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虹色の肋骨  作者: 修羅場ーバリアン
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第十話




 その日、全ての妖が、藍色の妖の気配が町にないことに気付いた。


 当然、元々包囲網を敷くつもりだった一鬼達はすぐに話し合う必要性に迫られる。

決まった場所でしか活動しなかった藍色の妖が突然離れた場所に移動したのだから、当然だ。

元々数十キロにも及ぶ広大な領域を自由に動けるのか、それとも宿主が移動したのに合わせて動いただけなのかを考えねばならない。

後者ならば戻ってきた時に予定通りに包囲網を敷けるが、前者ならばそもそもこの町に戻ってきすらしないかもしれないのだ。


 そういったことを考慮しなければならない訳だが……しかし、一鬼達はすぐに前者の可能性を考えることを止めた。

本当にそんなことが可能ならば、もっと早い段階でしていたし、このゴールデンウィークと同時に移動するようなこともなかっただろう。

ゴールデンウィークを利用して、宿主に大きく依存しているだけに見せかけている可能性もあるが、それならばもうどうしようもない。


 こういう場合は、態々何処にいるかも分からない者を探しに行くよりも戻ってくるのを待っていた方が賢いのだ。

ゴールデンウィークが終われば、藍色の妖が戻ってくるかどうかで、真真偽は明らかになる。

今は英気を養うことに務めるべきである……そう判断するしかなかった。




「やはりと言うべきか、やってくれたな……どんな姿をしているかは知らないが、会ったら一発ぶん殴ってやりたいぜ」


「まったくだ。しかし、これはある意味良い機会でもある。少なくとも藍色の妖の脅威は考えずに済むんだ。今の内に英気を養うべきだろう」


「でも、沢山人が死んじゃうんだよ? このまま黙って見ているなんて……」


「甘いわね。そうやって無理やり手を伸ばしても、届かないものには届かないの。寧ろ、そうやって遠くばかり見ているから近くにあるものが疎かになるのよ」



 現在、一矢の家には一鬼、羽月、美空、愛梨の四名と、その妖が一堂に会している。


一鬼と羽月は平常運転で、美空と愛梨は互いに火花を散らしている……少なくとも羽月にはそう見えた。

そんな彼らの後ろでは、不気味な程に大人しい碧と、ブルー・シャーマン、緋蓮、山吹の四人の妖が向かい合っている。

オーラで考えれば、間違いなく緋蓮と山吹は碧とブルー・シャーマンに圧倒されているが、二人共気力でそれに耐えているようだ。


 一鬼達は、そんな妖達の様子を密かに伺いながらも、そこに争いが生じないことに安堵する。

ブルー・シャーマンに関しては心配など必要ないが、緋蓮と碧は喧嘩を始めてしまう可能性があった。

とはいえ、実際の戦闘能力の差を考慮すれば、喧嘩にすらならない一方的な虐殺にしかならない。

彼女達では、まともな戦いにもならないが、それでも何もない方が良いのは明白だ。




「むっ……半妖だからって、その言い方はないんじゃないの?」


「私達の腕は二つしかないの。それでどれだけのものを掴めるかを見誤れば、貴方も大切な者も死ぬわよ」


「……分からないよ、そんなこと」


「そこまでだ。二人の言っていることは、どちらも間違いではない。ただ、正解でもないな。そういった信念に正しいとか間違っているとか言うのが、そもそもナンセンスだ。自分と他人の信念が違うのは当たり前だ……下手に刺激せずにおけ。刺激するなら、意見を変えてくれそうな相手だけにしておくことだ。でなければ、思わぬ反撃を貰うからな」


「でも、兄さん……罪もない人達が毎日のように死んでいくんだよ? それを止めようとすることの、何が間違っているの?」


「言った筈だ。間違いではない、と。皆が皆同じものを選ぶと思うな。お前も愛梨も間違ってはいない。ただ、考え方が違うだけだ」



 一鬼は美空と愛梨の口論を止めると、内心溜息をついた。


彼にとってはどちらも大切な存在だが、二人の仲が余り宜しくないことは容易に分かる。

美空は家族の絆が揺らぐことを恐れ、愛梨はそんな依存的な彼女を嫌っている……そう彼は感じていた。

しかし、事実は少しばかり異なる。正確には、愛梨は過去の依存的な己を美空に見出して同族嫌悪しているに過ぎず、逆に美空は愛梨に嫉妬しているのだ。


 愛梨は、最初は一鬼に依存することしかできなかった……だが、今は違う。

拒絶されることは怖いものの、少しずつ一鬼の為に行動できることはないかと考えるようになった。

一鬼にとっての一番が家族である美空や明であることに、彼女が嫉妬を覚えない訳ではないが、それも受け入れている。

対照的に、美空は己が愛梨に嫉妬していることを必死に否定して、そこから前に進めていない。


 その差は何処から来るのかと言えば、傷の有無であろう。

愛梨は既に一鬼とブルー・シャーマンの助けによって、己の心を不安定にしていた能力の制御に成功した。

対して、美空は一年前の事故から未だに抜け出せずに居る。事故を見る度に気分が悪くなり、一年前に起きた事故の記憶がフラッシュバックするのだ。

元来ならば二度と外出できなくなってもおかしくない程にな悲惨な事故だったし、事実そうなった人間が被害者の中には何人も居る。


そんな彼女に深い心の傷を与えた事故で最も被害を受けた筈なのに、生き残った一鬼―――彼こそが、彼女が事故を乗り越えるのに必要な要素だった。


 だから、彼女は以前にも増して彼に依存して、寄生して、必死に事故を超えようとしている。




「う、うん……」


「一鬼先輩、それよりも例の件、どうしますか?」


「……藍色の妖を倒してから、だな。膨大な量の情報を一気に得るんだ……どんな副作用があるか分からない」


「分かりました。ということは―――この数日は別のことに時間を使えるということですね?」


「ああ、そうだな。俺はその大半は訓練に費やすつもりだが、何か予定でもあるのか?」


「訓練って……お前なぁ」



 この一鬼の言葉に、他の三人は溜息と共に苦笑した。


そもそも、ゴールデンウィークに予定がないことの方が珍しく、大体の者は家族か、もしくは知人達と旅行にでも行っているだろう。

それなりに頭が切れる筈の一鬼がそれを見越していない筈がないと考えていた彼らだったが、しかしこの現状がそうではないことを示している。

当たり前のことを考慮していれば、態々こうして集まることはなかったのだから。


 一鬼と羽月は一緒に旅行に行く相手など居ないとして、愛梨には家族が、美空には友人が居ただろう。

その時間を奪ってまでこのゴールデンウィークに藍色の妖を追い詰めようとしておいて結果がこれでは、笑い者だ。

羽月からすれば、一鬼は典型的な頭が良いバカである……困難な状況では恐ろしく能力を発揮する癖に、妙な処でミスをする。


 彼の場合は愛すべきバカと言うべきか、残念な天才と言うべきか、悩む処だ。




「選ばれし子よ……賢いバカという言葉を知っているか?」


「うん?……ああ、俺がそれに当て嵌まると言いたい訳か。確かに、ゴールデンウィークなら普通皆何処かに出かけていると思うのが、当然だな。それを考慮していなかったのは、間違いなく俺のミスだ」


