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第12話

 

 翌日、リーシェは昨日思い出したはずの風呂場のことについて、なぜか記憶が曖昧になっていた。ハッキリと語った風呂場の様子は石の箱だったかな木の箱だったかななどという始末で。

 失った記憶は、彼女が思い出したくないものなのだろうか。

 そして、リーシェが過去を思い出せないことに安堵していた。そんな風に思うべきではないとわかっているのに。もう少しこのままでもいいだろう、今は他にするべきことがあるのだから、と先延ばしにする理由を捜していた。

 爽やかな風が吹きわたる晴天の陽の中、マークは街へと馬を走らせた。忘れずにリーシェのブラシを買おうと思いながら。


 街ではさりげなくハルファング家やカティーガン氏のことを話題に出した。ハルファング家の評判は非常に良い。みな、ここの領主を慕っているようだった。ここの領主館にはハルファング家の家長夫婦と長男一家が住んでいるらしく、最近、孫息子が誕生したらしい。これで領主一家も安泰だと、喜んでいた。ラデナート神殿へ寄進したのも、孫息子の出産前の祈願と出産後の祝いであるのは間違いない。

 カティーガン氏については、誰もが声をひそめて忠告してくれる。近付かない方が身のためだ、と。しかし耳にする悪行といえば、金を貸しておいて暴利を貪るといったところだ。前の代までの地主は人のよい人物であったが、その息子をそそのかし気付けば借金まみれでカティーガン氏に全てを明け渡す羽目になっていたという。前の地主一家は、小さな荷物とともにこの地を去り、その後も次々と金持ちの息子を唆したり罠にはめていたらしい。毎年のように聞かれていたカティーガン氏による家の没落話は、ここ数年はないという。住民達は、この街にはカティーガン氏の誘いに乗るような者はもう残っていないからだと思っており、他所に手を伸ばしているのだろうという者もいた。


 住民から一通りの情報を聞きとり、マークはリーシェのブラシを買い、借家に戻った。

「おかえりなさい、マーク」

 二度目ともなると驚くこともなく、飛び込んでくるリーシェを受け止めた。腕の中に収まったまま、満面の笑顔で見上げてくる。

「今日のパンには葡萄が入ってるのよ。とっても美味しいんだから」

 いつまでも抱き付いたまま玄関で立っているのは間抜けだ。リーシェの背中を叩くと、ちょっと口を尖らせるが渋々腕を離した。本当に抱きつくのが好きらしい。

 子供が抱っこをねだるのと似たような心理だろうか。

「美味しいなら早く支度をしてくれ。腹が減った」

「はいっ」

 服の裾がふわりと膨らむほどの勢いで、リーシェは台所へ弾むように駆けて行く。家の中は歩くように言った方がいいだろうか。それなりの女性なのだから。

 のんびりとマークも台所へ向かった。


 夜、リーシェは自分の部屋を使うことなく、今日もマークの部屋に居座っている。狭い部屋に寝台とわずかな家具が置かれていたが、二台目の寝台を入れたことでかなり窮屈な空間となっていた。

 リーシェにブラシを手渡した。

 自分用の寝台に腰かけたリーシェはブラシを手にきょとんとした顔をしている。

「お前が使え。髪を梳くのに必要だろう?」

 そう告げると、リーシェはおもむろにブラシを頭の上に振り上げた。

 何をするつもりだ? そう思っていると、リーシェは自分の頭にそれを振り下ろした。そんな勢いで?

 ザクッとリーシェの頭の髪に突き刺さる。その勢いのまま下に引こうとして、ぐしゃぐしゃと髪がもつれていきブラシが進まなくなった。

 それはそうだろう。昨日髪を洗ったとはいえ、ここ数日ブラシをあてていないのである。その行動を前に呆然としてしまった。

 リーシェはそこで止まったブラシを無理やり動かそうとさらに力を込め。

「痛いっ」

 小さな悲鳴とともに、後頭部の髪にブラシを突き刺したままリーシェはブラシから手を離した。顔をしかめて唇を噛み何かを訴えてくる。

 

「寝台に上がって後ろを向け」

 見かねたマークは、目で訴えるリーシェに声をかけた。リーシェはなぜ?という顔で見上げてきたが、大人しく寝台に上り背を向けて座った。

 寝台の横にマークも腰をかけ、リーシェの頭からブラシを抜き取る。それには少しだけ血がついていた。せっかく瘡蓋になっていた頭の傷口を突き刺したらしい。自分の頭にむけて、そんなに力を入れずともいいだろうに。

