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虹色の肋骨  作者: 修羅場ーバリアン
18/26

第十八話



 レースカーテンすらも開け放った状態の窓から綺麗な星空が良く見える。


 星空が残酷なまでに美しい輝きを放つのを見ながら、碧は今夜のことを振り返っていた。

彼女は何もできなかった。ただ足を引っ張っただけだった。まるで役に立てなかった。

確かに最初はインディゴを相手に善戦していたかもしれない……だが、一鬼の負傷を境に彼女は再び不安に陥っている。

一鬼を守り切れず、それどころか足を引っ張って怪我までさせてしまったのだ。

彼を失うことを恐れ、彼に拒絶されることを恐れ、彼女は醜態を晒した。


インディゴとの戦いも、ブルー・シャーマンが居なければ一鬼を死なせていただろう。

更に、その後の因縁の相手である紫の妖……紫鬼を相手に、彼女は二度目の醜態を彼に晒した。

二百年前と何一つ変わらない……何もできなかった。何も理解できなかった。

ただ無我夢中で暴れ、ただ圧倒され、そして失った。

その時から何一つ変わっていない。何も成長していない……その事実を、彼女は今日つきつけられたのだ。




「……」


 碧は、彼女と同じく星空を眺めている一鬼の様子を伺った。



 その赤い眼は酷く澄んでいて、彼の純粋さを想起させる。

彼は今日本当の家族の存在を知ってしまった。本当の守護者の存在を知ってしまった。

そして明日、彼は過去そのものまで知り、全てを取り戻してしまうだろう……彼女が奪ったもの全てを。

その果てにあるのは、決別……それしかない。


 彼女はそれを受け入れ、断罪されなければならなかった。

その覚悟をした筈だった。全て受け入れた筈だった。時間は十分にあった。

だが、彼女は今迷っている。恐れている……己の居場所を再び失うことを。夢を失うことを。

それがいかに自分勝手なことかは彼女も分かっている……だが、止められないのだ。


 彼女は、目の前に居る純粋な存在が欲しかった。

ずっと待ち望んでいたにも関わらず、彼女自身が一度消してしまった存在……それが目の前に居る。

過去のことなど知らずに、無防備な姿を彼女に見せてくれている。受け入れてくれている。

この状況を彼女は壊したくなかった。覚悟した筈なのに、まだ怯えていた。




「……碧、話がある。俺達の過去と、今と……今後のことについて」


「……はい」



 だから、彼女は恐る恐る従うのだ―――全てを賭けて守ると誓った相手に。













 憎らしい程に美しい輝きを放っている夜空を見上げながら、一鬼は溜息をついた。


 それにびくりと体を震わせた美空の頭を撫でながら、一鬼は静かに大丈夫だと告げる。

一鬼達が家に帰って既に一時間が経った……あの後愛梨の両親と明に連絡をし、一鬼は二人の面倒を見る旨を伝えた。

普通に考えればテロ紛いの事件が起きた直後に子を放っておくことなど、できる筈がない。

当然のように反対されたが、一鬼は二人が離してくれないことを伝えると、渋々ながらも了承された。


 一鬼自身、この状況を馬鹿げているとは思っている。

恐怖に震える美空と愛梨は風呂に入った際も、一鬼に近くに居ることを求めてきたし、寝る際には今のように彼に縋っているのだ。

傍から見れば役得なのかもしれないが、一鬼はその理由が何処にあるかを凡そ感じ取っている為、素直に喜べない。

何よりも、今の彼にはそのようなことを考える余裕がなかった。


既に寝入っている愛梨とは対照的に、美空は未だに眠ることさえできないでいる。

無理もない……紫鬼の圧倒的な威圧感を前、失禁する程恐怖していたのだから、余程怖かったのだろう。

紫鬼……突然現れた彼の兄。最強の超越者であり、碧の復讐すべき相手……その存在感は圧倒的だった。

一鬼ですらも一度目は圧倒され、二度目で漸くそれに耐えることができた程だ。


 美空と愛梨の心が壊れてしまわなかったのは、不幸中の幸いというものだろう。




「……っ!」



 そして、意識を手放したと思った瞬間、一鬼は蒼炎の中に居た。


 一瞬驚いたものの、そこがブルー・シャーマンに与えられた『境界』であることを知っている彼は、すぐにブルー・シャーマンの姿を探した。

案の定、蒼炎の中に佇んでいるブルー・シャーマンを見つけた彼は、そこに歩み寄っていく。

腕を組み、悠然と構える蒼炎の超越者の姿はいつにも増して活き活きとしていた。

一鬼はその理由が恐らく紫鬼にあるのだろうと予感し、ブルー・シャーマンに声をかける。




「ブルー・シャーマン、いきなり呼び出してどうした?」


「眠れないのだろう?……少しばかり話をしておこうかと思ってな」


「話……か。確かに今日は沢山のことが起こり過ぎた。だが、俺が一番聞きたいのは……」


「お前自身が持つという唄のことだな?」


「流石に話が早い」



 一鬼はブルー・シャーマンの言葉に頷きながら、その神がかった先読みを賞賛する。


愛梨が依然言及した彼の持つ唄と、愛梨達が正気を保てたことは恐らく無関係ではない筈だ。

愛梨まだ能力を制御できなかった頃は、一鬼が傍に居ることで彼女の心の平穏を保っていた。

彼の持つ唄とやらは何かしら怨念に関係するものなのだろう。

そうでなければ、生者の怨念とも言える思念をどうこうできる筈がない。


 ブルー・シャーマン達超越者は圧倒的だ。

その存在感も、威圧感も、力も……全てが規格外で、妖などとは一線を画している。

元々が妖であったなどとは考えられない程にその差は開いており、それだけに留まらず彼らは多くのものを知っていた。

そんなブルー・シャーマン達が一鬼を守ると言っていた。それが超越者だと語った。


 一鬼は確かに未だ完全に目覚めていないにも関わらず既に八尾相当の力を持っている妖ではある。

だが、果たして彼にそこまでの価値があるのかと言われたならば、今の処その答えはノーしかあり得ない。

ブルー・シャーマンと紫鬼が命をかけてまで守る理由がない。そうさせるものが一鬼にはない。

だが、もしも彼らが守りたいものが一鬼自身ではなく『彼が持っている何か』ならば、話は別だ。


 その何かこそが唄なのではないかと、彼は踏んでいる。




「唄は……言うなればお前の持つ生態だ。人間の呼吸と同じ、必須なものだ。そして、それは我々超越者にとっても同様のものなのだよ」


「つまり、お前達超越者も唄とやらを持っているということか?」


「否、持っていないからこそ我らは超越者なのだ。持っているからこそ、お前は選ばれし子なのだ。詳しくは話せん……明日実際に己で知るのが最善だからな。しかし、これだけは言っておこう……我々がお前を守るのは、お前が選ばれし子だからだ」


「やはり、そんなものだろうな」


「しかし……紫鬼がお前を守る理由は、お前が弟だからだ。家族だからだ。彼が、お前の兄だからだ。それだけは絶対に忘れるな……彼は例え我ら全ての超越者を敵に回しても、お前を守る。それだけの強い意思がある。力がある。お前の兄は素晴らしい守護者だ」