「分かっているのなら良い。次は同じミスをしないことだ」


「ああ、気を付ける」



 一鬼は頭が悪い訳ではないが、しかしある意味単純な男だ。

頭が回らない訳ではないが、そこまで考えの多い男ではないし、寧ろ直感で動くことも多い。

だからこそ、そんな彼を優希は勿体ないと評する訳であるし、羽月達も彼を賢いバカだと思っている。

悲しいかな、様々な良いものを持っていながらも、彼はそれを扱いきれていないのだ。


 だが、それももうすぐ終わる。

己の出生の秘密を知り、その血肉が何処から来たのかを知り、その果てに彼は再生する。

神谷一鬼という人間を止め、本当の名前を手に入れて、その上で彼は妖として生きるのだ。

このまま人間として生きるのではなく、その道を彼が辿るであろうことを、既に羽月と愛梨は予感している。

ただ唯一、美空のみが直接的には何も知らされないまま、この先何が起こるかに気付けずにいる。


 己の依存している相手がもうすぐ傍から消えてしまう可能性に、彼女はまだ気づいていない。




「しっかし、今日はバケギツネがやけに大人しいな。何かあったのか?」


「いいえ、何も。そういう貴方こそ、何かあったの? ほんの少しだけ、力が強くなっているわね。人間でも食べたのかしら?」


「え……?」


「あら、一鬼の妹さん。そんなに驚かなくても良いのよ。妖は人間を食うことで力を蓄える者も居るわ。まぁ、そんな非効率的なことをする者なんて、下級の妖くらいだけど」


「ぐぬぬ……」


「そこまでだ、緋蓮。悔しいが、お前が下級の妖であることは事実だからな。それと、美空ちゃん……こいつが食ったのは犯罪者だけだから、安心してくれ」



 いつものように毒を吐く緋蓮に、碧は動揺することなくやり返す。


その言葉に緋蓮は激昂し、美空は知らなかった事実に驚くが、それにすぐさま羽月はストップをかける。

彼は緋蓮に抑えるように言い、同時に美空にもしっかりとフォローをすることになった。

前者は慣れたものであるものの、後者については、彼は既に一鬼達が話しているものと思っていたので、内心驚いている。

これまた、必須の情報を彼女が知らされていないことが、彼には酷く不気味に思えた。


 一鬼がそのことを伝えていないということは、そこに恣意的なものがある筈だ。

だが、それならば、そのことを彼の妖である碧がばらしたというのは、少々おかしい。

今現在彼らの間には以前のような蟠りは感じられず、羽月の感覚は、彼らが無事仲直りしたことを感じ取っている。

ならば、碧は不用意に美空を刺激するようなことを言う筈がない。

つまり、彼女の言葉は敢えて紡がれたものであり、一鬼もそれを承知している可能性がある。


 だが、ならば今まで何故言わなかったのだろうか?……それが、羽月には不思議で、少しばかり恐ろしかった。




「犯罪者だけ、って……どんな罪を犯していても、人間なんだよ? それを食べるなんて……」


「……美空ちゃんには理解できないかもしれないけれど、妖にとって人間はただの食糧なんだよ。人間にとっての牛や豚と同じさ。違いがあるとすれば、強くなる気がなければ食う必要がないことくらいか」


「必要がない?……なら、どうして食べるの?」


「強くなければ生き残れないからだ、小娘。おい、根暗野郎……こんな、いかにも普通の感性を持っています、って奴は必要ない。寧ろ邪魔になるだけだ。こういうタイプは、覚悟が伴わないから使い物にならないんだよ」


「申し訳ないが、緋蓮の言う通りだな。だが、この場合は一鬼……お前に原因があるぞ。何故、覚悟をさせなかった。いや……覚悟ができていないのなら、何故連れてきた?」



 羽月は、口では質問しながらも、この時点で漸く一鬼が何を考えているかに気付いた。


一鬼は覚悟を試す為に、敢えて美空に肝心の血腥い部分を黙っておいたのだ

事前に知らせていれば覚悟することはできるだろうが、中途半端になってしまう。

こうして、実際に妖達が一堂に会して、その口から血腥いことを告げることこそが、重要なのだ。

そうすることで、仮初の覚悟ではなく、本当に死を覚悟した決意ができる。


 ただ口で言われただけでは信じきれないだろう。

しかし、実際のその血腥いものを感じさせる者達からそれを学べば、話は別だ。

実際にこの場に居れば分かる……いかに妖達が人間と異なる感性を持ち、血腥い存在かが。

本当に血肉の匂いをさせる緋蓮もそうだが、特に碧から漂う殺しに慣れた者の雰囲気は効く。

本来ならば、実際に人間を殺して食っている場面を見せるくらいの方が効くのだろうが、それは刺激が強過ぎる。


 それも考慮して、この場で情報を初めて教えたのだろう。




「理由は簡単だ。美空が、この異常な空間に居ることを我慢できるかを試していた。俺達は、これから実際に血腥い光景を見ることになるし、作り出す可能性も高い。この中の誰かが藍色の妖に殺されるかもしれない。それを考慮した上で、進めるか否かを知りたかった。実際に藍色の妖と戦えば、とてつもない殺気と狂気を浴びるだろう。この感覚にすら負けるようなら、美空は置いていく」


