第8話
翌朝早くラデナート東の街へ出発し、到着した東の街で二人は遅い昼食をとるため一軒の食堂へ入った。
マークは食堂のおかみに借家はないかと尋ねた。
「おや、あんたこの街に住むつもりかい? なら、この道の先にある赤い煉瓦の建物に弁護士事務所があるからそこへ行ってみな」
「弁護士事務所?」
「たしかご領主様の借家をいくつか面倒みてたはずだから。空いてなくても、いい人だからどこか紹介してくれるよ」
ドンッと皿の中身が飛び上がるほど豪快に、おかみはテーブルへ注文の料理を置いていく。
その弁護士事務所はご領主様とのつながりがあるらしい。領主とは、おそらくこの近隣に領地を持つハルファング家のことなのだろう。隣り合った場所にカティーガン氏もかなりの土地を持っているはずだが。
「ここには、護衛の剣士を雇える程の領主や地主はいるかな?」
「ああ職探しかい。ご領主様のところか、地主のナスハン氏なら雇ってもらえるかもしれないよ」
そう言った後、おかみは声をひそめてマークの耳元で付け加えた。
「地主のカティーガン氏のとこはお勧めしないね。金払いはいいんだが。どんなことで儲けた金か怪しいもんさ」
新参者に教えてくれるくらいだから、この街では誰もが思っていることのようだ。その証拠に、その話が聞こえただろう他の客からは何の反応もなかった。
旦那様が女性と楽しそうに話をしている。そのことに、むしょうに腹が立つ。マークはその女性に対して愛想がよすぎると思う。わたしには、いつも眉間に縦皺を寄せる顔ばかりなのに。あの女性、好きじゃない。早くどっかいってしまえばいいのに。
そう思って見ていると、食べ終わった旦那様が席を立った。
えっ。
まだわたし食べ終わってない。置いていかれる?
急いで立ち上がろうとすると。
「ここで待っていろ。用事を済ませてくる」
わたしの返事も聞かずに、旦那様は食堂を出て行った。
スプーンを片手にポカンと旦那様の去った出入り口をいつまでも中腰で眺めるわたしを哀れに思ったのだろう。おかみが声をかけてきた。
「心配しなくても、ちょっと弁護士さんとこ行ってくるだけさ。ほら、荷物がおいてあるだろ?」
おかみは、わたしに笑いかけながら肩をポンっと叩いて頷いた。大丈夫だよ、とでも言うように。慰めてくれているらしい。
さっきちょっと嫌な人だなんて思ってごめんなさい。そうだ、荷物があるんだから、荷物番していれば旦那様は帰ってくる。
わたしも頷き返して、自分の食事を続けることにした。
マークはリーシェを置いて、説明された弁護士事務所を探した。
街のメイン通りは大きくない。小さな看板しか出されていなかったが、それはすぐに見つかった。『ソナー弁護士事務所』おそらく、ここだろう。
赤煉瓦作りの頑丈そうな建物の玄関扉のノッカーを鳴らすと事務員らしき人が出てきた。
「どのような御用でしょうか?」
ひょろりと背の高い陰気な雰囲気を醸し出す男が、胡散臭そうな目でこちらを窺っている。愛想は非常によろしくない。剣士姿の自分はそれほど低く見られることはないのだが、ここは上客しか相手にしないのだろうか。無駄足だったか。
そう思いながらも、マークは要件を口にした。
「この街で借家を探しているのだが。街の食堂で、ご領主の借家物件をいくつか扱っていると聞いてきた」
その無愛想な事務員に狭い居間へと案内された。
「こちらで少々お待ちいただけますか?」
その部屋は八人用のテーブルセット一式と飾り棚だけでいっぱいになるほどの部屋だった。だが几帳面なのか丁寧に扱われた家具は重厚感がありかなり年季の入った古いものだ。貴族の領主とつながりがあるくらいなら代々ここで弁護士業を営んでいるのかもしれない。
「お待たせしました。ソナーです」
先程の男とは異なり、それなりに愛想のいい笑顔で壮年の男性が現れた。落ち着いた物腰だが、その目は鋭くこちらを観察している。
「マーク・デイグスです」
さすがに本名を名乗るわけにはいかず、いつも使っている偽名を名乗る。とはいえ、実在する人物の名前である。年齢は異なるが。
「ご用件をお伺いしましょう。お掛け下さい」