「……そう、か」



 本当に嬉しそうに、優しげな声音でそう言うブルー・シャーマンに、一鬼は静かにはにかんだ。

一鬼には、その言葉に偽りがないとはっきり分かる。

そもそもブルー・シャーマンは嘘をつかない。多くを語りはしないが、決して嘘はつかないのだ。

それさえ分かっていれば、その言葉が嘘か真かを迷う必要などない。


 ブルー・シャーマンの言葉は常に事実しか映さず、それは時に鋭い刃物になるだろう。

事実、碧は何度もその言葉に対して怒っているし、時には暴力に発展したこともあった。

一鬼もまた、何度もその言葉が刃物のように胸に突き刺さった感覚を覚えている。

しかし、それでもその真のみを反映する言葉は、彼にとって非常に貴重なものだった。

ブルー・シャーマンにとって彼はきっと紫鬼の弟でしかない。

紫鬼にとって大事な存在だから、守っているに過ぎない……それは薄々彼も感じている。


 それでも、彼はブルー・シャーマンを尊敬していた。

確かに事実しか言えないという点は彼も見習い難いが、その力も精神力はやはり素晴らしい。

一鬼はその在り様に惹かれ、同じように超越者になりたいと思うようになった。

しかし、彼が進むのはブルー・シャーマン達と同じ道ではない……彼は彼が極めるべき道を究める。

同じ守護者を志すことに変わりはないが、彼が求めるのは最強の矛と盾だ。

ブルー・シャーマンのような、永遠と刹那ではない。




「正直に言えば……私は、お前が紫鬼の弟だから、今まで見守ってきた」


「ああ、知っている。以前から薄々気づいてはいた」


「……だろうな。だが、今は……少しばかり考えが変わった。インディゴに挑むお前の必死さは酷く美しかったぞ。あの時、お前の唄は我々を包み込んでいた……二百年前失われた筈の光が、蘇ったのを確かに感じた」


「……光、か。羽月も昔俺を光だと称したことがあるが、それは飽くまでも唄によるものだろう?」


「そうだな。半分は唄のお蔭だろう。だが、もう半分は……それを扱うお前の心だ。お前の生き様だ。あの青年も、愛梨も……誰もがその二つに惹かれたのだ。お前自身に魅力がない訳ではない。お前は巨大な器であって虚無ではないのだ……それを忘れるな」



 ブルー・シャーマンの組んでいた腕を解くと、片腕を前に伸ばして掴むような仕草をした。

それに合わせて前方の蒼炎が形を変え、何かを生み出していくのを一鬼は目撃する。

流れるように形が変化していき、それはやがて一つの揺り籠になった。

ブルー・シャーマンが軽く横に引っ掻くような動作を行うと、それを起点に揺り籠はゆらゆらと揺れ始める。


 いったいどういう理由から揺り籠などを蒼炎で再現しているのかは、彼には分からない。

だが、そこには何か込められた思いが、重ねた因縁があるのだと彼は理解する。

ブルー・シャーマンはただその揺り籠を見つめ、黙りこくってしまった。

その姿も相まってか、まるで彫刻のように見える様に、しかし一鬼は感情の発露を見出す。

固く握りしめられた両腕が、その不動の中で感情を表現していた。


 無念……それが今、ブルー・シャーマンが抱いているものだ。




「明日お前は知るだろう。お前が何故その虚無を抱いてしまうようになったのかを。明日お前は私を、紫鬼を笑うだろう……超越者を見下すだろう。偉そうなことを言っておいて、何もできなかった愚図だと。大切なもの一つ守れない間抜けだと。私達は無力だった。愚かだった。あの日、我々の内たった一人でもお前の傍に居たならば……お前は最後の鬼にはならなかったというのに」


「……深くは聞かない。だが、これだけは言わせてくれ……俺は、お前達を見下すことはしない。愚かだと思いもしない。俺も守護者だ。俺も守れなかった。俺も無力だった。俺には、お前達を笑う資格などないし、そのつもりもない。ただ、知りたいだけなんだ……俺が何者かを。俺が何故生きているのかを。だから、手伝ってくれ……蒼炎の超越者、ブルー・シャーマン」


