デビューの夜会
月虹のかかった美しい夜。
その日はこの国の筆頭貴族であるトパーズ家で夜会が催されていました。たくさんの賓客がすでに夜会の雰囲気を楽しんでいるのですが、開催時刻が迫るにつれ、賓客の数はいや増していきます。今も、三大公爵の一角、アクアオーラ公爵が妻をエスコートして入場してきました。
「トパーズ卿。今宵はお招きに預かり光栄にございます」
「ああ、これはこれはアクアオーラ公爵殿。ようこそおいでくださいました」
にこやかにあいさつを交わす主催者と賓客。
トパーズ家といえば、現王妃レティエンヌのご実家。現トパーズ公爵は王妃の長兄で、宰相でもあるエメリルドです。優しい物腰ながらもこちらの思うように事を推し進めていく手腕は天下一品。辣腕宰相の名をほしいままにしておられるお方です。しかし、仕事を一歩離れれば穏やかな性格。そんな政治手腕やその性質から、貴族はもとより国民からも慕われていました。
アクアオーラ卿は会場を見渡しながら、感嘆のため息をついていました。
「さすがはトパーズ家のパーティーですね。趣向を凝らした素晴らしいものだ」
幾つものキャンドルが彩ったシャンデリアが煌めく広い会場。
ダンスをするフロアの横には国一番の実力と言われる楽団が、絶えず美しい音色を奏でています。壁際に設けられた軽食・デザートは、公爵家のシェフチームが腕によりをかけて作ったもの。芸術品かと見紛うばかりの見た目は言うに及ばず、味も素晴らしいものでした。そして供される飲み物も、決して高級なだけではない、真に美味しいものだけを選りすぐった逸品ばかりです。
それはお金をかけた贅沢だけではできない、トパーズ家の心づくしが細部にまで見えるパーティーでした。
それらを満足気に見渡すトパーズ卿です。
「お褒めに預かり光栄ですね。さ、アクアオーラ卿も今宵はお楽しみください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて」
一礼したアクアオーラ卿夫妻はパーティー会場へと進んでいきました。
その背中を穏やかな微笑みで見送っていたトパーズ卿の元に、また新たに客人の到来が告げられます――。
色んな意味でもこの国一番の貴族の夜会は、さすがに欠席する者もなく、大層盛況できらびやかなものでした。
そんな夜会で、一人の少女が社交界デビューしておりました。
クリステル・アリアロス・アウイン嬢。アウイン侯爵――ディータ・リトバリテ・アウイン――と、その妻シシィとの間にできたご令嬢です。ステラ、と愛称で呼ばれていました。
淡い紫の瞳を好奇心で潤ませた少女は、広間に入ってきた瞬間から、周囲の目を惹きつけてやまない美少女でした。
「少し、緊張しますわ」
前を向いたまま、小さな声で、エスコートする兄クロードに囁きかけます。
「ステラなら大丈夫だよ。ほら、笑顔笑顔」
兄も小声で返してきました。兄の手に添えている華奢なクリステルの手を、もう一方の手で優しくポンポンと宥めるように叩いてくれます。その手のぬくもりに勇気をもらい、緊張で引きつりそうになる頬を叱咤し、微笑むクリステルでした。
クリステルの動きに合わせ、光を纏い煌めくプラチナの髪は、今宵、美しく結い上げられています。髪に挿された小さな紫のバラは、彼女の美しさにさらに彩りを添えています。そして、華奢なその体を包むのは、柔らかなシルクををふんだんに使ったドレス。少女の可憐さを引き立てるように計算しつくされたそれは、彼女の瞳の色と同じ淡い紫。少女が歩を進める度に繊細なドレープがふわふわと揺れ、優雅にまとわりついています。
エスコート役の兄、クロード・アリアロス・アウインに手を引かれ、静々と、トパーズ公爵とその妻アガットの前に進みました。
「今宵はお招きいただきまして、ありがとうございます」
優雅にお辞儀をしながら、父であるアウイン侯爵がトパーズ卿に挨拶をします。きらびやかな席を好まない侯爵でしたが、それでもトパーズ家と王家の夜会にだけは参加していました。昔何かおありだったのでしょうが、今は誰も何も言いません。
四十をとうに超えたアウイン侯爵ですが、未だに若々しい美貌を保っており、周りのご婦人方が頬を染め、目を潤ませため息を隠さないでいるほどでした。しかし、アウイン侯爵の隣にはしっかりと腰を抱かれたままの侯爵夫人がいらっしゃいます。侯爵夫人も、お二人の子持ちとは思えない、少女のようなご様子。アウイン侯爵が未だに溺愛し続けるのも、さもありなん。
侯爵夫人も、夫と共に優雅にお辞儀をされました。
「今宵は娘のクリステルも連れてまいりました。初めての夜会でございます。皆様にもぜひお見知りいただきたく存じます」
そう言うとアウイン侯爵は、それまでクロードにエスコートされていたクリステルの手を受け取ると、トパーズ卿の前へと連れていきました。
クリステルは緊張で、はにかんだ笑顔になりましたが、
「アウイン侯爵家のクリステル・アリアロス・アウインでございます」
淑女の礼をとりました。
「初めまして、クリステル嬢。しかしなんと美しいお嬢さんだろう! 貴女は母上似かな?」
クリステルの初々しいかわいらしさに破顔し、トパーズ卿が言いました。
「本当に! こんなかわいらしいお嬢様を今まで隠しておいでだったなんて、侯爵様はずるうございますわね! うちには男の子しかいませんから、うらやましゅうございますわ」
公爵夫人もニコニコと笑って声をかけてくださいます。
「自慢の娘でございますからね。本当はずっと隠しておきたかったのですが」
「やっぱりか。だろうと思ったよ、アウイン殿」
しれっと涼しい顔で答えるアウイン侯爵でしたが、にやりと笑うトパーズ卿。長年『上司・部下』という関係のこの二人は、なかなかに気が置けない仲なのでした。
「さ、挨拶はこれくらいにして。今宵のパーティーを楽しんでいってください」
「ありがとうございます」
そう言うと、アウイン侯爵一家はトパーズ卿ご夫妻の元から辞去して、パーティー会場へと進んでいきました。
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