第18話
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二階の窓から馬車がやってくるのが見えた。その後、ゴンゴンという玄関扉が叩かれる音がする。エンナは既に帰宅しておらず、ここにはわたし一人。しばらくすれば、マークが帰ってくる。
知らない人なら扉を開けなくていいはず。リーシェは悩んだが、以前のようにマークの雇い主だったりするかもしれない、と玄関扉まで降りて行った。
「どなたですか?」
玄関扉を開けずに内側から訊ねると、ガタガタと扉を開けようとする音が聞こえた。
外の人は扉が開かないとわかったのか、しばらくして。
「私達をお忘れでございますか? 毎日一緒に暮らしておりましたのに」
女性の声が答えた。
わたしを知っている人? 一人ではないようで、数人が扉の外にいるようだ。
マークはまだ帰ってこない。でも、わたしと暮らしていたというのなら。
リーシェは鍵を開け、玄関扉を開いた。そこには4人の女性が立っている。女性達は生成の服を着ており、わたしの服とも街の女性とも違う変わった服装をしている。帯がなく上から下までストンとした筒状の服だが、よく見ると何枚も重ね着しているようだ。
この女性達は誰なんだろう。リーシェはその女性達を眺めた。知らない人だと思う。
「わたしは、あなた達に覚えがありません」
リーシェがそう言うと、女性達は目を見開いてジロジロと見てきた。
あまり気持ちのいい視線ではない。
「本当に覚えておられないのですか? 私達は、毎日貴方様のお世話をしておりました」
「急にいらっしゃらなくなり、みな心配いたしておりました」
「どこか病気になられたのではありませんか? とにかく帰りましょう」
「そうです。一刻も早く帰りましょう」
女性達がわたしを取り囲むようにして玄関外へと押しやろうとする。
どうやら、留めてある馬車に乗せようとしているらしい。
「マークに無断で外出するわけにはいかないわ」
わたしは彼女達を振り払った。
が、すぐに腕や背中に彼女達の手が押しつけられる。
「私達も心底心配しておりました。みな、元気な姿でのお帰りを首を長くして待っております。こちらの方へは伝言を残せばよろしいでしょう」
「伝言?」
「家に帰ると書き残しておけば、こちらの方も安心するでしょう」
「わたしは、字が、書けないわ」
なんだか行きたくない。
伝言を書いたらマークが安心する?
「私が書きましょう。こちらの方も、貴方様の身元を調べていたのですから、貴方様が無事に家へ帰ると知れば喜ぶでしょう」
身元を調べていた。それは、わたしが何も覚えていないから。
わたしの家? わたしが家に帰れば、マークは喜ぶ? ここにいない方がいいってこと?
そんなこと、ない。ここにいたいって言えば、マークはきっとここに置いてくれる。
でも、マークみたいに、わたしを心配してる人がいるんだろうか。エンナも前にわたしが木に登った日はすごく心配したって言っていたし。それなら安心させてあげるべき?
わたしの家に行けば、わたしの記憶が見つかる? そうしたら、わたしはマークの家族になれるかもしれない。マークの本当の妻にだって。
色々なことで頭がグルグルしているわたしを女性達は強引に馬車へ押し込んだ。
「伝言を残しておきました。さあ帰りましょう」
そういって馬車のドアを閉め、どこへともしれないところへ向けて馬車が走り出した。
この時、わたしは、すぐにマークのもとへ帰れると思っていた。
ほんの少し外へ出るだけだと。
馬車はガタガタ揺れながら長時間走り続けた。夕暮れになり、もうマークが家に帰っているだろう時間だというのに、馬車は止まることなく。遠くなる。女性達に囲まれた無言の馬車の片隅で、リーシェは窓の外を眺めていた。次第に闇に覆われていくにつれ、リーシェの心もなぜか冷えていくようだった。
夜の中を進んだ馬車が到着したのは神殿だった。
ここが家? では、ないと思うんだけど。
薄暗い影を落とす神殿に、リーシェは不気味で恐ろしい印象を持った。だからといって何かを思い出すわけではない。
神殿の奥へと女性達に案内される。半ば強引に。
奥へと入るごとに気味悪さがわたしの中に広がっていった。
「神官長様。神の花嫁がお戻りになられました」
女性神官が一人の男性にわたしを差し出すようにしながら声をかけた。
「おぉ、神の花嫁。外は辛かったであろう」
声をかけられた神官長様とやらは、腕を広げ、わたしをその腕に囲った。思わず、ぞっとする。その腕をわたしは避けたかったけど、抵抗してはいけないと思った。なぜだか、この人は、恐ろしい人だ、と。
神官長様は老人というには若々しい風ではあるが、髪も髭もシルバーな年齢の人だった。
一応、腕の中で大人しくしておく。ひとしきりわたしの頭や背中を撫でていたが、やっと解放されホッとする。
「神官長様、神の花嫁は記憶を喪っているようで。我々を誰も覚えておりません」
わたしを連れてきた女性が告げる。どうやら女性達は神官らしい。神官長と呼ばれた人も、他の人達も、同じような衣装をまとっているからだ。神官長だけは、金色の帯のようなものを首から胸に垂らしている。
「そうか。案ずることはないぞ。記憶なぞなくとも、お前が神の花嫁であることに変わりはない」
『神の花嫁』という言葉は、耳にするたび癇に障る。
けれど。
表情を変えないよう、気を配った。以前も、こんなことがあったような気がする。わたしは、何かを、知っているのかもしれない。でも、思い出せない。すぐそこに答えがあるような気がするのに。形にならないそれが、ひどくもどかしかった。
「マークのところへ帰りたいです」
そう神官長という人に言った。
だが、返事はなく冷たい笑みを返される。
何?
神官長が目線で指示を送った先の男性神官達が互いに顔を見合わせた。
そして、わたしは男性神官に両脇を抱えられ、奥へ連れて行かれる。
「ちょっと、離して。マークのところへ帰るのよっ」
男性神官から離れようともがくけれど、つま先しか床についていない状態では力が入れられない。上半身をなんとか捻って腕を振り外そうとするけれど。
「貴方様の住処はここです。他の方にこれ以上迷惑をかけてはいけません」
「帰してっ。わたしはマークのところへ帰るの」
暴れて抵抗すると、冷たい目を神官達に向けられた。大勢がわたしを見る目。わたしの抵抗など何の意味もないように、奥へと運ばれていく。誰もわたしの言葉など聞こえていない。わたしに視線を向けながら。素通りする声、視線。わたしは……ここへ来てはいけなかったのに。
恐ろしい程の寒気が背筋を走った。夢が、終わる。そんな言葉が頭をよぎる。
男性神官は、わたしを引きずるように神殿の奥へと連れて行った。
マークは、今日は早めに家へ帰りついた。ようやく今回の件が片付く目途がついたのだ。この仕事が終われば、リーシェを近くの温泉へ連れて行ってやろう。そう思いながら玄関扉を開いた。
しかし。
家は静かだった。いつもは、飛ぶように出迎えるリーシェがいない。台所にはエンナが作ったであろう料理がまだ温かいまま置いてある。慌てて家中を見て回り、ふと、居間のテーブルに紙が置いてあることに気付いた。どうやらリーシェが書き残したものらしい。
家族が迎えにきた、と。
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