動が加速していくのが自分でも分かった。

皆、胸を貫かれ、心臓を潰されている……実に無残で、鮮やかな手腕だと彼女は思う。

妖はそうやって殺すのが正しい。妖の生命は頭ではなく心臓に宿る為、そこさえ潰せば、後は抜け殻でしかない。


 彼女だって同じように多くを殺してきた。心臓をぶち抜いて、多くの命を奪ってきた。

だが、目の前にあるのは同胞達の死体であって、他の妖達のものではない。

彼らは簡単に殺されるようなことはないし、ここまでの数が同時に死ぬなど前代未聞だ。

このようなことが可能なのは彼女と同等以上の力を持つ者だけであり、燃え盛る紫炎がその正体を語っている。


 だから、彼女はある場所に向かうことにした。

そこには彼女が同格だと認めた男が居る。彼女よりも遥かに格上の存在が居る。光がある。

そこには、きっとこの地獄を作り出した者が居る。彼女の敵が居る。彼女の憎むべき存在が居る。

彼女の探す者はそこには居ないかもしれない……だが、構わない。


 地面に散乱している割れた鏡を見つめながら、彼女は呟く―――その名を。



「……鬼」



 鏡に映った彼女の姿は―――まさに碧そのものであった。









 「!?」


 一鬼が眼を覚ましたのは、まだ時計が五時を示している頃合いだった。


 彼が見たものはただの夢なのか、それとも碧の過去なのか、余りにも短い夢では、その判別はできない。

ただ、最後に彼女が呼んだ誰かは、彼にとっても酷く親しい者のような気がした。

いや、もしかしたら彼女が最後に呼んだのは彼自身なのかもしれない。


 あり得ないと分かっている……あってはいけないと分かっている。


それでも、一鬼は、その可能性を拭い去ることができずにいた。




「あら、目が覚めた?」


「碧?……誰だ、そいつは」



 碧の声に振り向いた彼が見たのは、彼女と、彼女に首を掴まれてぐったりとしている女性だった。

桃色の若干ウェーブがかった長髪と、橙色の眼が特徴的な女性だ。

非情に女性らしい、起伏に富んだ体つきをしており、プロポーションなら碧よりも良いだろう。

ナース服に似た桜色の服を、窮屈そうに胸とヒップが押し上げているのが良く分かる。


 だが、一鬼が注目したのはそこではなく、彼女の気配だ。

彼の感覚に引っかかるその気配は、間違いなく妖のものだが、しかし今まであった者の中でも格別に弱い。

下手をすれば半妖でしかない愛梨にすら劣るかもしれない程に、目の前の女性から出ている力は貧弱なのだ。

そして、その眼が橙色であることから、彼も予想がついた。


 彼女は橙の妖だ。




「名前は山吹。橙の妖のようね。はっきり言って、私達の中では最弱よ。今の貴方でも片手で殺せるでしょうね」


「……それは妖としてどうなんだ。それで、彼女が美空の妖か?」


「ええ、そのようね。貴方の妹さんは少なくともハズレを引いたわけではないわ。彼女、治癒能力があるそうよ」


「治癒能力?……」


「ええ。彼女は己の手に触れた者の傷を、どんなに重傷でも治せるらしいわ。燃費は悪くないし、これは当たりね。貴方の妹さんは運が良いわ」



 一鬼は上手く働かない頭を総動員し、状況の把握を行う。

美空の妖であるという山吹は最弱だが、ある意味最も貴重な能力を持っている。

そして、彼女達の様子を見る限り、二人はあまり仲良くできそうにない。

一鬼の予想では、大方、夜中に山吹とやらが奇襲をしかけてきて、碧がそれを撃退したというところであろう。




「どうやら、また助けられたようだな」


「いいえ、それはないわね。きっと私が出なければ、貴方は無意識に反撃していた。そうなれば、彼女はこうして生きていなかったでしょうね。咄嗟の反撃は手加減できないものよ」


「……それは困るな。それで、例のことに関しては聞いてみたのか?」


「ええ、何も知らないそうよ。嘘かもしれないけれど、良いわ。それならそれで、根性があるということになるもの」


「ゲホッ!……」



 思い出したように手を放す碧とは対照的に、その手によって首を絞められていた山吹は咳をしながら、必死に呼吸していた。


一鬼は既に碧から、彼女達『虹色の肋骨』には呼吸など必要ないと聞いている。

それでも、苦しそうに呼吸をするのは、恐らく呼吸以外の何かが絞首によって阻害されたからだろう。

いきなり美空の妖と険悪な仲になるのは良いことではないが、彼を襲って返り討ちにあったのだから、仕方ないことだ。




「碧、お前達でも首を絞めれば苦しいようだが、何故だ?」


「私達の力の源は心臓よ。そこから全身に力が行き渡っているの。その流れが阻害されるから、苦しいのよ。呼吸もするにはするけれど、形だけで重要ではないわ」


「そうか。それで、彼女はどうするんだ?」


「取りあえず、貴方の妹さんに紹介してあげないとね。話はそれからよ」


「ああ、しかし……この時間に起こすのは躊躇われるな。」



 まだ時間は早朝の五時なのだから、美空も当然寝ているだろう。

一鬼は、妙な夢のせいで早く起きたが、そうでなければもう一時間程寝ていた筈だ。

基本的に神谷家では朝は六時以降から皆が行動を開始するので、彼はそのまま待つことにした。

どうせ今から美空の部屋に行ったとしても、彼女は寝ているし、起こす程の事態でもない。


 取りあえず、一鬼はその時間を潰す為に、漸く咳き込むのを止めた妖に話しかけることにした。

碧の言った通り、彼女からは少しも力が感じられないので、彼だけでも事足りるだろう。

息を必死に整えようと深呼吸をする度に、ナース服を押し上げている双丘が揺れている。

彼は再度、この妖はプロポーションだけならば碧よりも上であると感じた。

実に男の欲望を引き出す、妖らしい体つきと言えよう……だが、それは彼にとってはどうでも良いことだ。


 彼にとって重要なのは、彼女が味方か否かである。




「山吹さん……少し話をしても良いですか?」


「……さん付けも敬語は止めてくれないかしら。全く敬意が感じられない場合は距離感しか感じないわ」


「……分かった。何故俺を襲おうとしたか、聞いても?」


「襲うつもりはなかったわ。ただ、確かめたかっただけよ……私の宿主を守り切れるかどうか。もう二度とやりたいとは思わないけど、結果は上々だったわ。貴方達なら、あの子を守れるでしょう」



 どうしてこうまで妖は敬語というものを嫌うのか一鬼には理解し難いが、取りあえず従うことにした。


山吹は碧とは違い、妖艶な笑みを浮かべてポーカーフェイスを気取るタイプのようだ。

確かに一鬼の眼を以てしても、彼女の本質の全てを暴くのは難しい。

貼り付けたような笑みを浮かべる彼女は、確実に何かを隠していることが分かるが、何を隠しているかが見えない。

既に見抜いているのは、彼女が嘘をつくのが得意であるということくらいだ。


 彼女の言葉のどれが嘘で、どれが本当なのかを見極めなければならない。

それは実に難しいことだろうが、そんなのはどの人間だって同じで、当たり前に感じていることだ。

一鬼は普通の人間達と同じ条件に立っているに過ぎず、そこから真偽を見抜かねばならない。

彼はこの時人間の弱さの一因がその察しの悪さにあることを再確認した。


 これでは、確かに疑心暗鬼に陥ることもあるだろう。




「その物言いからして、協力してくれると考えて良いのか?」


「ええ、そう考えて貰って良いわ。私の長所は治癒であって、戦闘力はゴミだもの。人間相手なら問題は無いけれど、貴方達程の妖相手には手も足も出ないわ。是非とも協力させてくれないかしら。戦闘はできないけれど、回復ならお手の物よ」


「……その能力、確認させて貰っても良いか?」


「ええ、良いわよ。私は―――!?」



 そこまで言った山吹の左腕が、突然吹き飛ぶのを一鬼は見た。


宙を舞う腕と、その切断面から溢れ出す鮮血が、彼の中に眠る何かに火をつけ始める。

だが、彼はそれを抑え、すぐさま宙を舞っていた左腕を掴んだ。

まだ温かい、今しがた切断されたことが良く分かる暖かさが手の中に広がり、彼はこれが幻でないことを再確認する。

この部屋に彼ら以外の妖は存在しない已上、犯人は一人しかいない。


 だから、彼は口を開いた……虫けらを見るような眼で山吹を見下ろす碧を直視して。




「あ、あぁぁああああ!?」


「碧!? 何をするんだ!?」


「私達はこれから同等以上の敵と戦うかもしれないのよ? 当然彼女が真っ先に狙われるでしょうね。この程度の傷も治せないようなら、使い物にならないわ。ほら、治して見せなさい……できるのでしょう?」


