第3話
肩を揺すられ目を開けると、呆れた顔の男性の顔がわたしの視界に現れた。スイッと目の前に布の塊を差し出される。目をこすりながら寝台の上で身を起こし、その布と男性の顔を交互にみていると。
「着替えだ」
素っ気ない一言とともに、それを押し付けられる。手にとって広げてみると、靴があった。それに服が数枚。わたしのための物のようだ。これに着替えろという意味なのだろう。
今着ている薄着を脱ごうとシーツを押しやり、寝台の上で裾の部分を持って一気に腕を上げて頭から抜こうとしていると。
「ばっ、かやろっ」
正面から男性の慌てた怒鳴り声があがる。薄着を肩というか首にかけた状態で、男性の顔を見ると、驚いた顔でこちらを凝視している。やや顔が赤い? 目があったとたんに後ろを向かれてしまった。
「どうかした?」
声をかけたが、後ろを向いたまま、男性は手と頭を振ってみせた。よくわからないけど、気にしなくていいらしい。薄着を脱ぐのを再開する。
もしかして、これは彼の服では? 男性が中に着ている白い服と同じような気がする。乱暴に扱うなってことで怒ったのかもしれない。案外、神経質なようだ。破ったりしないのに。無理やり頭を抜こうとして、ビッていう何か小さな音がしたけれど。
さて、渡された服を寝台の上に並べる。
薄くて小さい袖のない服は、上からストンと被って着ることができた。二本に先が別れた白いものは、腕を通して頭から被る。なんとか入ったことは入ったけど腕が動きづらく窮屈な気がする。残りの服が二枚、と、よくわからない幅広い紐みたいなのが二つ。服は長いのと短いので、どっちを先にきるのだろう。前開きの小さい方を先に着て、その上から長い服を着る。首元にある紐を縛ると胸元がクシュクシュになったが、中が見えなくなった。中がゴワゴワしているので、こんなに重ねなくてもいいのにと思う。そして、残りの二つの紐がさっぱりわからない。
「これでいい?」
声をかけると、やっと振り向いた男性は、口をへの字に曲げた。あからさまに。眉を顰めている。多分に気に入らない出来だったらしい。
「この紐がわからないんだけど」
二つを手に持って見せると、男性は唇を数回開け閉めしていたが、一文字に引き結び視線を逸らした。真横を向いているのではと思う程、おもいっきり逸らされた。
「ねぇったら。これは何? どうすればいいの?」
こちらを見てくれない男性の前で、手に持った紐もどきを振ってみせる。すると、何かボソボソとつぶやくのだが、よく聞こえない。
何を言っているのか聞き取ろうとしていると、男性の前に出した手首を押さえられ、下に降ろされた。
思わずむっと膨れてしまう。
「わからないのか?」
しかし、手首を押さえつけた行動とは異なる力ない声で尋ねられた。彼は視線を横に向けたままだ。口元を覆うように顎に手を当てている。
わからないから訊いてるっていうのに。わたしは頬を膨らませたまま思いっきり首を縦に振ってみせる。
すると彼は一文字口のまま、わたしが手にしていた紐もどきをひったくるようにして奪った。
そして、白い方の紐もどきを持ち。
「これは、女性用の下着で胸当てだ。付け方は、わかるな? わかるだろう? 想像つくな?」
彼は、わたしの二の腕を掴んで身体が傾く程大きく揺らした。その声は、最後には懇願するように。
でも。
「わかるわけないじゃない」
はーっと思いっきり大きな溜め息をつかれた。
もう、何なの? わからないから聞いてるのに。ちゃんと人の話をきいてよね。
しかし。
無愛想なわりに彼のその手は意外なほど丁寧にわたしを取り扱った。結局、すべて着方が間違っていた。二本に分かれた白いのは、足を通してはく下半身用の下着だった。そして紐みたいな白い胸当てをつけ、薄い白くて長いのが上半身用の下着。それから、一番大きな赤い服を着て、胸元の紐を縛る。小さい方の服は、その上に羽織るものらしい。そして胸の下で幅広い帯を巻く。帯は高い位置で幅広めに巻くほうが若い女性らしいのだそう。
「ふうん。こうなるものなのね」
くるっと回って裾が広がるのを確認する。踝くらいまでの長さでピンク色の靴先が可愛らしく見えている。ひとしきり服を着た自分を堪能した後、彼を見た。
彼は力尽きたように椅子に座っている。膝に肘を付けて項垂れ、まだ溜め息をついているらしい。