一応、ソナー氏のお眼鏡には適ったのか、話を進められそうだ。食堂のおかみに薦められてきたと話を切り出した。
いくつかの質問に答え、数分ほどで話はまとまった。丁度二軒ほど空き家があり、そのうちの一軒を借りることができたのだ。その空き家を定期的に手入れをしているという女性に、朝から昼過ぎまで家政婦として通ってもらえるように交渉もしてくれるらしい。その女性の収入も増えるため、引き受けてもらえるだろうという。契約書にサインし金を支払い、鍵とその家までの地図を受け取った。
無愛想だった事務員に、帰りはえらく丁寧な挨拶で見送られながら、事務所を後にした。
食事を終え、すでに皿も片付けられたテーブルでリーシェが一人所在無げに待っていると、マークが食堂に戻ってきた。
勢いよく立ち上がって、そばまで来てくれるのを待った。しかし。
「ありがとう。家を借りられた」
旦那様がまっさきに声をかけたのは、他の客へ料理を運んでいるおかみだった。いつもより愛想がよく、口元に小さく笑みを浮かべている。
「そりゃよかった。また、食べにおいで」
おかみは大声で景気よく言葉を返した。
旦那様が出口近くでわたしに顎をしゃくって表へ出ろと合図する。
おかみには愛想よく手を上げて返していたのに。なのに、わたしには。顎。
悔しいっ。
わたしは食堂を飛び出し、馬へ駆け寄った。お前はわかってくれるよね。馬の首に腕をまわし、頬ずりしながら心の中で語りかけた。しみじみと。だが。
彼(彼女?)は旦那様の姿を見ると、わたしを振り払い、旦那様に笑いかけた。
旦那様ったら惚れさせすぎよっ。どこに行っても注目されて人気者なんだから。いくらわたしが周囲の人を威嚇しても効果がない。皆が旦那様を奪いにきたらどうしよう。旦那様、自覚がないのは罪よっ。
わたし達は馬に乗り店を離れた。不満な気分満載だったので馬上でわざと旦那様にギュッとしがみつく。すると動きづらいと旦那様からの苦情。上を見上げ、困った顔の旦那様を見て、ちょっとスッとした。だから、腕は緩めた。でも、それはほんの少しだけ。心臓の音が感じられる距離は心地がいいから。
馬の背で揺られていると、建物の数が減っていく。街中から少し外れたところに、ぽつんぽつんと二階建ての家が点在している。
そのうちの一軒で馬を降りた。
旦那様は、わたしと荷物を馬から降ろし、家の横へ馬を連れて行く。そこには馬の家があった。
「荷物の番をしていろ」
馬の家に入って行く旦那様の後をついて行こうとしたら、追い払われた。
いつもいつもいつも荷物番ばかり。
玄関扉前で荷物の横にしゃがみ込み、待った。
ずうぅっと待った。
ようやく玄関に旦那様がやってきて鍵を開けた。
「何をしている?」
わたしの横にあった荷物を持ち上げ旦那様が問いかけてきた。わたしが玄関扉の前でしゃがみ込んだまま動かないので、おかしいと思ったのだろう。
足の裏がジワーンとして動けないのだ、実は。力を入れようとすると、くすぐったいような笑いたくなるような、背筋まで気色悪いなにかが昇ってくるような。何とも表現しづらい感覚に。
眉を下げ、へらっと旦那様に笑ってみせた。
「足が痺れたんだな?」
そうなのか。足が痺れているのか、これ。
と思っていると、旦那様はわたしを残してさっさと荷物と共に中へ入ってしまった。
恨めしそうに扉を見つめても閉ざされた扉は開かない。尻餅をついて、その場で足をゆっくり動かし、奇妙なゆるゆるした気持ち悪い感触を紛らわしていると。
背後で扉が開いた。
振り返ると、当然、旦那様がそこに立っている。
旦那様に向かって両腕を伸ばした。馬に乗るときのように。そうして待っていると。
馬に乗るときとは違い、背中と膝の裏に腕を回して持ち上げられた。ジワーンが収まりかけた足を揺らしながら、わたしは家の中に運ばれた。
やっぱり旦那様は素敵。旦那様の首に腕をまわしながら思わず頬が緩む。
愛想よくないところが、旦那様の人気の理由なのかもしれない。だって、たまに笑うと凄く素敵。わたしに笑いかけてほしいな。他の人なんか見ないで。
前を見る旦那様を斜め下から見上げ、そう思った。