「ぐっ……ええ……見て。これが……私の力よ」



 意識を失うかもしれない程の激痛と失血の余り脂汗を額に浮かべながらも、山吹は残った右腕で切断部位に触れた。

その瞬間、彼女の右手から太陽光のような光が放たれ、そこから少しずつ腕が生えてきたではないか。

治癒能力とは言えども、ここまでの速度で治癒を行えるとは一鬼は予想していなかった。

目の前で起きている事態に驚きを隠せない彼に対して、碧は未だに冷めた目でそれを見守っている。


 そして、十秒程経った頃には、山吹の左腕は綺麗に修復されていた。




「これは……驚いたな。腕が新しく生えるとは思わなかった。痛みは大丈夫なのか?」


「ええ……大分……和らいだわ。でも、今みたいな状況だと……痛みが暫く残るから、回復しても……体力は消耗するの。そこには気を付けて。それともう……一つ。私は両腕を……失ったら、この能力を使え……ないわ。忘れ……ないでね」


「ああ、分かった。それよりも……碧、何か言うことはないのか?」


「おめでとう。及第点ではあったわ。これから宜しく頼むわよ」


「……いや、違う。ここは謝罪するべきだ。確認の為とはいえ、断りもなく腕を断つのは今後の信用に大きく関わる。それくらいのことはお前も良く分かっている筈だ」



 一鬼が山吹の肩を持つのが面白くないのか、つむじを曲げる碧に、彼は溜息をついた。

いかに彼女の行動を彼が強制していないとしても、彼に関わることは即ち彼女に関わることでもある。

二人は常に一緒である為、彼女が問題を起こせば、彼も当然避けられるようになる訳だ。

彼女の敵を増やしてしまう癖をどうにかしなければ、彼は本当に孤立させられてしまうだろう。


 もはや、それが目的なのではないかと思わせる程の鮮やかな手腕である。

このまま順調に進んでいけば、間違いなく彼は他の宿主や妖から孤立させられてしまう。

他の妖との関係性はできるだけ良いものにしておいた方が良いということを、碧は分かっていないのかもしれない。

しかし、分からない筈がないのに、このような行動をとる筈がない。


だから、彼女は分かっていてやっている可能性も考慮する必要がある。


 益々、一鬼は碧の思考回路が理解できなくなってきた。




「いいえ、良いの。美空のお兄さん、その妖は近年の妖怪であった私ですら知っている、有名な妖狐よ。貴方の言葉で己を覆すことは絶対にしないわ。弱者を見下しているから」


「……近年? 山吹、お前はいったいいつ頃―――」


「私は十数年前まで生きていたのよ。他の妖にあっさり殺されたけれど」


「なに?……妖達は今ほぼ絶滅してしまっている。その理由に心当たりは? 十数年前はそうではなかったのか?」


「……随分食いつくわね。十数年前の時点で、既に殆どの妖は死んでいたわ。多分、私を殺した白い妖がやったんだと思う。あれは―――多分妖狐だったわ」


「なんですって!? その妖狐は今どうなっているの!? 教えなさい!!」



 山吹の言葉の中に、聞き逃してはならない単語が現れ、碧はそれに反応した。


一鬼もまた、内心でそれは碧の妹なのではないかという予感……いや、確信を抱く。

何故そのようなものを感じたのかは彼には分からなかったが、少なくとも、それは彼の無意識からやってきたものだ。

もしかしたら、彼も忘れているだけで何かを知っているのかもしれない。

だが、それが思い出せない已上、口外しても他者を混乱させるだけだろう。


 故に、一鬼は今は碧が暴走しないように見守る立ち位置に留まることにした。




「今は分からないわ。でも……多分生きていると思う。尾の数は―――七本だった筈」


「そう……なら、問題ないわね」


「七本、か。それなら、黄色以下の序列には負けないな。だが、問題は青以上……本当に碧よりも強いのだとすれば、危険だ。特に藍色は、ブルー・シャーマンの忠告も気になる。信じ切るのも危険だが、ここは彼の言葉を信じて藍色の妖をどうにかした方が賢明かもしれない」


「ええ、そうね。今回は藍色の妖の討伐を優先した方が良いかもしれないわ。でも、その為には、まず宿主を見つけないと」



 山吹の話にあった妖狐が碧の妹だったとしよう……そうすると、当然その力がどの程度か確認する必要がある。

幸い、山吹の話では尾が七本だったと言っているので、その後殺された可能性は低いだろう。

碧の十分の一しか力がなかったとしても、一鬼よりもずっと強い。

そんな妖狐を前にして、立ち向かえる妖はそう居ない筈だ。


 となれば、まずは碧以上の力を持つかもしれないブルー・シャーマン達が問題となる。

羽月の言葉を信じてブルー・シャーマンは除外したとしても、藍色と紫の妖が残ってしまう。

更に、その内藍色はブルー・シャーマンの忠告通りならば、非常に危険な存在だ。

人間も妖も己の目的の為に、食って、殺して、己が糧にするだろう。


だが、いきなり藍色の妖を倒すのも危険だ……もしも紫の妖までもが敵に回るという最悪の事態になれば、タイマンでの勝ち目はないかもしれない。

その時、必ず他の妖達の力が必要となる……本来ならば、藍色の妖を倒す前に、まず紫の妖を見極めるべきなのだ。

だが、その危険性を考慮している間に、藍色の妖は多くの人間を殺すかもしれない。


 迷っている時間はそうないのだ。




「山吹、強引な形になって済まないが、協力して欲しい……お前の力が必要だ」


「ええ、喜んで。私も、二度目の人生を楽しみたいもの。まだ死にたくはないわ。その為には、美空を貴方達に守って貰わないといけないし、お相子よ」


「そういう訳で、これからよろしく頼む」


「こちらこそよろしく。それと……貴方の妖、凶暴過ぎるわ。どうにかならないの?」


「……碧はそこまで凶暴じゃない。ただ、常識がないだけだ。済まないが、大目に見てくれると助かる」


「一鬼、フォローになってないわよ」



 一鬼が申し訳程度の言い訳を山吹に告げると、碧は眉をひそめて彼を睨んだ。

それに対して彼が言い訳をするか否かの頃合いに、彼女は片足を伸ばし、彼の顎下を爪先で自分向けさせた。

一鬼は不意打ちに一瞬目を見開いたが、直ぐに彼女の表情から害意がないことを悟る。

しかし、もしも今の一撃を彼ではなく美空が受けていたら、きっと重傷か最悪死んでいただろう。


 一鬼としても、それ程の一撃を戸惑うことなく出したということは、信頼されている証なのか判断しかねる。




「碧、見えそうになっているぞ。角度的に危うい」


「別に良いわよ。見たければ好きなだけ見なさい……貴方は特別よ。それよりも、余り他の妖に色目を使わないようにしなさい。見ていて不快よ」


「何を言っている? この程度のことは、他の妖達と協力する為に必要だろう」


「貴方ねぇ……私達は自然体で居れば良いの。無理に他に合わせる必要は無いのよ。私達には力がある。それが、他者を従わせるわ」


「その力で劣っているかもしれないからこそ、協力が必要になっているのではないのか?その理論だと、お前も皆も紫の妖に従うだけだ。少しは頭を使え」


「……それがどうしたというの」



 顎を押さえていた足がそのまま滑らかに肩に向かい、膝裏を肩に乗せてそのまま背中に向かう。


それに驚く一鬼を真っ直ぐ見据えながら、碧はそのまま足を曲げて彼を己に引き寄せた。

生足の柔らかい感触が彼を刺激し、今まで感じたことのない刺激を与え、混乱させる。

死んでいるとは思えない程に暖かく、柔らかい彼女の体に、彼は久しく忘れていた本能を感じた。

今まで殆ど感じたことのない筈の欲求を、彼は抱いたのだ。


 そんな彼に、彼女は顔を近づけて話を続ける。




「貴方はもっと強くなれる。だから、強くなりなさい……私と並べる程に。私を殺せる程に。そうなれば、私達が最強よ。他に従う必要なんてないわ」


「……何故そこまでして、俺を孤立させようとする? それでは、お前が望む強さに行き着く前に死ぬかもしれないんだぞ」


「何も、貴方を孤立させるつもりはないわ。ただ、私が共に居る已上、貴方は必然的にそうなるのよ。妖狐に友好的な妖など皆無だと考えなさい」


「やれやれ……それはお前達の身から出た錆だろう? しかし、確かにそれは問題だな」


「大丈夫、私は協力するわ。美空を守れるのは貴方達だけでしょうし」



 山吹の言葉に、一鬼は微笑を浮かべて、碧を見る。

彼としては、彼女が一人で戦おうとすることが、そもそも不思議で仕方ない。

協力が得られないという前提で話を進めるのは構わないが、協力を得られなくするのはナンセンスだ。

そのような自殺行為は今は控え、できる限り協力すべきだろう。


 一鬼は確かに碧と同類だ。

彼も彼女も戦いが好きで、親しい者の為にそれ以外を犠牲にするのは厭わない。

だが、彼らが似ているのはそこだけだ……彼は、彼女とは違い、仲間を作ることができる。

既に羽月という心強い味方も居るのだ……彼は、仲間を増やすことに積極的だ。

後で戦うことになるとしても、まずは共通の敵を倒すべきであろう。




「彼女はこう言っているし、羽月達も協力してくれる。だから、一人だけで戦おうとするな。確かに碧は俺よりもずっと強いだろう。だが、万が一ということもある。仲間との協力も必要だ」


