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第4話

 

 道中の小川で休憩を取るためマークは馬から降りた。続いて落し物を降ろそうと腰に手を当てると、落し物はマークの肩に腕をのばしてくる。ニコニコと黙って従順だ。

 落し物を降ろして、マークは尋ねた。


「お前、本当に何も覚えてないのか?」

「全然。でも、マークのことは覚えてる。朝からずっと一緒だから」

 落し物は鼻歌でも歌いだしそうなほどの上機嫌である。宿を出るときの様子は欠片も残ってはいない。

 記憶をなくして何も覚えていないというのに、不安にはならないのか。記憶喪失というのは、記憶を失くして子供になってしまうものなのだろうか。

 それにしても、この上機嫌。何の変哲もない道を馬で走っただけである。何が嬉しくて楽しいというのだろう。マークにとって落し物はまるで理解できない。


「お前、いくつなんだ?」

 ふと問いかけてみた。落し物は、目をあちこち彷徨わせてから。

「わからない。歳だけ覚えてるわけない」

 もっともな答えだった。だが、答え方は可愛くない。一体いつになったら記憶を取り戻すのだろう。

 マークは落し物に声を掛けようとし。


「お前にも、名前が必要か」

 言うともなしにつぶやいた。

 それを聞きつけた落し物が、川縁で馬に水を飲ませているところへにじり寄ってくる。馬との間に入り込み、落し物がこちらの顔を覗くように見上げてきた。

 目を輝かせて期待に胸膨らむといった表情である。


「名前? わたしの名前?」

 彼女が瞬きを繰り返しながら下から見上げてくる様は、可愛らしいと言えなくもないのだが。

 名前で、この反応。なぜだか不憫な気がした。頭の打ち所が悪かったのだろうか。

 黙って立っていれば妙齢の女性だ。それなのに、その顔に浮かぶ表情は、まるで好奇心いっぱい子供のようで。そのくせ所作は女っぽくやわらかに動く。女のようで女ではない、子供のようで子供ではない。

 落し物は、不思議な生物だった。


「ね、名前は?」

「お前が名乗るんだから、お前が決めろ」

 川を見ながらマークはそっけなく答えた。

 落し物は、頭を傾げながらあちこちを見る。それがこいつの考えているときの癖なのだろうか。


「思いつかない」

 しかし、あっさり軽く返された。

 あれはきっと真面目に考えてないときの様子に違いない。でなければ、あんな悩みのない顔で笑っていられるはずがない。悩まない性格だとしても限度というものがあるだろう。あの頭の中は考えることを知っているのか? もう少し脳味噌を使え。


「真面目に考えろっ。さぁ、行くぞ」

 マークは機嫌よく笑っている落し物を馬の鞍に抱え上げ、再び馬を走らせたのだった。



 わたしの名前。その響き。なんだかとても嬉しい。素晴らしい物、そんな感じ。

 でも、付けてくれたらもっと嬉しい気がする。

 うーん。でも、馬に乗っているのは楽しくて。名前のことをそれ以上考えることはできなくなった。周りに気を散らされてしまうのだ。

 顔にあたる風。時々、糞くさい。

 飛ぶように過ぎていく景色。

 広がる緑の草原の絨毯。

 遠くに見える白い雪をかぶった山。

 所々にある森。草原で寄り添う大きな木々。

 草地にいるのは牛? 馬? でっかい犬?