そんなに疲れることだっただろうか。でも。
「ね、お腹すいた」
わたしの言葉に、彼が急に立ち上がった。憮然とした顔で、ジッとわたしを見る。
そのまっすぐに立った姿は硬質で動じず、何を考えているのかわたしにはさっぱりわからない。
彼を見つめて待っていると。
「来い」
彼は、一言ぶっきらぼうに言い捨て、荷物を手に取りドアに向って歩き出した。わたしは慌てて彼の後に続いた。
これは子供という生き物なんだ。見た目は大人でも。マークは彼女を着替えさせる間中、何度も自分に言い聞かせ続けた。
なぜ俺が女に胸当ての付け方を教えなくてはならないのか。なぜ男の前だというのに、この女は素っ裸で無防備に立っていられるのか。しかも触れられることに何の抵抗もない。
指先が埋まるフニャフニャした触り心地は非常によく、いつまででも触っていたかった。肌はどこも滑らかで……。視線や思考が彷徨ってしまうのは仕方がないだろう。
いや。これではまるで俺の方がおかしいようだ。変なのはこの女の方だ。いや、これは女じゃない、『落し物』だ。
露出した素肌を隠すべく手早く着付けていった。出来る限り力を込めないよう細心の注意を払っているこちらの困惑など全く素知らぬ顔で、落し物は手元を興味深々で眺めていた。
やっと着せ終わりグッタリしているところへ、お腹すいた、の声。もはや溜め息も出ない。
だが、今日は早く出発しなければならない。気を取り直し、荷物を手に立ち上がった。
宿の食堂で朝食をとろうと降りていくと、その後を落し物がついてくる。強面の俺に物怖じしないので、人懐こい性格だと思っていた。ところが、俺の後ろに張り付くように付き従いビクビクと周りを警戒している。他人に怯えているのだ。男も女も子供も関係なく。
食事の席では、落し物が当然のように椅子を寄せてきてすぐ隣に陣取る。ニヤニヤと他の客達から見られ、それが余計に嫌だったのか、増々俺の右腕に隠れるようそばに寄った。お陰でスプーンをもつ右腕が使い辛く、食べにくい朝食だった。
だが、その状況に多少の優越感があったことは認めよう。自分だけ特別に懐かれる事など、後にも先にもあるとは思えないのだから。
朝食の後、裏の厩へ向かう。厩番に金を渡し、自分の馬を引き取り鞍を付けた。手に持っていた荷物を馬の背に括り付けている間、背後で落し物が不安そうにこちらの様子をうかがっている。
そんな状態でここに置き去りにするのは良心が咎めた。遠回りになるが最後まで面倒をみてやるべきだろう。
「近くの神殿まで連れて行ってやる」
気を利かせて声をかけたが、その言葉に落し物はショックを受けたようだった。落し物がブンブン首を横に振り、馬の側に来る。
マークが馬に乗ると、慌てたように落し物が馬に縋り付いてきた。手綱をギュッと握りしめて見上げてくる。
「神殿は行かない。マークはどこに行くの? 一緒がいい」
必死に縋るような目を向けられる。不安なのだろう可哀想だとは思う。女性に頼りにされるのは少々くすぐったくもあった。
「どうした? 何か思い出したか? どこか行きたいところがあるのか?」
「一緒に連れて行って」
首を横に振りながら、落し物は馬に括り付けた荷物にしがみついた。どうやら、馬に乗ろうとしているらしい。
「お前はここに知り合いがいるはずだ。何も思い出せないなら神殿へ行け。そうすれば何とかなるだろう。俺はここにはいられない」
言い聞かせようとしたが、聞く気はないらしい。
「お願い。一緒に連れてって。誰も知らないとこに置いてかないで」
落し物は一生懸命に馬の荷物へしがみつく。必死で「置いて行かないで」そう何度も訴えながら、馬に上がろうとジタバタともがいている。だが、その腕力ではいつまでたっても上がれそうにはなかった。
「置いてかないでよおぉ」
上がれずにジタバタしているその姿は間抜けな格好だが、その顔には悲壮感すら漂っており。歯をくいしばり、悔し涙なのか眼尻が濡れている。
その様子に気づいた他の客達にも咎めるような視線を向けられてしまった。それに、このまま置き去りにすれば、こちらを窺っている数人の男性達のうちの誰かが、落し物に声をかけることになりそうだ。
声をかけるのがいい奴ばかりとは限らない。後の事を気に病まずにいられるか?
結局、落し物を馬に引き上げた。この落し物は、自分が責任を持って道中の神殿に届けることにしよう、と。