「……分かったわ。今後は、抑えるようにするから、貴方も精進しなさい。万が一を減らす為には、貴方も強くなる必要があるのよ」


「分かっている。だから、暇があれば訓練に付き合って欲しい。頼めるか?」


「断る訳がないでしょう? それは私の為にもなるのだから」


「……貴方達、もう少しビシッとして話したらどう? 恰好と話している内容の差が酷いわよ」



 山吹の言葉に、一鬼と碧は非常に奇妙な恰好のまま話を続けていたことを思い出した。


碧は片足を一鬼の肩にかけて彼を引き寄せているし、彼はその足の太腿を片手で抑えている。

彼は無意識の内に足を退けようとして手を出していたことに気付き、すぐさま手を退けた。

反対に、碧はゆっくりと足を伸ばし、一鬼の肩から下ろすと、彼の眼を真っ直ぐに見る。

その新緑の眼が酷く美しく見える己を、彼は不思議に思う。


 彼女は殺戮を躊躇しない妖で、人間にとっては恐ろしい存在だ。

そんな彼女に対して一鬼は元来抱いてはいけない感情を抱き始めている……親しみと、愛しさを感じ始めている。

彼女とはまだ一週間とそこらしか行動を共にしていないのに、このような感情を抱いてしまう己に、彼は自嘲した。

勿論彼も同類だし、彼女は彼が初めてまともな交流を持った同類でもある。


 だが、それにしては、一鬼が抱いている感覚は異常なのだ。

何かがおかしいと彼も感じているのに、それが何なのかが分からないまま、ずるずると引っ張られる。

まるで、生まれたてのアヒルの子が目の前にあるものを親だと認識する、刷り込みのようだ。

果たして己が惑わされているのか、それとも彼女に純粋に惹かれているのか……それすらも、彼には分からない。


 ただ、これに抗わなければ、何かに食われてしまうような予感が、彼にはあった。




「山吹、これから私達は藍色の妖を追うことにするわ。その為にも、まずは柿坂愛梨に接触して、ブルー・シャーマンとやらの力を見定める。私と一鬼は、今日あの小娘の家に行くわ。その間、一鬼の妹さんは任せるわよ」


「ええ、分かったわ。安心して。裏切ったりはしないから」


「……裏切るな、と念を押そうと思っていたけれど、その必要は無い、か。それなりに頭は働くようね」


「ええ、そうしないと妖は人間に紛れていきていけないもの」


「……柿坂に連絡するのは俺だというのに、勝手に言ってくれるな。まぁ、あいつなら承諾してくれるとは思うが……」



 愛梨は基本的に一鬼の訪問を断ったことはないし、彼もそれは分かっている。

彼女には随分と慕われているのだから、それを利用するというのは気が引けることだが、藍色の妖を討伐するのには必要だ。

藍色の妖がどう動くか分からない已上、できれば行動は迅速に行うべきだと、一鬼は考えている。

どの程度の被害が出るのか定かではないし、既に被害が出ている可能性もある。


 不安の芽は早めに摘み取っておいた方が良い。




「八時頃に柿坂に連絡する。承諾された場合は、今日会いに行こう」


「一鬼は話が早くて助かるわ。人間だとこうはいかないでしょうね」


「……流されやすいとも言うがな。それよりも、今の俺はどのくらい妖になっている?」


「そうね……まだ半分は愚か、一割にも満たないでしょう」


「妖になっている?……貴方は妖ではないの? 気配は完全にそれよ?」


「ああ、どうやら俺は人間から妖に変わりつつあるらしい。理由は全く分からないが」



 一鬼は驚きの余り眼を見開いている山吹に苦笑しながら、己の状況を再確認した。

妖からすれば彼もまた同類であり、どうやら愛梨のような半端な気配とは異なるようだ。

もしかしたら、碧という強大な妖の力に影響されて変化しているのかもしれないし、別の理由からかもしれない。

考えても、どれが本当の理由かは分からないが、彼が妖に向かっているのは確かだ。

それをどうするかが、これから先重要になる。


 人間であろうとするのか、妖であろうとするのか……それを彼は選ばねばならない。

碧達『虹色の肋骨』はこうして彼達宿主の肋骨に宿っているが、それも永遠に続く訳ではないだろう。

何事にも終わりというものがある。妖になることを選んでも、彼はすぐに一人になってしまうかもしれない。

ならば人間として生きた方が確実だろうが、そうすれば彼はまだ窮屈で、退屈な世界で生きねばならないことになる。


 どちらも欠点と利点があり、彼は直ぐにとは言わないものの、いずれどうするか選ばなければならない。




「……そう。なら、貴方も私達の仲間、という訳ね。道理でその妖が大人しくしている訳だわ。できれば、私達相手でも大人しいと良いんだけど」


「それは難しいな。そもそも、今のを見て大人しいと言うのか、お前は」


「貴方ねぇ……その妖はプライドが高い女よ。それが、防御の為とはいえ、太腿を触るのを許したんだから、十分大人しくしているわよ。他の者なら、もう心臓を握り潰されているわね」


「ん?……そういえば、妖は心臓が弱点だとは既に聞いたが、頭を潰された場合はどうなるんだ? やはり、死ぬのか?」


「……ええ、ただ脳が頭以外の場所にある者も居るわ。例えば、胴体に。だから、心臓を貫くのが最も早いわね。心臓の位置は固定されているから、そこさえ貫けば終わるのよ」


「成程。場所が分からない急所よりも、分かっている急所を狙うべきということか」



 山吹の言葉に、一鬼はふと今まで疑問に思っていたことを思い出し、碧に聞いてみた。

彼が露骨に話を逸らしたとでも思っているのか、何やら不機嫌そうに、碧はそれに応える。

山吹に至っては、呆れたように溜息をついている……益々彼はこの状況がよく分からなくなってきた。

彼女達を呆れさせ、怒らせているというのは明白なのだが、その原因が彼には全く分からないのだ。


 彼は所詮本質を見抜けるだけで、女性の心の機微を見抜くことはできない。

そもそも、彼はそういったものを見抜こうとは思っていないし、そこまで興味がある訳でもない。

確かに、彼は人間の心の機微そのものに興味がない訳ではないが、彼の場合は寧ろ愛梨のような思考を読む能力があれば、それで良かった。

彼には機微を理解し、感じ取るつもりなど、最初からないのだ。




「はぁ……貴方、今まで冷たいとか、冷血とか呼ばれたことはない?」


「……あるな。人の心を少しも考慮していない、残酷な人間と言われたことが何度かあった。確かに、簡単に揺らいでしまうお前達が弱いんだ、と言いたくなったことはある。だが……俺は理解しようとしている」


「成程。典型的な人の心が分からないタイプの子ね、貴方。そういうタイプは自分の立ち位置を理解できずに、相手に常に自分と同じものを求めてしまい、反感を買うのよ。貴方は自分よりも能力が高い者達と一緒に居る方が幸せね。そうでないと、思わぬ反感を買い続けることになるわよ?」


「冷静な診断をどうも。それで、その俺よりも能力が高い奴というのは、何処に居るんだ?」


「貴方の隣に。碧とは、妖の世界において伝説とも言える存在だったわ。最強にして、最悪の存在……いくつもの妖の種族が彼女に滅ぼされた。ある日、突然消えてしまうまでは、ね。頭の方以外は、貴方よりもずっと上だと思うわ」