 マークはリーシェの髪を梳かしてやる。リーシェと同じように上から下へと梳かそうとしたが、すぐに髪が絡んでしまう。仕方なく毛先から少しずつ梳かしていくと、全てを梳かし終えるのにかなりの時間を要した。そしてリーシェは梳かされている間にゆらゆらと揺れており。いつの間にか夢の世界に旅立っていた。

 マークはにまにま笑い顔で目を閉じているリーシェの服を緩め、寝台に寝かせた。呑気なものだと苦笑しながら。



 翌朝、そろそろ来るころかとマークは街道に馬を走らせた。

 その道中で馬車が壊れて立ち往生している風の一行を発見した。手紙で依頼したシスレー達一行である。マークは、現場に偶然居合わせた剣士という役なのだ。打ち合わせ通りに、見知らぬふりで彼らをハルファング家の領主館へ案内した。

 シスレーはブルフケン家当主であり、ハルファング家よりもかなり上の貴族位である。そのシスレーが立ち往生して困っていると立ち寄れば、たいていの領主館では歓迎し、滞在することを勧めるものだ。ハルファング家もその例にもれずシスレーを歓迎した。シスレーはハルファング家の離れの建物に滞在することになった。

 当主もその息子も、評判通りの人柄がうかがえた。マークはシスレーの警護と共に彼の背後に控えていた。館内の様子からそこそこ羽振りはよさそうだが贅沢をしている風ではなく、犯罪に手を染めているような人物には見えない。


 そこへ、隣の地主のカティーガン氏が現れた。どうやらハルファング家へ領地の堺について苦情を言いにきたらしい。

 カティーガン氏は、いっそ見事に評判通りの風貌をしていた。要するに、欲の深そうな顔である。

 シスレーがブルフケン家当主であると紹介された時、カティーガン氏の頭の中で様々な計算が行われたようだ。そして、作り笑顔でシスレーに歓迎の意を述べた。

 シスレー、ハルファング家当主、その息子、カティーガン氏の四人で一時間弱程の歓談となったが、シスレーが王都西警護騎士団に所属していることに反応したのはカティーガン氏一人だった。



 軽い歓談の後、ハルファング家が用意してくれた離れに一行は案内された。

「カティーガン氏は探ってくれと言わんばかりだったな」

 さっそくシスレーは部屋でくつろぎ茶を口に運びながら言った。ここへ来る道中、すでに近隣住民の評判については彼の耳にいれてあった。

「シスレー達は、一応、ハルファング家を調べてくれ。おそらく何もなさそうだが」

「もちろんだとも。だが、こちらは人手が必要なさそうだ。ハンク、お前はマークと一緒に行け」

「わかりました」

 マークは明日からシスレーの警護の騎士ハンクとともにカティーガン氏を調べることにした。カティーガン氏の敷地には、すでに目を付けている建物がいくつかあり、調査の人手が欲しいと思っていたところだった。


「では、また明日」

 そう言ってマークがシスレー達のもとを立ち去ろうとすると。

「お前はここに泊まらないのか?」

 おや?とでも言いたそうな片眉を上げた顔でシスレーが問いかけてきた。

 マークがハルファング家の借家を借りていることを伝えると、なおもシスレーはマークへ問いかけるような視線を寄越す。シスレーが何を言いたいのかわからない。


「こんなに早い時間に、わざわざ帰るとは、な」

 シスレーの意味深な言い方。それに騎士のハンクもおや?という顔をした。二人には意味が通じているのだろうが、マークには何のことかわからない。

 これだから、年寄りは、と思っていると。


「女が待っているんだな?」

 ニヤリと口を歪めてシスレーは問いかけてきた。だが、その顔は正解以外はあり得ないと思っているようで。本当に、これだから年寄りは面倒なんだ。マークは顔をしかめた。答えるつもりはない。

「あまり女心は無下にするもんじゃないぞ」

 全く訳のわからないことを言い始める。余計なお世話だ。マークは鬱陶しそうに彼へ視線を投げ、無言で帰って行った。

 不機嫌そうに帰って行くマークの姿を見送り、シスレーと騎士ハンクは顔を見合わせて、ニヤニヤと笑い合っていた。


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