「っ……兄さん、でもそれじゃあ私は……本当に守られるだけじゃない」


「ちょっと待って、美空のお兄さん。その場合だと美空が紫の妖に襲われる可能性はないのかしら?」


「山吹……妙なことを言うな。何故、そこで紫の妖だと限定する? まるで、心当たりでもあるような言い方に聞こえるぞ」


「……消去法からそう言っただけよ。それと、私から一つ忠告。そういうことは、思っても口に出さない方が賢いわ」


「……覚えておこう」



 一鬼の言葉は、美空だけでなく山吹をも動かした。


そして、そのやり取りの中で、羽月は山吹への疑念を更に深めていく。

今のやり取りで、山吹は何の迷いもなく紫の妖に襲われる可能性を上げたが、それは本当にただの消去法なのかが問題となる。

ただの考え過ぎの可能性もあるが、何が起きても不思議ではない已上、考えておくに越したことはない。


 ここに居る者の殆どは、山吹は単体では無害だが、何か裏があることを悟っていた。

そして、今起きたことが考え過ぎでなければ、彼女は紫の妖と敵対せざるを得ない何かに関わっていることになる。

紫の妖が消去法ではなく、真っ先に脳裏に浮かんだ者だったならば、可能性は高い。

問題は、その理由がいったい何なのかだ。


 それだけは、実際に確かめねば分からない。

偶然か、ここにはそれを可能にしてしまうブルー・シャーマンという超越者が居る。

だが、今ここでそれを行うのは得策ではない……美空が彼らに不信感を抱くのは良くない。

精々一週間程度の付き合いの妖ではあるが、彼女の妖であることに違いは無いのだから、簡単に過去を除くのは亀裂を生むだけだ。

例え一鬼達が説得しようとも、そこに不信感が生じることを止めることはできない。


 この不信感をどうこうせねばならないからこそ、裏切り者を炙り出すのが非常に面倒なのだ。


 この場合はそもそも裏切る以前の問題だが。




「やれやれ……こういうやり取りを見ていると肩凝るわ。化かし合いは得意じゃないんだよ」


「シェイプシフターがそれを言うか。まぁ、確かにお前は単純バカだから、ああいうのとは無縁だな」


「いや、俺もそういうのとは無縁なんだが」


「またまた、一鬼先輩~! 嘘つきなんだから~!」


「キモいぞ、羽月」


「おうふ……」



 ふざけた振りをしながら、羽月は今ここに集っている者達の反応を伺う。

確かに一鬼は化かし合いが得意ではないが、羽月はそういったものにある程度長けている。

察しも良いし、隠すこともできる羽月は、そういった世界ならば一鬼にも勝てる可能性を感じていた。

しかし、それも確実なものではない……一鬼には、『眼』があるからだ。


 一鬼は観察眼そのものが優れている訳ではないが、本質を見抜く点に関しては、緋蓮に次ぐ程に鋭かった。

羽月が隠す者ならば、一鬼は暴く者であろうか……しかし、彼が暴くのは本質だけであり、心の機微は感じられない。

それこそが、緋蓮や羽月との大きな違いであり、本質の違いだ。




「キモいですね、先輩」


「ドン引きです、佐藤さん」


「えっ……ちょっ、なんでそんなに引かれて……」


「……まぁ、こういうこともあるだろう。気にするな、青年よ」


「優しさが痛い!!」



 羽月は美空達の偽りない感想にへこんでいる演技をし、それを慰めるブルー・シャーマン相手にすら、演技を崩さない。


だが、そんな彼を見るブルー・シャーマンの放つ空気からは、全てを理解しているというメッセージがひしひしと伝わってきた。

彼は、それを酷く恐ろしく思いながらも、同時に憧れ、尊敬する。

真っ直ぐな性格をしている筈のブルー・シャーマンだが、こういったやり取りができない訳ではないようだ。


 つくづく、超越者は化け物だと羽月は実感する。

精神においても、力においても、超越者は圧倒的過ぎて、その癖野心がないのだ。

完璧などという言葉は彼らには似合わないだろうが、しかしそれでも超越した存在であることに変わりはない。

その力に見合わぬ欲の無さこそが、彼ら超越者の特徴なのだとすれば、藍色の妖が超越するには、それに近い精神を持つ必要がある。


 ならば、何故無駄な死を引き起こしてまで、超越を望むのだろうか?

羽月はそれが不思議で堪らない……言い方は悪いが、ここに集っている『虹色の肋骨』達は一度死んだ死者だ。

彼らを再び殺せば、もっと効率的に怨念を集めることだってできるだろう。

超越者となるにあたってその精神が未熟ならば、超越者にはなれない……もしも、悪意を以てして態と人間を狙っているのならば、恐らく超越者にはなれない筈だ。


 そうでなければ、藍色の妖は人間を食い殺すことを楽しんではいないということになるが―――果たしてそんなことがあり得るのだろうか?