「……貴方、それ絶対に褒めていないわよね。貶しているわよね?」



 山吹から不意に告げられた言葉に、一鬼は違和感を抱きながらも、口には出さない。

彼女の言葉は果たして、彼に対して告げられたものなのか、それとも彼女が反射的に出したものなのか、分からないのだ。

それ程に、彼女の言葉は滑らかに、そして自然と出てきた……まるでそれを日頃から言っていたかのように。

彼女の恰好から想像するに、彼女は元々看護師かそれに準ずる職についていたであろうことは、彼も容易に想像がつく。


 しかし、それ以外のことはまだ彼も分かっていない。


だからこそ、その分かっていない部分に違和感の正体が潜んでいる筈なのだ。




「碧、そのくらいの煽りに反応するな。煽る必要があるのは弱者だけだ」


「……貴方、それ間接的に私を貶しているわよ」


「そうか? とにかく、お前のような強者はどっしり構えていれば良い。勿論、欠点を指摘されたならば改善するようにした方が良いとは思うが、力を持つからには精神力もそれなりに持つべきだろう。心技体とはよく言ったものだ。力や技術があっても、それに精神が伴わなければ、俺は少しも怖くは感じない」


「それは貴方くらいよ。貴方にとって最も怖いのは、力や技術ではなく、心なんでしょうね。この一年間、私はずっと貴方を見ていた……けれど、貴方が恐怖したのは、それくらいだったもの」


「……そうだな。俺は、心が一番怖い」



 一鬼は心を理解できず、またそれができるとも思ってはいない。

それは当たり前のことで、皆他者の心は愚か、己の心すらも理解できず、制御さえ難しいものだ。

これ程までに不安定な筈なのに、時にどんなものよりも固い決意を生み出す心は、恐ろしい存在と言えるだろう。

不安定であるが故に、何もかもを覆し得る……それが心だ。


 一鬼は妖へと変化しつつある己を受け入れ、同時に人間というものから逸脱しつつある。

それは外ではなく、心に大きな影響を与えて、彼を少しばかり困惑させていく。

ただでさえ、そこまで興味のなかった他者が、人間が、更に価値をなくしていくのだ。

彼は救えるものは救うつもりだが、それは己の精神を満たす為であり、ただの自己満足に過ぎない。

ならば、それすらも失えば、彼にとって人間は無価値なものになるのか?……それは違う。


 少なくとも、一鬼は美空達家や羽月達が居る限り、その心を失いはしないだろう。

逆に言えば、その存在こそが彼が妖に向かうのを阻害している要因であるとも言えるのだが、彼はそれに気付いていない。

守るべき者達の為に人間を止めることへの抵抗を振り払った筈が、その実それが阻害しているこの状態は、実に滑稽だ。

心のどこかで、彼はまだ人間であることを望んでいる。


 そして、それに碧は気付いていた。




「心の機微なんて、追求するだけ無駄よ。私達は戦士であって、それを為す必要はない。私達が為すべきは、理解ではなく破壊なの。理解して尚破壊するというのなら、話は別だけど」


「だが、理解せずして潰せば後で後悔するかもしれないだろう?」


「確かにそうよ。相手が外道なら理解はより強い敵対心となり、力を与えるでしょう。でも、悪意のない純粋な思想の違いでのぶつかり合いにおいては、それは自殺行為よ。そこに共感が生まれてしまう余地はあってはいけないの」


「つまり、共感する余地さえなければ、理解はしても構わないんだな?」


「ええ、それでも破壊するだけの鋼鉄の意思さえあれば、ね。でも、貴方にまだその強さは無い」


「……お前にはあるのか?」



 碧の言う通り、今一鬼にまだ相手を理解して尚、それを破壊する程の非情さはない。

それをせねばこちらが滅びると分かっていても、相手を美化し、己を悪だと考えてしまう可能性は否めない。

だが、彼は家族の為ならば非常になれると自負している……まさしく彼を生かしているものを守る為ならば、彼は鬼になる。


 それこそが、彼の父である明が、一鬼という名に込めた願い―――鬼になれという呪いに、報いることになるだろう。

いったい何を思って父がそのような願いを込めたのかは、彼には分からない。

だが、この一鬼という親が子につけるには余りにも残酷な名前を、父は敢えてつけたのだ。

そこに意味がない筈がない……そして、その意味の為に彼は生きているに違いない。


 父に報い、美空に報い、友に報いる……そうすることで、彼は己の生きる意味を得る。




「ええ。理解したとしても尚、己の大切なものの為に、私はそれを破壊できるわ。それができるからこそ、私は最強の妖狐だった。理解しても尚、殺して、殺して、殺しまくったわ。だから、最も憎まれている。それだけよ」


「成程……それが、お前が憎まれている理由か。緋蓮もその被害者の一人という訳だな」


「そうなるわね。とは言っても、あれはシェイプシフター達からしかけてきたんだけど。あれは、愚かな一族でね……簡単に滅んだわ。欧米の妖なのに、玉砕なんて発想がそもそもナンセンスなのよ」


「……確かに、それはナンセンスだな。案外日本に居た妖の血でも混ざっていたんじゃないのか?」


「さあ、どうかしら。血肉は固い意思を、魂を伝えはしないわ。教育だけが、魂を受け継ぐのを許すの。魂は本能だけでは完成しないのよ。覚えておきなさい」


「むぅ……人間が教育無しでは文化を持たないのと同じ、ということか」



 一鬼は碧が伝えんとしていることを、凡そ理解した。


シェイプシフターという種族そのものが玉砕を望んだのではなく、その内の誰かが始め、皆がそれに倣ったのだ。

魂は教育によってのみ洗練される……それは間違いないだろうし、彼もそうだと思っている。

教育があったからこそ、彼らは今こうして会話することができ、意思疎通を表面的とはいえ行える訳であって、それ無しではこうはいかない。




「そうなるわね。そして、それは貴方も同じよ。貴方の家族関係についてこちらから首を突っ込むつもりはないけれど、これだけは言わせて……魂を、信念を受け継ぐのに、血の繋がりは必要ないわ。そんなことを気にする必要はないのよ」


「っ……」


「そして、それは私達も同じよ。貴方がどんな種族だろうと関係ない……私達は仲間に、家族になれるわ。安心しなさい。貴方は、一人じゃないのよ」


「……分かっている」



 碧から告げられた言葉に、一鬼は思わず鋭い口調で返してしまう。

彼女は確かにこの一年間彼を見てきたのかもしれないが、たったそれだけだ。

たったそれだけの期間で、彼女が彼の全てを知ることができる筈がない。そのようなことは、あってはならない。

だというのに、彼女はまるで彼の全てを、その根源を知っているかのように振舞う。

それが、彼には恐ろしかった。


 時たま碧が見せるその表情は、明らかに一鬼の何かを知っているものだ。

彼女がいったい己の何を知っているのか、彼は気になって仕方ないが、問うても答えは返ってこない。

何故彼女がそこまで知っている何かを隠すのかは、彼には理解し難いが、それ程重要な情報であることは確実だ。

その重要な情報を、本人である一鬼ではなく、妖であり、二百年前に死んだという碧が知っているということが、彼にはとてつもなく不気味だった。


 碧は彼を心配し、支えるつもりだと言っているが、その行動はおかしな点が多々見られる。

彼をイエロー・レディーから守ってくれたのは良かったが、彼が孤立するような言動を何故ここまでとり続けるのかが、彼には分からない。

彼女は不明瞭な点が多過ぎる……彼を孤立させることもそうだが、彼に隠していることが多過ぎるのだ。


彼女はあまりにも歪だ―――その正体を明らかにせねば、彼は足元を掬われてしまうだろう。




「……これはまた、微妙な空気ね。取りあえず、そろそろ美空が起きる時間だから、どう私のことを話すか考えておいた方が良いんじゃないの?」


「……確かにそうだな」


「それじゃあ、あの子が起きるまでどう話すか考えておきましょう」



 山吹の言葉に、一鬼と碧はハッとした。

時計はいつの間にか六時を示しており、そろそろ美空達が起きる時間だ。

彼女に山吹のことをなんと伝えるかを考えておかないと、面倒なことになりそうなので、三人はすぐにそれを考えることにした。

これから先どうなるかは誰にもわからないが、今はとにかくできることをするしかない。


 だから、一鬼は一先ず碧については保留にすることにした。












「この一ヶ月余りで、三十人を超える死亡者が出るとは……まるで、訳が分からんぞ」


 佐村敬吾は、廃工場の床に散らばった肉片と、散乱している被害者の所持品などを見ながら、表情を歪めた。


 七人もの被害者を出した連続バラバラ殺人事件の最後の犯行から一週間程度しか経っていないのに、今度は二十人以上の被害者が出てしまった。

それも、全く違う手口によって殺されている……否、食われたから死んだのだろうか?

