第19話
マークは一枚の紙切れを手に静かにたたずんでいた。
残された置き手紙。
『家族が迎えにきました。
今までお世話になりました。
家族と一緒に帰ります』
丁寧な文章。
あいつはこんな気配りが使えたのか。
字を書けるとは、知らなかった。
何度も繰り返し読む。
紙の中に何かを見つけようとするかのように。
リーシェのお気に入りだった名前すらそこに署名されてはいない。
何の手掛かりも残さずに去ったのは、ここにいた事実を消したかったのか。
だが、マークにはどうしてもこれを本人が書いたと思えなかった。
馬車に他の女性達と乗り込んだという目撃談から、無理やり連れていかれたわけではない。
部屋に乱れた様子はない。
ただ、手紙の違和感。
いつものような自分の勘に、確信が持てない。
追うなといいたいのか。
追って来いといいたいのか。
追いたいと思う気持ちが、そう思わせているだけではないのか、と。
リーシェがいない空間の静けさが、身に染みる。こんなに広い空間だっただろうか。冷え冷えとしていただろうか。たった二週間ほどの間、一緒にいただけだったというのに。長かったはずの以前の日常、リーシェがいない空間に馴染めないとは。
マークは灯りも付けずに、夜の帳がおり暗闇に紛れていく視界を見つめていた。
そこかしこでリーシェが腕をのばしてくる姿が浮かび上がる。明るい笑顔だったり、ちょっと澄まして自慢げだったり。いつも俺の瞳の奥までも見通そうとするかのような一直線に向けられるリーシェの視線。そのリーシェの瞳に迷いはなく、ただ俺だけを求めて。
隠しもせず誤魔化しもしないその瞳を、自分は受け止めたはずだ。
途端に霧が晴れたように迷いが消え、確信めいた思いに変わる。あの瞳に込められた強い願いに。
そして。
マークは出発する準備にとりかかった。
馬車が向かった西へ行くために。
シスレーが滞在している屋敷に立ち寄った。
「後を頼む」
突然訪れたマークの発言にシスレーが驚いている。
それも当然だろう。
今までのマークなら、カティーガン氏の屋敷に真っ先に乗り込み、証拠を差し押さえるところだ。
その仕事は明日やってくる部隊の仕事であるにも関わらず。
それが、手出しするどころか、結果を確認もせず引き下がろうというのだから。
「珍しいことがあるものだ。そろそろ他人にも仕事を任せる気になってきたかね?」
シスレーの言葉にマークは無言で答える。
首をふり、だが、シスレーは余計なことは言わなかった。
「行くがいい。また会おう」
「すまない」
マークはシスレーの元を発った。
「若いってのはいいねぇ」
と、その後ろ姿にシスレーがしみじみとつぶやいていた。ハンクに同意を求めるように視線を送る。
「わたしはまだ、そこまで老成してはおりませんので」
ハンクはシスレーにそっけなく返した。
「時々つれないな、ハンク」
「さっさと終わらせないと、奥様に浮気されますよ」
「時々、怖いこと言うね、お前」
シスレーは肩をすくめ書斎へ向かった。
マークは馬を西へと走らせていたが、リーシェを乗せた馬車の走っていた時刻が暗い時間であったため道中の目撃情報を得ることができなくなった。さほど特徴のない馬車であったことも情報が取れない理由でもあるようだ。
向かう方向にリーシェを拾ったラデナートの街がある。マークは以前立ち寄ったラデナートの泉へ向かった。
あの日と同じように泉のほとりで馬に水を飲ませ、手綱を木へつなぐ。静かな木々のざわめきと鳥のさえずりが響き渡り、爽やかな風が水面を波打たせていた。
マークはリーシェを見つけた斜面へ再び登ってみることにした。身体が引っかかっていた辺り。そして、更に上へ。そこは草木が生い茂っており、手元足元がまるでわからない中をなんとか上まで出る。
斜面を登りきった所は森の一部で緑と茶色ばかりの世界が広がっていた。だが、そこから少々下ったところに木々の間からチラチラと白いものが見える。建物があるようだ。
斜面上の陽当たりのよい場所から奥へ入ると、胸ほどもあった草木はなくなり歩きやすくなったが、空を覆う木の枝のせいで薄暗い。白い建物らしきものを目指して歩いて行くと、たどり着いた白い物は高い壁だった。どうやら神殿の一部らしい。
こんなに奥まで神殿の敷地だったとは知らなかった。正面からでは、さほど大きい神殿ではないと思っていたのだ。壁に沿って歩いていくと、頑丈な木戸がある。だが、その木戸が開かないよう厳重に木で塞がれていた。その対処は施されて日が浅いことがわかる。木戸と違って塞いだ木はまだ新しい木だったからだ。雨風にさらされてあまり日が経ってない。
リーシェは、ここから逃げたのか?