「それで、結局小娘はどうするんだ?」


「私は……もう少し考えさせて」


「それが良い。恐らく数日は猶予がある。その間に考えておいてくれ」


「うん……そうする」



 やはりと言うべきか、今すぐには答えを出せない美空を、一鬼は静かに見守る。


羽月もこの事態は予測できていたので、ただ静かにそれを見守ることに努め、口出しはしない。

こういったやり取りに関しては、彼は一鬼よりも上手くやる自信があるが、少々喋り過ぎた。

喋り過ぎた者の言葉は、その重さを失う……日頃から良く喋る者の言葉は、羽のように軽い。


 だからこそ、日頃から無口な者の言葉には重さがあるのだ。

希少価値に近いものが、言葉には働く……日頃から軽い言葉ばかり言っている者は、何を言っても軽さを感じさせてしまう。

羽月は相手に不必要な重さを感じさせない為に、更には己の本性を隠す為にも、態とそれをしている。

一鬼相手でさえ、元来は無口なことを気付かせないように、どうでも良いことを喋り、口数が多いと思わせているのだ。


 羽月は元来無口で、人懐っこいとはいえ、実際は信じ切りなどしない。

共に笑い合い、怒ったり、泣いたりする間も、彼は裏に冷めた己が居ることを自覚している。

笑ったり、怒ったり、泣いたりすることはできるが、元来の彼は酷く無感動で冷たい。

どちらも確かに彼自身であり、情熱的な彼と、無感動な彼がそこには存在する。


 そういう面では、彼は一鬼と同じく彷徨う者だった。




「何とも美しき兄妹愛かな……一方的ではあるが」


「一方的、か。確かにそうかもしれないな……とはいえ、大抵のものはそういうものだろう」


「それを言ったらおしまいだぜ、一鬼。本音は建前で隠すものさ」


「お前相手に隠す必要はないだろう」


「まぁ、そうなんだけどな」



 一鬼はこういう本質に関わる面に関しては、隠すことも隠されることも嫌う。

しかし、嫌うのみでそれを止めはしない……それ程までに、他者に何かを強いるだけの強迫観念は彼にはない。

確かにその圧倒的な身体能力は、彼にそれを可能にするだけの力を与えるが、それだけだ。

彼にはそれを積極的に行うだけの理由がないし、権利もない。


 皆互いに隠して、隠されて、暴いて、暴かれて、告白して、告白されて、生きている。

そんな不確かな中で皆は文句を言いながらも、その世界を壊さないように努めているのだ。

一鬼には、その危うくも成り立っている世界を破壊する権利などないし、それが嫌いならば別の世界で生きるしかない。

破壊したければ、すれば良い……そう思ってしまうようならば、速やかに別の世界に向かうのが賢明であろう。


 幸い、一鬼には妖の世界がある……一人になろうとも、彼はその世界で生きていける。




「一鬼先輩、今日と明日の先輩の時間を頂いても良いでしょうか?」


「ふむ……昼間は大丈夫だ。朝と夜は訓練をするから、時間は取れない」


「分かりました。それじゃあ、昼間の時間は、私に付き合ってくれませんか?」


「良いだろう。碧も構わないな?」


「ええ、その間は大人しくしておくわ」



 愛梨の言葉に静かに頷くと、一鬼は碧に確認を取る。

その様子を見た羽月は驚き、同時に碧が何を企んでいるのかを不安に思うが、その様子は無い。

碧は本当に、何の打算もなく一鬼の言ったことに承諾した……それが意味するのは、関係の修正だ。

しかし、本当にその関係が改善されたのかと言えば、そんなことはないだろう。


 これは羽月の勝手な予想でしかないが、今の彼らの関係は飽くまで一鬼の方から歩み寄った結果の筈だ。

そして、その場合彼らの関係は一鬼が譲歩しているが故に成り立っているということになる。

今は碧も大人しくしているが、それを良いことに彼女が暴走する可能性もないとは言えない。

彼女が一鬼を利用するか、手中に収めようとする可能性も無きにしも非ずなのだから。


一鬼の妖としての価値は、彼自身が思っている以上に高い。

何せ、現在生存している完全な妖は彼のみで、もう一人生存している愛梨は、半妖でしかない。

この二つの存在のどちらを選ぶかと言われたならば、間違いなく碧は一鬼を選ぶだろう。

それに、宿主であり妖でもある一鬼は『虹色の肋骨』に必ず触ることになる、彼らにとっての生前を想起させる存在でもある。

最も近しい存在で、しかも純粋な妖である一鬼は碧にとって、ある意味心の拠り所でもある筈なのだ。


 それを離さないようにしようとするのはある意味自然なことであり、同時に羽月達にとっては恐れるべきことでもある。




「俺は……ちょっとゲーセンにでも行ってくるかな」


「先輩……いい加減働いたらどうですか?」


「佐藤さん……」


「いや、なんで責められてるの? 俺、もう十分金持ってるから働く必要ないし、そこまで社会に貢献するつもりもないんだよ」


「まぁ、そんなものだろうな。そもそも、社会に貢献しようと思っている者など、そう多くないだろう」


「だろう?」



 再び後輩二人に非難の眼を向けられる羽月であったが、一鬼の助け舟で、どうにか助かった。

そもそも、ここに居る二人の人間と、半妖と、妖の中に社会貢献などという高尚なものを考えている者が居ないことは、既に彼も知っている。

自分のことで精一杯で、他人様のことなどに構っていられる程彼らに余裕はない。

今は、他人のことよりも、家族や大切な者達のみを守ることだけを考えるべき時だ。


 確かに、社会貢献というものは詰まる所今まで己を生かしてくれた社会への恩返し、もしくはその良くない部分を改善することだろう。

人間である羽月と美空には大いに関係あることだが、残念ながら、どちらも高い理想など持ち合わせてはいない。

彼らはただ偶然この国に生まれて、偶然システムが整っていて、それに乗っかって生きているに過ぎないのだ。


 そこに感謝を感じたことなど一度たりともないし、それが当然であった。

だが、今までこの国において様々な権利を利用してきたのは事実なのだから、それには報いねばならない。

義務があって、初めて権利が生まれる。権利があるから、義務に耐えられる……それは単純明快な事実だ。

天秤が釣り合うように、この世界はできているのだから、それを無理に破ろうとしても、徒労に終わる。


 社会貢献しないということは、今まで使ってきた権利を手放すのに等しい行為だということだ。




「兄さんまで……確かに、私も余りそういう気はしないけれど、でも今まで権利を使ってきたんだから、義務を果たさないと」


「確かに権利と義務は常に表裏一体だ。そういう意味では、俺も権利を剥奪されても仕方ない。まぁ、その時はその時だな」


「行き当たりばったりだな、おい。根暗なだけじゃなくて、無計画野郎なのか、お前は」


「それに、それを心配していられる程、今は余裕がない」


「開き直りやがった……」



 一鬼は妖である已上、このまま人間の社会で生きていくのには無理がある。


妖は上位に向かえば向かう程、人間と道が交わらなくなり、無関心になっていくのだから。

上位に向かう程強く、気高くなっていくのと同時に、妖は孤独になっていく……そういう風にできている。

強者の気持ちは強者にしか分からない……だから、絶対強者達は、孤独でありながらも、互いに交流することで、生きていく。


 今、一鬼もその上位陣の世界に踏み込みつつある。

同じく絶対強者である碧やブルー・シャーマンが居なければ、彼は一人だ。

故に、碧はそこに付け込んで何かを仕出かす可能性があるという懸念を、羽月は拭えない。

確かに愛梨は同類ではあるものの、それでも半分は人間であって、絶対強者にはなれないことはほぼ確定している。

そして、絶対強者でない彼女では、いずれ一鬼についていけない日が来るだろう。


 だからこそ、羽月達は碧の動向に気を付けねばならない。




「まぁ、開き直ることも時には重要だ。余り責めないで良いだろう。正直面倒くさいし」


「本音が漏れてるぞ」


「まぁ、とやかく言うことではないってこった」


「無理やりまとめましたね」


「うるせいやい!」



 羽月は常に仮面を被り続けるが、それも一鬼の前では部分的に、愛梨の前では完全に無意味だ。


まさしく心を見通す覚の名に恥じぬだけの読心能力を持つ愛梨には、全ての偽りの彼が意味を為さない。

半妖とはいえ、覚相手では仕方ないことであるものの、全てが筒抜けであることは中々に恐ろしいことだ。

もしも愛梨が一鬼にただ寄生するだけのままだったならば、彼は彼女を排除せねばならなかった。


 しかし、愛梨の精神も安定し、一鬼や家族への恩返しを考えているということならば、話は別だ。

少なくとも彼女は一鬼の害に……強いて言うならば、堕落の原因になりはしないことが分かっている。

ならば、羽月はただそれを見守るだけで済む。

佐村優希のような、一鬼を潰しかねない存在は彼も望んでいない。


 だが、愛梨ならば許容できる……守るべきものが、一鬼を堕落させることなどないのだから。




「取りあえず、一旦解散だ。数日間は各自自由にしてくれ」


「あいよ」


「それじゃあ、行きましょう。一鬼先輩」


「ああ」



 一鬼の言葉を皮切りに、バラバラに散っていく四人は各々の目的地へと向かう。


愛梨と一鬼は共に彼女の家へ、美空は自宅へ、羽月は病院へ……それぞれが、目的を達成する為に歩んでいく。

一鬼と愛梨は、彼の過去について、そして二人のこれからのことについて話すのだろう。

美空は、己が何処まで覚悟できるかを見極め、一鬼達についていくかを決めるだろう。

そして、羽月は―――再び己の惨状を確認することになる。


 残り半年の命がどのように減っていくのかを、これから彼は再認識せねばならない。

毎回病院に行って己が確実に死に近づいていることを確認せねばならないというのは、かなりの拷問だ。

そもそも、彼の通院は後半年の命をどう伸ばすかではなく、既にどう苦痛の伴わないものにするかという段階に移行している。

彼の頭の時限爆弾を止めることのできる可能性が絶望的な程に低いことは、医者も理解していた。


 だからこそ、いかに苦痛を伴わない死に方ができるかという段階に移行したのだ。

とはいえ、羽月に残された時間は少なく、後はただ痛みに耐える日々が続くだけであることに変わりはない。

体の痛みは誤魔化すことが出来ても、心の圧し掛かる死の重圧だけは、中々麻痺してくれないものだ。

だが、それを楽にすることはできる……果たせなかった父親越えを達成することで、彼は己を救う。


 そして、それが為されなかった時は、ただ笑顔で死ぬのだ―――永遠に超えられなかった男への賞賛を込めて。












 己の世界から音が完全に消えるその瞬間に、彼女は遭遇したことがある。


 初めて遭遇したのは、高校一年生になった彼女が神谷一鬼という男に会った時だ。

それまで彼女の世界を埋め尽くしていた雑音が――他者の思念が、思考が、彼と出会った時、彼女の世界から初めて消えた。

余りにも劇的な変化に、彼女は驚き、しかし喜んだものだ……それまで彼女の心を衰弱させていた他者の思考が、初めて消えたのだから。

そして、そこから彼女と……柿坂愛梨と神谷一鬼の関係は始まった。


 しかしながら、その関係は褒められたものではない。

彼女は彼の不器用な優しさ、歪みに甘えて、ただ一方的に依存し、ただ一方的に利用した。

彼が誰かの為に在ることを強く望んでいることを、アイデンティティーを求めていることを知りながらも、目を瞑り、己の欲望のみを満たす為に、彼女は貪り続けた。

それでも、捨てる処か、静かに見守ってくれる彼に彼女が何度救われたことか、何度罪悪感を抱いたことか。

彼女がその優しさに惹かれ、恋い焦がれるようになったのは、いつからだろうか?