敬吾は、己が探している犯人が、もはや人間の域に留まっていないことを悟っている。

だが、それが人間であることを彼は疑っていない……少なくとも、先のバラバラ殺人はそうだった。


 しかし、今回は大きく状況が変化している為、そう決めつけることが難しい。

遺留品の中には、いくつも歯型が残っている上に、爪で切り裂いたような跡も沢山残っている。

固まった血によって彩られた床は、まるで赤黒い絨毯の上に居るような錯覚さえ抱かせる。

だが、歩けば音は廃墟内に響き渡り、固いコンクリートの感触が、それが被害者達の血だと気付かせてしまう。

一日で二十人以上を食ってしまえる人間は居ないし、獣だってそうだ。


 一番可能性が高いのは、複数の獣による食事だが、それでは説明がつかないことが多過ぎる。




「……なんで、骨が少しも残っていない? それに、足跡もない。そもそも、どうして全く無関係のガイシャ二十人余りは、ここに集まった? こんなのは異常だ。いったいどうなってやがる?」


「佐村警視、やはり、この建物に足跡などの痕跡は発見されませんでした。ガイシャの足跡すら、ここにはありません。人間にも獣にも、このような犯行は不可能では?」


「くそ! そもそも、どうやってここまで運んだ? 残っている痕跡は、遺留品についている痕のみ……ここからどうやって犯人を捕捉しろと? まるで、フィクションだ。何もかもが滅茶苦茶だ!」


