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月虹の舞姫  作者: 徒然花
Juillet
14/22

逃避

「今回の条約締結に伴い、さらなる友好の証として婚姻を結ぶことになったらしい」


家族3人――クロードは騎士なので、王城の騎士宿舎で寝泊まりしていることが多い――で囲む夕餉の席で、父が今日、王城で聞いてきたことを話していました。


「まあ? どなたとですの?」


母が驚いたように父の顔を見つめました。

アンバー王国でも政略結婚はよくある話でしたが、自国の王侯貴族同士でのものがほとんどだったからです。近隣諸国とは穏やかな外交が続いていたので、他国よりも自国内でのつながりを重視していました。ですので、今回のような他国との政略結婚は本当に久しぶりのことなのでした。


「昨日いらっしゃった、隣国の第一王子と、この国の誰か」

「誰かって言っても……」


珍しく真面目な顔をして淡々と事実を述べる父と、困ったように柳眉を下げる母。そんな二人を黙って見守るクリステルです。


「本来ならば王家の第一王女であるクラリス様が嫁がれるのが妥当なんだけど、いかんせん姫はまだ6歳だ。対して向こうは28歳。開きすぎにもほどがあるだろう。10年後ならまだしも」

「ええまあ……確かに……」

「だから、第一王子に嫁いでも申し分ない身分――高位高官のご令嬢を検討中なんだ」

「そうなのですね」

「ああ。公爵家か侯爵家から選ばれるのは間違いない……」

「え……? では……?」


母がアクアマリンの瞳を揺らせて、言葉に詰まりました。

揺れる瞳のまま、無言で夫を見つめると、その瞳を受け止め静かに肯き、


「ああ。そうだよ。ステラにも白羽の矢が立っている」


父はアメジストの瞳を、衝撃を受ける妻から、本人であるクリステルに移してきました。


「え……? わたくしですか?」


思わぬところで自分の名前が出てきたクリステルは、信じられないとばかりに目を見開きました。


「そうだよ。でもまだ候補の一人だからね。正式に決定という訳ではない」

「……ならよかったですわ」


突然の縁談に動揺を隠せなかった母は、確定ではないと聞きほっと胸をなでおろしました。


「しかし、限りなく本命に近い存在ではあるけどね。昨日の夜会でも、どうやら殿下はステラのことをお気に召していたみたいだし」

「そんなこと……」

「今日、陛下がこっそり耳打ちしていったんだ。『殿下がステラを気に入ってたぞ』って」

「喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか複雑にございますわ……」


昼間の国王の様子を思い出してムッとする父と、突然降って湧いた話についていけていないクリステルと母。


「その婚約についてはいつ決定されますの?」


動揺は収まらないままですが、これからのことを考えると聞いておかねばなるまいと、母は思い、夫に尋ねました。


「殿下が国へ帰るまでには決定して、しばらく後に発表するということだ」

「ではあまり時間がございませんのね?」

「まあね。でもこの婚姻が上手くいくと、我が国の利益につながることは間違いないからね、みんな迅速かつ慎重に事を運んでいるよ」


そんな両親の会話など耳に入っていない様子のクリステルでしたが、父の言葉の『我が国の利益につながることは間違いない』というところだけは嫌にはっきりと聞こえてきました。


――わたくしが、もし、隣国へ嫁ぐことになり夫君の寵愛を受けるようになれば、この国のためになれるの? 引いて言えば、後々この国を治める柱となられるあのお方のためにもなるの?


突然そんな考えが浮かんできました。冷静に見るとかなり飛躍しすぎた考えなのですが、クリステルの中ではなぜかそれしか考えられなくなっていました。


クリステルはいつの間にか固くドレスを握り締めていました。

淡紫の瞳も焦点が合っていません。


クリステルには冷たくて、でもどうしようもなく気になってしまうアレクシス。この国から自分がいなくなればもうあの美しくも冷たい瞳に射抜かれることもない。しかも役に立てるのです。今までのような冷たく射抜くような視線どころか温かい眼差しをくれるかもしれないのです。

今のままではアレクシスの中では疎ましい存在でしかないクリステルが、隣国へ嫁ぐことによって、疎ましくなく、記憶するに値する存在になりうるのです。


――このままこの国に居続けても、きっと微笑んではくれないのでしょう。そうね、わたくし、あの方の微笑むお顔が見たいのですわ……きっと惚れ惚れしてしまうような微笑なのでしょうね。

初めてお会いした時から、わたくしはあの美しくも冷たいお方に囚われてしまっていたのですわ……


ゆっくりと光を取り戻す瞳。固く握られていた手も力が抜けてゆきます。

そして――


「お父様、そのお話、よろしければわたくしが喜んで受けさせていただきますわ」


静かな決心をしたクリステルは、微かに微笑みながら父に向かって言いました。


「「えっ……?!」」


父も母も、思わず声を上げていました。まさかクリステルが快諾するなど思ってもみなかったからです。

父にしても、この話を持ち出したのはゆくゆく話が来た時に慌てないためであって、むしろ積極的に受けようなどとは思っていませんでした。他国との婚姻など、面倒なだけと考えている節もあります。

母も、成人しているとはいえまだ幼いと言っても過言でないかわいい娘を、他国の、それも第一王子に嫁がせるなど、先の苦労が見えているので、正直大反対です。せめて自国で、クリステルだけを大事にしてくれる人に嫁がせたいのです。自分がそうであったように。


「まだ正式に決まった話じゃないからね。ステラが行かなくてもいいかもしれないし」

「そうよ。他にもっと好条件のご令嬢が見つかるかもしれないでしょ?」


二人して慌ててクリステルを押し留めようとしましたが、


「いいえ。わたくしが行くのが最善なのでしょう? わたくしが『是』と言えば決まるのでしょう?」


父のアメジストをしっかりと見返しながら、淡紫の瞳は揺るぎません。


「まあ……そう言ってしまえば、そうなんだけど?……」


珍しく動揺している父です。普段の飄々とした様子は微塵も感じられません。


「ならば、他の方を煩わせる前にわたくしで決めてしまえばよいのではないですか? 他の、わたくしくらいの年齢のご令嬢ならば、婚約者の一人や二人はいらっしゃるでしょうし。まったくそんな気配も何もないのはわたくしくらいなものでしょう?」


普段のおっとりとしたクリステルが、今は何かに憑りつかれたように熱心にまくしたてています。


「どうしたんだい、ステラ?」

「どうもいたしませんわ。もし仮に、どこかのご令嬢が候補に選ばれて、でも本当は相思相愛の婚約者がいて、それでもこの縁談のために引き裂かれるようなことがあってはいけないと思いましたの」

「そりゃ、その辺りは僕たちがしっかり調査するけど……」

「わかりませんわ。身分違いの恋人がいるかもしれませんし」

「ま、まあ、確かに……」

「その点、わたくしならば何のしがらみもございませんもの……」


クリステルの勢いに、父もたじたじとなってしまいました。


「……だから。わたくしが参ろうと思いますの。この国のお役にたてるように精一杯頑張りますので」


クリステルの決心は堅固でした。


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