「ああ、明日我が全力を以て応えよう……最後の鬼よ。我らが主よ」


「……主?」


「明日だ。明日お前は全てを知る。その時まで、暫し待て」


「待て、ブルー・シャー……!」



 聞き逃せない言葉を残して、ブルー・シャーマンは消え、一鬼は『境界』から元の世界に戻った。


 辺りを見渡せども、既にブルー・シャーマンの姿はない。

一鬼の妖としての感覚もブルー・シャーマンが彼の半径百メートル以内に居ないことを示している。

そのことから、ブルー・シャーマンは既に愛梨の肋骨に引っ込んでしまったことを彼は理解した。

相変わらず肝心なことのみ言わずに去る奴だ、と苦笑しながら一鬼は星空を見上げる。


 憎らしい程に美しい輝きを浮かべている星空に、彼は様々なものを見出した。

今頃自宅に帰って義母である綾子に怒られているであろう羽月に、一鬼達のことを心配しているであろう明。

愛梨のことを大切にしている彼女の両親。親友の息子である一鬼を最高の猟犬として扱う佐村敬吾。

そして、もうこの世には居ない一矢……彼の兄貴分。


 彼は様々な者達と出会って、別れて、また出会って、失って、取り戻して、ここまで来た。

しかし、それももうすぐ終わりを告げるだろう。明日、一鬼は完全に妖として覚醒する。

妖に覚醒することで、彼は間違いなく変化する。変わってしまう。変われずにはいられない。

だが、それでも今まで出会った者達のことは忘れない。忘れられる筈がなかった。


人間としての彼の……神谷一鬼という彼の生きた人生は、間違いなく彼のものだったのだから。




「……!」



 暫くの間星を眺めていた一鬼は、途中で碧が彼の方を見つめていることに気付いた。


初めて出会った時の誇らしげで、酷く自信に満ちていた彼女の姿はそこにはない。

不安、恐れ、後ろめたさ、打算……様々なものが綯い交ぜになったその新緑の眼に、強さはなかった。

一鬼は明日完全に妖になる。その時、彼は全ての過去を知り、彼女が過去に何をしたのかを知るだろう。

恐らく彼女はそれを恐れている。彼が彼女を見限る可能性が高いと考えているのだ。


 明日、二人の関係は大きく変わってしまうかもしれない。

だからこそ、一鬼は彼女と一度話し合うことを決めた。

これから二人の関係は大きく変化する……それも、恐らく碧にとっては都合が悪い方向に。

つまり、一鬼が白雪を探すことを止め、紫鬼と戦うのを躊躇わせる要素が過去にはいくつもあるということだ。

なればこそ、彼は示さねばならない……彼の気持ちを。彼の決意を。


 確かに決別するのは誰だって怖いだろう。

だが、いつまでも恐れているままでは前に進めない。

いつまでも未知のままでは怖いだけで、恐れを振り払う為には知らねばならないのだ。

だからこそ、彼は真正面から彼女に告げる……彼の意思を。


 その不安を自ら取り除けない彼女に、彼が手を伸ばすのだ。




「……碧、話がある。俺達の過去と、今と……今後のことについて」


「……はい」



 いつもの明るく、何処か人を食ったような表情は鳴りを潜め、何かを諦めたような表情がそこにはあった。

一鬼はそんな碧に対して内心怒りを覚えるものの、それを堪えて彼女の眼を見据える。

新緑の眼には彼が期待した強さは殆ど映っておらず、それが彼を失望させていく。

だが、彼は割り切ることにした……彼女を戦士として扱わねば、失望せずに済むのだ。


 今目の前に居るのは殺戮者と呼ばれた最強の破壊者ではなく、ただの弱い女だと彼は思うことにした。

そう意識した途端に、碧に女らしさを感じてしまう一鬼であったが、それは今不必要なものだ。

どんなに外見が良くとも、その実が役立たずでは彼には不要な存在なのだから、判断基準は能力でなければならない。


そして、今の彼にとって碧はその基準を満たせていない。




「まず今日のことについてだが、インディゴとの戦いの途中で何故俺の顔色を伺った? いや、あの時だけではないな。お前は時折、あの眼をしていた。顔色を伺って、媚びるような表情をしていた。お前は俺に何を求めているんだ? 妹を探すことではないのか? 紫鬼への……俺の兄への復讐ではないのか?」


「それは……」


「言えないのならば良い。だが、これだけは言っておく。独立した一人の戦士であり続けたいのならば、もう二度とあのような眼をするな。それが無理ならば、俺の言葉に従う人形になれ。俺に全てを委ねろ。そうすれば、俺はお前に強さを求めない」


「っ……でも、それは……」


「勿論、強制はしない。もしお前が望むのならば、肋骨を摘出して他者に移植する方法もあるだろう。ブルー・シャーマンや紫鬼に頼めば、恐らく可能な筈だ」



 一鬼は口ではそう言うものの、碧がそれを了承しないであろうことを理解していた。

彼以外の宿主では彼女の能力を完全に出すことはできず、余計に紫鬼を倒せる可能性はなくなる。

そもそもが、人間を見下している彼女では一鬼以外を宿主に選べない。

彼だけが彼女にとっての宿主である……それが碧の認識であることは、初期から変わらないのだ。


 何よりも、常に一鬼の傍に居るということは紫鬼に対しての大きなアドバンテージになる。

何かあれば一鬼を盾にすれば良いし、最悪彼を人質にして紫鬼に自殺を迫ることも選択肢にできるだろう。

いかに超越者といえども『虹色の肋骨』である已上、宿主と言う足枷からは逃れられない。

『虹色の肋骨』が動けるのは、宿主を中心にした一定の距離以内のみなのだ。

その範囲の外側から脅せばどうとでもなる。


 一鬼が宿主であれば、二重の意味で美味しい訳だ。




「それは無理よ……私は貴方以外を宿主とは認めないわ」


「ならば、選択肢は二択だ。お前はどうする?」


「……私は……」


「今すぐ答えを出せとは言わない。だが、いずれまた聞く。もっと重要な話を先にしておこう」


「もっと、大事な話?」


「そうだ。俺は、明日全てを知る。その果てに俺は大きく変わるだろう。その時、お前を殺してしまうかもしれない。決別してしまうかもしれない。今の俺には、その未来は分からない。だが、もしもその時お前を受け入れることができるのならば……お前は傍に居てくれるか?」


「……えっ?」



 一鬼の言葉に、碧は非常に間の抜けた声を出した。

その新緑の眼が驚きに見開かれ、しかし同時に赤い舌がその魅惑的な桜色の唇を舐めたのを、彼は見逃さない。

彼女にとって、彼の提案は願ってもないものであることは間違いなかった。

しかし、それでも彼は彼女にその言葉を告げることにしたのだ。


 理由は簡単……紫鬼のことだ。

一鬼は今の処兄であり、超越者でもある紫鬼を味方と見ている。

だが、過去を知った上ではそうはならないかもしれない。超越者に対する見方も変わってしまうかもしれない。

超越者に対する尊敬の念は消えないだろうが、しかし敵対する可能性はある。


 その時、彼には共に立ち向かう仲間が必要だ。




「俺はまだ紫鬼のことを良く知らない。明日全てが分かった時、紫鬼やブルー・シャーマンを敵とみなす可能性もある。その時、共に戦って欲しい。しかし、もしもお前と決別することになるのならば……その時はお前の新しい宿主を探そう」


「嫌よ……」


「なに?」


「貴方以外の宿主なんて、私は嫌。貴方と敵対するのも嫌。貴方と離れるのも嫌。ねぇ……今ならその小娘の心臓を貫くことでブルー・シャーマンを葬れるわ。紫鬼だって、貴方が望めば間違いなく、その命を投げ出す……奴はそういう戦士よ。貴方を守れなかった超越者なんて、どうでも良いじゃない。お願い……私を選んで」


「……碧。お前は……本当にどうしようもない女狐だな」


「――!? ぐっ!?」



 一鬼は碧の首を片手で掴むと、そのまま立ち上がった。


その際既に寝入っていた愛梨と美空を起こしてしまわないように気を付けると、彼は扉に向かう。

背後にブルー・シャーマンが現れたことを気配から察すると、彼は身振りで二人と頼むと告げ、部屋を出た。

苦しそうにしながらも、しかし目に怯えを多大に含んで反撃してこない碧を片手に、彼はゆっくりと暗闇の中を進んでいく。


 一鬼は碧を戦士としてでも女としてでもなく、妖狐として見る必要があると理解した。

彼女は彼に付け入る隙があると分かるや否や、甘い声で彼にしな垂れかかり、超越者を切り捨てろとほざいたのだ。

彼が超越者を尊敬していることを知らない筈があるまいに、そのような行為に及んだことに彼は激怒した。

今の彼ならば、その気になれば碧を殺せる。それだけの力を彼は既に得ている。

だが、碧の尋常ではない怯えはその力に対してではない。


 一鬼が鋭い眼を向けると、びくりと体を震わせる碧の姿は、まるで飼い主に捨てられるのを恐れる飼い犬のようだ。

だが、飼い犬は飼い主に誰かを切り捨てろなどとは言わない。今彼の目の前で怯えているのは、もっと性質の悪いものだ。

妖狐が何故そこまで嫌われているのか、彼は今まで不思議で仕方なかったが、その理由の一端を今垣間見た。


 妖狐は超越者とそりが合わない……それも絶望的に。




「何だ、その眼は。お前は俺の飼い犬なのか? その首輪は俺への従属の証なのか? 違うだろう。違う筈だ……お前は、どうして……そんな目をする」


「ぐっ……お願い……捨て……ないで……次は……失敗しない……から」


「次? 何が次なんだ? 何をお前は失敗したんだ? 碧……殺戮者よ、お前は俺に何をさせたい? 俺から何を得たい? 答えろ……さもなくば、今後お前を名前では呼ばない」


