重なる時
「ステラ、私は君を想っていたんだ。――初めて出会ったあの夜会の夜から」
静かにアレクシスは語り出しました。
「君は月虹の下で一人ステップを踏んでいたよね。あまりの美しさに、私は月の妖精の舞を見ているのかと思ったくらいだった。見たことのない姫君だったからね。どこの誰かか判る前に、すでに虜になっていたよ」
――天つ風 雲の通ひ路 吹き閉じよ
優しくクリステルのプラチナの髪を梳いていきます。
「まあ、見ていらしたのですか」
驚いて、顔を上げるクリステル。そこでぶつかったはちみつ色の瞳は、今は柔らかい笑みを湛えています。
「ああ。声も出なかったよ。出せなかった。声をかけたら消えてしまいそうで――」
――乙女の姿 しばしとどめむ
「そんなこと……」
「しばらくして兄上が呼びに来ただろう。あれで私も正気に戻った。あの時は朧月夜でクロード殿とははっきり判らなかったんだけど。それから大広間で貴女が踊っている姿を見つけた。月虹の下よりもさらに美しくて驚いた。――そして、一緒に踊っている男に嫉妬した」
「まあ……」
意外な告白に瞠目するクリステルですが、そんな彼女に一つ微笑んでから、またアレクシスは続けます。
「美しい貴女に次々とダンスを申し込む男達。貴女は無邪気に踊り続ける。踊り終えたかと思うと、今度は貴女を囲んでさや当てが始まった」
苦々しい口調になるアレクシスに、思い当たらないクリステルはキョトンとなりました。
「さや当て?」
「ええ、駆け引き、と言いましょうか。でも貴女はこれにも気付かず無邪気なご様子で彼らを傍近くに侍らせている。私がどれだけやきもきしたかご存じないでしょう」
見つめ合っていた瞳が外され、ほう、とひとつ落とされるため息。
「貴女に当たるのはお門違いだと重々承知していたのですが、どうしても、貴女に自分の感情をぶつけてしまった……」
クリステルを抱きしめる腕に力がこもりました。
「何度もそうでした。貴女を想うあまりに……」
もう一度落とされたため息は、かすかに震えているようです。
それにクリステルの心が震えました。
もう一度アレクシスの胸に顔を埋めると、意を決して口を開きました。
「……わたくしは、貴方に嫌われているのだと思っていました。こんな貧弱な小娘が、きらびやかな貴族の世界に顔を出すことが許せないのだと」
クリステルからは見えませんでしたが、それを聞いてアレクシスの美しい顔が苦痛に歪みました。
「わたくしもアレクシス様に初めてお会いした時に『なんて美しい方なんだろう』と、胸をときめかせたのです。……けれど疎まれているのなら仕方ありません。諦めるためにも、このお話を積極的に受けようと思いましたの。近くで疎まれるよりも、遠くでも貴方のお役に立てるのなら、と」
「……私の、役に?」
「ええ。この婚姻が上手くいけば、この国にとってとても有益だと聞かされました。この国に有益ならば、将来、この国の中枢になるはずの貴方の役に立つことと同じでしょう?」
「そこまで……!」
驚き目を見張るアレクシスに、自嘲的な微笑みを浮かべるクリステル。
「ええ……。そこまで考えましたの。ふふ、おかしいでしょう?」
「おかしくなんて……! 貴女はそこまで私のことを想っていてくださったのですか?」
急に体から引き剥がされ、顔を覗きこまれました。屈みこんでくるアレクシスはあまりにも近くて、あまりにも美しくて、ステラの心臓はますます早鐘を打ちました。
「……そうでございます。わたくしの勝手な想いではございますが……」
ステラが言い終えるか否か、
「貴女という人は!!」
またぎゅうっと抱きしめられてしまいました。
今度は想いが通じ合った嬉しさに、ぽろぽろと涙が止まりません。
「ああ、もう貴女を手離せそうにありません。隣国の王子殿下の元ではなく私の元に来てください」
優しく指で涙をぬぐいながら、アレクシスは囁きました。しかし時が遅すぎました。国家間の外交戦略における重要な婚姻が決まりかけているのですから。
「でももう手遅れにございますよ? 明日には候補者が発表になってしまいます」
そしてその候補は十中八九ステラで。
想いが通じ合った今、これは残酷な決定です。
心が引き裂かれる痛みに、クリステルの淡紫の瞳が曇りました。
「大丈夫。そこは私が上手くやりますから、貴女は安心して私の腕に閉じ込められていてください」
そう言うとアレクシスは、気がかりに顔を伏せたクリステルの頬に手を添え、上を向かせると、ニコリ、と笑いかけました。
どうなるか不安なクリステルは瞳を揺らすばかりで。それでも真剣に見つめてくるアレクシスの瞳を見返しながら声を振り絞りました。
「本当、ですか?」
「本当ですよ! 信じてください」
「……アレクシス、様……」
おずおずと、ステラはアレクシスの背に手をまわしました。
しかし、今まで拒まれ続けてきたので抱きしめ返す勇気が出ません。
ためらい、クリステルの腕が空を彷徨っていると、
「どうして? ステラ。私もステラに抱きしめられたいよ?」
いたずらっぽい声が頭上から降ってきました。
「わたくしが抱きしめ返してもいいのですか……?」
「私はステラのものだよ? ステラが私のものになったのだから」
「アレクシス様!」
「アレクと呼んで? ステラ」
「……アレク……」
やっと抱きしめ返すことができました。
細身に見えて、意外にも広い背中に信頼を感じました。
再びアレクシスによって上を向かされると、ゆっくりと落ちてくる美しい顔。
そして、静かに重なる唇。
もはや早鐘と化したお互いの鼓動。
――われても末に 逢わんとぞ思ふ
「ああ、ステラ……。しばし、このままで……」
月虹の下、一つの影に融けあう二人でした。
今日もありがとうございました(*^-^*)
百人一首12番歌 天つ風 雲の通い路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばしとどめむ 僧正遍昭
百人一首77番歌 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われてもすえに あはんとぞおもふ 崇徳院
それいけ! ロマンチック!!w




