第13話
マークはハンクと共に連日カティーガン氏の敷地を調べていた。カティーガン氏がリケンズ家にかなりの金を貸していることが明らかとなり、着実に情報の裏が取れつつあった。
疲れて帰ると、すでに空が赤く染まろうというのにエンナが待っていた。やや不安げな様子で。
「おかえりなさいませ、旦那様」
いつもは飛びついてくるリーシェが出てこない。不思議に思い、部屋を見渡す。
たった数日間繰り返されただけのことなのに、既に定着していることがおかしかった。
「リーシェはどうしたんだ?」
「それが、お茶の後、外へ出られてから、まだお戻りではないのです」
どうやら帰ってこないリーシェをどうすればいいのかわからず、エンナは家に留まってくれていたらしい。
まだ帰らない? もうすぐ日が暮れる。どこかで迷っているのか? 怪我をして動けないでいるのか?
リーシェの泣き顔が思い浮かび、内心焦燥に駆られる。だが、表には出さない。
「どこかに行くと言っていなかったか?」
「いいえ。ちょっと出てくる、とだけ」
エンナも心配そうだ。普段のリーシェを知っているだけに、エンナはリーシェと大して変わらない女性であるにもかかわらずリーシェを小さい子供のように思っている節がある。
「少し周辺を探してみる。見つからなかったら、近所の住民にも声をかけて一緒に探してもらおう。その時には声をかけるから、ひとまず、もう帰りなさい」
「わかりました。旦那様」
「大丈夫。きっと、その辺でうたた寝でもしているのだろう」
安心させるように、リーシェならやりそうなことを言って、エンナを帰らせた。
本当にありえそうだと思いながら。
家の周辺を歩いて回った。オレンジ色に染まった風景が、次第に影を濃くしていく。
早く見つけなければ、もし声の出せない状態だったら。すでに雑草の群れは黒くなり影の中は視覚ではとらえきれなくなりつつあった。
「リーシェっ、リーシェ!」
大声で方々へ向かって叫びながら、何か声が返ってこないかと耳を澄ませた。それを何度も繰り返しながら馬屋やその裏の雑草だらけの庭など家の周囲を調べる。だか、どこにもリーシェの姿は見つからない。
「リーシェっ」
家の周辺から範囲を広げ、散歩に丁度よさそうな小川へ向かいながら、大声で呼びかけ続ける。
すると、呼びかけに呼応する小さな声が耳に届いた。小川に沿って川上へ歩いていくと、その声は徐々に返事は大きくなっていく。
「リーシェ?」
そう問いかけると。
「マークっ、マーク、マークーっ」
声が大きくなり、言葉が聞き取れるようになった。リーシェが何度も叫んでいるようだった。
声の元へと辿っていけば、その声は小川沿いに立つ大きな木の上から降っていた。
「リーシェか? どこだ? 何をやっているんだっ!」
マークは声のする木の上に向かって怒鳴った。
木の葉の影でどこにリーシェがいるのか、見つけることができない。かなり上に登っているようだった。
「マークーぅ、マークーぅ」
リーシェが泣き叫んでいる。ガサガサと揺れる枝、おそらくそこにいるのだろうと目を凝らす。
揺れる枝の下から見上げるが、既に頭上は薄暗くはっきりとは判別できない。だが、どうやら枝の先の細い部分に掴まっているようだった。ユサユサと枝先が揺れている。幹に近い太い部分にいればいいものを。
「リーシェ、降りられるか?」
「無理っ」
即答。
自分で登ったんだろうがっ。怒りが込み上げる。だが、元気そうな声だ。
「リーシェ、片足の靴を落とせ」
そう指示すると、枝がユッサユッサと大きく揺れた。落ちはしないかと神経をとがらせ上部を観察した。
その後。ポサッ、と下に靴が落下した。
「落としたぁ」
上から呑気そうなリーシェの声が降ってきた。どうやら落ち着いたらしい。この立ち直りの早さには感心する。
なんて図太い神経をしているんだ。さっきまで泣き叫んでいたというのに。俺が知らないだけで、女はみんな図太い神経の生物なのかもしれない。そう思うのは、他の女性に失礼だろうか。
マークは妙なことに感心していた。
