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第21話

 

 神殿の表側の建物が賑わっている。朝から多くの人々が出入りしている気配がしていた。奥であるこちらの世話係達も、普段よりも人が少なく皆バタバタと忙しい。

 実はここへ来た日から、時々、変な感じでぼんやりしてしまうことがある。今日は何だか頭が痛い。こんな日が以前もあったような気がする。何かが目蓋の裏を通り過ぎていくけど、よくわからない。


「神の花嫁、お召替えを」

 わたしは世話係によって昼用の服に着替えさせられていく。ただ、いつもと違って髪を梳かすだけではなく、時間をかけて髪を結っているようだ。


「髪を結うなんて、どうかしたの?」

 わたしの質問に答えが返されはしない。わかっているのだけれど問いかけてしまう。それ程に、ぞわぞわと胸騒ぎがする。


 衣装を整えられた後、いつもは閉じられている神殿の表側へ通じる扉へ案内された。ここへ連れてこられたときに通って以来だ。顔色を変えないよう気を引き締め、扉をくぐる。この扉の向こうへ、出た。走り出したいのを堪えて、案内に従う。

 失敗することは出来ない。周囲にいる人達から確実に逃げ切れるときを見極めなければ。わたしは時折頭がぼんやりするのを叱咤して、慎重に周囲を覗っていた。

 賑わう人々の声に近づいている。女性神官達は、わたしを連れて階段を上がり始めた。そうして到着したところは、柱ばかりで壁がほとんどない広い空間だった。四方から光が注ぎ込み、下のフロアと違って明るい。

 フロアの先、いくつもの柱の間から、下では多くの人々が供物を持ち歩いてくるのが小さく見える。こちらが神殿の正面入り口がある方角なのだろう。

 フロアの手前には祭壇が設けられており、大勢の神官達が居並んでいる。その奥には、ここに祭られた巨大な国生みの男神像の胸上の部分が見えた。祭壇の上には、多数のウサギが供物として捧げられており。動かないウサギの背中に付けられた花の焼印。見覚えのあるそれに、背筋が凍る。脳裡にいくつもの光景がよぎっていった。

 一瞬で、霧が晴れたように記憶が蘇っていく。年に一度訪れる祭りの日。こっそりと扉を越えて見た、運ばれる動かない牛に付けられた花の焼印。わたしの背中にある刻印と同じ。

 わたしは、神の花嫁。神に捧げられた供物なのだと、あれは未来のわたしの姿なのだと知り。そうだったのかと自分の存在の意味を理解した。そして恐怖が襲いかかってきた。誰か助けて。誰か。

 どんなに神に祈っても助けなど来ない。だから、逃げたのだ。念入りに準備して確実に逃げられる日を待ち続け。そして、やっとの思いでここから逃げた。感情のない命の消えるこの冷たい場所から。

 そして出会ったのは、あの人だった。


 神官長がにこやかな笑顔で近づいてくる。わたしを連れてきた女性神官達は、そばを離れ、居並ぶ神官達に混じる。そして、一身に向けられる視線。皆の喜んでいる笑顔。


「神の花嫁、ご苦労だった。さあ、これを飲みなさい。神の元へ行き、真の花嫁となるのだ」

 神官長が示す先には、美しい銀の杯をのせた盆を捧げ持った神官がわたしに近づいてくる。

 わたしをジッと見つめる神官長の視線に目を逸らせない。


「さあ」

 目の前に差し出された杯に、わたしの手がゆっくりとのばされる。

 あの杯を飲めば、神の元へ行く。動かないうさぎ達のように。わたしも。


 ピタッと上げかけた腕を止める。

 湧き上がる怒り。

 杯へ視線を移した途端に、呪縛が解けたように思考が戻ってきた。神官長を見ると、その言葉に従ってしまうらしい。望みもしないのに。杯を見つめながら再びゆっくりと手をのばした。負けるものかと思う。思考が飛びそうになるのを必死で堪える。怒りを湧き立たせることで。

 この人達は待っているのだ、わたしがこの世からいなくなることを。そのために育ててきたのだ、わたしを。わたしは死にたくなんかない。

 あの人は、わたしの死を望んだりしない。きっと心配している。わたしに手を伸ばしてくれるあの人は、あなた達とは違うのだから。



 頭を動かさず目で辺りを確認する。階段には近付けそうにない。これほどの人数の神官がいては。唯一誰もいないのは男神像とは反対、神殿正面入口の方向。

 わたしは杯を手に取ったとたん、それを相手に投げつけた。そして、誰もいない方へ一気に走る。

 フロアの端までくると、身を乗り出さなくても下が見えた。思ったよりも高い。とても飛び降りられない。柱を伝い降りれば、なんとかなるかも。

 フロアを支える太い柱へ方向を転換した。

 

「何をなさるのですかっ」

 神官達が慌ててわたしを取り押さえようと寄ってくる。

 何を?