 だが、それも大事故の結果として肋骨に宿したブルー・シャーマンという妖の存在によって、終わった。

他者の思念を、思考を読む能力は制御可能になり、一鬼と両親から受けた恩に報いる覚悟もできた。

今、彼女は恐ろしいまでに充実している……今まで得られなかった幸せを噛みしめている。

苦しみの末に救われた……やっと、痛みから解放された。




「一鬼先輩、どうですか?」


「駄目だ……まるで意味が分からんぞ。こんな支離滅裂で、人を食った登場人物ばかりだと疲れるだろうに、何故こんなソフトが人気なんだ?」


「私も理解しかねますけど、やっぱり戦闘が面白いからなんですかね?」



 現在人気のゲームをやる一鬼を眺めながら、愛梨は思わず苦笑した。


現在二人は彼女の自室で、話題のゲームをやっている……というよりも、一鬼がプレイするのを愛梨が見ている。

良くある3DのTPSゲームの中でも評価が非常に高いソフトではあるものの、実際にやってみるとそこまで感動の多いものではないことに、二人は気付いた。

しかし、戦闘についてのシステムが非常に完成度の高いものであることは確かだ。


 二人が注目したのもその戦闘面で、このゲームでは摩天楼を縦横無尽に駆け巡り、跳び、三次元的な戦いをすることが可能だった。

しかしながら、それを現実で可能にするには、少々処か圧倒的な身体能力が必要になる。

そして、それを現実で可能にするのは中級を超える妖くらいであろう……更に言えば、上級の妖ならば、それ以上の戦闘を行うことだってできる筈だ。

二人は、それを可能とする妖をその肋骨に宿している。


 故に、実際に再現することなど容易い。




「この程度の戦闘、私達なら簡単に再現できるわ。実際にやってみる?」


「いや、遠慮する。お前が動くなら、俺も動かないといけないだろう。流石に、これを再現するのは骨が折れそうだ」


「いいえ、今の貴方ならこの程度訳無い筈よ。既に空を駆けることを覚えたのなら、問題もないでしょうし」


「何?……もう空を駆けるのを覚えたのか? その段階で発現するとは……予想以上に早いな」


「ふふ……『私の』宿主は特別なのよ。蒼炎の超越者」



 一鬼の言葉に静かに愛梨は納得しながらも、しかし実現することが可能であるということに驚く。


彼は骨が折れるとはいったが、不可能であるとは言っていない……そして、それを碧もブルー・シャーマンも否定はしない。

確かに気配が以前にも増して強大になったことは愛梨にも分かるが、そこまで彼が成長……否、再生していることには驚いた。

これまで人間として生きていながら、たった数週間で中級の妖に匹敵するまでに回復したというのだから、尋常な速度ではない。


 しかし、ブルー・シャーマンがかつて言っていた通り、これは飽くまで生まれた状態に戻っているに過ぎない。

愛梨からすれば、生まれた状態の時は更に凄まじかったということに驚きを禁じ得ないが、この驚愕の変化の速度を見る限り、そうなのだろう。

何故超越者であるブルー・シャーマンが一鬼にそこまで関心を持つのか?……その理由は、この異常なまでの能力値にあるに違いない。

既に上級妖の世界に足を踏み入れかけておきながらも、まだ半分も覚醒がなされていないことは、驚異的なポテンシャルの存在を意味する。


 彼は碧を超える……それは間違いない。

碧自身もその予感を抱いているようだし、寧ろそうなることを期待している節がある。

そうでなければ、一鬼の成長をここまで喜ぶことはないし、実際彼の成長は愛梨にとっても喜ばしいものだ。

彼が強くなればなる程、死ぬ可能性が減少し、彼女はその心配をしなくて済む。

なればこそ、彼女は碧の言動に疑念を抱きながらも、黙認するのだ。




「ふむ……ここまで早いのならば、少しばかり過去を掘り起こしても大丈夫なようだな。既に少なくない怨念がその心臓に宿っているが故、問題あるまい。本当は、最初はもっと少ない怨念を宿らせて、慣らしていくつもりだったのだが―――少しばかり予定が変わった」


「……碧、お前暗に責められているぞ? そこまでやばい量だったのか?」


「分かっているわよ。下級の妖なら、精神がおかしくなっていたかもしれない程度には、既にその心臓に怨念が宿っているわ」


「そうだったのか……そういうことは予め教えてくれ。あんな形で放り投げられたら、堪ったものではないぞ」


「ごめんなさい。今後は気を付けるわ」



 ブルー・シャーマンの暗喩的な追及にすぐに気付いた一鬼と、彼への碧の対応に、再び愛梨は驚愕する。


碧が何の支援もなく一鬼の心臓に怨念を宿らせる行為――恐らくは過去についての言及――を行ったことだけでも驚きだが、碧が素直に一鬼に謝罪していることは、更に驚くべきことだ。

それ自体は少しも驚くべきことではないが、それを愛梨達のような他者の眼に触れる場所でするということは、驚くべきことであった。


 愛梨は、碧は傲慢で暴力的な妖だと、ブルー・シャーマンから聞いている。

実際まだ相対した回数は少ないものの、彼女も碧がそういうタイプであることは理解していた。

だからこそ、この碧の行動が余りにも自然過ぎて、そこに違和感を見出してしまうのだ。

ブルー・シャーマンはそれを知ってか知らずか、ただ静かにそれを見守っている。

勿論、理解していないということはあるまい……何せブルー・シャーマンは全てを暴く力の持ち主なのだから。




「選ばれし子よ、どうする? これから少しばかり過去へと通ずる扉を開くつもりだが、その際に多少気分が悪くなる筈だ。するか?」


「……ああ、寧ろ断る理由がない。俺には、過去を、己の生まれを知る必要がある。そうすることで、俺は漸くマイナスから零に戻れるんだ」


「ならば行くぞ……境界へ。生と死の境目にある原点に」


「境界? 原点?」


「安心しろ……痛みは無い」



 そうブルー・シャーマンが言った次の瞬間、全てを喪失するような感覚と共に、愛梨は意識を失った。











 碧は、己の目の前で起きたことが信じられなかった。


 突然その場で一鬼と愛梨が倒れてしまったのだ。

それを静かに見守るブルー・シャーマンから害意は感じられないものの、やはり疑わざるを得ない。

すぐさま身構えた彼女の判断は間違っていないし、この状況では最良のものだっただろう。

しかし、そんな彼女に対してブルー・シャーマンは構えることすらせず、ただ悠然と佇むのみ。

まるで眼中にないとでも言わんばかりの態度に内心彼女は苛立つが、それを抑えて一鬼の体に触れた。


 そこで、彼女は恐ろしい事実に気付いてしまう。

一鬼は息をしておらず、心臓の鼓動も完全に停止していた……つまり、死亡したに等しい状態だったのだ。

しかし、体温は失われずに暖かいままで、瞳孔も開いてはいないという、生存の証拠も突きつけられて、彼女は混乱せざるを得ない。

生きている証拠と死んでいる証拠を同時に見せつけられて、彼女はどちらが本当なのかわからなくなってしまう。


 だが、目の前に居る超越者はその答えを知っている―――だから、彼女は口を開いた。




「ブルー・シャーマン……いったい何をしたの?」


「安心しろ。死んではいない。この世とあの世の境界へと二人を送った。そこで、今もう一人の私があの子の生まれへの扉の鍵を開けている」


「送った?……そんなことが可能なの? これも、超越者の規格外の力とやら?」


「そうだ。お前も超越者の力の片鱗はかつて見たことがあるだろう。これこそ私が世界から与えられた力であり、あの子を原点へと戻す為に必須の力でもある」


「……あの子に何をするつもり? まさか、私のことを――」


「心配するな。今はまだその時ではない。まだお前達が何をしでかしたかを教えるつもりはない」



碧にとって、ブルー・シャーマンがどれ程の情報量の過去を一鬼に教えられるかは、非常に重要な問題だ。 

彼女は彼に知って欲しいことが沢山あるが、同時に絶対に知られたくないこともある。

その中で最も重要なのが、何故彼女が彼に執着するのか。そして、何故彼を恐れるのかだ。

理由はその出生の秘密の終末に辿り着けば、簡単に分かってしまう。

そして、それを知ってしまえば彼の碧に対する態度は激変してしまうと彼女は理解していた。




「そう……それで、何故私を送らなかったの? 向こうの世界で一鬼に何かするつもり?」


「お前を送らなかったのは、こうして二人で話す為だ。確認したいことがある……あの子の心臓は、やはり彼のものなのか?」


「……だとしたら、どうするというの?」


「どうこうではない。彼の細胞が、あの子の細胞に負け始めた。私は、とんでもない存在の誕生を前にしている。だからこそ、知らねばならないのだ……お前は、あの日あの子を――」