「警視……」


「このままじゃ、ガイシャ達の無念に報いることも……! 待てよ?……おい、ついて来い」


「? は、はい!」



 敬吾は、地面に広がっている赤黒い血の固形物が、波紋のように等しく広がっていないことに気付いた。

よく見れば、血の広がりは不規則で、何かしらのしいが感じ取れる。

だから、彼は部下を連れて、一つ上の階に上った……半ばまで崩れてしまっているそこから、下を見下ろすと、敬吾の予感は現実に変わった。




「これは……」


「警視、いったいこれは!?」


「分からん。だが……偶然でもなさそうだ。見ろ、端っこは死体をひきずって描いたようだ」



 彼らの見下ろす床に映っていたのは―――血によって描かれた、何かの頭部の絵だった。


 それは、鳥のようにも見えるし、爬虫類のようにも、はたまた伝説上の生き物の竜のようにも見える。

しかし、そのようなものを描き、態々何かを伝えるのならば、もっと分かりやすく描く筈だ。

例えば、もっと小さく描くなり、壁に描くなりするものだ……メッセージは、誰かに見て貰う為に置いておくものなのだから。

それが、どうしてこのように上からしか確認ができないものを描いたのか……はたまた、ただの偶然か。


 それは彼らには分からないが、これは数少ない手がかりの一つだ。




「こんなものに……いったいどんな意味が?」


「さぁな。これは恐らく竜だろうが……思いつくのは、赤い竜くらいだな」


「となると、聖書のレッドドラゴンですか? サタンの化身とかいう」


「ああ、そんなのだったな。ヨハネの黙示録に書かれている。だが、それとは関係ないだろうな」


「?……どうして、そうお考えになったのか理由をお聞きしても?」


「ああ、それはな―――?……一鬼か」



 不意に鳴り響いた着信音に敬吾は携帯を取り出し、それが一鬼からの通話であることを確認し、通話ボタンを押した。

一鬼の方から電話をかけてくるなど、一年に一度あるかないかなので、彼としては内心驚いている。

まさか、先の連続バラバラ殺人事件における容疑者の一人として疑っていた彼から、このようなタイミングで電話が来るとは思っていなかったのだ。




「どうした?……何!? おい、それはどういう……分かった。今日の夕方の六時に、うちに来い。話を聞く」


「……例の青年ですか。いったいどんな用件を?」


「いや……寧ろ、用が出来ちまったのは俺の方のようだ。あいつは、昔から予想できない奴だった」


「?……はぁ?」



 敬吾は通話を終えて携帯電話をしまうと、言葉を濁した。

一鬼からの電話に含まれていたのは、簡潔な情報のみだったが、彼が何を言いたいのかは、敬吾も理解している。

要は、彼もようやっと協力する気になったということであり、それは本来喜ばしいことだ。

本質を見抜く力を持つあの青年は、探し物をする時非常に役に立つ……それを、彼は知っている。


 だから、今日から一鬼には協力して貰う……探し物が人間ならば、彼はすぐにそれを見つけてくれるのだ。











着実に春の終わりは近づき、既に暦は五月へと向かおうとしている。

もうすぐゴールデンウィークがやってくる為、そのことで頭がいっぱいの者達も居る始末だ。

雨季の始まりが近く、大雨もいずれやってくるであろうことを予感しながら、一鬼はじめじめとした空気の中を歩く。

日光を反射するアスファルトが生み出す熱気は、この季節ならばまだ大したものではない。


 時間はまだ九時過ぎ……時間に見合わぬ熱気に一鬼は驚いたものの、特に動じることもなく歩いている。

彼は帽子を被りはしないし、日焼け止めやタオルも用意したりはしない。

理由は至って単純……この程度の熱量では、彼は汗をかかないからだ。

彼の熱耐性は非常に高く、それこそ真夏の炎天下であっても、汗をかくことはない。


 その理由を彼は知らないが、特に不自由ではないので、今まで考えたことはなかった。

しかし、今の彼ならばその理由は何となく分かる……彼が妖だからだ。

彼は道端に落ちていた空き缶を拾うと、試しに軽く力を入れて片手で潰してみた。

すると、一瞬で空き缶は千切れ、彼が握っていた部分はほぼ一本の棒状になってしまう。

千切れた部分を全て纏めて両手で潰すと、思いの外抵抗がなくそれは小さな球状のものへと変化する。


 一鬼は確かに人間の限界を超える程の身体能力を持ってはいるが、人間に化けられない訳ではない。

力の上限は確実に上がっているが、下限は昔の頃とそう変わらない……今となっては、力の加減を間違えることはなかった。

ただ、本気を出さないように注意しなければ、彼は容易く人体を破壊してしまう。

それだけが、今の彼には大きな問題だった……彼も常に冷静で居られる訳ではない。


 興奮状態になってしまえば、手元が狂う可能性は否定できないのだ。




「……血は、出ないか」



 握り潰した空き缶は、潰れた際に鋭い破片を生み出した筈だが、彼の皮膚は全く無傷だった。

空き缶だったものをゴミ箱に静かに入れると、彼は軽く握り拳をつくって、そのまま歩みを再開する。

彼の目的地は目と鼻の先にある。既に数kmの距離を歩いているが、それはいつものことだ。

彼にとってその程度の距離は大したものではない。彼の体力を最も削る要因は碧の実体化であって、それ以外では簡単に消耗することなどなかった。


 一鬼の目的地……それは、今彼の目の前にある古風な家だ。

まさしく和と言うべき日本の伝統的な作りのその家は、外観は良いが、実際はかなり滑稽なものとなっている。

そこに住む者と、そこにあるものがそうさせてしまうのだが、これは実際に中に入った者にしか分からない。

一度入ってしまえば、そのギャップに苦笑か呆れるのは必至だ。


  庭を超え、玄関の前に立つと、一鬼はそのままインターホンに指を持っていき―――




「さて……どう出るか」


「お待ちしてました!!」


「……相変わらず早いな」



インターホンを鳴らして、住人の反応を待つつもりだった。


しかし、鳴らそうとした瞬間に玄関を開けて現れた愛梨によってそれは阻まれ、彼は思わず苦笑する。

せめて鳴らした瞬間に開けてくれたならばまだ目を瞑るのだが、残念ながらそうではない。

今彼の前には、笑顔で出迎えてくれた愛梨が居て、扉は彼がインターホンを鳴らす前に開けられた。

やはり、彼女は能力を使用することで、彼を待ち構えていたのだ。


 一鬼の近くに居ると他者の声が聞こえなくなり、代わりに子守唄が聞こえてくると彼女は言っていた。

つまり、彼女は彼が近づくのを察知することができるということであり、彼女は二つの感知方法を持っていることになる。

妖の存在を感じるそれと、彼の存在を感じるそれ……二重の感知で、彼の接近は容易く感知されてしまう訳だ。




「さぁ、どうぞ」


「ああ、お邪魔する」



 愛梨に招かれるままに、一鬼は玄関で靴を脱いで彼女に続く。


彼女は白いカッターシャツの上から黒のコルセットをつけており、胸を強調していた。

更には黒のプリーツスカートを押し上げているヒップも相まって、実に大人っぽく見える。

とはいえ、やはり碧や山吹に比べるとまだ少女らしさが残るのは、彼女が半分人間だからなのだろう。

全身の凹凸は既に成熟した女性に近いものの、どことなく垢抜けていない。


 それでも同世代の女子と比べれば、彼女は十分に成熟している方だ。

しかし、それは飽くまで外見のみであり、その精神はまだ幼い……というよりも、歪であった。

彼女は大人の対応ができない訳ではないが、一度誰かの懐に入り込むと、とことん甘えてくる。

それだけならば良いのだが、彼女は一人の人間に大きく依存するタイプのようで、一鬼への執着心は強い。


 彼も彼女の気持ちに気付いていない訳ではないし、それを拒否しなくとも良いと思う程度には、彼女のことを好いている。

彼女は純粋で、一途で、非常に献身的と、中々に器量が良く、彼女の欠点は彼も苦笑で済ませる程度のものだ。

和風な家の中にぶら下げられている大量のドリームキャッチャーを見ながら、彼はその欠点の一つを思い出す。


 愛梨は何かとオカルト系のものを集めるのが好きで、この和風の家も実際は世界中の様々なそういうもので埋め尽くされている。

かなり広い家なのでそこまで気にはならないのだが、それでもかなりの量だ。

そこかしこに点在する大量のドリームキャッチャーから妖の力を感じながら、彼はそれがブルー・シャーマンのものであろうことに気付く。

きっと、これは愛梨を守る為に彼が施したものなのだろうと判断すると、彼はそのまま口を開いた。




「ああ、そうだ。ご両親は? 車がなかったから、多分出かけているのだろうが」


「はい。二人は空気を読んで、昼過ぎまで隣町の美術館に行くと」


「……そういう気遣いは必要ないんだがな。俺もあの人達との話はかなり楽しみにしている。あの本のことも気になるなから。今度からは、遠慮は要らないと伝えておいてくれ」


「それじゃあ、そう言っておきますね」



 愛梨の両親もまたオカルト方面に非常に興味があり、それ故にこの家はそういうもので溢れてしまっている。

彼女の両親は共に考古学者なのだが、特にオカルト方面に詳しく、そういった遺跡の発掘にも何度か立ち会っているそうだ。

しかも、その両親が一鬼の父である明と知り合いだというのだから、彼にとっては驚きであった。

どういう繋がりがあるのかは話してくれなかったが、彼らは非常に彼を歓迎してくれる。


 愛梨が生まれつき他人の思考を読める能力を持ちながらも、一鬼に出会うまで壊れなかったのは、偏に彼女の両親の尽力があってこそだ。

二人は元々オカルトに関して様々な知識を持っていたので、彼女を恐れず、寧ろ大切にした。

この和風の家に次々と増えていくオカルト関係の物も、元々は娘の力を制御する術を探して集めたものだ。

そういう暖かさを両親から感じ取れたからこそ、彼女はこうして無事ここに居る。


 一鬼は、そんな彼女達を微笑ましく思う。




「ああ、そうだ。橙色の妖と接触したんだが、あれは無害だった。ブルー・シャーマンの言う通りだったな」


「ブルー・シャーマンは私の師匠ですからね。その程度訳ないですよ。それで、宿主は誰だったですか?」


「俺の妹だ。既に協力の話はつけている。安心してくれ……俺達と敵対することはない」


「そう、ですか……妹さんが橙色……これで、残るは藍色と紫の妖ですね」


「ああ、そうなるな」



 既に赤、橙、黄、緑、青の五つの位階の妖は明らかになった。

残るは藍色と紫の妖の二体だけだが、この二体はそう簡単にはいかないだろう。

寧ろ、今までが簡単過ぎたくらいだ……この町から妖を見つけ出すのは、元来難しい。

特に、藍色と紫の妖は力が大きい分、そう大っぴらに出て来てはくれないのは明白だ。


碧が言うには、妖の力が大きければ大きい程、宿主への負担は大きくなるとのことだった。

つまり、一鬼や愛梨のように宿主も妖である場合でなければ、藍色の妖と紫の妖はそう長い時間姿を現せない。

そして、その可能性は実質零と言っても良い。それが可能な一鬼と愛梨はここに居て、既に己の妖を得ているのだから。

二体の妖が宿ってでも居ない限り、そんなことはありえない。




「ブルー・シャーマン、出て来て」


「うむ」


「碧、出て来てくれ」


「ええ」



 一鬼と愛梨が、互いの妖を呼び出すと、それぞれ瞬時に現れる。

蒼炎を宿しながら、現れるブルー・シャーマンの神々しさに、一鬼は思わず見とれてしまう。

彼が実際にブルー・シャーマンを見るのは初めてだが、碧の持つ怪しい美しさとは違う、神々しい感じが印象的だった。

妖である筈なのに、その枠に留まらない別の何かでもあるような、そんな感じがするのだ。


 そんな一鬼の内心を知ってか知らずか、碧は彼を小突いた。

彼女の眼もまたブルー・シャーマンに向けられているが、そこには一鬼のような純粋な賞賛はない。

新緑の眼に込められているのは、賛美でも賞賛でも、好意でもなく―――純粋なる嫉妬と怨恨だ。

それに気付きながらも、ブルー・シャーマンは文句の一つも言わず、ただそこに佇む。


ただ、そうあることが己が在り方だと言わんばかりに、堂々としている。




「貴方がブルー・シャーマンね……成程、確かに力は中々あるわ。でも、貴方の力はせいぜい尾が七本分、といった処ね。私の敵ではないわ」


「おい。碧、いきなり喧嘩を―――」


「心配するな、選ばれし子よ。私は争いを好まない。さて、殺戮者よ……お前の言う通り、私の戦闘力は妖狐でいう七尾だ。八尾であるお前には、力では到底叶わない。お前の誇りに傷をつけることはないだろう」


「……そう。貴方はただの妖ではないわね? まさか―――」


「それを説明するには、まず一つ確認せねばならない。お前は、あの世というものを信じるか?」


「?……信じていない訳ではないわ」



 一鬼は、いきなり喧嘩を売りそうになった碧に対して、特に気にした様子もないブルー・シャーマンの寛容さに安堵した。

碧が余程のことをしない限り、彼は一鬼の味方でいてくれるかもしれない。

そう安堵し、思わず溜息をついてしまった彼に罪は無い。ただ、それに反応した碧に問題があるのだ。

より一層深まる緑に、一瞬だけ愛梨が身を固くするのを察知しながらも、ブルー・シャーマンは止めない。


 この場に居る者の中で最も強いのは碧かもしれないが、最も上位に居るのは彼だ。

だから、彼はそれを分からないでいる碧相手でも、ただ静かに、見守るように佇む。

そんな彼に対して、一鬼は余計に尊敬にも似た想いを抱くことになるのだが、碧は気付かない。

己の行動がよりマイナスの結果を導いているのだと認められないのだ。

そんな彼女達のことをブルー・シャーマンは見守るだけで、何も言わない。




「私は、そのあの世とこの世の間に存在する境界へと行き来できる。かつて生きていた頃の修行が功を為したのか、私はアンデッドとして蘇った。否、これは再生ではなく転生であろう。兎に角、私は死ねないアンデッドだ。それ故に、私に違和感を抱くのだろう」


「不死ですって!? まさか……そんな境地に辿り着ける筈がないわ。私達妖狐ですら辿り着けなかった領域に、七尾と同等程度の貴方が!?」


「ああ、その証拠にこのはただの骨と鎧しかない。私は、砕かれても、折られても、切られても、何度でも蘇る。既に死んでいるのだからな。これ以上死ぬことはない」


「心臓が……ない!? ならば、貴方のその力は、何処からやってくるというの!? 心臓が力の源なのは、全ての妖の共通点よ!!」


「私はそれを『超越』したのだよ。力は、この青い炎が示している。この炎こそが、私の心臓の代わりであり、私がブルー・シャーマンである証だ」


「……貴方は……やはり……」



 碧の顔が真っ青になるのを見ながら、一鬼はブルー・シャーマンの特異性を実感する。

いかなる妖も心臓か脳を破壊されてしまえば死ぬ……それは絶対の決まりであり、揺るがない。

だが、その心臓や脳がそもそも存在しない妖など居て良いのだろうか?