「っ!?……ただ……傍にいて……くれたら……」


「嘘だな。お前は俺に兄殺しをさせようとしている。尊敬している者達を手にかけろと言っている。お前は、本当に……どうしようもないバカだ」


「ゲホッ!!……かず……き……」



 碧の首から手を離すと、一鬼は碧を見下ろした


首が解放されたことで咽ながらも、眼尻を若干の涙を浮かべて彼女は彼を見上げている。

その新緑の眼に多大な恐れを内包し、彼女はただただ彼の名を呼ぶのだ。

お願いだから捨てないでと、その眼が、仕草が、声が、彼に纏わりつく。彼に縋りこうとする。

それが更なる彼の怒りを呼ぶとも知らずに。


 怒りの余り拳を握りしめた一鬼であったが、その腕を上げはしない。

彼に必要なのは碧と話し合いで一つの決着をつけることであって、力による決着ではないのだ。

拒絶する時はせねばならないが、最初から全てを拒絶するようでは話が進まない。

故に、彼は怒りを抑えて話を続けることにした。




「はっきりと言っておく。俺にとって、お前は今まで生き残るのに必要な力だった。美空達を守るのに必要な力だった。だが、紫鬼やブルー・シャーマンが傍に居れば、話は別だ。お前は必要なくなる……しかし、俺は超越者達に対するカードとしてお前を手元に置いておきたい。明日俺がお前を選ぶか、ブルー・シャーマン達を選ぶかは分からないからな」