「よし。ゆっくりと足を降ろせ」
靴が落とされた地点に立ち、マークは上に向かって声をかけた。
「落ちちゃう」
「手で木を掴んでいるんだろう?」
「うんっ」
「手だけでぶら下がれ。俺が下にいるから」
再び、枝がバサッバサッと大きく揺れる。
ゆっくりと言っただろうっ、そう怒鳴りたくなったが、今更言っても仕方がない。
そうして、頭上から足先らしきものがブランと垂れてきたのが確認できた。
「いいぞ。手を離せ」
ガサッっと枝の揺れる音と共に、リーシェが腕の中に落ちてきた。
腕からリーシェを降ろし、全身を検分する。
「怪我はないか?」
「ない」
マークはリーシェが無事であることを確認し全身に脱力感が訪れた。ようやく緊張から解き放たれたのだった。
リーシェが落ちた靴を見つけ出し、履いていると。
「心配させるなっ」
リーシェは耳元で怒鳴られ首を竦めた。
その直後、きつくマークの胸元に押しつぶされた。肩と背中に回された腕がリーシェを締め付け、息が止まりそうになる。
それは強すぎて息苦しかったけど。その強さが、マークの気持を示すかのようだった。
心配、してくれたんだ。探てくれていたんだ。
マークの腕の中でリーシェは胸の奥がギュッと締め付けられた。苦しくて痛い感じだけど、なんとも言葉にならない感情が込み上げてきた。嬉しい。心配してもらえることが、こんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。
ぽろっと涙が零れた。いつの間にか瞳に溢れていたそれは、頬を伝い落ちていく。
声にすることもできず、ただ涙を流すリーシェに寄り添い、マークはその細い肩を抱くようにしてゆっくりと家路についた。
その後。
「一体、どうしてあんなところにいたんだ?」
腰に手を当てたマークに、キツイ目で睨み見下ろされる。少し前までの優しい様子はない。本当に、怒っている。
「ごめんなさい」
「理由をきいているんだ」
マークの顔が強張っているように見える。嫌われてしまっただろうか。不安が押し寄せてくる。さっきのせいで涙腺がゆるんでいるらしく、簡単に感情が高ぶり目に涙がにじんでくる。
「リーシェ」
名を呼ばれて視線を合わせるとマークが困ったような顔をしていた。
目に涙を溜めているからだろう。泣いたら、マークが困ってしまう。嫌われたくない。リーシェはごしごしと目元を腕の服で拭った。
「あそこに登ったら、遠くから帰ってくるマークが見えると思ったの」
そう答えるとマークは目を見開いた。答えに驚いているようだった。
「俺を、待っていたのか?」
マークは不思議なものを見るような目で、こちらを上から下まで視線を動かしている。そんなに驚くこと?
「そうよ。マークを早く見つけたかったから」
答え終わると同時にマークの胸へと引き寄せられた。木から降りた時とは違って、やんわりと腕の中にくるまれる。どうしてなのかはわからないけど、嬉しい。だから理由なんか何でもいい。これ幸いとマークの胸にすり寄った。温かな胸の中にいられるのはとても好き。もうマークは怒っていないみたい。心配させたから怒っていた? 今は心配しなくていいから、怒ってない?
「もう高いところに登るな。危ないことをするんじゃない。家で待っていれば、俺は帰ってくる」
わたしの背中を撫でながら、マークは諭すように言った。その口調はいつもより少しだけ穏やかだった。
待っていればマークは帰ってくる。その言葉は魔法のように身体に染み込んでいく。マークは帰ってくる、何度も自分の中で繰り返した。
マークが腕を解こうとするのを感じ、甘えるように胸に頬をすり寄せた。もう少し、このままでいたい。そう思ったから。
それがわかったのか、マークは再び腕を背中と腰にまわし、その腕の中に入れてくれた。何度も繰り返し強請るのを、マークは甘やかしてくれる。眠くなるまで背中を撫でてくれることが、たまらなく嬉しかった。
さすがに、いくら甘えても、マークの寝台には入れてもらえなかったけれど。