「それ以上は、自分の能力でも使ったら? 貴方は全てを見透かす能力を持っているのでしょう?」


「……そうだな。そうさせて貰おう」



 震える空気が、二人の絶対強者の存在を強く物語るが、互いにまだ本気ではない。


碧は警戒しているものの、まだ全力を開放するまでにはその警戒を強めておらず、ブルー・シャーマンはそもそも戦うつもりがなかった。

ブルー・シャーマンは愛梨の体力では完全処か一分すらその能力を引き出せないという制限がある。

間違いなく宿主の当たりを引いたのは碧であり、ブルー・シャーマンも悪くない宿主を引いたものの、最良ではない。


 そもそも、上級に達する妖である一鬼であるからこそ碧を全力で具現化させていても数時間以上持たせられるのだ。

通常の人間ならば彼女が全力を出したりなどすれば、ほんの数分で体力が尽きて最悪死ぬ。

一流のアスリートであったとしても、耐えられる時間は十分を切るだろう。

それ程までに消費する生命力は膨大で、ある意味彼女の存在が一鬼の素早い覚醒に貢献していた。


 言うなれば、碧は動きを制限して、体力を余計に奪う重り――それも、規格外に重いものだ。

一鬼はその重りを毎日数時間つけ、負荷をかけることで、己の妖の部分を刺激している。

もっと強くならねば全てを吸い取られる。生命力を全て食われる……そう危険を感じた肉体が、少しずつ彼を元来の形へと向かわせていく。


 その果てに、彼は碧を超える化け物となり、彼女の目的を果たすに相応しい存在になるだろう。




「殺戮者よ。実を言えば、私はお前が羨ましい。ただの妖がかの選ばれし子を守護する立場になれる機会など、普通は無いのだ。だが、お前は守護者ではなく殺戮者……元来その位置に立てる筈が無い。だが、今こうして私の眼の前にお前は要る」


「ふふ……良く吠えるわね。選ばれし子、残された子、そして何よりも奴が命を懸けてまで守った子……貴方も、所詮この子のことをそういう風にしか見ていないんでしょう?」


「否定はせん。認めよう……私もあの子が選ばれし子でなければ、ここまで特別扱いはしなかった。今のあの子そのものに魅力などない。あの子は選ばれたからこそ、私やお前達から気にかけられている……違うか?」


「私達は――いいえ、私は違う。この子が例え選ばれた子でなくても、態度を変えはしないわ」


「それは後ろめたさと打算から来るものだ。お前も私も違いはあるものの、純粋にあの子を見ていないことに変わりはしない。良いか?……彼以外の者が、気軽にそのようなことを言ってはならないのだ」


「ふん……奴も血の繋がりがなければ、この子を愛しはしなかったわよ」



 まるで時間が止まってしまったかのように、全く姿勢の変わらない一鬼の頬を撫でながら、碧はブルー・シャーマンを見据えずに告げた。


堅く、弾力を感じさせないその感触、そして触れても微動だにしない髪の毛から、碧はまさしく一鬼の時が止まっていることを理解する。

これこそがブルー・シャーマンの能力―――青の席を与えられた者が世界から得た力。

彼女と同じく何かを極めようとしたが故に永遠に惹かれ、しかし不死性という別の性質にも惹かれてしまった者の力だ。


 そんなブルー・シャーマンにとって、不死でないにも関わらず誰よりも世界に力を与えられた超越者の存在は、まさしく神に等しいものなのだろう。

口では親友だ、友人だと言いながらも、実際は尊敬を超えた崇拝にまで達しているように見えるその思いを、彼女は嫌う。

その尊敬の念を言葉に乗せた口で、一鬼のことを生まれによるものがなければ特別視しなかったと言うことに、怒りを覚える。

そのような志しか持たない者が超越者になれて、彼女がなれなかったことが憎かった。悔しかった。


 確かに今の一鬼は所詮ブルー・シャーマンにとっては、尊敬する超越者のコピーでしかないのかもしれない。

だが、それを言うならばその超越者を……紫の妖を崇拝する理由もまた、生まれによるものだ。

彼は紫の妖が己を超える超越者であるからこそ尊敬し、崇拝にまで至る念を抱いている。

そこには、紫の妖の個性など少しも介入してはいない……何も違いはしない。

現に、碧は一鬼と紫の妖がいかに似ているかを実感しているが、ブルー・シャーマンにとって一鬼は尊敬の対象にはなり得ていない。


 結局の処、彼は死んでしまった親友の残した者を見守ることで、貢献していると思い込みたいだけ―――少なくとも碧にはそう見える。




「それはそうだ。肉親と他人の違いはそこにある。皆生まれで他者を判断していることは否めない。だが、それを超えるものが存在するのも確か……それを我々は信念や、生き様と呼ぶのだ。私が彼を尊敬し、唯一の親友だと認めるのは、彼の生き様故だ。信念故だ。彼の生まれなどではない」


「……成程。私は貴方を内心侮っていたようね。そのことに対しては謝罪するわ。でも――この子の今までの生き様に期待するのは、間違っているわ。期待すべきはこれから先……そうでしょう?」


「ああ、まったくその通りだ。ただ、私は不安なのだよ……我々と同じ領域に踏み込もうとしているにも関わらず、確固たる信念を持たないあの子が。あの子には確かに力があるかもしれないが、それでも荷が勝る。あの子は心臓に怨念を背負うことはできても、多くの者を背負うことはできない。特に、破壊をまき散らす者はな」


「……私がこの子の重荷になるとでも言うの?」


「そうだ。宣言……否、予言しよう。お前はいずれあの子を殺す。それも、完璧にな」




 瞬間―――時が止まったような、静寂がその場を支配した。



ただ驚きに目を見開く碧を前に、燃え上がる蒼炎が彩る骸骨は、静かにその残酷な言葉を告げる。

彼の言葉に、黄金の殺戮者は長い闘いの中で鍛え抜かれた感覚が、一気にフラッシュバックするのを感じた。

その感覚こそが、彼女のアイデンティティーであり、誇りであり、多くの命を奪った武器であり、稚い命を奪いかけた忌まわしき凶器だ。


 彼女は知っている……何度も繰り返した行動と、それが伴う感触を。

柔らかい肉を引き裂き、潰し、貫き、拍動する心臓を握りつぶす感触を。生前、その手が最後に握り潰した心臓の感触を。

彼女は覚えている……彼女の胸を貫いた凶器の感触を。それを振るった男の顔を。

彼はきっと覚えていない……何が起きたのかも、何をされたのかさえも。


碧の脳裏でフラッシュバックする記憶が、もうすぐ一鬼の知るものとなる。

否、あまつさえ再現されるかもしれない。この時代で、再び罪を塗り重ねることになるかもしれない。

奪ったものは多過ぎて、奪われたものも多過ぎた……そんな激動の時が、再現されることがあってはならない。

碧が唯一心から後悔した殺生は彼女を不眠へと導き、唯一心から望んだ希望が彼女に生きる意味を与えてくれている。

前者は二度と再現されてはいけないし、後者は失われてはいけない。


 まさしく、己を生かしてくれているものを、彼女は失いたくなかった。




「私が……一鬼を殺す……ですって?」


「ああ、そうだ。お前が直接殺すのか、間接的に殺すのかは私もまだ断言できない。だが、一つだけはっきりとしていることがある。このままでは……あの子は死ぬ。お前が依存している愛し子は」


「ありえないわ……」


「ならば、何故彼を……紫の妖を諦めない。そうすれば、可能性は完全に消えるのだぞ? 確かに藍色の妖も危険ではあるが、そんなものはどうにでもなる。しかし、お前が彼に刃向うということは、甘いあの子を死の危険性に巻き込む。その果てにあるのは、形は違えども、お前の記憶の焼き増しであろう」


