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第10話

 

 翌朝、リーシェが目覚めると旦那様の部屋の寝台の上だった。

 いつの間に入ったんだろう? 服も着ているし? それよりも、旦那様がいない。

 急いで人の声が聞こえてくる階下に降りると、そこには旦那様だけでなくエンナと名乗る女性がいた。彼女は、昼間この家にいて食事を作ったり掃除をしたり洗濯をしたりするのだという。

 それを聞いて血の気が引いていく。手が震える。

 それは、わたしのすることじゃなかった? なのに。この人がなぜ? 

 この人、『妻』なの? わたしは、いらない? 涙がじんわりと浮かんで視界がぼやける。


「どうなさったんですか、奥様?」

 奥様? それが彼女がわたしを呼ぶときの名前らしい。エンナと名乗った女性が困ったような様子で問いかけてきた。

 旦那様はいつものごとく眉にやや皺を寄せた無愛想な顔でわたしを見る。


「こいつのことは、気にしないでくれ」

 旦那様は、その家政婦という女性に口端を上げて見せ機嫌を取っている。

 昨日の食堂の女性より、綺麗だし。


「晩飯を作ったら帰ってくれていい。二階の掃除はこれにやらせるので、一階を掃除してくれ」

 これ、とは、わたしのことらしい。

 わたしにも仕事はあるみたい。わたしがいらないわけじゃない。


「わかりました。旦那様」

 旦那様! やっぱりこの人『妻』なんだ。

 ジトッとした視線を女性に向けていると、旦那様に睨まれた。

 どうしてよぅ。何人も妻を連れてくる旦那様が悪いんじゃない。

 ううっ。このままでは旦那様を取られてしまう。しっかりしなくちゃ。



 リーシェが涙ぐんだり睨んだりしている。また、おかしなことを考えているに違いない。

 マークは朝からリーシェの行動がいつものように理解不能であるのは仕方ないと思っていたが、家政婦がいる今だけは控えてくれとハラハラしていた。

 不審に思った家政婦に去られたくはなかったのだ。


「すまないが、晩飯を作ったら、あれに食卓への晩飯の出し方を教えてやってくれないか?」

 エンナにリーシェを目で指し示しながら伝える。当然、エンナは驚いた顔だ。


「奥様に、ですか?」

「あぁ。あれは、いいとこのお嬢さんで、何もできないんだ。子供だと思ってくれていいから」

「わかりました、旦那様」

 エンナは戸惑っていたが、一応は引き受けてくれたようだ。とりあえず彼女に今日から働いてもらうことにして、リーシェを連れて二階へ上がる。


「お前は二階を掃除するんだ。毎日」

「はいっ」

「晩飯ができたら、食卓の整え方をエンナが教えてくれるから、俺が帰ってきたら準備するんだ」

「はいっ、旦那様」

 リーシェは気合いの入った返事を返してくる。さっきまでの恨めしそうな顔は止めにしたらしい。彼女の中で何が起こっているというのだろうか。

 マークは首を振り深く追及せず、リーシェに二階の掃除を教えはじめた。そして二階には誰も上げないようにとリーシェに言い聞かせた。そうして留守番するよう伝え、マークは周辺環境を把握しに出掛けた。



 リーシェはマークに教えられたように二階の掃除を開始した。二階には部屋がいくつもある。大きな寝室と中くらいの寝室と居間みたいな部屋など。物置もある。

 あちこち箒をブンブン振り回し掃いて、掃いて、掃く。

 掃いて、掃いて、掃きまくった。

 埃が舞い窓から差し込む陽の光に反射してキラキラしてる。


「ゴホッゴホッ。奥様、何をなさってらっしゃるんですか?」

 鼻と口を手で覆った状態で階段下からエンナが声をかけてきた。手で口を押さえているから、言葉は聞き取りにくい。

 確かに少し煙たいかも。鼻がムズムズする。

 クシュッ。


「何って、掃除よ」

 ちょうど廊下を階段下に向かって塵を集めていたから、下にいるエンナが見える。

 エンナは階段を半分くらいまで上ってきた。


「お待ちください。そんなに埃を巻き上げては、全く掃除になりません」

「でも、旦那様はこうやってゴミを集めて塵取りに入れればいいって教えてくれたのよ?」

「とにかく、一度下へ降りてください。掃除の方法をお教えいたします」

 結局、エンナに手取り足取り掃除の手順を教わることになった。

 まずは、埃を上から落とす。鳥の羽でできた棒を使って。ただし窓と鏡と陶器には近づかないこと、と念押しされた。力を入れすぎて花瓶を転がし割ってしまったせいだろう。

 そして静かに箒を動かし、埃を巻き上げないように掃く。集めたゴミを取り、その後、水で濡らし固く絞った雑巾であちこち丁寧に拭っていく。それから、床などの木の部分は、どろっとした液体を木に塗りこむように布で拭きあげていく。

 一通りの手順がわかったところで昼食。

 エンナは優しく一つ一つ丁寧に教えてくれた。鳥羽棒の振り方、水を汲むこと、雑巾の濡らし方、などなど。


「さあ、掃除の方法は、わかりましたね、奥様? 午後は二階を掃除なさいますか?」

「ええ。旦那様が帰ってくるまでに終わらせておかなきゃ」

 覚えたての子供の様に素直に答えるリーシェに、エンナは思わず笑みがこぼれる。


「昨日まで使っておりませんでしたので、今日は埃が多いのです。お使いになる部屋だけになさってはいかがですか?」

「二階は全部する」

「それでは、後でお手伝いいたしましょうか?」

「ううん。それがわたしの仕事だもの」

「わかりました。階段下に新しい水を入れてバケツを置いておきますから」

「えぇ。ありがとう」

 エンナの出してくれた昼食は美味しかった。わたしもこんな風に旦那様に出せるようにならないと。わたしが何もできないからエンナがいるんだ。きっと。エンナは昼間だけって言ってたから、旦那様とはあまり一緒にいられない。