「ケホッ……つまり……私は……貴方にとって、都合の良い存在であれば良いのね?」


「……そう、なるか。勿論お前の妹は必ず探す。その後のことは、どうなるか分からないが」


「構わないわ。私は……貴方の傍に居ても良いのよね?」



 熟考処か、考える素振りすら見せずに碧はそう言った。

一鬼もそうなるであろうことを薄々予感してはいたが、その余りの速さに内心驚く。

彼女にとって彼の提案がそれ程良い条件であるかと言われたならば、そのようなことはない。

しかし、それが現在最良とも言える選択肢なのだから仕方ないという面もあるだろう。


 だからこそ、一鬼も碧が悩みながらも肯定するであろうことは予想していた。

しかし、余りにも速過ぎる彼女の決断が、縋るようなその新緑の眼が、彼を不安にさせる。

恐らく……いや、間違いなく碧は覚悟しきれてない。彼や超越者のように、覚悟しきるということができていないのだ。

だから揺らぐ。だから怯える。だから、戦士になり切れない。


 それこそが、一鬼達と彼女の違いだ。




「今は肯定も否定もしない。明日、全てを知ってから話そう……その時までは我慢して欲しい。この心臓に誓って、明日決めて見せる」


「……待っている、から」


「ああ、待っていてくれ……結果はすぐに分かる」



 一鬼は内心碧との決別を覚悟し、ブルー・シャーマン達との決別も覚悟する。


ブレ過ぎる碧に対する尊敬は明日完全に消え去るだろう。ブルー・シャーマン達と敵対する可能性もあるだろう。

その時、彼は一人で戦わねばならない。だが、そうはならないという予感も彼にはあった。

寧ろ、ブルー・シャーマン達超越者との絆は深まり、碧に対する考え方は良い方向に変わるかもしれない。

今はまだただの予感でしかないが、恐らくそれはすぐに現実に変わる。


 一鬼が昔から持っていた第六感のような感覚は、絶対的な死を感じているが、同時にそこに救いも感じていた。

近い将来、彼はインディゴの時とは比べ物にならない圧倒的な死に直面するだろう。

そして、その場合敵対する者はブルー・シャーマンか紫鬼しかあり得ない。

どちらもが、圧倒的過ぎる能力を持っている超越者であり、一鬼を簡単に殺せる実力者でもあるのだから。


 だが、その敵対が益々絆を深めるような気が、彼にはするのだ。

矛盾しているが、絆を断ち切る為ではなく、守る為に彼らは戦うことになると、おぼろげながら彼は予感している。

その先にこそ彼の救いがあるのかもしれない。彼が求めていた光があるかもしれない。

死の果てにしか救いを得られないとしても、彼は構わなかった。


 彼は明日過去を手に入れ、そして最後には未来を手に入れるのだ。


 そして―――その代わりに彼は今を失う。











 佐藤羽月は、不意に渇きに襲われて目を覚ました。


 いつものように激痛によって目覚めるのではなく、渇きによって目が覚めるのは彼にとって初めての出来事だ。

勿論ただ喉が渇いた為の覚醒ならば、彼も今まで何度か経験したことがある。

だが、今回のそれはまるで違った……喉が渇いたのではなく、生命の源が枯れていく感覚が、彼を目覚めさせたのだ。


 全身から溢れ出す汗を拭いながら、彼は用意しておいた水と薬を取り出して、無造作に薬を呑み込んだ。

襲い掛かる渇きは喉を潤しても癒えず、ただただ彼の体力を、生命力を奪っていく。

何が起きているのか分からないまま、彼は立ち上がろうとして、そのままこけてしまう。

まともに立つことすらままならず、彼はただ荒い息を吐きながら、仰向けに横たわることにした。


 そして、見てしまった―――彼を見据える藍色の瞳を。




「なっ!?……ぐっ……」



 それが何であるかに気付く前に羽月は首を絞められ、そのまま持ち上げられる。


彼は何が目の前で起きているのか理解できず、ただただ唖然とする。目の前に居る者に、驚いた。

灼熱のように真っ赤な癖のある長髪に、胴体と脚部に鎧を纏い、左腕にガントレットをしているその姿は、彼の良く見知ったものだからだ。

本来その眼は彼の親友である一鬼に似た赤いものである筈なのだが、何故か今は藍色になっていた。


 その感情が欠落した顔は、明らかに異常を感じさせるもので、羽月は背筋が凍るのを感じる。

首を絞める力は益々強まり、少しずつ意識が薄れていくのを彼は自覚していた。

しかし、それでも力を振り絞って彼は足を振り、その顔面に思い切りぶつける。

その綺麗な蹴りは顎にクリーンヒットし、人間ならば脳がぐらつくであろう一撃を加えることに成功した。


だが、目の前に居る者は少しも揺らがず、じろりとその足を睨みつけると、もう片方の腕でその足を掴み……半ばでへし折った。




「ぐっ!?……ああああああああ!?」



 羽月は苦痛の余り、絶叫した。


一年前からあった筈の痛覚の麻痺は何故か働かず、一年ぶりに頭痛以外の激痛が彼を襲う。

反射的に流れる涙を拭うことすらできず、彼はただ絶叫し、それを相対する者は静かに見守る。

やがて、その者は息切れした羽月の左腕を掴むと、同じように握りつぶす。

それに対してもはや彼は声にならない叫びをあげるしかできず、全身を震わせて叫び続ける。


 苦痛の余り暫くの間荒い息をあげていた彼だったが、苦痛に耐えながらも言葉を紡いだ。




「はぁ……はぁ……何故……だ……緋蓮……何故……」


「……私は、光を手に入れる。その為に、食われろ……青年。いいえ、佐藤羽月……一鬼の親友さん」


「!?……お前は……まさか……」



 驚愕に目を見開く羽月の前で、襲撃者―――緋蓮の形が変貌していく。


メキメキと音を立ててその腕が、足が、胴体が、頭部までもが形を変えていき、彼の背筋を凍らせる。

そんな彼を嘲笑うかのようにその口角は歪み、やがて彼女は一つの形を得た。

艶やかな灼熱の髪は片口にまで縮まり、サラサラとした癖のない髪質へと変化している。

その灼熱の髪の毛と同化するように頭の上に二つの大きな狐の耳が生え、時折震えるように動く。


更には、その顔も以前の彼女とは比べ物にならない程に整ったものに変わり、より健康的で、妖艶な雰囲気を感じさせる桜色の唇を血のように赤い舌が舐めた。

腰の当たりからはふわりとした赤い尻尾が生え、時折揺れている。

その姿を彼は知っている……色は違えども、その姿は紛れもなく彼の親友の妖なのだから。




「あ……ぐあああああ!?」



 次の瞬間、その整った顔が歪み、彼の左腕を噛み千切った。

骨を噛み砕く音が、肉を引き裂く音が彼の鼓膜を刺激し、吐き気を催す。

噴き出す血が部屋を濡らし、真っ赤に染め上げていく。赤、赤、赤……赤が彼の世界を満たしていく。

その中でただ一つ赤ではない彼女の眼が……インディゴと同じ藍色の眼が、彼を見て歪む。


 その鋭い牙がついに胴体に及んだ時―――彼は意識を手放しだ。












 早朝、一鬼は突然感じた気配に目を覚ました。


 あの後、いつの間にか寝入ってしまっていたことを悟った彼は内心頭を抱える

幾ら死線を越えたとはいえ、そこまで疲労は堪っていない筈だったのに、彼は寝てしまったのだ。

腕を組んで静かに佇むブルー・シャーマンの存在に気付いた彼は、静かに会釈した。

彼が眠っている間も、この超越者は彼達を見守っていてくれたのだ。


 不甲斐ないことに、いつの間にか寝てしまっていた彼は、感謝するしかない。




「……ブルー・シャーマン、感じたか?」


「ああ、丁度今そのことで起こそうと思っていた処だ」



 現在町に存在する妖は五体の『虹色の肋骨』と愛梨、一鬼だけである筈だ。

しかし、その中の気配の一つが大きくその質を変えた。昨日消えた筈の贋作の妖の気配が、そのうちの一つと混ざり合っている。

インディゴは間違いなく紫鬼が殺した……それは間違いない。

一鬼も、インディゴの気配が完全に消滅したのを昨夜確認している。


ならば、今彼が感じている気配はいったい何なのか?……それに応えられる者は幸いすぐ傍に居た。




「いったい何が起きているんだ? これは……インディゴと……緋蓮の気配が混ざり合っている?」


「インディゴ……贋作の妖の本質は再現……つまり模倣だ。同じ模倣を本質とするシェイプシフターの体を乗っ取ったという処か。実はお前が怨念によって寝込んでいた時に、奴の再現した出来損ないの妖の襲撃を受けてな。その時に仕込まれたのだろう」