 当たり前じゃない。逃げるに決まっている。

 フロアの端には階段一段分くらいの低い石があり、そこへ足をかけ柱にしがみついた。柱は円柱で、わたしの腕を広げても三人はいないと手が届かないくらい大きい。円柱には飾り彫されているから、表面には多少の凸凹がある。なんとかそこに足を掛け、横へとずれ、フロア側から遠ざかる。でも、これは、結構きつい。 


「危ないっ」

「きゃあぁぁっ」

「人がっ」

 下から悲鳴のような女性の声があがった。一つの声が次々と連鎖反応のように甲高い声をよぶ。

 どうやら神殿に来ていた人々も、頭の上で起こっていることに気づいたらしい。

 フロア側から男性神官の腕が伸びてきた。

 捕まるものか。

 ジワジワと円柱を外へ下へと移動していく。


「リーシェっ!」

 いくつもの声の中から、わたしを呼ぶ声を聞き分ける。

 確かに呼ばれた。わたしの、名前。


「リーシェ、動くなっ!」

 近くなる声。下に来ている?

 さすがに下は見ることができない。柱にしがみついているのがやっとの状態では。

 動かないわけにはいかないの。言葉に出さずに返事をする。

 男性神官がやって来ようとして円柱へ足をかけている。腰に紐をつけているようだ。

 しつこい。

 結構下に降りたと思うけど、後どれくらいの高さが残っているのかわからない。でも、このままでは、降りる前に、それどころか、もうすぐ捕まってしまう。

 あの神官は、紐付きだから早いらしい。

 神官が手をのばしてくる。


「マークっ。わたしを拾ってっ!」

 大きな声を張り上げ、柱から手を離し、柱を蹴った。

 空中に放り出され。

 落下。


「ぐっ」

 衝撃で声にならないけど、わたしを数人の男性が受け止めようとしてくれたようだった。


「拾うじゃなく、受ける、だ」

 頭の上から小さなつぶやき。

 空を向いたまま落ちたので、背中のクッションになっているのはマークらしい。


「無茶をするなぁ。大丈夫かい?」

「怪我はないかい?」

 何人もの人々が心配そうに顔を覗き込んでくる。わたし達の周りには人だかりが出来ていて。心配そうに覗き込む婦人。ほっとしたような瞳をわたしに向けてくる人々。差し伸べられる幾つもの腕。

 あぁ。温かい。顔が見えなくとも背中に感じる温もりに、わたしの胸に安堵が広がっていった。

 助かったんだ、わたし。


「あぁ。なんとか大丈夫そうだ」

 わたしの頭を抱えていたマークが上半身を起こした。

 それに伴って、私の上半身も起き上がる。


 わたしを受け止めるのに参加したのだろう、立ち上がって土埃をはらう男性の姿が見える。マークは、差し出された誰かの手を取り立ち上がった。わたしの腰を持ったまま。


「神官長。人を供物にすることは禁じられているはずだ」

 マークは、神殿の上フロアを睨みながら大声で告げた。その内容に周囲の人々はざわめき始める。

 人を供物に?

 この女性を供物にしようとしていたのか?

 命を作り出した国生みの神を祭っているというのに?

 なんて恐ろしいことを。


「じきに騎士団が来る。神妙に待っているがいい」

 上フロアの神官達は茫然と立ち尽くしている。がっくりと膝を折っている者もいるようだ。

 その中に、何人かの剣士が混じっている。一人の剣士が、マークに向けて手を上げた。

 何かの合図のようだった。


 マークは、わたしを抱えて、本殿に背を向け歩き出した。周囲の人々は、マークのために神殿出口へ向かう道をあける。

 ひゅうひゅうと口笛や、はやし立てる声で人々はわたしたちを見送った。

 がんばれよー。

 お幸せにー。

 訳のわからない言葉をかけられながら。

 マークは口を閉じ難しい顔をしたままだったが。

 わたしは怪我をしていないと思うのだけど、大人しくマークの腕におさまっていた。


「高いところに登ってはいけないと言っただろう」

 神殿の門のあたりで、マークがつぶやく。

 登ったわけじゃないんだけど。わたしはマークの胸に頭を擦り付け甘えてみる。


「でも、拾ってくれるでしょ?」

 そう答えると、渋い顔で見下ろされた。

 それなのに嬉しさが込み上げてくる。

 そう。きっと。マークは何度でも拾ってくれる。ここまで、迎えに来てくれたんだ。木に登った日のように、わたしを心配して。


「拾ってね。何度でも」

 返事はもらえなかったけど。落し物のリーシェを何度でも拾ってくれる。何度でも手を差し伸べてもらえる。

 苦笑いするマークの胸に頬をすり寄せ目を閉じた。

 何度も夢に見た。あの白い壁の中で、わたしを救いに来てくれる人が現れる日を。わたしを護ってくれる人を。そして。わたしの夢が今ここにある。この人こそがわたしの夢。

 ユラユラと揺れながら睡魔が襲ってくる。

 でも、眠ってしまうのは、いや。

 もっと感じていたい。この温もりを。

 そして、何度でも聞きたい。わたしを呼ぶ声を。

 リーシェ、とわたしの名を呼ぶ、その声を。



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