「……ありえないと言ったでしょう。私はこの子を守る為に寄り添うの。殺す為じゃない」


「しかし、お前は殺戮者だ。その本質を上手く受け入れない限り、お前は彼とぶつかり、結果的にあの子を殺す。忘れるな……お前の復讐は破滅にしか向かわないのだ」



 碧の時間は二百年前に止まったままで、それを再び動かす為には、復讐を遂げるしかない。


だから彼女はその復讐の対象となる紫の妖を殺す。例え妹である白雪が生きていても、それ以外の者達は帰ってこないのだ。

最強の勢力を誇った妖狐の一族、全て一夜でたった一体の妖に滅ぼされたその日を、彼女は忘れない。

忘れられる筈がない……彼女の時間は、その時止まったのだから。


 前に進む為に仇を取る……それしか彼女には道がない。

だというのに、ブルー・シャーマンはそうすることで彼女の生きる希望である一鬼が死ぬとのたまう。

彼女はまだ一鬼本人には告げていないが、彼は彼女にとって何よりも大切な存在だった。

彼こそが、殺して、殺して、殺しまくった彼女の、そして妖狐の最大の罪の象徴であり、希望であり、救いでもある。


 結局殺戮者である碧は一鬼に負い目を感じていて、打算があって、ブルー・シャーマンが言ったことは少しも間違ってはいない。

だが……いや、だからこそ、彼女はブルー・シャーマンの言った通りに彼を失うのを認められない。

彼女が前に進む為には、復讐も一鬼も必要なのだ。それを片方選べば、もう片方を失うなど、彼女は認められなかった。

認めてしまえば、彼女はもう二度と二百年前から進めないだろう。


 一鬼を見れば見る程に、彼女は己の罪を思い出すのだから。




「破滅に向かわない復讐が存在するとでも思っているの? 復讐して初めて、私は一度死ねるの。そうして、新しく生まれ変われる。復讐とは、己の再生の為に在るものよ。破滅に向かわねば、意味がないの」


「殺戮者よ、お前は勘違いしている。そんな簡単に零に戻れる者などそう居ない。居るのだとすれば、その者はそもそも復讐が必要ない輩だ。何故なら、そういう者は夢も痛みも執着も―――愛すらも持たぬ。だが、お前は違う。お前は狂おしい程に愛して、苦しんで、夢を見て、執着した筈だ。光を欲した筈だ。お前は零に戻れない。お前が望んでいるのは再生ではなく、別の分岐だ。光の独占だ。そんなお前が再生だと?……よくもそのようなことをぬけぬけと言えたものだな」


「っ……確かにそうよ。でもね、それでも、私はこの子を守るわ。奴を殺すわ。この子に、奴に執着するわ。私は狂おしい程に愛し、狂おしい程に憎むわ。この子は私を愛してくれる。奴がこの子を愛したように」


「ああ、そうだ。お前はそういう輩だ。だから私はお前に告げよう。もし、お前があの子を害するようならば―――我が親友に変わって、私がお前を殺す」


「それはこちらも同じことよ。もしも、私からこの子を奪うようなことを貴方が企んでいるのならば―――私が、貴方を殺すわ」



 二人の絶対強者は静かに相対し、互いの決意を言葉に乗せる。


片や己の過去の罪滅ぼしと未来の栄光の為に、片や崇拝に等しい程に尊敬する親友の為に、その決意を表明し、敵対を決定した。

だが、それは今ではない……敵対するのは、本当に互いがぶつからねばならない時であって、協力し合っている今ではないのだ。

彼らは藍色の妖を打ち取るまでは同志であり、形だけでも協力する。


 だが、藍色の妖が討たれた後は、全てが一変するだろう。

碧は紫の妖を殺し、白雪を見つけ出し、一鬼を守る為に進んでいき、その為ならばそれ以外全てを滅ぼす。

対照的に、ブルー・シャーマンは紫の妖と敵対はせず、碧を監視し、危険ならば葬る立場にあることを明言している。

いずれこの二体の絶対強者がぶつかる時が来るのは一目瞭然であり、その時どちらが勝つかは分からない。


 だが、確かなことが一つだけある。


その争いの原因は、たった二体の鬼なのだ。












 気付けば、一鬼は蒼炎の中に居た。


 ブルー・シャーマンの意味深な言葉と共に、一瞬で意識を失った彼は己が何処に居るのか一瞬だけ混乱するが、すぐさま冷静になるよう努める。

こういう時にいかに冷静に振舞えるか、そして勘が働くかが、生存率に大きく差をつけることを彼は知っていた。

それを実感したことは余りないものの、こうしてその状況に陥れば、そうせざるを得ないことが分かる。

未知の領域に踏み込む時に冷静になれなければ、そこから戻ってくることはできない。


 一鬼は静かに上も下も分からない世界を進んでいく。

まるで幾重にも重ねられたカーテンのように何層にも分かれて揺らめく蒼炎が、妙に美しいと彼は感じた。

今ここにある蒼炎はブルー・シャーマンが纏っている蒼炎と同じであることは疑いようもない。

彼の感覚もまた、二つの蒼炎が同一のものであることを感じ取っていた。




「……心臓が、疼く」



 心臓が急に妙な熱を感じ、痛みがぶり返したかのような錯覚を一鬼は覚えた。


彼は一度として心臓の手術など受けたことはないし、そもそも体にメスを入れた経験そのものがないのだ。

つまり、今彼の心臓の辺りを襲っている熱と鈍い痛みは、ただの幻でなければならない。

幻を感じていることも問題ではあるものの、彼の知らない場所でその胸にメスが通されていたのだとすれば、それこそ問題だ。


 一鬼が記憶にないことを前提に考えれば、メスを入れた時期は恐らく彼が生まれた直後から二、三歳までの間ということになる。

はっきりと意識を持てない二、三歳まででもなければ、彼は恐らくそれを覚えている筈なのだ。

そもそも、本当に手術したのだとすれば、傷一つ残っていないことがまずおかしい。

腕の立つ医者が行った場合なら目立たないものの、手術の痕というものは残るものなのだ。


 一鬼の高い治癒力がそうさせたのかもしれないが、それでも彼の不安は拭えない。

そもそも手術していなかったとしたら?彼が妖として生まれた直後に何かあったのだとしたら?……そんな仮定の話を考えてしまう。

彼の不安を助長させるように心臓は更に熱を持ち、その体温を上げていく。

まるで怨念を心臓で受け止めたかのような錯覚すら覚えながら、彼は進む。




「調子はどうだ。選ばれし子よ?」


「! ブルー・シャーマン……それに、愛梨も。いつの間に」


「ようこそ、境界へ。ここは私が境界の中で与えられた領域だ。心臓が熱を帯びているのだとすれば、それは行き場のない怨念が向かうべき心臓を見つけた証拠だ」


「……怨念が、俺の心臓を選んだと?」



 突如現れたブルー・シャーマンと愛梨に驚いたものの、一鬼はその言葉を受け止め、噛み砕いていく。


この蒼炎に包まれた空間は、ブルー・シャーマンが境界の中に生み出した世界……そういう認識で間違いない。

そして、彼が感じる熱と痛みは、彼の心臓に行き場のない怨念が向かおうとしている証拠となる。

そもそも怨念がどういうものなのかを彼ははっきりと理解していなかったが、残留思念の類であることは間違いない。


 妖は人を食らい、互いを殺して、怨念の宿る心臓を潰すことで、その力を得る存在だ。

怨念はそもそもどういうものなのかを考える必要があるのは間違いない……が、一鬼はそのことを今まで怠っていた。

妖同士ならば、怨念は殺された者の心臓から殺した者の心臓へと向かい、人間は食らうことでその感情エネルギーなるものが妖の心臓に蓄積される……この彼の認識は間違っていない筈だ。

だが、問題は何故その怨念が妖の力を増すかだ。


 そのことを、彼は理解していなかった。




「ああ、そうだ。そもそも、怨念とは言い換えれば『希望』や『未来』だ。それらを奪われたことで生じる怒りや憎しみ……それらの感情エネルギーこそが妖を強くする。当然、それらを一身に受ける為精神への負担は大きい。故に、無闇に怨念を溜めこむと感情エネルギーが破裂して死ぬ」


「……恐ろしい話だな。だが、怨念は己を殺した者、もしくは食った者に向かうんじゃないのか? つまり、今俺の心臓に働きかけている怨念は、俺が殺した者達のものなのか?」