木戸から道が下方へ続いている。この道を下れば、神殿入り口の方へ、そして街へ出られるだろう。普通なら、この道を行く。リーシェが落ちていたところは、わざわざ道のない方へ歩いた先だ。道を行かない理由は、逃げるため、と考えるのが妥当だろう。
それとも誰かに落とされたのか? いや、落とすくらいなら殺して草の中に放置する方が簡単だ。
近くの木に登って壁の内側を見られないものかと周辺を確認する。
ガサッ。
枝の揺れる音に、マークは動きを止め、耳をそばだてた。
ガサガサと音をたてて誰かが近付いてくる。
「よぅ、マーク」
レイナードだった。
今頃、カティーガン氏と同時にリケンズ家を押さえるため、東の街にいるはずの。
「お前がこんなところにいるとは思わなかったよ」
それはこちらの台詞だ。
レイは一人で白い壁を調べていたようだ。先程マークが見ていた白い壁へ視線を向けている。
「あっちはどうした。シスレーに任せたのか?」
「まあな。お前こそ、まだ決行の日じゃないだろ?」
なぜレイがここにいるのか。もちろん何らかの情報を持っているからだ。マークはレイに問いかけた。
「貢ぎ物のことで新情報が入ったんだ」
「偽造貨幣のことか?」
「あそこの神殿にどうして大量の貨幣を寄進していたのか?」
「買収された神官が神殿の貨幣と交換するため、だっただろう?」
「それ以外に、神殿が特別な祈りを行う祭りで願いを叶えてもらうためだったらしい」
特別な祈り?
一部の神官だけが偽造貨幣に関わっていたと思っていたが、神殿自体が関わっているのか。
「今年は古来の儀式を復活させ執り行うらしい。だから今迄以上の大きな願いが叶うと大金を準備していたんだと」
レイは鼻で笑うように言った。しかし、その内容はマークを凍りつかせるような内容だった。
この神殿が祭っている国生みの神には、人の妻を娶りその女性が亡くなるまで人々と一緒に暮したという神話がある。そのため大きな災厄が起こったとき、未婚の女性を生贄に捧げる儀式がいくつもの神殿で行われていたという忌まわしい歴史をもつ。もう百年以上も前に禁止され、妻に扮した女性が歌や舞を奉納したり、妻だった女性の化身といわれる花を捧げるなどと儀式の内容は姿を変えてきた。
古来の儀式とは、まさか、禁止されている未婚女性を捧げる儀式を?
リーシェの背中の入れ墨。あの花には、見覚えがあったはずだ。この神殿にたくさん植えられている花。国生みの神の妻だった女性の化身といわれる花なのだ。
ヒヤリとするような感覚が心臓を締め付ける。
まだ、生きているのか?
「で、お前は、なんでこんなところをウロついてるんだ? あっちでも、その情報が出たのか?」
「いや」
レイの問いかけに、返事が虚ろになってしまう。
今年の祭りはまだなのだから、無事でいるはずだ。それに、まだ古来の儀式とやらが、そうだと確定したわけではない。しかし、考えれば考えるほどリーシェを供物にする儀式であると思わずにいられない。
マークは今迄のことを思い出しながら、レイにリーシェを拾った日のことを説明した。そして、彼女に花の入れ墨があることを。
「何だって黙っていたんだ」
「この件に関わっているとは思わなかったんだ」
「思わないのに、ここへ探しに来たんだ。へぇーっ」
ニヤニヤしているレイに腹が立ち、睨み付ける。
だが、両手を上げて肩をすくめる奴に、余計腹が立つ。
「祭りが近いことは間違いない。もうすぐ神殿で祭り日が告示されるらしい」
レイは一足先にラデナートに来ていて情報を集めているようだ。
マークは眼の前の壁を見やる。もしかしたら、あの高く白い壁の向こうにいるのかもしれない。
「ひとまず宿に戻って細かい話を詰めた方がよさそうだな」
「あぁ」
後ろ髪を引かれるような思いで、マークはその場を後にした。
誤字・脱字などございましたら、下の拍手ボタンでお知らせいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
m(_ _)m