 行き交う馬車。四角い馬車だったり、草を載せた馬車だったり。馬車に乗っている人がかぶっているのは帽子というもの。あれ欲しいな。

 うっ。土埃が目に入ると痛い。

 石や木材で造られた建物が立ち並び、広く見渡せなくなる。街へ入ったのだ。

 街には人々が大勢おり様々な衣装を着て行き交っている。道もあちこちへ交差して、人も荷車も馬車もいる。マークも馬の速度を緩めた。

 若い女性はわたしの格好と似ている。なるほど、帯が高い位置程若いってことなんだ。

 建物も木造ではなく石で造られた大きなものが多い。

 すべてに見憶えがなく新鮮。わたし、何を忘れているんだろう。でもこんな風景は知らなかったんじゃないかと思う。

 キョロキョロしているうちに、街を通り過ぎてしまった。


 何度目かの休憩を川沿いの木陰で取る。マークに何かを挟んだパンを手渡された。これが、お昼ご飯らしい。木陰に座ってモグモグと食べる。

 彼と馬から目は離さない。うっかり置いていかれてはたまらないからだ。


「考えたか?」

 そう言いながら、彼が荷物から水筒を取り出し、こちらへ歩いてくる。わたしにも一つ手渡される。

 何を?

 水筒を受け取りながらそう思っていると、呆れた目を向けられた。


「お前の名前だ。お前、もともと覚えられないんじゃないのか?」

 あぁ、わたしの名前、ね。たまたま忘れてただけだというのに、マークは思いっきり呆れた顔で見ている。たまたまじゃないの、マークったら細かいことを。

 で、名前、ね。

 ……。

 考えてなかった。

 そう思ったことは、マークにはお見通しだったらしく。


「いい。お前は『落し物』だ」

 面倒くさそうにそう言うと、マークは水筒を口にあてた。ゴクンと美味しそうに飲んでいる。そらされた喉元が動いて。それはそれで、カッコいいかも。

 うっかりマークに見惚れていたけど。

 ん? わたしは『落し物』?


「何それ! 名前じゃないじゃない」

 ひどいっ。物になってるし。抗議の声を上げた。

 しかし、彼は当然とでも言うようにさらりとその抗議をいなした。


「考えないお前が悪い」

 それは。確かにそうなんだけど。

 もうちょっと可愛い呼び方、考えてくれてもいいと思わない?

 マークに何とか不満を伝えたいと、しかめた顔を向けた。


「落し物、そろそろ行くぞ」

 マークは水筒の口を閉じ、馬の方へ歩き出してしまった。

 わたしの不満は?さらっと流されたらしい。

 この呼ばれ方は、ちょっと、嫌かも。だいぶ嫌。そりゃそうでしょ。そうよね。そう思ってくれないの?

 これじゃあ、ほんとに神殿へ『落し物』で届けられそう。

 馬の方へ歩いて行ってしまう彼に、慌てて付いて行きながら声をかける。


「じゃ、じゃあ、えっと、リー、リーシェってのはどう?」

「リーシェ?」

 とっさに出たけど、我ながらなかなか可愛い音の響きに思えた。それにマークの声がいい。その発音、素敵。わたしの名前がすごく可愛く聞こえる。

 振り向いて言ってくれれば、なお良かったのだけど。彼はテキパキと木から馬の手綱を外している。少しもこちらを見ない。


「そう。リーシェ。ね?」

 どう? なかなかいいでしょ? 得意げな顔をして見せる。

 だが、何の歓心もしてくれない。そして。


「落し物のリーシェ、行くぞ」

 マーク、わたしのこと、本当に落し物だと思っている?

 リーシェは拗ねたように唇を突き出して見せた。

 でも、置いて行かれると困るので、大人しく馬の傍に寄り、マークの前で腕を上げて待つ。そうすれば、腰を持って抱えあげてくれる。

 拗ねた顔のまま見上げてると、マークの口元がゆるく曲線を描いた。腰を掴むときに間近で見た金色の瞳は、確かに笑っていた。

 初めてかも。こんな風に笑っているのは。

 すぐに馬に抱えあげられ、彼も馬に乗ってしまったので見えなくなってしまった。

 もう斜め横下からしか彼の顔は見えないし、彼と視線を合せることもない。

 もう少し、見たかった。

 もう一度、見たいな。

 そんなことを思いながら、彼にしがみつき馬に揺られた。



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