「いいや、それは違う。怨念は、元来の仇が既に死亡している場合、それに最も近しい者に向かう。今回の場合もそれだ」


「成程……そういうことだったのか。つまり、俺の一族の誰かが殺した者達の怨念が、俺に向かっているんだな?」


「ああ、そうなる。既に殺戮者によって一度それを経験しているのなら、分かるだろう。一度で一気に覚醒するのは危険過ぎる」


「……ああ、そうだな。確かに、精神的に脆くなるのは危険だ。隙を突かれやすくなる。何より、気分が悪い」



 怨念は殺害した本人が死亡している場合、それに最も近しい者に向かうこととなるのならば、やはり一鬼の一族が怨念を背負うようなことをしていたのは明白だ。

仕方がなくしたのかもしれないし、嬉々として殺したのかもしれない……だが、どちらにしろ命をその手で奪ったのは間違いない。

彼の心臓に絡みつこうとする怨念がそれをはっきりと告げるのだ。


 一鬼の心臓は絡みつくような重さを感じ、ぶりかえしたような痛みと熱を彼に与える。

数日前に碧の一言で負った怨念に比べれば、大した量ではないものの、やはり気分が良いものではない。

怨念を背負うということは、誰かの死を背負い、その元来あり得た筈の可能性を背負い、その可能性を潰された憎しみを背負うことを意味する。

それ程までに殺し、奪わなければ絶対強者になれないというのならば、確かにそれは大きなハードルだろう。


 しかし、一鬼はそのハードルを越えねばならない。

超えられなければ、何一つ守れず、己の無力を呪いながら絶対強者達に怯えねばならないからだ。

そうなるくらいならば、精神を揺るがす怨念に耐え、守護者としての使命を果たす……それが彼の考えだった。

彼は確かに両親の血肉は受け継げなかったが、その守る者としての志はしっかりと受け継いでいる

それに従い、ただ果たすことによって、彼は今の居場所を維持できるのだ。


 そうでなければ、彼は妖であり、人間である父や美空にとっては、化け物でしかない。




「一鬼先輩、余り気が進まないようなら、止めた方が……私も、他者の思念を背負い続けたから、その辛さは分かります。無理はしないでください」


「ああ、分かっている。俺は望んで出生を知ろうとしているんだ。無理などしていないさ」


「でも、自分の出生を知ってしまった後、家族はどうするんですか? このまま一緒に居続けるのは無理があります」


「そうだな。その点に関しては、少しずつ距離を置く。具体的には、大学を卒業した後にそのまま消えられる程度にはな」



 一鬼にとって、美空と父は今の居場所を作り出した大切な存在だ。

一年前まではそこに母も居たが、今はもう居ない……どんなに願っても、もう会えない。

だが、ただその死を悲しむだけならば、誰にだってできる……彼が必要としているのは、それでも前に進む強さだ。

彼が教えられたのは、どんなに苦しくても、己の守るべきものを守る、守護者の精神だ。


両親の強い期待に応え続けて、遂には一鬼は彼らの望んだ精神性を受け継いだ。

何故血の繋がっている美空ではなく、彼にその精神を受け継がせたのか、彼は知らない……だが、その胸に流れる赤い血がそれを受け継いだことは感じている。

血そのものは受け継げなかったが、そこに流れる魂を、彼は受け継いだ……それだけは確かだ。

美空は血肉で二人と繋がっている。一鬼は精神性で二人と繋がっている。


 そして、それこそが一鬼という妖と神谷家を繋ぐ絆となっていた。

守る者の精神があるからこそ、彼は今その家族として過ごせているのだ。

今の彼の環境は両親が与え、守ってきてくれたものだ……そして、それに報いる時は居今だと彼は感じていた。

義妹である美空を守り、父である明を守ることで、彼は二人と母である夜空に恩返しをすることができる。


 それは本当にちっぽけな恩返しでしかないが、それを皮切りに彼は人間を辞めるつもりだった。




「……私は、両親と血の繋がりがあるから一鬼先輩の苦しみを理解しきることはできません。でも、苦しいのは分かります。私にも、その苦しみを分けてくれませんか?」


「分ける?……しかし、どうやって?」


「私が、出生の記憶を引き出す。その際に生じる怨念を、少しばかり愛梨にも分けるのだ。勿論、精神に異常を来さない程度だが」


「……良いのか?」


「はい。私も、今まで先輩に与えられてばかりでした。だから、それに報いたいんです。私なんかにできることなんて、殆どありません。だから、せめて―――せめて苦しみを共有させてください」


「……分かった。頼む」



 愛梨の言葉に、一鬼は静かに頷いた―――頷くしかなかった。

彼女の必死な表情が、そこに込められた決意の色が、彼にそうさせたのだ。

半分妖である彼女にとって一鬼は同類でもあり、同時に異形でもあることは間違いない。

そして、彼は胸を張って言える程、彼女を助けた訳ではない。支えた訳ではない。

そんな彼に、彼女は力を貸したいと、恩に報いたいと言ってくれるのだ。


 一鬼は己を過小評価しがちだが、やはりその本質が空虚であることは間違いないと断じることができる。

それだけに関しては、悲しいことに彼は自信を以て断言することができてしまうのだ。

己でも理解できる程に空虚な彼に、恩に報いたいと言ってくれる誰かが居る……それはとても幸せなことだ。

感謝し、それに応えなければならない。そうせねば、その暖かさを、思いを否定することに繋がる。


 初めて会った時は余りにも危うくて、いつ壊れるか分からなかったガラスのような少女が、今目の前で強い意思を込めて、懇願しているのだ。

口では懇願しながらも、その手は強請る為などではなく、与える為に伸ばされているのだ。

己を空虚で無価値だと思っていた一鬼に、その手を差し伸べてくれる他人が居るのだ。

こんなに嬉しいことはない。有難いことはない。


彼には、それを振り払うことなどできなかった。




「はい、頼まれちゃいました!」


「さぁ……ブルー・シャーマン、始めてくれ」


「了解した」



 一鬼と愛梨は寄り添うように座ると、ブルー・シャーマンの次の行動を待つ。


それに対して、ブルー・シャーマンは静かに頷くと、その力を部分的ながらも開放した。

彼の本当の能力は、ただあの世とこの世の境界に移動することではく、そこを利用できるものだ。

彼に与えられたこの蒼炎の空間こそが、全てを見透かし、『理解』することを可能にしている。

今は宿主の生命力を考慮して一割にも満たない能力しか扱えないが、それでもこの空間に連れてくれば、全てを見透かすのも不可能ではない。


 愛梨のサポートもあれば、今の制限された状態でも一鬼の過去を遡るのは十分に可能なのだ。

ブルー・シャーマンの能力で過去に遡れば、その情報はここに居る者達全てに伝達される仕組みになっている。

つまり、一鬼だけではなく、ブルー・シャーマンと愛梨もまたその全てを知ることができる訳だ。

格上である紫の妖に関する情報が欠けているブルー・シャーマンとしても、この機会は非常に有難いものだった。


 そんなことなど露程も知らぬまま、一鬼は不意に訪れる心臓を痛みに、何かを思い出していく。




「いくぞ……選ばれし子よ。その記憶にしっかりと刻むが良い―――己の過去の断片を」



 そこに残酷な何かがあったとしても、一鬼は全てを知らねばならない。

彼が何者で、これからどうするか、どうしたいのかが、そこから決まるのだ。

妖として生きていくか、人間として生きていくかも、完全に出生の秘密を知れば決定する。

両親から教わった守る者としての魂に従うか、碧と同じ殺戮者としての道を選ぶかも、それで決まるだろう。


 全てはここから始まり、ここに帰るに違いない……そんな確信が彼にはある。




「俺は……変わる」



決意を胸に、記憶の海に静かに浸かっていく一鬼の脳裏に最初に浮かんだのは、銀色の何かだった。







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