確かに力においては碧に劣るかもしれないが、不死性に関しては、もはや神の領域と言えるだろう。


絶対に死なない、完全なるアンデッド……それが彼、ブルー・シャーマンだった。




「だが、私もこうして『虹色の肋骨』に収まっている。それに、従来の戦闘ではお前のような絶対強者には勝てない。そこまで滅茶苦茶ではないだろう」


「確かに、そもそも不死ならば貴方はここに居ない筈だな。どうして、『虹色の肋骨』などに?」


「選ばれし子よ。私は確かに不死であり、無尽蔵の力を持つ。だが、油断しない訳ではないのだ。弱らない訳ではないのだ。隙を突かれて、私は封印された。それ故に、こうしてここに居る」


「誰に?」


「……隙を突かれたと言っただろう? 実は、寝込みを襲われてしまってな……襲撃者が誰かは見ていない。すまない。あれは私の一生の不覚だった」


「成程……それなら仕方ないか」



 ブルー・シャーマンは不死とはいえ、最強ではないということだろう。


生死を勝敗条件だとすれば、絶対に負けないが、勝てないこともある……そういうニュアンスだと、一鬼は理解した。

そして、同時にこれから先有用となるであろう、重大な懸念が一つ浮上した。

ブルー・シャーマンは碧に『従来の戦闘』では勝てないと言ったが、それはつまりなんでもありの状態ならば勝てるという意味でもある。


ブルー・シャーマンは純粋な戦闘力では格上である碧を降し得る切り札を持っているということだ。




「情けないことに、寝ている隙に封印されたのだ、私は。故にここに居る」


「封印? そんなものが存在するの?」


「そうか。お前にはできぬか……殺戮者故、仕方ない。私と彼は使えるぞ。私の場合は、封印ではなく幽閉に近いがな」


「……彼? 彼とは、誰だ?」


「私の親友だ。彼は守護者にして、超越者―――つまりは世界の理を捻じ曲げた者の一人だった。私といえども、彼は見切れない。恐らく、紫の妖は彼だ。私に見切れない者など、彼くらいしか居ないからな」


「……守護者で、紫ですって? ブルー・シャーマンとやら、貴方のその親友の名を聞いても?」



 一鬼は、ブルー・シャーマンの言葉に納得しながらも、同時に疑問を抱く。


碧は封印ができないが、ブルー・シャーマンとその友人はそれができるというのは本当なのだろうか?

それは、本当にできないのか、それともただ知らないだけなのか……それで、全ては決まる。

万が一ブルー・シャーマンと敵対することになった場合、ブルー・シャーマンを倒せなければ、彼は愛梨を狙わなければならなくなる。


 そうならない為にも、一鬼としては碧に封印とやらができるようにして欲しいのが本音だ。

そうなれば、少なくとも愛梨を殺すような事態にはならないし、ブルー・シャーマンも万が一の時に復活させられるかもしれない。

彼には封印がどういうものかは良く分からないが、少しでも守りたいものを守れる可能性が増えるのならば、是非とも知っておきたかった。




「殺戮者よ、残念ながら名前は言えない。私は彼の名前を彼の許可なく言えないのだ。そういう約束をしたからな。だが、一つ教えてやろう……彼は選ばれた者だった。彼は己から誰かを傷つけたことはなかった。だから、一つを残し全て失った。先制攻撃さえしていれば、彼は何一つ失わなかったのに、だ」


「っ……それだけで十分よ。もう十分過ぎる程分かったわ。奴が……この町に居るのね」


「奴?……碧、いったい何を言って……」


「はい、そこまで! ブルー・シャーマンも碧さんも、取りあえず部屋につくまで待ってくれない? さぁ、先輩。行きましょう」


「愛梨……そうだな。分かった」


「……ええ」



 ブルー・シャーマンの意味深な言葉を一鬼は理解しかねたが、碧はできたようだ。


その新緑の眼に怒りや恐怖、不安などの様々なものが浮かんでいるのが、彼には分かった。

紫の妖は碧と知り合いで、しかも因縁がある相手なのだろうが、正直な処、彼は余り実感が湧かない。

散々敵を作った妖狐の中でも最悪の立ち位置の彼女がそこまで憎み、恐れる相手とは誰なのか興味がある。

しかし分からないのだ……彼女が、まるで己の全てを奪われたかのように、そこまで憎しみを覚える理由が。


だからこそ、愛梨による制止がここで入ったのはある意味僥倖であった。

碧の抱く怒りは一鬼の本能に危険を知らせ、ブルー・シャーマンも僅かに構えを取っていたのだ。

この一触即発とも言える空気を、彼女はどうでも良いと言いたげな態度で中断してしまう。

それは中々できないことだし、正直な話、一鬼は彼女にそこまでの度胸があるとは思っていなかった。


 弱くて、弱くて、彼に縋っている筈なのに、縋る者を失わない為には、誰よりも強くなる……彼女はそういう子なのだ。




「先輩、実は話しておきたいことがあるんです。藍色の妖のことについてなんですけど……ブルー・シャーマンが新しい情報を得ました」


「藍色の妖について?」


「ああ、奴は既に数十単位の人間を食ったようだ。力が大きくなりつつある……だが、まだまだ小さい。私や殺戮者と比べれば、赤子のようなものだ。力は五尾といった処か」


「五尾?……貴方よりも下? そもそも、貴方はどうやってそれを感知しているの? 私達と同じように半径百メートル以内でしか感知はできない……という訳ではなさそうだけど」


「いや、私の感知範囲も変わらんさ。だが、私はあの世とこの世の境目の力を持つ者だ。そこからの視点で、妖の力や性質をある程度絞れる。今回は妖の数が十にも満たない為、状態を確認するのもそれなりに容易だ」



 一鬼もブルー・シャーマンは規格外だと思っていたが、まさかここまで規格外だとは予想だにしていなかった。

不死であり、七尾に値する力を持ち、しかも妖限定ではあるものの、力、性質や状態を見極められる……ここまでできて、反則でない訳がない。

確かに力では碧には遠く及ばないかもしれないが、その特殊な能力にキャパシティーを多分に割いてしまっただけで、キャパシティーそのものは恐らく彼女よりも大きい。


 もしかしたら、妖の序列は純粋な戦闘力ではなく、キャパシティーで決まっているのかもしれない。

一鬼にはその序列を作った者の心は分からないが、恐らくそうに違いない。

序列は力ではなく、それまでに獲得したものの量で決められている。ただ強いだけでは、序列は上にいけない。

逆に言えば、藍色の妖や紫の妖相手でも、碧が勝てる可能性はあるということかもしれない。




「成程。元来の感知で、この町に居ることを察知し、その異世界からの視点とやらで力や性質を見極めているのか」


「そうだ。流石に物分かりが良くて助かる。愛梨にこれを説明するのには中々時間がかかったが、苦労せずに済みそうだ」


「ブルー・シャーマン!! もう、先輩に変なことを教えないで!」


「やれやれ……これさえなくなれば、立派な淑女とやらなんだが。まぁ、選ばれし子さえ居てくれたならば、安心できるか?」


「……ちょっと、勝手に私の宿主と自分の宿主をくっつけようとしないでくれる―――かしら! 私は貴方達と戦いたくないけれど、手が滑ってその小娘の心臓を握りつぶしてしまうかもしれないわ……こんな風に」



 次の瞬間、一鬼は碧の拳がブルー・シャーマンの鎧の心臓があるであろう部分を正確に貫くのを見た。


 一鬼はその様に驚き、思わず目を見開いたが、しかしすぐにそれは溜息に変わる。

間違いなく致命傷であり、普通の妖ならばこれで死んでいるが、ブルー・シャーマンは違う。

そんな行動に出た碧をただ静かに見据え、己の胸部を貫いた腕を無造作に抜く彼には、明らかにダメージはなかった。

それ処か、彼女が貫いた箇所はそのまま塵芥が集って修復が始まっている。


 本当に不死身なのだ……本当にアンデッドなのだ、彼は。




「殺戮者よ。お前達妖狐はそうやって暴力でしか解決できないから、滅んだのだ。滅ぼされたのだ。心せよ……二度目は無いぞ」


「……二度目、ですって? 貴方、何を言っているの?」


「お前は殺戮者だ。守りたければ、先に壊すしかない。良いか、お前は所詮殺戮者だ……守護者に憧れても、無駄なのだ」


「……訳が分からないわ。貴方、意味深なことを言うだけで、分からないのよ」


「おい、会話しろよ」


「同感です」



 碧とブルー・シャーマンの空気が、また一触即発になりそうになったので、一鬼も流石に止めることにした。

非常に紳士的なブルー・シャーマン相手ですらこうなってしまう彼女に、彼は少しばかり頭が痛くなってしまう。

そんな彼に同意してくれた愛梨は、その肩に手を置いて静かに頷いてくれる。

いつもならば、二人の立場は逆なのだが、今回は彼の方が支えられているようだ。


 そこで、ふと一鬼は愛梨が薄化粧をしていることに気付いた。

基本的に化粧をしない彼女が、珍しく化粧などをしていたのだから、彼も少しばかり察しはつく。

彼女は今日彼に何かを伝えるつもりなのだ……化粧は、その為の一種のけじめのようなものだろう。

彼としても、今まで伝えようと思ったことを伝える良い機会かもしれない。




「とにかく、碧は一旦引っ込んでくれ。話が進まない。後は俺が聞く」


「……分かったわ。後は任せたわよ」


「ああ、任せてくれ」


「先輩、どうぞ」


「ああ、失礼する」



 一鬼に一旦下がるように言われた碧の表情は、実に何とも言えないものだった

捨てられた犬のような眼を一瞬だけだが見せ、大きな耳を項垂れさせて、そのまま消える彼女に、後で埋め合わせをする必要性を彼は感じる。

勿論、自業自得でもあるのだが、余り責め続けるのも如何なものかという思いが彼にはあった。

後で彼女のご機嫌取りをするくらいはしておかねばならないだろう。


 愛梨の自室に足を踏み入れた瞬間に彼の視界に広がるのは、大量のドリームキャッチャーだ。

その全てからブルー・シャーマンの力が感じられ、いかに彼が彼女の安全に気を使っているのかが分かる。

一鬼はあまりそういったものに詳しくはないが、これは恐らく結界なるものの一種だ。

女の子の部屋にしては、余りにも質素で、大量のオカルト品が置いてあるのは、ある意味美空の部屋に通ずるものがある。




「このドリームキャッチャーは、ブルー・シャーマンが力を付加したものだな? いったいどんな効果があるんだ?」


「やっぱり分かるんですね。これは、お守りです。文字通りの魔除けですね」


「魔除け、か……もしや、この部屋の中では妖は出ていられないのか?」


「いえ、そういう訳ではありません。でも、力を弱めることはできるみたいです」


「ああ、その通りだ。この家の中では三尾以下の妖は実体化できず、それ以上の妖も皆一割程度力が減少する。そうでなければ、ただのお遊びだったとはいえ、殺戮者の拳は私の体を粉々にしていただろう。戦闘能力だけならば、それだけの差が我々の間にはある」