「……何だと?」



 ブルー・シャーマンの言葉に、一鬼は驚愕した。

彼が怨念を受け入れて苦しんでいる間にそのようなことがあったなど、愛梨も羽月も教えてくれなかったのだ。

思えば、昨夜羽月が緋蓮の調子がおかしいと言っていた時に気付くべきだったのかもしれない。

だが、あの時はインディゴ討伐のことを優先していた為、後回しにしてしまった。


 そのツケが今回ってきたのだ。




「今までは気付かなかったのか?」


「可能性は考慮していた。だが、実際に起こってしまうとはな」


「……羽月が危ない。愛梨達を頼む」


「承知した。片を付けてこい」


「済まない」



 一鬼はブルー・シャーマンに礼を言うと、すぐさま着替えを手に部屋を出た。


 動きながら着替えて、着替え終わった後は脱いだ服を一ヶ所に纏めてそのまま玄関に向かう。

靴を履いて靴紐を固く結ぶと、彼はそのまま玄関を出て、鍵を閉めてすぐさま駆け出す。

まだ時間は朝の五時……起きている人間はそう居ないと踏んだ彼は、一気に跳躍した。

例え彼が空中を走っていても、大多数の人間はそれを幻だと思うに違いない。


 一鬼は不安と期待を感じながら、進んでいく。

彼は内心、羽月が既に手遅れになっている状態を恐れ、同時にそれが彼のリミッターを外すことを期待していた。

守護者として親しい者を守ろうとする精神と、復讐という手段を手に入れることに心躍らせる破壊者の精神が、彼の中でぶつかり合う。




「……っ!」



 一鬼は己がいかに不謹慎なことを考えているかを理解している。

羽月が死んでいたとすれば、彼自身が間違いなく苦しむことも分かっている。

だが、それでも彼は同時に羽月の死によって己のリミッターが解放されることを望むのだ。

守るべき者を失うことで、彼は変わりに復讐という新たな目的を手に入れる。

それを何処かで望んでいる己が居ることを、彼は理解し始めていたのだ。


 一鬼も、つい最近になって漸く己自身を理解できるようになった。

彼が守りたいのは誰かではなく、己の信念だ。守護者としてありたいと思っているだけだ。

美空を守るのは、明と夜空がそれを望んだからだ。彼女が、彼を愛してくれた者達の愛の結晶だからだ。

彼が今ここに居るのは、美空や明が居るからであって、彼らは一鬼にとって大切な存在だ。

それらは彼にとって救いでもあり、同時に枷でもある。


 大切な者達を守る為に一鬼は神谷一鬼であり続けた。

しかし、彼は今や妖となる道を選び、その理由が家族の為ではなく己の為だと自覚している

本当は、ただ守り続けることに疲れ始めているのだ。ただ背負うことに飽き始めているのだ。

それでも彼は背負い続ける。一度背負ったものを最後まで背負い続けると決めたが故に。


 彼は本心では、それからの解放を望んでいるのだ。




「……あそこ……か……?」



 一鬼は己の中で死闘を繰り広げる守護者と破壊者の精神を抑え込みながら、羽月の家を確認すると、驚愕した。

羽月の部屋がある筈の場所が半壊しており、彼はそれが意味することを理解すると、そのままそこに突っ込んだ。

既に一トンを超えた彼の体重は、彼がほぼ無意識に生み出せるようになった足場が支える。

彼は辺りを見渡そうとして、辺りを染める赤黒い血と、濃い血の匂いに気付く


 そして、その中心には―――肉体の殆どを失った状態の羽月が居た。




「……羽……月……」


「……一……鬼……か?」


「!……羽月、まだ息が……」


「やっぱり……最、後は……お前か……」


「もう喋るな……」



 一鬼は血まみれの部屋の中を進み、羽月の傍に膝をついた。


その際も彼は足場を己の力で生成し、その場所に証拠は残さないように気を付ける。

羽月の肉体は下半身を完全に失っており、上半身も肥大半分が引きちぎられ、おまけに……心臓と肋骨がなかった。

明らかに即死レベルの失血と損傷であるにも関わらず、羽月はまだ息がある

それが意味することに薄々気づきながらも、彼は光を殆ど失っている羽月を見据えた。


 今にも光を失いそうな羽月もまた真っ直ぐに一鬼の赤い眼を見据えている。

そこには確かな意思があり、伝えようとする何かがあり、彼はそれを聞き取るべく身を乗り出した。

声は弱弱しく、はっきりと聞き取る為に彼は耳を澄ませ、静寂の中で羽月が次の言葉を紡ぐのを待つ。

やがて、羽月はゆっくりとその口を開いた。




「俺……父……さん……が……欲し………」


「……知っていた。お前が俺を父の代わりにしていたことも。お前が俺を超えようとしていたことも。安心しろ……俺はお前の気持ちを知っている」


「そ……か……すま…い…な……い、つも……後……始末、ば…………り……緋……蓮を……赤の……あや………し……を…止め……て……くれ」


「ああ……分かっている。奴は俺が始末をつけておく」



 心臓を失い、ほぼ全ての血を失った今の羽月が生きているのは、ありふれた言葉で表すのならば奇跡である。

しかし、一鬼はそうは思えない。今の彼には見えてしまう。分かってしまう……羽月の頭部の奥に宿る怨念の存在が。

その頭部の奥底から滲み出る怨念が……『作為的に埋め込まれた怨念』が、羽月を生かしていたのだ。


 一鬼には、その怨念がつい先程埋め込まれたものではなく、かなり前に埋め込まれたものであることが分かる。

それが既に死んでいた筈の羽月を生かしていたのだ。残された脳の分を期間限定ではあるものの、妖化することで。

完全に妖化することはできないが、一定期間の間だけ……ほんの少しの間だけ、生かすことくらいはできるだろう。


 何せ、その怨念は一鬼を苦しめた、纏わりつくような怨念そのものだったのだから。




「最……後に……ゲホッ! たの、む……苦し……だ……楽に……して……くれ」


「ああ、分かっている。だから……もう休め」


「あ……が……とう……」


「……さらばだ」



 一鬼は怒りに震える拳を握りしめ、寸分の互いもなく―――羽月の頭部を粉砕した。

圧倒的な威力の一撃が脳内の奥底に巣食う怨念を破壊し、同時に虫の域だった羽月に止めを刺す。

最後の瞬間、最高の笑顔を見せた羽月の顔はもうそこにはない……あるのは、ただの肉片のみだ。

もう親友の姿はそこにはない……あるのは、彼が殺した親友だった物のみだ。


 一鬼はそれを前に静かに立ち上がると……そのままある方向に向かって跳躍した。

余韻は無い。必要ない……大切な者を自らの手で殺した時に必要なのは余韻ではなく、罪悪感のみだ。

今一鬼に必要なのは、彼を内側から燃やし尽くさんとする圧倒的な怒りを、向けるべき相手に向けることである。


 一鬼は先程までの己の考えが浅はかだったと思い知らされた。

守るべき者から解放されたがっていた己が居たのは事実だ。

しかし、そんなものは失うことを知らなかったが故の愚考に過ぎなかった。喪失を風化させた者の愚行に過ぎなかった。

一矢が死んだ時、彼らに『虹色の肋骨』などを埋め込んだ者への復讐を願った筈だった。

それを彼は忘れかけていたのだ。忘れてはいけない復讐を風化させていたのだ。


 彼はそんな己を忌々しく思いながら、口を開いた……彼が今から復讐すべき相手の名を呼ぶ為に。




「インディゴ……贋作の妖」


「ふふ……光。選ばれし子……昨日振りね」



緋蓮と同じ灼熱のような赤毛は何故か片口までの長さしかなく、直毛になっている。

更にはその頂には二つの狐の耳が生え、腰の当たりではふさふさとした尾が揺れていた。

その姿は色こそ違えども、余りにも碧に似ている……服装までも色違いなだけで、まるで同じだ。

ただ、その藍色の眼だけが異質さを感じさせ、同時にその人格が誰なのかを如実に表す。


 屋根の上に立つ彼女は……緋蓮だった何かは、その碧と瓜二つの顔で微笑み、碧と同じ声で、同じく口調で彼に語り掛けてくる。

それに寒気を覚えながらも、彼は一つ大きな問題に気が付いた。風に合わせて彼女の服や髪の毛が揺れているのだ。

そう、今彼の目の前に居るインディゴは……緋蓮の肉体を奪った贋作の妖は、実体化している。


 その内部から感じる昨夜と同じ気配に、彼は握り拳を作った。




「インディゴ、その姿はなんだ? その声はなんだ? その口調は何だ? お前の目指すものは超越者であった筈……ブルー・シャーマンや紫鬼を真似るべきではないのか?」


「私はインディゴでもあり、緋蓮でもあり、碧でもあるわ。私は……貴方が欲しい」


「笑わせてくれる……俺の親友を殺しておいて、言い出すことがそれか」


「貴方の光があれば、私は超越者になれる。貴方の光があれば、碧を倒せる……緋蓮はそれを望んでいるわ。私もそうよ」


「……理解に苦しむ」



 一鬼は灼熱の如き熱を放つ怒りを感じながら、吐き捨てるようにそう言う。

インディゴでもあり、緋蓮でもあり、碧でもあるという言葉はただの言葉遊びに過ぎない。

一鬼が感じている気配は、飽くまでインディゴを内包している緋蓮であり、碧の要素が一つもないのだ。

確かに容姿は色を覗けば瓜二つだが、似ているのは容姿だけで。肝心の気配はまるで異なる。


 一鬼は怒りの余り全身から溢れ出す熱に、世界が歪んでいくような錯覚を覚えた。

目の前に居る緋蓮でもインディゴでもない何かを破壊し尽くす為の力を欲し、それに応えるように湧き上がる力が、彼を包み込んでいく。

一矢が死んだ時の痛みを思い出し、羽月をその手で殺した痛みを思い出し、彼はその力を受け入れる。

目の前に居る何かは、今の彼でならば苦戦することはないだろう。

所詮その程度で、昨夜のインディゴと比べれば大したことはなかった。




「緋蓮はね……本当は妖狐に、碧に憧れていたの。圧倒的な強さで一気に伝説になった、殺戮者と呼ばれた戦士……いつかそんな存在に己もなりたいと思っていた」


「ほぅ……さも事実のように語ってくれる。姿形処か中身も借り物か?」


「ええ、私は借り物……緋蓮の碧への憧れと、復讐心がインディゴの残した怨念を利用して生まれた名無し……それが私。私は己を手に入れる為に緋蓮の宿主を食らった。私自身の生を得る為に。だけど……このままいけば私は『彼』の力に負けて、己を失ってしまう。仮初の最強でしかなかった碧ではなく、本当の最強だった紫の鬼の肋骨一本は、私の何全倍もの力があるから」