 早く何でも出来るようになろう。エンナはいい人だけど。旦那様の妻は、そんなに大勢必要ないのだから。はやく旦那様を諦めてもらわないと。

 リーシェは昼食を終えると、闘志を燃やし二階の掃除を再開した。



 夕方前にマークが家に帰り着くと、二階からリーシェが駆け下りてきた。

「おかえりなさい、旦那様っ」

 駆けてくる途中、リーシェは手にしていた雑巾らしきものを放り投げた。それは空中を弧を描きながら階段近くの床に落ちていく。そこに被害はなさそうだ。その行方を目で追っているうちに、ドンッと勢いよく体当りしながらリーシェが胸に飛び込んできた。

 昨日までは、こんな勢いはなかった。階段のせいか、助走距離が長くなったせいか、加速しているらしい。リーシェの体当りくらいでは、倒れたりはしないが。

 そのリーシェの後ろから、エンナが現れた。


「おかえりなさいませ、旦那様」

 まだ家にいてくれたようだ。もうすぐ夕方になるというのに。初日だからなのだろう。


「あぁ。まだ帰らなくても大丈夫なのか?」

 胸にリーシェを貼り付けたままの状態でエンナに尋ねた。

 エンナはにこやかな笑顔でこちらを見て、逆に問い返される。


「もうお暇させていただきます。奥様にはお教えしましたが、夕飯までご一緒いたしましょうか?」

 やはり、教えはしたもののリーシェの行動に不安なものを感じているのだろう。

 だが、馬鹿にするようなことはないようだ。リーシェのあまりの世間知らずさに呆れて見下すようでは困ると思っていた。これなら、やっていけそうだ。


「いや。後は気にしなくていい。明日からも頼む」

「はい。よろしくお願いいたします」

 エンナは微笑んで答えた。普通の家政婦としては上等な部類だ。おしゃべりすぎるでもなく、詮索好きでもなく、仕事を真面目にこなしているのだから。


「あの、旦那様」

 エンナが言おうかどうか迷っているようなので、先を促す。

「何か言いたいことがあるなら、気にせず言ってくれ」


「奥様はブラシをお持ちではございませんので、御髪を整えるのは難しいかと」

 胸元に張り付いているリーシェの頭を見下ろした。

 頭の傷の事もあり髪を下ろしたままにして放っておいたのだが、確かに、バサバサになっている。リーシェの髪を少し手に取ると。背中の中程まである艶やかだった髪は、埃をかぶりボサボサと脹らんで今や艶の欠片も残ってなさそうだった。


「気付かなかった。明日にでも買って来よう」

「それでは、旦那様、奥様、失礼致します」

 エンナは帰っていった。

 そして、なぜかリーシェは胸元にずっと張り付いたままだった。


「どうした?」

 腕をはずさせ、声をかけた。エンナの方は問題なさそうだったが、リーシェはエンナが嫌なのだろうか。

 すると、ジトッと眉をやや寄せた顔で見上げられた。

 掃除させたのが気に入らなかったのか?


「わたしは表向き妻で、エンナは妻?」

 マークは、一瞬、リーシェの言葉の意味を掴み損ねた。

 何度か反芻し。ようやく理解はしたが。マークは唖然とリーシェを見下ろす。

 朝からそんな誤解をしていたのか。

 リーシェは『妻』の意味がわかっていたわけではなかったらしい。この国で複数の妻が持てるのは王だけだ。


「……エンナは家政婦だと言ったろう」

「家政婦は、妻ではないの?」

「違う」

 リーシェは顰めた顔を緩めていく。エンナが妻だということが気に入らなかったようだ。しかし、まだ引っかかることがあるのか不機嫌顔のままだ。


「でも、マークのことを旦那様って呼ぶ」

「使用人は主人のことをそう呼ぶ。他にどう呼ぶんだ」

 旦那様という呼び方で誤解したのか。相変わらず不思議な発想だ。投げやり気味に答えた。


「じゃあ、妻は旦那様のことをどう呼ぶの? 他の女性と同じなのは、なんだか嫌」

「妻が夫を? 普通は名前で呼ぶんじゃないのか?」

 世の中、夫婦間では色々な呼び名があるだろうが、無難に答える。妙なことを教えると、そういう呼び方をしかねないからだ。


「妻はわたしだけなのね?」

「あぁ」

 今の会話は、少しおかしくなかったか?と思ったが。

 リーシェがふわっと顔を緩め嬉しそうな様子に変わり、つられて自分も顔が緩んでいくのがわかった。先程何を思ったかなど忘れ、リーシェへの視線を下へ落とした。ふと彼女の手の爪に掃除のせいで汚れたのであろう黒い土が入り込んでいるのが目に入る。頑張って掃除したのだろう。櫛くらいは買ってやらないと、な。


「さあ、エンナに教わったように、夕飯の支度をしてくれ」

「はいっ」

 忘れられている夕食のことを促すと、リーシェは嬉しそうに台所へ向かった。


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