「確かにそうだな。先程の一撃も本気ではなかった。俺もまだ碧の本気は見たことがない」



 ドリームキャッチャーを掴みながら、一鬼はそこに感じる妖の力と、そうでない力に確信する。

ブルー・シャーマンは嘘をついていない……このお守りは彼が力を加えているもので、他に超自然の存在がここに居る訳ではないようだ。

一鬼は確かに愛梨達のことを信じてはいるが、万が一ということがある。

彼女達すらも気付かない内に、ここに紛れ込んでいる者が居るかもしれない……そう考えておかなければ、彼は気を抜いてしまう。


 警戒はしないが、注意は忘れない……それが大切だ。




「あれは超越者程ではないが、強い。『虹色の肋骨』の中でも、純粋な戦闘力ならば次席だろう。一番は紫の妖だが」


「……随分と友人の力を信じているようだな。それ程までに、強いのか?」


「ああ、いずれ分かる。彼こそが最強だ」


「そうか……まぁ、その話は置いておくとして、柿坂の体力は大丈夫なのか? 妖の実体化は大分力を使うぞ」


「その点は大丈夫です。私も常にブルー・シャーマンを全力で実体化させている訳ではありません。日頃は何千、何万文の一程度の力ですし、それでも赤の妖程度なら苦戦しませんから」


「成程。確かにそうだろうな」



 緋蓮の純粋な戦闘力は人間の限界よりも少し上程度で、今の一鬼にすら劣る。

彼女も何かしらの能力を持っているのかもしれないが、碧相手ではそれを生かす前に死んでいるだろう。

そんな彼女相手にブルー・シャーマンは一割の力も必要としていない……つまり、緋蓮の力は四尾にすら劣る訳だ。


 とはいっても、単純に碧を基準にして考えれば、緋蓮の力は良い所三尾であろうか。

一鬼の力も同程度と考えればよいので、実質碧と彼の力の差は途方もないものだ。

彼の十万倍……それが碧の力であり、途方もない差であることを如実に語っている。

ブルー・シャーマンとの間ですら一万倍もの差があるのだ……彼がどうこうできるものではない。


 上位陣との戦いでは、彼は完全にお荷物になってしまう。




「だが、その赤も我々に必要なのは間違いない。藍色の妖を探し出す為には、人手は多い方が良い。選ばれし子よ、私達と共に、藍色の妖の討伐をしてくれないか?」


「勿論だ。そもそも、俺達はその為にここに来たんだ。こちらこそ、よろしく頼む」


「ああ」



 一鬼はブルー・シャーマンからの願ってもない提案に肯定すると、がっちりと握手をした。

藍色の妖が既に数十人規模の人間を食ったというブルー・シャーマンの言葉が本当ならば、彼らはそれを止めねばならない。

このまま放っておけば、本当に数百人、数千人の犠牲者が出てしまうかもしれないのだ。

そんな事態になってから動いては遅い……彼らが動かねば、誰も止められない。


 警察がいくら捜査した処で、何一つ犯人へと行き着く方法はないのだ。

所詮『虹色の肋骨』は、一鬼達宿主にしか見えない特殊な存在であって、彼らには見えないのだから。

犯人は人間や獣という、誰にも知覚できるような存在などではなく、『虹色の肋骨』なのだ。

言うなれば、彼らは全く的外れなものを追っているということになる。


 その間に、多くの人間が殺され、食われるだろう。




「ブルー・シャーマン、一つ提案がある。俺の知り合いに警察の警視が居るんだが、その人から情報を得て、藍色の妖の狩場を明らかにしたい」


「良いだろう。まず絞り込んだ上で、実際に探した方が効率は良い。それに、下手にバラバラに行動して各個撃破される事態は避けたい処だ。しかし……協力は得られるのか?」


「ああ、大丈夫だ。少し待っていてくれ」



 一鬼は、携帯電話を取り出すと、知り合いの警視―――佐村敬吾に電話を始めた。


この結果で彼が情報を得られるか否かが大きく左右される訳だが、彼は敬吾が協力するであろうと感じていた。

どうしようもない程に追い詰められた時、彼の幼馴染の父は、身の回りかヒントを得ようとする。

そして、その場合最も協力させられるのが彼なのだから、佐村敬吾という男はこの機会を逃さない。


 異常なものを理解するには、同じくらい異常な者を利用すれば良いのだ。

佐村敬吾という男はそれを誰よりも理解している……一鬼も、そんな彼の考えを否定はしない。

だからこそ、彼は今まで協力してきたし、これからも可能な限りは協力するつもりだ。

そうすることで今まで築き上げてきた信用は、『虹色の肋骨』達との戦いの中でも、大いに役立つだろう。




「少しばかり予定が早まったが、恩を返して貰うことにした」



 だから、一鬼は柄にもなくウインクをしながら佐村敬吾が通話に出るのを待つのだった。












 死とは、いったい何なのか―――それを考えた時、彼は紫色の炎を思い出す。


 かつて、彼が生きていた頃に出会った至高の存在……それは、紫色の炎を纏う鬼だった。

彼を殺したのは別の存在だが、彼がただひたすらに憧れ、目指したのはその鬼だけである。

当時有名だった妖狐という一族は確かに強く、中でも殺戮者と呼ばれた金色の妖狐は別格であった。

だが、それでもかの鬼には敵わない……彼はそれを知っている。


 あの日、彼は全てを見た。全てを知った。

いかなる最強も、守るべき存在が枷となって死んでしまうことがあることを。

いかなる殺戮者も、美しさの余り壊せないものがこの世には存在することを。

いかなる強者も、それ以上の力の前には無力であるということを。




「……生かされた恩を忘れたか、小娘」



 彼は静かに嘲笑い、眼下の町を見下ろす。


 まだ明るい昼の空に浮かぶ彼は、町に潜む力に怒りを抱かずにはいられない。

彼にとってまさしく至高であった存在が憎悪を振り払って生かした者が、この町に居る。

それは鬼の意思を無視し、全てを滅ぼそうとしているかのようで、それが酷く彼には腹立たしい

今は見えぬ星々に手を届かせる為にも、かの鬼の無念を晴らす為にも、彼はそれを食うつもりだ。


 そして、最後に―――たった一度だけ見た、至高の存在を模倣する。




「待っていろ……私は、超越するぞ。そして、あの星に―――手を届かせる」



 力なく揺れる彼の手は、模倣によって作り出した紛い物だ。

そこには擬似的な感覚があるものの、実際には彼の腕ではなくただの作り物でしかない。彼のものではなく、他者の腕でしかない。

細く、頼りない彼の足は、模倣によって作り出した贋作だ。

そこには、本物と同じような驚異的な跳躍力があるものの、所詮はただの借り物で、彼の肉ではない。


 彼は借り物だらけで、本当の彼はただ宇宙にのみ存在する。

その宇宙にならば彼の手を届く……だが、それもまた仮初の宇宙でしかない。

そこに宿る星々は視覚的なものでしかなく、実態を持たず、ただそこにあるだけだ。

本物は本当の空にのみ存在する……だから、彼が手を伸ばすのは本物の空だけである。

その為には至高の存在の力が必要だが、まだ模倣は叶わない……今すれば、彼は消えるだけだ。


 だから、食って、食って、食い続ける―――超越する為に。




「私は、贋作でしかない。だが……この思いは本物だ」



 そして、あの星々に手を伸ばすのだ―――本当の宇宙となるのだ。




それこそが、彼の最初で最後の、純粋なる願いなのだから。





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