「……だから?」


「だから、私は貴方を欲する。貴方という光で以て、あの最強の守護者の闇をかき消す」



 それは、藍色の眼を真っ直ぐに一鬼に向けて、己を語りだす。

しかし、そんなもので彼は揺らがず、寧ろそのような未熟なものに羽月が弄ばれたことが怒りを強めていく。

元来彼がそれの話を聞く必要はないのだ。ただ、羽月を死に追いやった者の正体を知りた勝ったが故に、彼は話を聞いていた。


 その話も、聞けば聞く程に一鬼を空しくさせ、その怒りを強めていく。

インディゴの残した怨念が緋蓮を蝕み、そのどちらでもない存在を確立させた。

そして。その存在が己の生を得る為に羽月に宿る紫鬼の肋骨を奪い取り、死に追いやった。

それが、事の顛末……実に子どもらしい、残酷な理由だ。無邪気な者の考える解決法だ。

今彼の目の前に居る存在は、羽月の肋骨に宿り続けること……共存ではなく、完全に己が自由に行動できる選択肢を取ったということになる。


 それが羽月を殺した……一鬼に親友の止めを刺させた。

ただ自由に生きたい。インディゴでも緋蓮でもない己の生を生きたいという願いから、それは羽月を食ったのだ。

そして、今それは紫鬼の肋骨の力に負け始めており、それをどうにかする為に一鬼を欲している。

何処までも真っ直ぐで、純粋で、残酷で、愚かしいそれに、この状況に、彼は情け容赦という概念を少しずつ捨て去っていく。


 目の前の存在は絶対に殺す……そう決定した。




「この体では……緋蓮では、『彼』の骨を取り込んでも八尾程度が限界だった。インディゴも、九尾に届く程の力は得られなかった。だけど、貴方の光さえあれば……紫の妖の力すら超えることができる。あの星々に手が届く。碧を容易に殺せる」


「成程、混ざっているというのは本当のようだな。しかし……無理だ。お前達の言う光が何なのかは知らんが、お前達では超越者にはなれない。超越した者達は……なるべくしてなった者達だ。お前はその中に含まれていない」


「ふふ……貴方を食えば、話は別よ。私は貴方を食らって、超越する……誰も見たことのない領域に辿り着く」


「……させると思っているのか?」


「力づくでも……させて貰うわ!!」



 音を置き去りにする程の速度で、それは拳を放った。


傍から見れば惚れ惚れする程に美しく、流れるような動作で繰り出される拳……それすらもが碧の模倣だ。

まだそこまで多く拳を交えた訳ではない一鬼ですら理解できてしまう……今目の前にある拳は借り物のものだと。

確かに美しいかもしれない。確かに完成されているかもしれない。


 だが……一鬼にはその拳が酷く醜いものに見えてしまう。

ただの芸術でしかないその拳は余りにも正直で、素直で、彼の眼は容易にその先の未来を読む。

このまま拳が進めば、彼は心臓を貫かれて死ぬだろう。

だが、その未来を変えることが十二分に可能なだけの能力を彼は有していた。


 しっかりとその拳を己の掌で受け止め、一鬼は表情を歪める……その拳の軽さに。虚しさに。

ただ眼を見開くそれを見据えながら、彼は周囲の建物の窓ガラスが割れる音を耳にした。

遅れてやってきた風が荒れ狂い、空気を震わせ、彼らの頬を撫でる。

時が緩慢に流れ、一瞬一瞬が永遠に感じられるような錯覚を、彼は覚えた。




「……バカ……な。一時的とはいえ、八尾を超えている筈の私の拳が……何故……」


「お前の拳は……軽過ぎる」


「――!!……この……っ!」


「無駄だ」



 掴まれていない方の拳で再び心臓を狙ってきたそれの動きは、一鬼にとって余りにも緩慢だ。

緩やかに流れる時の中、彼はその拳をもう片方の掌で掴む、同じくその場に完全に固定する。

万力のような力が籠っている筈の拳は、実際に掴んだ彼に途方もない空虚を感じさせていく。

その拳は命がけで戦うには、余りにも軽過ぎる。遅過ぎる。覚悟がそこにはない。信念も、願いすらも。


 空虚な存在でしかない目の前のそれが親友を死に至らしめたというのが、一鬼には許せなかった。

このような空っぽの存在に羽月は殺され、しかし死ねなかった……脳に埋め込まれた怨念がそれを許さなかったのだ。

その怨念は一鬼が背負ったものであり、同時に彼が復讐すべき相手を示す目印でもある。

己の拳で親友に止めを刺した苦痛を、怒りを解き放ち、彼は目の前に居る何者にもなれない存在と、全てを仕組んだ黒幕を八つ裂きにすることを決定した。




「……まだ……!」


「いい加減にしろ」


「……っぁああああああ!?」


「お前のような奴に羽月が……俺は許さない。同じ痛みを味わえ」


「っぎぃいい!?」



 まだ諦めずに今度は足で攻撃をしようとするそれに対して、一鬼は迷うことなくその足に蹴りを見舞う。

後出しであったにも関わらず完全に決まった彼の蹴りは、そのまま容赦なくそれの足の筋肉をズタズタに引き裂き、骨を粉砕した。

痛みの余りに悲鳴を上げるそれに構わず、一鬼は更に握っていた拳を握りつぶす。


痛みの余り奇声をあげるそれを、一鬼は許さない。

流れるような動作でそれの両方の二の腕を掴み、再び握りつぶす……肉をすり潰し、骨を砕く。

藍色の眼に大粒の涙を浮かべるそれの姿に彼は更に怒りの炎を燃え上がらせ、握りつぶした両腕を引っこ抜いた。

それに伴って噴き出る血が彼を濡らし、それ自身をも赤に染めていく。




「っぎ!?」


「生まれたばかりなせいか、痛みには慣れていないようだな……」


「やっ……止め……がっ……~~~!?」



 一鬼はそのまま折れている足に手刀を繰り出し、切断した。

更に悲鳴を上げるそれを無視して、彼は残る片足の太腿に爪を立て、そのまま引き裂いていく。

肉を引き裂き、骨を粉々にし、彼の指はそのまま圧倒的な握力で以て大腿部から最後の四肢を引き裂いた。

もはや戦士として戦うこともままならないであろうその姿に、しかし彼は満足しない。


 そのまま肩口を片手で掴んでそれの体を固定すると、一鬼はそのまま拳で、それの腹部を貫いた。

貫通はさせず、内部を指でかき回して、引き裂いて、すり潰して、内側からボロボロにしていく。

もはや声もまともに出せない状態でそれは悶絶し、ただ彼に為されるがままだ。

その傷口から血潮がシャワーのように彼に降りかかり、彼を真っ赤に染め上げていく。


 それでも、彼は止まらず、そのまま肋骨を折って漸く手を抜いた。




「えぐっ……どう……して……ひぐっ……まだ……覚醒……していない……筈……なの、に……」


「……確かにお前はインディゴでも緋蓮でもない。どちらの信念もお前からは感じられない。お前は空っぽだ。何もない……器すらお前は持たない」


「……貴方も、そうでしょう?」


「俺個人ならばそうかもしれない。だがな……俺には守るべき者達が居る。守りたいものがある。俺には……理由がある」



 一鬼は真っ赤に染まった拳を握りしめると、そのまま片手でぐったりとしたそれの首を掴んだ。

昨日碧にそうしたように、彼はそのまま首を締め上げ、碧と色違いの眼と髪を持つそれを見据える。

その藍色の眼に強い意思はなく、ただただ驚愕と恐怖が入り混じっている。

弱弱しい光を放つその眼に、碧の姿が重なり、彼は更に首を絞める力を強めた。


 既に全身を返り血で真っ赤に染めた一鬼は、ただ復讐の為に己が牙を向く復讐の鬼だ。

目の前に居る仇を倒すまでは止まらないし、止まれない。それを止めてしまえば、彼の時間はここで止まる。

復讐は前に進む為に行うものだ。止まってしまった時間を進める為のものだ。

彼は親友を失った痛みを、己の手で親友を殺した痛みを、目の前の仇にぶつけていた。


 暫くの間泣き叫んでいたそれを眺めている一鬼であったが、それが収まった頃に次の行動に出る。




「ぐっ……そんなこ……ひぐっ……しか……存在意義が……ないの?」


「そうだ。俺はそんなことでしか、己に存在意義を見いだせない」


「……虚しい……ね……」


「ああ、分かっている。だが、お前には―――関係のない話だ」



 一鬼はそれの胸目掛けて拳を繰り出し、遂にその胸を貫いた。

拍動する心臓を掴み取り、その生温かさに顔を歪めながらも彼はそのまま心臓を握りつぶす。

彼が今までずっと望んでいた愉悦の瞬間が訪れた筈だった。心地良い筈だった。

だが、実際に彼の心を支配するのは虚しさと怒りのみで、心地良さなどない。愉悦などない。


このままでは何一つ解決しない……何も変わらない。

彼が己の全存在をかけて遂げようとした復讐ではあったが、実際には酷く呆気ない幕引きであった。

確かに復讐は遂げたかもしれない。羽月の仇は取ったかもしれない。

だが、同時にここまで簡単に倒せるような相手が羽月の未来を潰したのだという事実が、彼に空しさと遣り切れなさを感じさせるのだ。


 このような矮小な存在が、彼の大切なものを奪ったという事実は、どうしようもない遣り切れなさを彼に押し付ける。




「この程度なのか!? お前は、紫鬼の骨を取り込んでおきながらこの程度で……」


「私……空っ……ぽ……だ……か……ら……」


「……っけるな……ふざけるな!」



 心臓を失ったそれは薄ら笑いを浮かべたまま彼を見つめ、やがて動かなくなった。


満たされない復讐心に、虚しさに、彼はその業火の如き怨念を解き放つ。今まで抑え続けた感情を吐き出す。

彼は十九年間もの間、神谷一鬼として神谷明と夜空が望む子であろうとした。人間であろうとした。

彼が感情を抑え続けたことがやがて麻痺へと繋がり、いつからか彼は感情が鈍ってしまったのだ。


それを今この瞬間初めて、彼は解き放つことができた。風化させずに解き放てた。

周りを傷つけない為に抑え続けた感情を、処理しきれない業火を、彼は初めて外に出すことができたのだ。

それに呼応するように彼の体から発生した虹色の炎が、もう動かない偽物を包んで、天へと誘う。

虹色炎に包まれて燃えていくそれを眺めながら、彼はただ襲い掛かる感情の波を開放した。


 彼の怒りに呼応するかのように彼を包み込む虹色の炎は、その勢いを弱めない。




「なんで……こんなに……脆い。何故だ……何故……こんなにも辛い」


「一鬼……」


「碧……今は何も言うな。慰めは必要ない。同情も必要ない」


「でも、そうやって一人で溜め込んでいたら、いつか貴方は……」


「大丈夫だ。俺は……鬼なんだ。たった一人でも、どんなに孤独でも最後まで倒れない鬼でなければならないんだ」



 傍に現れて、心配そうに声をかける碧に近づくなと身振りで示すと、彼はそのまま炎が収まるのを待った。


一鬼にとって、己の名は呪いであり、願いだ。両親が、紫鬼が遺した怨念だ。

神谷一鬼という人間の父である明が、母である夜空が、彼に一人の鬼となる強さを持てと願った。

一鬼という妖の兄である紫鬼が、一鬼という名を彼に名付けた。それを両親は何かしらの手段で知り、名付けたのだろう。

彼にとってその名こそが彼そのものであるべきで、そうありたいという思いがある。


 彼は鬼でありたい……鬼でなければならない。

誰かに慰められて初めて存在できるような脆弱な存在ではなく、たった一人でも進める強さが必要だ。

彼は今まで他者に頼ることを良しとしてきたが、これからはそうはいかない。

今日ブルー・シャーマンの能力で全てを知った後は、己の足で立ち上がり、進まねばならない。

手を借りることに慣れ過ぎれば、やがて己自身のみで進むことを躊躇してしまう。


 他者の優しさに甘えてしまえば覚悟が揺らぐかもしれない……だから、彼は己で己の感情を、痛みを処理するのだ。




「……行くぞ。ブルー・シャーマン達が待っている」


「……もう、良いの? 佐藤羽月のことはどうするつもり? それに、その親族のことは?」


「あの家には……生者はいない。羽月は俺が止めを刺した。綾子さんは……もう食われている。ならば、俺には今は関係のないことだ」


「……そう。分かったわ」



 多くを語らずに頷く碧に内心感謝しながら、髪の毛に触れた水滴に一鬼は空を見上げた。


いつのまにか空は曇り始め、既にまばらではあるが雨が降り始めていた。

いつだって、彼の心が澱んでいる時は雨が降っている。一矢が死んだ時もそうだ。

怒りを、悲しみを必死に抑えたにも関わらず溢れ出してしまった時、彼はいつも雨の中に居る。

雨の日というものは妙に憂鬱になる……そう思う人は根本的には根暗な人間だそうだ。


 滑らかに壁を流れていく滴に美しさを見出せはしても、空から降り注ぐ雨は肉体から熱を奪っていく障害だ。

五感で以て雨を楽しむのは如何せん代償が大きく、太陽の光に曝されるよりもずっとリスクが高い。

要は、人間にとって雨とはあまり都合の良いものではないということだ。


 だが、妖である一鬼には関係のないことだ。

雨が熱を奪うからこそ、彼の奥底で燃え盛る業火もほんの少しだけその勢いを弱める。

雨が熱を奪ってくれるからこそ、彼は溢れ出しそうになる熱を発散することができた。

まさしく恵みの雨と言える空だけが、彼の心の拠り所となり得る。

彼は誰にも心的に依存するつもりはない……ただ、自然という壮大なもの以外には。


 鬼はそうあるべきなのだ……心の中に持つ神は自然そのものであるべきなのだ。




「帰ろう……この雨が全てを洗い流している間に」


「ええ……そうね」



 雨脚が強まり、全てを洗い流さんとするかのように彼らの世界を覆う。


一鬼はその中でも体温を失わず、寧ろ過剰な体温を雨が奪っているという事実に感謝する。

蒸気を上げて雨を蒸発させていく己の肉体に、更にはその理由に彼は思いを馳せ、一歩を踏み出した。

羽月の亡骸がある場所を振り返りはしない……すぐに誰かが異常に気付くだろう。


羽月を殺した彼に、あの場所に再び赴く権利などない。

いくら雨が血を洗い流しても、彼の拳にこびりついた肉を潰し、骨を砕き、脳髄を破壊しつくした感触は消えないのだ。

羽月の怨念は確かに彼の心臓に宿った。もう消えてはくれないし、彼が消させはしない。

欠けたものを必死に取り戻そうとした親友の分まで、彼は己を得ることに力を注ぐ。


 そして、二人で己を取り戻すのだ。手に入れるのだ。



「見ていろ……親友。お前が憧れた男の生き様を。親友一人救えない無様な男が、もがく姿を」



 だから、振り向かない。舞い戻らない―――前に進むことを彼は改めて誓った。







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